龍神の記憶と目覚め  日本神話ー㉒山海譚2(ウガヤフキアエズ誕生話)

日本神話ー㉒山海譚2(ウガヤフキアエズ誕生話)

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創作物語版

海幸彦・山幸彦の兄弟神の物語から、鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)を経て、神武天皇の誕生へとつながる大きな流れを、創作物語として章立てまとめています。
記紀の現代語訳を読みたい方は後半をご覧ください。

第十一章 豊玉毘売命(とよたまびめのみこと)の帰還

それからしばらくして――。

海神(わたつみ)の娘、豊玉毘売命(とよたまびめのみこと)は、再び地上へやって来ました。

「あなた様……」

火遠理命(ほおりのみこと)のもとへ戻ってきた豊玉毘売命(とよたまびめのみこと)は、静かに告げました。

「私は、以前から身籠っておりました。そして今、いよいよ子を産む時が来ました」

豊玉毘売命(とよたまびめのみこと)は、海辺に産屋を造りました。

屋根には鵜(う)の羽を葺草(かや)の代わりに使いました。

ところが――。

屋根を葺き終える前に、陣痛が激しくなってきました。

「もう……間に合いません……」

豊玉毘売命(とよたまびめのみこと)は、産屋へ入りました。

そして火遠理命(ほおりのみこと)に言いました。

「どうかお願いです。決して中を覗かないでください」

「なぜですか?」

「異郷の者は、子を産むとき、本来の国の姿に戻るものなのです。私は今から、本当の姿になって子を産みます」

火遠理命(ほおりのみこと)は約束しました。

「わかりました」

しかし――。

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第十二章 覗かれた海神の姿

産屋の中から、不思議な音が聞こえてきます。

「いったい、何をしているのだろう……」

火遠理命(ほおりのみこと)は、どうしても気になってしまいました。

そして――。

そっと産屋の中を覗いてしまったのです。

「……!」

そこにいたのは、豊玉毘売命(とよたまびめのみこと)ではありませんでした。

そこには、**八尋(やひろ)もの大きさを持つ巨大な大鰐(おおわに)**がいました。

大鰐(おおわに)は、身をくねらせながら、産屋の中で子を産んでいたのです。

火遠理命(ほおりのみこと)は驚きました。

恐ろしくなり、その場から逃げ去ってしまいました。

豊玉毘売命(とよたまびめのみこと)は、夫に姿を見られたことを知りました。

「……見られてしまったのですね」

深い悲しみと恥ずかしさが胸を満たしました。

それでも、豊玉毘売命(とよたまびめのみこと)は御子を産み終えていました。

「私は本当なら、海と地上を自由に行き来し、いつまでもあなた様と暮らしたかった……」

しかし、もう以前のようにはいられません。

豊玉毘売命(とよたまびめのみこと)は、海と地上との境を塞ぎました。

そして、海神国(わたつみのくに)へ帰っていったのです。

第十三章 鵜葺草葺不合命(うかやふきあへずのみこと)

こうして生まれた御子は、長い名を授かりました。

天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひこひこなぎさたけうかやふきあへずのみこと)

その名には、屋根を葺き終えることができないうちに生まれた、この御子の誕生の物語が刻まれています。

豊玉毘売命(とよたまびめのみこと)は、海へ帰ってしまいました。

しかし――。

夫への想いまで捨てたわけではありませんでした。

そこで妹の**玉依毘売命(たまよりびめのみこと)**を地上へ遣わしました。

「この子を育ててください」

玉依毘売命(たまよりびめのみこと)は、御子を抱き、地上へ向かいました。

そして豊玉毘売命(とよたまびめのみこと)は、火遠理命(ほおりのみこと)へ歌を送りました。

「赤い玉は、それを貫く緒までも光るほど美しいものです。

けれども、それ以上に――。

白い玉のようなあなた様のお姿は、気高く、立派に思われます」

火遠理命(ほおりのみこと)もまた、妻への想いを歌に託しました。

「鴨の寄り着く島で、共に過ごした愛しい妻よ。

私はあなたを決して忘れません。

私が生きている限り、いつまでも忘れません」

海と地上。

二人の間には、もう海という大きな隔たりがありました。

それでも、その心だけは、決して離れることがありませんでした。

第十四章 四柱の御子と神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)

