記紀に記載されている大国主命の話を創作物語としてまとめています。
記紀の現代語訳を読みたい方は後半をご覧ください。

ある日のこと。
大国主神が出雲の御大(みほ)の御前(みさき)に立っていると――
海の向こうから、何かが近づいてきました。
波の上に浮かぶ、小さな船。
それは天のががいもの船でした。
その船には、小さな神が乗っています。
鵝(がちょう)の皮を剥いだ衣をまとっています。
「誰だろう?」
大国主神は尋ねました。
「あなたは、どなたですか?」
しかし、小さな神は答えません。
大国主神は周囲の神々に尋ねました。
「誰か知っているか?」
「分かりません」
「私も知りません」
その時、谷の鳴く蛙の神、多邇具久(たにぐく)が言いました。
「久延毗古(くえびこ)なら、知っているでしょう」
久延毗古を呼びました。
「この神は、いったい誰なのです?」
久延毗古は答えました。
「この神は、神産巣日神(かみむすひのかみ)の御子」
「少名毗古那神(すくなびこなのかみ)です」
大国主神は驚きました。
「神産巣日神の御子……」
そこで大国主神は、神産巣日御祖命(かみむすびのみおやのみこと)に尋ねました。
神産巣日神は言いました。
「そうです」
「確かに私の子です」
「私の手の指の間から、こぼれ落ちた子なのです」
そして、大国主神に告げました。
「あなたと少名毗古那神は兄弟となるでしょう」
「二人で、この国を作り固めるのです」
大国主神は、少名毗古那神を見ました。
「一緒に国を作ろう」
少名毗古那神は、静かにうなずきました。
こうして二柱の神による、新しい国造りが始まったのです。

大国主神と少名毗古那神は、ともに国を巡りました。
山へ。
野へ。
海へ。
二柱は力を合わせ、人々の暮らしを整えていきました。
しかし、ある時――
少名毗古那神は、常世国(とこよのくに)へ渡ってしまいました。
「少名毗古那神……」
大国主神は海を見つめました。
「私は、これから一人なのか」
「どうすれば、この国を完成させることができるのだろう」
大国主神の心に、深い孤独が広がりました。
その時――
海の彼方から光が差しました。
まばゆい光が海を照らします。
「誰だ!」
光は次第に近づいてきます。
そして神が言いました。
「もし私を正しく治めることができるなら、私はあなたと共に国を作りましょう」
大国主神は尋ねました。
「あなたは、どなたなのですか?」
「私を倭(やまと)の青垣の東の山に祀りなさい」
大国主神は、その神の正体を悟りました。
御諸山(みもろやま)に鎮まる神。
大物主神(おおものぬしのかみ)です。
大国主神は深く頭を下げました。
「分かりました」
「あなたと共に、この国を完成させましょう」
こうして、国造りは新たな段階へ進んでいきました。
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大国主神の物語とともに、神々の世界には、もう一つ大切な流れがありました。
それが、大年神(おおとしのかみ)の系譜です。

大年神は、須佐之男命(すさのおのみこと)の子。
「年」とは、単なる年月ではありません。
それは、種をまき、芽が出て、実り、収穫を迎える――
生命の循環そのものを意味していました。
大年神は、神活須毗神(かみいくすびのかみ)の娘、伊怒比売(いのひめ)を娶りました。
二柱の間には五柱の神が生まれました。
大国御魂神(おおくにみたまのかみ)。
韓神(からのかみ)。
曽冨理神(そほりのかみ)。
白日神(しらひのかみ)。
聖神(ひじりのかみ)。
さらに香用比売(かぐひめ)との間には、
大香山戸臣神(おおかぐやまとのおみのかみ)。
年御神(としのみかみ)。
そして天知迦流美豆比売(あめしるかるみづひめ)との間には、
奥津日子神(おきつひこのかみ)。
奥津比売命(おきつひめのみこと)。
またの名を大戸比売神(おおとひめのかみ)。
大戸比売神は、竈(かまど)を守る神として、人々の家の暮らしを支える神となりました。
さらに、
大山咋神(おおやまくいのかみ)。
