記紀に記載されている大国主命の話を創作物語としてまとめています。
記紀の現代語訳を読みたい方は後半をご覧ください。

むかしむかし。
出雲(いずも)の国に、大穴牟遅神(おおなむぢのかみ)という若い神がいました。
大穴牟遅神には、たくさんの兄神たちがいました。
その兄神たちは、みな同じことを考えていました。
「稲羽(いなば)の国には、とても美しい八上比売(やがみひめ)という女神がいるそうだ」
「ぜひ、妻に迎えたい」
「われこそ八上比売の夫にふさわしい!」
兄神たちは、われ先にと競うようにして、稲羽へ向かうことにしました。
大穴牟遅神も一緒について行くことになりました。
しかし――
「おい、大穴牟遅神。この袋を持て」
「はい……」
兄神たちは、大きな袋を大穴牟遅神に背負わせました。
袋はずっしりと重く、肩に食い込みます。
「もっと早く歩け!」
「われらの後ろについて来い!」
大穴牟遅神は黙って歩きました。
兄神たちの荷物を背負い、疲れた足を引きずりながら。
それでも、大穴牟遅神は怒りませんでした。
ただ黙々と、兄神たちの後をついていったのです。
やがて一行は、海辺の道へ差しかかりました。
青い海。
白い波。
遠くには岬が見えています。
そして、その岬の向こうには、運命を大きく変える一羽の兎が待っていたのでした。

気多(けた)の岬へ近づいた時のことです。
兄神たちは、海辺に一羽の兎が倒れているのを見つけました。
その姿を見て、兄神たちは足を止めました。
「おや?」
「なんだ、あの兎は?」
近づいてみると、兎の身体は傷だらけでした。
皮を剥がれたようになり、赤くただれています。
「痛い……」
兎は小さな声で泣いていました。
兄神たちは兎に尋ねました。
「どうしてそんな姿になったのだ?」
兎は苦しそうに答えました。
「私は……淤岐(おき)の島に住んでいました」
「でも、こちらの国へ渡りたくなったのです」
「けれど、海を渡ることができませんでした」
そこで兎は、海の中にいるワニたちを見つけました。
「ワニたちをだまして、橋のように並ばせればいい」
そう考えたのです。
兎はワニたちに言いました。
「あなたたちは、私たちの仲間と、どちらが多いのでしょう?」
ワニたちは答えました。
「われらのほうが多いに決まっている!」
兎は言いました。
「それなら、数を比べてみましょう」
ワニたちは海の上にずらりと並びました。
「一、二、三……」
兎はワニの背中をぴょんぴょん跳びながら渡っていきました。
「もう少し……もう少しで向こう岸だ!」
ところが、岸に着く直前。
兎は思わず口を滑らせました。
「ふふふ……実は、あなたたちをだましたのですよ!」
「なにっ!」
ワニたちは激怒しました。
「だましたな!」
「許さん!」
ワニたちは兎を捕まえ、皮を剥いでしまいました。
「痛い! 助けて!」
兎は泣きながら岸へ逃げました。
そこへ兄神たちがやって来たのです。

兎の話を聞いた兄神たちは、笑いました。
「そんな目に遭ったのか」
そして言いました。
「それなら海水を浴びるといい」
「そうだ。海水を浴びて、風に当たりながら山の上に寝ていろ」
「きっと治るぞ」
兎は嬉しそうに頭を下げました。
「ありがとうございます!」
しかし――
それは間違った教えでした。
兎は海水を浴び、山の頂へ登りました。
「これで治るんだ……」
ところが、海水が乾くと、傷はますます裂けていきました。
「痛い!」
「痛いよ……!」
兎は泣き伏しました。
そのころ、兄神たちから遅れて、一人の神がやって来ました。
大きな袋を背負った、大穴牟遅神です。
大穴牟遅神は兎を見ると、すぐに駆け寄りました。
「どうしたのですか?」
「なぜ、そんなに泣いているのです?」
兎は涙を流しながら、すべてを話しました。
大穴牟遅神は黙って兎の話を聞きました。
そして、優しく言いました。
「そうでしたか……」
「あなたは、ずいぶん苦しい思いをしたのですね」
兎は尋ねました。
「私は……もう治らないのでしょうか?」
大穴牟遅神は首を横に振りました。
「いいえ。まだ大丈夫です」
「河口へ行きなさい」
「そこで真水を浴びて、身体をよく洗うのです」
「そのあと、蒲(がま)の穂を集めて敷き、その上に身体を横たえなさい」
「きっと、元の姿に戻れるでしょう」
兎は目を輝かせました。
「本当ですか?」
「ええ。試してみなさい」
兎は河口へ走りました。
真水で身体を洗い、蒲の穂の上に横たわります。
すると――
傷が少しずつ癒えていきました。
「治っている……!」
兎は立ち上がりました。
「治った!」
元の美しい白い身体が戻っていたのです。
兎は大穴牟遅神のところへ駆け戻りました。
「ありがとうございます!」
そして、兎は大穴牟遅神の未来を見通すように言いました。
「あなた様こそ、八上比売(やがみひめ)に選ばれるお方です」
「兄神たちは、八上比売を得ることはできないでしょう」
「あなた様こそ、いつの日か大きな国を治める神になるでしょう」
大穴牟遅神は、静かに兎を見つめました。
この出会いが、後に「稲羽の素兎」と呼ばれる物語の始まりとなったのです。