火遠理命(ほおりのみこと)は、またの名を**日子穂穂手見命(ひこほほでみのみこと)**とも呼ばれました。

そして高千穂宮(たかちほのみや)に、五百八十年間住んだと伝えられています。

その御陵(みはか)は、高千穂(たかちほ)の山の西にあるとされています。

一方、鵜葺草葺不合命(うかやふきあへずのみこと)は、育ての親となった玉依毘売命(たまよりびめのみこと)を妻としました。

二人の間には、四柱の御子が生まれました。

第一の御子――
五瀬命(いつせのみこと)

第二の御子――
稲氷命(いなひのみこと)

第三の御子――
御毛沼命(みけぬのみこと)

第四の御子――
若御毛沼命(わかみけぬのみこと)

若御毛沼命(わかみけぬのみこと)は、また**豊御毛沼命(とよみけぬのみこと)**とも呼ばれました。

そして、さらに別の名を持っていました。

その名は――。

神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)

後に、この御子こそが東へ向かい、大和の地を目指すことになります。

そして、後世に初代天皇として語られる存在へとつながっていくのです。

第十五章 海から始まり、国の始まりへ

四柱の御子の運命も、それぞれ異なるものでした。

御毛沼命(みけぬのみこと)は、波の上を踏み、はるかな**常世国(とこよのくに)**へ渡っていきました。

そして稲氷命(いなひのみこと)は、亡き母の国を求めるかのように、海原へ入っていったと伝えられています。

残された五瀬命(いつせのみこと)と若御毛沼命(わかみけぬのみこと)。

その二人の系譜は、やがて大きな歴史の流れへとつながっていきます。

海幸彦(うみさちひこ)と山幸彦(やまさちひこ)。

一つの釣針をめぐる兄弟の争いから始まった物語は、

海神(わたつみ)の宮殿へ至り、

豊玉毘売命(とよたまびめのみこと)との出会いを生み、

海と地上の二つの世界を結び、

そして、その子孫から新たな国の物語へと続いていきました。

海から生まれた神々の物語は、やがて大和の国の物語へ――。

こうして、神話の大きな流れは、次の時代へと受け継がれていくのです。

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古事記現代語訳


鵜葺草葺不合命(うかやふきあへずのみこと)の誕生

その後、海神である綿津見神(わたつみのかみ)の娘、豊玉毘売命(とよたまびめのみこと)が、地上の国にいる火遠理命(ほおりのみこと)のもとへやって来ました。

そして、火遠理命(ほおりのみこと)に告げました。
「私は以前から身籠っておりましたが、今、いよいよ出産の時期になりました。考えてみますと、天つ神の御子を海原で産むべきではありません。そこで、ここまでやって参りました」
豊玉毘売命(とよたまびめのみこと)は、海辺の渚に産屋を造りました。
その産屋の屋根には、鵜(う)の羽を葺草(かや)の代わりに使いました。

ところが、屋根をまだ完全に葺き終わらないうちに、豊玉毘売命(とよたまびめのみこと)の陣痛が激しくなりました。とうとう耐えられなくなり、豊玉毘売命(とよたまびめのみこと)は産屋の中へ入りました。

そして、いよいよ出産が始まろうとしたとき、夫である火遠理命(ほおりのみこと)に言いました。
「異郷の者は、出産するときになると、本来の国の姿になって子を産むものです。ですから、私も今、本来の姿になってお産をいたします。どうかお願いですから、私の姿を決して見ないでください」
火遠理命(ほおりのみこと)は、その言葉を不思議に思いました。

そして、出産が始まると、どうしても気になってしまい、密かに産屋の中を覗いてしまいました。
すると、そこにいた豊玉毘売命(とよたまびめのみこと)は、なんと八尋(やひろ)もある巨大な大鰐(おおわに)の姿になっていました。大鰐(おおわに)は、身をくねらせながら産屋の中を這い回っていました。