またの名を山末之大主神(やますえのおおぬしのかみ)。
庭津日神(にわつひのかみ)。
阿須波神(あすはのかみ)。
波比岐神(はひきのかみ)。
香山戸臣神(かぐやまとのおみのかみ)。
羽山戸神(はやまとのかみ)。
庭高津日神(にわたかつひのかみ)。
大土神(おおつちのかみ)。
またの名を土之御祖神(つちのみおやのかみ)。
数多くの神々が生まれていきました。
そして、羽山戸神(はやまとのかみ)が大気都比売神(おおげつひめのかみ)を娶ると、さらに八柱の神々が生まれました。
若山咋神(わかやまくいのかみ)。
若年神(わかとしのかみ)。
若沙那売神(わかさなめのかみ)。
弥豆麻岐神(みずまきのかみ)。
夏高津日神(なつたかつひのかみ)。
またの名を夏之売神(なつのめのかみ)。
秋毗売神(あきひめのかみ)。
久々年神(くくとしのかみ)。
そして、
久々紀若室葛根神(くくきのわかむろかつねのかみ)。
春が来る。
夏が来る。
秋になり、冬が訪れる。
種が芽を出し、作物が実り、人々は収穫を迎える。
そしてまた、次の年が始まる。
神々の系譜は、こうした自然の循環そのものを物語っているのです。

こうして、大国主神の長い物語は続いていきます。
思えば、すべての始まりは一羽の兎でした。
傷つき、泣いていた小さな兎。
その兎を助けた、一人の若い神。
兄神たちに苦しめられ。
焼けた石によって命を失い。
木の裂け目に挟まれて、また命を失い。
それでも、そのたびに蘇りました。
根の国へ行き。
蛇と向き合い。
蜈蚣と蜂に耐え。
燃え盛る炎を越え。
須勢理毗売命と出会い。
そして須佐之男命から、国を託されました。
「お前こそ、大国主神となれ」
その言葉を胸に、大国主神は歩き始めました。
八十神を追い払い。
国を整え。
多くの神々と出会い。
少名毗古那神と力を合わせ。
そして大物主神を迎えました。
山を越え。
海を越え。
国を巡り。
人々の暮らしを支えました。
その国には、山の神がいました。
海の神がいました。
田畑の神がいました。
家を守る神がいました。
季節を巡らせる神がいました。
そして、数え切れないほどの神々がいました。
大国主神が作ろうとした国は、神だけの国ではありません。
人々が生きる国。
作物が実る国。
家族が暮らす国。
山と海と大地が、ともに息づく国でした。
一羽の兎を救った小さな慈悲。
それがやがて、大きな国造りへとつながっていったのです。
そして今も――
出雲の地には、大国主神の名が伝えられています。
国を作った神。
人々の縁を結ぶ神。
多くの神々を生み、育てた神。
大穴牟遅神。
葦原色許男命。
八千矛神。
宇都志国玉神。
そして――
大国主神。
その長い旅は、今も神話の中で続いているのです。
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少名毗古那神の来訪と、国作りの始まり
大国主神(おおくにぬしのかみ)が出雲の御大の御前にいらっしゃった時のことです。
波の上から、天のががいもの船に乗り、
鵝(がちょう)の皮を剥いだ衣をまとった不思議な神が、
海を渡ってやって来ました。
大国主神が名を尋ねても答えず、
従っていた神々に尋ねても、誰も知りませんでした。
その時、**タニグク(谷の鳴く蛙の神)**が申し上げます。
「これは、クエビコが必ず知っているでしょう。」
クエビコが明かした神の名
クエビコを呼んで尋ねると、こう答えました。
「この神は、神産巣日神(かみむすびのかみ)の御子、
少名毗古那神(すくなびこなのかみ)でございます。」
そこで大国主神は、天上の神産巣日御祖命(かみむすびのみおやのみこと)のもとへ参上し、
この神についてお尋ねしました。
神産巣日御祖命は仰います。
「確かにこれは私の子です。
私の手の指の間から漏れ落ちた子なのです。
あなた、葦原色許男命(あしはらのしこおのみこと=大国主神)と
この少名毗古那神は兄弟となり、
共にこの国を作り固めることでしょう。」
こうして、大国主神と少名毗古那神の二柱は協力し、