稲羽へ到着すると、兄神たちは八上比売のもとへ向かいました。
「八上比売よ」
「われらの妻になってほしい」
兄神たちは次々と求婚しました。
しかし八上比売は、しばらく黙っていました。
そして、はっきりと言いました。
「申し訳ありません」
「私は、あなた方の妻にはなりません」
兄神たちは驚きました。
「では、誰を選ぶというのだ!」
八上比売は振り返りました。
そこには、重い袋を背負った大穴牟遅神が立っていました。
「私は――」
「大穴牟遅神と結婚いたします」
「なに!」
兄神たちの顔から笑みが消えました。
「なぜ、あいつなのだ!」
「われらのほうが立派ではないか!」
しかし八上比売は答えを変えませんでした。
「私の心は、もう決まっています」
兄神たちの胸には、激しい怒りが燃え上がりました。
「大穴牟遅神め……!」
こうして、大穴牟遅神に新たな試練が始まったのです。
稲羽の素兎(いなばのしろうさぎ)
― 大穴牟遅神と兎の出会い ―
大国主神(おおくにぬしのかみ)には、多くの兄神たちがいらっしゃいました。
しかし、その兄神たちは皆、稲羽の八上比売(やがみひめ)を妻に迎えたいという思いから、そろって稲羽へ向かうことになりました。
その道中、兄神たちは大穴牟遅神(おおなむぢのかみ)に大きな袋を背負わせ、従者のように連れて行きました。
気多の岬で出会った一羽の兎
気多(けた)の岬に着いた時、兄神たちは皮を剥がれたように裸になり、地面に伏して苦しむ兎を見つけます。
兄神たちは兎に向かって、
「海水を浴びて、風に当たりながら高い山の上に寝ていればよい」
と教えました。
兎はその言葉を信じて山の頂に臥せっていましたが、海水が乾くにつれて風に吹かれ、皮が裂けてしまい、激しい痛みに泣き伏してしまいました。
最後にやって来た大穴牟遅神
そこへ、兄神たちの後から遅れて歩いてきた大穴牟遅神が兎を見つけ、
「どうして泣いているのですか」
と優しく声をかけます。
兎は事情を語りました。
淤岐(おき)の島からこの岬へ渡りたかったこと
海のワニ(サメ)たちをだまして並ばせ、その上を走って渡ったこと
最後に「だました」と言ってしまったため、ワニに捕まって皮を剥がされたこと
兄神たちの教えに従ったら、かえって傷がひどくなったこと
大穴牟遅神の優しい教え
兎の話を聞いた大穴牟遅神は、こう教えます。
「すぐにこの川の河口へ行き、真水で身体を洗いなさい。
そのあと、河口に生えている蒲(がま)の穂を取って敷き、その上で転がれば、きっと元の肌に戻るでしょう。」
兎が言われた通りにすると、たちまち身体は元の美しい姿に戻りました。
これが「稲羽の素兎」と呼ばれる兎であり、今では「兎神」とされています。
兎が告げた未来
元気になった兎は、大穴牟遅神に向かってこう言いました。
「先に行った兄神たちは、きっと八上比売を得ることはできないでしょう。
袋を背負っておられるあなた様こそ、八上比売を手に入れられるでしょう。」
兎は、大穴牟遅神の心の優しさを見抜き、その未来を告げたのです。
八上比売の選択と、大穴牟遅神への試練
八上比売(やがみひめ)は、大勢の兄神たちに向かって、はっきりとこう答えました。
「私はあなた方のお言葉には従いません。大穴牟遅神(おおなむぢのかみ)と結婚いたします。」
この言葉を聞いた兄神たちは激しく怒り、大穴牟遅神を殺そうと企みます。