その姿を見た火遠理命(ほおりのみこと)は、驚き、恐ろしくなって、その場から逃げ去ってしまいました。
豊玉毘売命(とよたまびめのみこと)は、夫が自分の姿を覗き見たことを知りました。
そして、とても恥ずかしく思いました。

それでも、すでに御子を産んでいたため、その御子を地上に残しました。
「私は、本当ならば、いつまでも海の中の道を通って、こちらと海神の国を行き来したいと思っていました。
けれども、私の本当の姿を覗いて見られたことは、とても恥ずかしいことです」
そう言うと、豊玉毘売命(とよたまびめのみこと)は海と地上との境を塞ぎ、海神国(わたつみのくに)へ帰ってしまいました。


鵜葺草葺不合命(うかやふきあへずのみこと)と玉依毘売命(たまよりびめのみこと)

こうして生まれた御子は、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひこひこなぎさたけうかやふきあへずのみこと)と名づけられました。

しかし豊玉毘売命(とよたまびめのみこと)は、火遠理命(ほおりのみこと)が自分の姿を覗き見たことを恨めしく思いながらも、夫を慕う心を抑えることができませんでした。そこで、御子の養育係として、自分の妹である玉依毘売命(たまよりびめのみこと)を地上へ遣わしました。

そして玉依毘売命(たまよりびめのみこと)に御子を託し、火遠理命(ほおりのみこと)へ歌を送りました。
「赤い玉は、それを貫く緒までも光るほど美しいものです。
けれども、それにもまして、白い玉のようなあなた様のお姿は、気高く立派に思われます」

すると、火遠理命(ほおりのみこと)も歌を返しました。
「鴨の寄り着く島で、私が共に寝た愛しい妻のことを、私はいつまでも忘れません。
私が生きている限り、決して忘れることはありません」

こうして、火遠理命(ほおりのみこと)は、日子穂穂手見命(ひこほほでみのみこと)とも呼ばれ、高千穂宮(たかちほのみや)に五百八十年間住んだと伝えられています。
その御陵は、高千穂の山の西にあるとされています。
そして、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひこひこなぎさたけうかやふきあへずのみこと)は、その叔母である玉依毘売命(たまよりびめのみこと)を妻として、四柱の御子をもうけました。
第一の御子は、五瀬命(いつせのみこと)です。
第二の御子は、稲氷命(いなひのみこと)です。
第三の御子は、御毛沼命(みけぬのみこと)です。
第四の御子は、若御毛沼命(わかみけぬのみこと)です。
若御毛沼命(わかみけぬのみこと)は、また豊御毛沼命(とよみけぬのみこと)とも呼ばれ、さらに神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)とも呼ばれました。
この四柱の御子のうち、御毛沼命(みけぬのみこと)は、波の上を踏んで常世国(とこよのくに)へ渡っていきました。
そして稲氷命(いなひのみこと)は、亡き母の国がある海原へ入っていったと伝えられています。

日本書紀現代語訳

彦火火出見尊と火闌降命

兄の火闌降命(ほのすそりのみこと)は、もともと海の幸を得る力を備えていました。弟の彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)は、もともと山の幸を得る力を備えていました。兄弟二人は相談して、「ためしに二人の幸を取りかえてみよう」と言いました。

そして実際に取り換えてみましたが、それぞれの幸を得ることができませんでした。兄は後悔して弟の弓矢を返し、自分の釣針を返してほしいと言いました。しかし弟はすでに兄の釣針を失っており、探し求める方法もありませんでした。

そこで弟は別に新しい針を作って兄に与えましたが、兄はこれを承服せず、もとの針を要求しました。弟は悩んで、自分の太刀で新しい針を鍛えて箕(みの)に一杯に盛って贈りました。それでも兄は怒って、「私のもとの針でなければ、たくさん寄越しても受け取れません」と言って、さらに責め立てました。