国作りを進めていきました。
しかし、やがて少名毗古那神は
常世国(とこよのくに)へと渡ってしまいます。
クエビコの正体
少名毗古那神の名を明かしたクエビコは、
今では 山田のソホド と呼ばれています。
この神は歩くことはできませんが、
地上世界のすべてを知る神として知られています。
大国主神の嘆きと、新たな神の来訪
少名毗古那神が去った後、
大国主神は深く嘆き、こう仰いました。
「私は独りで、どうしてこの国を作り上げることができましょう。
誰が私と共に、この国を完成させてくれるのでしょう。」
その時、海の彼方から光が差し、
海を照らして近づいてくる神がありました。
その神は言います。
「もし私を正しく治めることができるなら、
私はあなたと共に国を作り、完成させることができましょう。
もしそうでなければ、国作りは難しいでしょう。」
大国主神が尋ねます。
「では、あなたを治め奉るには、どのようにすればよいのでしょうか。」
その神は答えました。
「私を、倭(やまと)の青垣の東の山の上に祀りなさい。」
この神こそ、
御諸山(みもろやま)に鎮まる神
すなわち 大物主神(おおものぬしのかみ) です。
大年神の系譜
― 五穀豊穣と家の守りを司る神々 ―
大年神(おおとしのかみ)は、
須佐之男命の子であり、
「年(とし)」=収穫・豊穣を象徴する重要な神です。
ここでは、その大年神の子どもたちと、
さらにその子孫たちが語られています。
1. 伊怒比売(いのひめ)との間に生まれた五柱の神
大年神が、神活須毗神(かみいくすびのかみ)の娘・伊怒比売を娶って生んだ子は次の五柱です。
大国御魂神(おおくにみたまのかみ)
韓神(からのかみ)
曽冨理神(そほりのかみ)
白日神(しらひのかみ)
聖神(ひじりのかみ)
この五柱は、国の基盤や清浄、光、霊性を象徴する神々です。
2. 香用比売(かぐひめ)との間に生まれた神
大香山戸臣神(おおかぐやまとのおみのかみ)
年御神(としみのかみ)
「年御神」は大年神の性質を受け継ぐ、豊穣の神です。
3. 天知迦流美豆比売(あめしるかるみづひめ)との間に生まれた神
奥津日子神(おきつひこのかみ)
奥津比売命(おきつひめのみこと)
またの名を 大戸比売神(おおとひめのかみ)
大戸比売神は、
竈(かまど)の神=台所の守り神として、
今も多くの人々に祀られています。
4. 大山咋神(おおやまくいのかみ)
またの名を 山末之大主神(やますえのおおぬしのかみ)
この神は、
近淡海(ちかつあわうみ=琵琶湖)の日枝山
葛野(かどの)の松尾
に鎮座し、
鳴鏑(なりかぶら)を用いる神として知られています。
5. その他の神々(九柱)
庭津日神(にわつひのかみ)
阿須波神(あすはのかみ)
波比岐神(はひきのかみ)
香山戸臣神(かぐやまとのおみのかみ)
羽山戸神(はやまとのかみ)
庭高津日神(にわたかつひのかみ)
大土神(おおつちのかみ)
またの名は 土之御祖神(つちのみおやのかみ)
以上の九柱を合わせて、
大年神の子は十六柱とされています。
羽山戸神の子どもたち(八柱)
羽山戸神が、大気都比売神(おおげつひめのかみ)を娶って生んだ子は次の八柱です。
若山咋神(わかやまくいのかみ)
若年神(わかとしのかみ)
若沙那売神(わかさなめのかみ)
弥豆麻岐神(みずまきのかみ)
夏高津日神(なつたかつひのかみ)
またの名は 夏之売神(なつのめのかみ)
秋毗売神(あきひめのかみ)
久々年神(くくとしのかみ)
久々紀若室葛根神(くくきのわかむろかつねのかみ)
この八柱は、
季節・山・年の巡りを象徴する神々で、
自然の循環そのものを表しています。
大己貴神と少彦名命
大己貴命(おおあなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)は力を合わせ、心を一つにして天下を造られました。また現世の人民と家畜のために、病気治療の方法を定められました。
鳥獣や昆虫の災いを除くためには、まじないの法を定められました。このため百姓(おおみたから)は今に至るまで、その恵みを受けています。