そのため、彦火火出見尊は深く憂え苦しみました。海のほとりに行って呻き悲しんでいると、塩土老翁(しおつつのおじ)に会いました。老翁は「なぜこんなところで悲しんでいるのですか」と尋ねました。彦火火出見尊は事の始終を告げました。

老翁は「心配には及びません。私があなたのために考えてあげましょう」と言って、無目籠(まなしかたま)を作り、彦火火出見尊を籠の中に入れて海に沈めました。すると、ひとりでに美しい小さな浜に着きました。

そこで籠を捨てて出ていくと、たちまち海神(わたつみ)の宮に着きました。その宮は立派な垣が備わり、高殿が光り輝いていました。門の前には一つの井戸があり、井戸の上には神聖な桂の木があり、枝葉が繁茂していました。

彦火火出見尊はその木の下を歩きさまよいました。しばらくすると一人の美しい女性が戸を押し開いて出てきて、立派な椀に水を汲もうとしていました。彦火火出見尊がそれを見ていると、女性は驚いて中に入り、父母に「門の前の木の下に珍しい客人がおられます」と告げました。

海神は何枚もの畳を敷いて彦火火出見尊を導き入れ、座につかせて来訪の理由を尋ねました。彦火火出見尊は詳しく事情を話しました。

海神は大小の魚を集めて問いただしましたが、皆「わかりません。ただ赤目(鯛)がこの頃、口の病があって来ておりません」と答えました。赤目を呼び出して口を調べると、失われた針が見つかりました。

その後、彦火火出見尊は海神の娘である豊玉姫(とよたまひめ)を娶られました。

海宮に留まること三年になりました。そこは安らかで楽しい場所でしたが、彦火火出見尊には郷(くに)を思う心があり、しばしば嘆かれました。豊玉姫はそれを聞いて父に「天孫は郷土を思って悲しんでおられるのでしょう」と伝えました。

海神は彦火火出見尊を呼び、「もし国に帰りたいと思われるならば、お送りいたします」と言い、手に入れた針を渡して「この針を兄に渡すとき、こっそり『貧釣(まじち)』と言ってから渡しなさい」と教えました。

さらに潮満玉(しおのみちたま)と潮涸玉(しおひのたま)を授け、「潮満玉を水につければ潮が満ち、兄を溺れさせることができます。兄が悔いて救いを求めたら潮涸玉を水につければ潮は引きます。このように攻め悩ませれば兄は降参するでしょう」と言いました。

帰ろうとするとき、豊玉姫は「私はすでに孕んでいます。間もなく生まれるでしょう。風や波の速い日に浜辺に出ますから、どうか産屋を作って待っていてください」と言いました。

彦火火出見尊は元の宮に帰り、海神の教えに従いました。そのため兄の火闌降命は災厄に悩まされ、自ら降伏して「今後、私はお前の俳優(わざおぎ)の民になりますから、どうか許してください」と言いました。彦火火出見尊はその願いを受け入れました。火闌降命は吾田君小橋(あたのきみおばし)の遠祖となりました。

後に豊玉姫は妹の玉依姫(たまよりひめ)を連れて風波を越えて海辺にやってきました。子を生む時に「どうか見ないでください」と頼みました。

しかし彦火火出見尊は我慢できず、こっそり覗きました。すると豊玉姫は出産の時に体が竜になっていました。豊玉姫はこれを恥じ、「もし私を恥かしめなければ、海と陸は永久に隔絶することはなかったでしょう。しかし恥をかかされた以上、どうしてこれから睦まじくできましょうか」と言い、草で子を包んで海辺に棄て、海路を閉じて帰ってしまいました。

その子を彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)と名づけました。

その後、久しく経ってから彦火火出見尊は崩御され、日向の高屋山上陵(たかやのやまのうえのみささぎ)に葬られました。

別の言い伝え(第二)

門の前には一つの井戸がありました。その井戸のそばには、枝のよく茂った杜の木がありました。彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)は跳ね上がってその木に登り、そこに立っておられました。

そのとき、海神(わたつみ)の娘である豊玉姫(とよたまひめ)が、手に玉の碗を持ってやってきて、水を汲もうとされました。ちょうど井戸の中に人の姿が映っているのを見て、仰ぎ見られました。その瞬間、驚いて碗を落とされました。碗は破れ砕けましたが、それを顧みることなく戻って両親に、「井戸のそばの木の上に一人の人がおられました。顔色は美しく、容貌も上品で、まず常人ではありません」と伝えました。

父の神はこれを聞いて不思議に思い、八重畳(やえだたみ)を敷いて迎え入れられました。座につかれると、どうしてここにお出でになったのかと尋ねました。彦火火出見尊は、ことの訳を詳しく話されました。海神は憐れみの心を起こし、大小の魚をすべて集めて尋ねられました。皆が言うには、「よく知りませんが、ただ赤女(あかめ)だけが口の病があって来ておりません」ということでした。

また別の説では、「鲻(いな/ぼら)が口の病があるということです」と言われ、急いで呼んでその口を探ると、紛失した釣針がすぐに見つかりました。そこで海神は、「鲻よ、お前はこれから餌を食べてはなりません。また、天孫が勧めるご膳に加わることはできません」と禁じました。それで鲻を御膳に進めないのは、これが由来であるとされています。

海神は、彦火火出見尊が帰ろうとされるとき、「今、天つ神(あまつかみ)の孫が恐れ多くも私のところへお出でくださいました。心の中の喜びは忘れることができません」と言われました。そして、思いのままに潮を満たせる玉と、潮を引かせる玉をその針に添えて奉り、「遠く隔たっても、どうか時に思い出して、忘れてしまわないようにしてください」と言われました。

さらに、「この針をあなたの兄に与えられるときには、『貧乏神の針、滅亡の針、衰える針』と称えて、言い終わったら後ろの方に投げ棄てて与えなさい。向かい合って授けてはいけません。もし兄が怒ってあなたを損なおうとするなら、潮満玉(しおのみちたま)を出して溺れさせ、苦しんで助けてくれと乞うたら、潮干玉(しおひのたま)を出して救いなさい。このように責め悩ませれば、自ずから従うでしょう」と教えました。

彦火火出見尊はその玉と針を受け取り、もとの宮に帰られました。海神の教えの通りに、まずその針を兄に与えられました。兄は怒って受け取りませんでした。そこで弟が潮満玉を出すと、潮が大きく満ちてきて兄は溺れました。兄は助けを求め、「私はあなたにお仕えして奴(やっこ/奴隷)になりましょう。どうかお助けください」と言いました。弟が潮干玉を出すと潮は引き、兄は元に戻りました。

しかし後になると、兄は前言を改めて、「私はお前の兄である。どうして人の兄として弟に仕えることができようか」と言いました。弟はそのとき潮満玉を取り出しました。兄はこれを見ると高山に逃げ登りました。潮は山をも呑みました。兄は高い木に登りました。潮はまた木を没しました。兄は全く困り果てて逃げるところもなく、罪を伏して、「私は過ちを犯しました。今後はあなたの子孫の末々まで、あなたの俳人(わざひと)になりましょう」と言いました。また別の説では、「狗人(いぬびと)として仕えます。どうか哀れんでください」と言ったともされています。

弟が潮干玉を出すと潮はおのずから引きました。そこで兄は、弟が海神の徳を身につけていることを知り、ついに弟に服従しました。それで火酢芹命(ほのすせりのみこと)の後裔である諸々の隼人たちは、今に至るまで天皇の宮の垣のそばを離れず、吠える犬の役をしてお仕えしているのです。世の中の人が失せた針を催促しないのは、これがその由来であるとされています。

別の言い伝え(第三)

兄の火酢芹命(ほのすせりのみこと)は海の幸を得ることができたので、海幸彦(うみさちひこ)と名づけました。弟の彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)は山の幸を得ることができたので、山幸彦(やまさちひこ)と言いました。

兄は風が吹き雨が降るたびにその幸を失いましたが、弟は風が吹き雨が降ってもその幸が変わりませんでした。兄は弟に「私は試しに、お前と幸を取り替えてみたいと思う」と相談しました。弟は承諾して取り替えました。