昔、大己貴命(おおあなむちのみこと)が少彦名命(すくなひこなのみこと)に、
「我らが造った国は善く出来たと言えるだろうか」
と問われました。
少彦名命(すくなひこなのみこと)は、
「あるいはよく出来た所もあるが、あるいは不出来の所もある」
と答えました。
この物語は深い訳があるようです。
その後、少彦名命(すくなひこなのみこと)は出雲(いずも)の熊野の岬に行かれて、ついに常世(とこよ)(長生不老の国)に去られました。また粟島(あわしま)に行き、粟茎によじ上られ、そこで弾かれて常世郷(とこよのくに)に行かれたともいいます。
それからのち、国の中でまだ出来上がらない所を、大己貴命(おおあなむちのみこと)が一人でよく巡り造られました。ついに出雲国(いずものくに)に至って揚言(ことあげ)をされました。
「葦原中国(あしはらのなかつくに)は、もとより荒れていて広い所だった。岩や草木に至るまで、すべて強かった。しかし、私がそれらを砕き伏せ、今は従わない者はない。」
そしてさらに、
「今、この国を治める者はただ私一人である。私と共に天下を治めることができる者が他にあるだろうか。」
と言われました。
そのとき、不思議な光が海を照らして、忽然として浮かんでくるものがありました。
「もし私がいなかったら、お前はどうしてこの国を平げることができたろうか。私があるからこそ、お前は大きな国を造る手柄を立てることができたのだ。」
このとき大己貴神(おおあなむちのかみ)は、
「お前は何者か」
と尋ねました。
それは答えました。
「私はお前に幸いをもたらす、不思議な魂(みたま)(幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま))だ。」
大己貴神(おおあなむちのかみ)は、
「そうですか。分かりました。あなたは私の幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)です。今、どこに住みたいと思われますか?」
と言われました。
するとそれは答えました。
「私は日本国の三諸山(みもろやま)に住みたいと思う。」
そこで宮をその所に造って行き住まわせました。これが大三輪神(おおみわのかみ)であります。
この神の子は、賀茂君(かもきみ)たち、大三輪君(おおみわのきみ)たち、また姫蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)であります。
別の説
別の説では、事代主神(ことしろぬしのかみ)が大きな鰐(わに)になって、三島の溝橄姫(みぞくいひめ)、あるいは玉櫛姫(たまぐしひめ)という人の所に通われました。そして子である姫蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)を生みました。これが神日本磐余彦火火出見天皇(かむやまといわれひこほほでのみすめらみこと)(神武天皇)の后(きさき)であります。
少彦名命の来訪
大己貴神(おおあなむちのかみ)が国を平定したとき、出雲国(いずものくに)の五十狭々(いささ)の小浜(おばま)に行かれて食事をされようとしました。
このとき海上ににわかに人の声がしたので、驚いて探しましたが、何も見えませんでした。
しばらくして一人の小人が、ヤマカガミの皮で舟をつくり、ミソサザイの羽を衣にして、湖水にゆられてやってきました。
大己貴神(おおあなむちのかみ)はこの小人を拾って掌にのせ、もてあそんでいると、跳ねてその頰をつつきました。そこでその姿を怪しんで遣いを出し、天神に尋ねられました。
すると高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)がお聞きになって、
「私が生んだ子は皆で千五百ほどある。その中の一人に、いたずらで教えに従わない子がいた。指の間から漏れ落ちたのは、きっと彼だろう。可愛がって育ててくれ。」
と言われました。
これが少彦名命(すくなひこなのみこと)であります。