兄は弟の弓矢を持って山に入り獣を狩り、弟は兄の釣針を持って海に行き魚を釣りました。しかしどちらも幸を得られず、空手で帰ってきました。兄は弟の弓を返して、自分の釣針を返すよう求めました。弟は針を海中に紛失しており、探し求める方法がありませんでした。それで別に新しい釣針をた高い所の田を作られたら、あなたは窪んだ低い田を作りなさい。兄が窪んだ低い田を作ったら、あなたは高い所の田を作りなさい」と言いました。

海神はこのように誠を尽くしてお助けしました。彦火火出見尊は帰ってきて、海神の教えの通りに実行しました。その後、火酢芹命は日々にやつれ、憂えて「私は貧乏になってしまった」と言い、弟に降伏しました。弟が潮満玉を出すと兄は手を挙げて溺れ苦しみ、潮干玉を出すと元のように戻ることを繰り返したためです。

これより先、豊玉姫は天孫に「私は妊娠しました。天孫の御子を海の中で生むことはできません。子を生むときには必ずあなたのところへ参ります。私のために産屋(うぶや)を海辺に作って待っていてください」と言いました。

彦火火出見尊は郷に帰り、鵜(う)の羽で屋根を葺いて産屋を作りました。屋根をまだ葺き終わらぬうちに、豊玉姫は大亀に乗り、妹の玉依姫(たまよりひめ)を連れて海を照らしながらやってきました。すでに臨月で、子は産まれる直前でした。それで葺き上がるのを待たずにすぐ中に入られました。

落ち着いた豊玉姫は天孫に「私が子を生むとき、どうか見ないでください」と言いました。天孫はその言葉を怪しみ、こっそり覗かれました。すると姫は八尋鰐(やひろわに)に変わっていました。そして覗き見されたことを知り、深く恥と恨みを抱きました。

子が生まれてから天孫が行って「子の名前を何とつけたら良いだろうか」と尋ねると、豊玉姫は「彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)とつけましょう」と答えました。

言い終わると海を渡ってすぐに去りました。そのとき彦火火出見尊は次のように歌われました。

オキツトリ、カモツクシマニ、ワガイネシ、イモハワスラシ、ヨノコトゴトモ。
沖にいる鴨の寄るあの島で、私が一緒に寝た妹のことは、世のかぎりまで忘れることはできないだろう。

別の説(続き)

また別の説には、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)は女たちを呼び出して、乳母、湯母、飯かみ(飯を嚙んで子に与える役)、湯人(ゆえ:子の入浴をさせる役)を決めて、すべての役目を整えて養育したといいます。ときには仮に他の女を使って乳母としたこともありました。これが世の中で乳母を決めて子を育てることの始まりだとされています。

この後、豊玉姫(とよたまひめ)は、その子がとても立派であることを聞き、憐れみの心が募り、また自ら帰って育てたいと思いました。しかし、それは義にかなわぬことなので、妹の玉依姫(たまよりひめ)を遣わして養わせました。そのとき豊玉姫が玉依姫に寄せて返歌を奉りました。

アカタマノ、ヒカリハアリト、ヒトハイヘド、キミガヨソヒシ、タフトクアリケリ。
赤玉の光はすばらしいと人は言いますが、あなたのお姿はそれよりも立派だと思います。

この贈答の二首を挙歌(あげうた)と名づけます。

別の言い伝え(第四)

別の言い伝え(第四)によると、兄の火酢芹命(ほのすせりのみこと)は山の幸を得て、弟の火折尊(ほおりのみこと)は海の幸を得ていたとされます。弟が憂え悲しんで海辺におられたとき、塩土老翁(しおつつのおじ)に会いました。老翁は「なぜそんなに悲しまれるのですか」と問いました。火折尊はこれこれと事情を答えました。

老翁は「悲しまれますな。私が計り事をしてあげましょう」と言い、「海神(わたつみ)の乗る駿馬(しゅんば)は八尋鰐(やひろわに)です。これがその鰭(はた)を立てて橘の小戸におります。私が彼と一緒になって計り事をしましょう」と言って火折尊を連れて行き、鰐に出会いました。

鰐は言いました。「私は八日の後に、確かに天孫を海神の宮にお送りできます。しかし我が王の駿馬は一尋鰐(ひとひろわに)です。これはきっと一日のうちにお送りするでしょう。だから今、私が帰って彼を来させましょう。彼に乗って海に入りなさい。海に入られたら、海中に自ずから良い小浜があるでしょう。その浜伝いに進まれたら、必ず我が王の宮に着くでしょう。宮の門の井戸の上に神聖な桂(かつら)の木があります。その木の上に乗っていらっしゃい」と言いました。言い終わるとすぐ海中に入りました。

そこで天孫は鰐の言った通りに八日間待たれました。しばらくして一尋鰐がやってきました。それに乗って海中に入り、すべて前の鰐の教えに従いました。そのとき、豊玉姫の侍者が玉の碗を持って井戸の水を汲もうとすると、人影が水底に映っているのを見て汲み取ることができず、上を仰ぐと天孫の姿が見えました。

侍者は中に入って王に告げました。「私は、我が大王だけが優れて麗しいと思っていましたが、今、一人の客を見ますと、もっと優れておられました」と言いました。海神はそれを聞いて「ためしに会ってみよう」と言い、三つの床を設けて招き入れました。

天孫は入口の床では両足を拭かれ、次の床では両手を押さえられ、内の床では真床覆衾(まとこおうきぬ)の上にゆったりと座られました。海神はこれを見て、この人が天神の孫であることを知り、ますます尊敬したといいます。

海神は赤女(あかめ)や口女(くちめ)を呼んで尋ねました。すると口女は口から針を出して奉りました。赤女は赤鯛(あかだい)、口女は鲻(いな/ぼら)です。

海神は針を彦火火出見尊に授け、「兄に針を返すとき、天孫は『あなたが生まれる子の末代まで、貧乏神の針、ますます小さく貧乏になる針』と言いなさい。言い終わったら三度唾を吐いて与えなさい。また兄が海で釣りをするとき、天孫は海辺におられて風招(かざおぎ)をしなさい。風招とは口をすぼめて息を吹き出すことです。そうすると私は沖つ風、辺つ風を立てて、速い波で溺れさせましょう」と言いました。

火折尊は帰ってきて、海神の教えの通りにしました。兄が釣りをする日に弟は浜辺にいて嘯(うそぶ)きをしました。すると疾風(はやて)が急に起こり、兄は溺れ苦しみました。生きられそうもないので遥かに弟に救いを求め、「お前は長い間海原で暮らしたから、きっと何か良いわざを知っているだろう。どうか助けてくれ。私を助けてくれたら、私の生む子の末代まで、あなたの住居の垣のあたりを離れず、俳優(わざおぎ)の民となろう」と言いました。

そこで弟は嘯きをやめ、風も止みました。兄は弟の徳を知り、自ら罪に服しようとしましたが、弟は怒っていて聞き入れませんでした。

そこで兄は褌(ふんどし)をし、赤土を手のひらと額に塗り、「私はこの通り身を汚しました。永久にあなたのための俳優になりましょう」と言い、足をあげて踏みならし、そのときの苦しそうな真似をしました。

潮が差して足を浸したときには爪先立ちをし、膝についたときには足をあげ、股についたときには走り回り、腰についたときには腰をなで回し、脇に届いたときには手を胸に置き、首に届いたときには手を上げてひらひらさせました。それから今に至るまで、その子孫の隼人たちはこの所作をやめていません。

これより先、豊玉姫が海から出てきて子を産もうとするとき、皇孫に頼んで言われたことがありましたが、皇孫は従われませんでした。豊玉姫は大いに恨み、「私の言うことを聞かず、私に恥をかかせました。だから今後、私の召使いがあなたの所に行ったら返さないでください。あなたの召使いが私のもとに来ても返しません」と言いました。

ついに真床の布団と草かやでその子を包み、渚に置いて海中に入りました。これが海と陸とが相通わなくなった始まりです。

一説には、子を渚に置くのは良くないからと、豊玉姫は自ら抱いて去ったともいいます。長くして後、「天孫の御子を海の中に置いてはならない」と言って、玉依姫に抱かせて送り出しました。

はじめ、豊玉姫は別れるとき恨み言をしきりに言われました。それで火折尊は、もう会うことがないと知って歌を贈られました。この歌は前述の通りです。

彦波瀲武鷓鷀草葺不合尊と玉依姫の子

彦波瀲武鷓鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)は、その姨(おば)である玉依姫(たまよりひめ)を妃とされました。
そして、まず彦五瀬命(ひこいつせのみこと)をお生みになりました。
次に稲飯命(いなひのみこと)。
次に三毛入野命(みけいりのみこと)。
次に神日本磐余彦尊(かむやまといわれびこのみこと)。
全部で四人の男神をお生みになりました。

久しい後に、彦波瀲武鷓鷀草葺不合尊は西洲の宮(しのくにのみや)でお隠れになりました。
それで日向(ひむか)の吾平山上陵(あひらのやまのうえのみささぎ)に葬られました。

別の言い伝え(第一)

別の言い伝え(第一)によると、まず彦五瀬命(ひこいつせのみこと)を生み、次に稲飯命(いなひのみこと)。
次に三毛入野命(みけいりのみこと)。
次に狭野尊(さののみこと)、のちの神日本磐余彦尊(かむやまといわれびこのみこと)をお生みになったとされます。

狭野というのは、年若い時の名であるといいます。
後に天下を平定して八洲を治められたので、また名を加えて神日本磐余彦尊と申し上げるのです。

別の言い伝え(第二)

別の言い伝え(第二)によると、まず五瀬命(いつせのみこと)を生み、次に三毛野命(みけのみこと)。
次に稲飯命(いなひのみこと)。
次に磐余彦尊(いわれびこのみこと)。
または神日本磐余彦火火出見尊(かむやまといわれびこほほでみのみこと)をお生みになったとされます。

別の言い伝え(第三)

別の言い伝え(第三)によると、まず彦五瀬命(ひこいつせのみこと)を生み、次に稲飯命(いなひのみこと)。
次に神日本磐余彦火火出見尊(かむやまといわれびこほほでみのみこと)。
次に稚三毛野命(みけいりのみこと)をお生みになったとされます。

別の言い伝え(第四)

別の言い伝え(第四)によると、まず彦五瀬命(ひこいつせのみこと)を生み、次に磐余彦火火出見尊(いわれびこほほでみのみこと)。
次に彦稲飯命(いなひのみこと)。
次に三毛入野命(みけいりのみこと)をお生みになったとされます。

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空海が育った善通寺の近くで生まれ、愛媛県で育ちました。 国立理系大学院を修了後は、大手半導体メーカーで研究開発エンジニアとして勤務し、CPU基盤材料や太陽電池材料の研究に携わっていました。 関西在住時、うつ病療養のために何度か訪れた奈良・大神神社(大物主神を祀る古社)で、不思議な体験をしたことが転機となります。 その出来事をきっかけに記紀を読み始め、十年後、自身の祖先が宇佐八幡初代神官・大神比義、さらには大神神社(地祇系三輪・大神氏)へと連なる「蛇神族の神官系の血流」であることを突きとめました。 また、20年間どの療法でも改善しなかった難治性うつ病が、瞑想と催眠の研究を続ける中で奇跡的に解消し、人間に本来備わる自然治癒力の発動法を見出しました。 その後、独自のヒーリング法を確立し、5年間にわたり精神疾患を抱える方々への対面施術・指導を行いましたが、コロナ禍を機に現場を引退。現在はサイトを立ち上げ、HSP向けのセルフヒーリングをオンラインで提供しています。 自身の経験から、 「この世界では、時に説明のつかない出来事が起こり、奇跡が起こることがある」 というメッセージを蛇神の血筋として伝えていきたいと考えています。 なお、宗教団体とは一切関係ありません。
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