龍神の記憶と目覚め  日本神話ー⑦誓約(うけい)

日本神話ー⑦誓約(うけい)

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創作物語版

日本神話の「誓約(うけい)」を物語としてまとめています。
記紀の現代語訳を読みたい方は後半をご覧ください。

第一章  禊ぎの水から生まれた三柱の神 ―

伊耶那岐命は、この三柱の貴い御子を見て、大いに喜びました。

「私は長い間、子を生み続けてきました。そして、ついにこのような尊い三柱の子を得ることができました」

伊耶那岐命は、首に掛けていた玉飾りに手を伸ばしました。

玉と玉が触れ合い、

――さや、さや……

と、澄んだ音が響きます。

その御首飾りは、御倉板挙之神(みくらたなのかみ)と呼ばれるものでした。

伊耶那岐命は、その玉飾りを天照大御神に授けます。

「あなたは、高天原(たかまのはら)を治めなさい」

次に月読命(つくよみのみこと)へ向かい、

「あなたは、夜の食国(よるのおすくに)を治めなさい」

と命じました。

そして最後に、須佐之男命(すさのおのみこと)を見つめます。

「あなたは、海原(うなばら)を治めなさい」

こうして三貴神には、それぞれの治める世界が与えられました。

天照大御神(あまてらすおおみかみ)は高天原へ。

月読命(つくよみのみこと)は夜の世界へ。

そして須佐之男命(すさのおのみこと)は海原へ。

三柱の神々は、それぞれの運命へと歩み始めたのです。

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第二章 須佐之男命の追放

天照大御神(あまてらすおおみかみ)は高天原を治めました。

月読命(つくよみのみこと)も、夜の食国(よるのおすくに)を治めました。

しかし、須佐之男命(すさのおのみこと)だけは、いつまでたっても海原を治めようとしませんでした。

須佐之男命は、ただひたすら泣きました。

声をあげて泣き、地面を震わせるほど泣きました。

その泣き声は山から山へ、谷から谷へと響き渡ります。

青々としていた山々は枯れたようになり、河や海さえも干上がるほどでした。

さらに、悪しき神々の声が五月の蠅のように満ちあふれ、世界には次々と災いが起こりました。

ついに伊耶那岐命(いざなぎのみこと)は、須佐之男命を呼びました。

「なぜ、お前は海原を治めず、いつまでも泣いているのですか」

須佐之男命は涙に濡れた顔を上げました。

そして、こう答えます。

「私は、亡き母の国へ行きたいのです。

母がいる根之堅州国(ねのかたすくに)へ行きたいと思い、そのために泣いているのです」

「母の国」。

それは、母である**伊邪那美命(いざなみのみこと)**のいる黄泉国(よみのくに)を意味していました。

その言葉を聞いた伊耶那岐命の顔から、喜びは消えました。

「それほど母の国へ行きたいというのなら、お前はこの国に住んではなりません」

こうして須佐之男命は、神やらいによって追放されることになりました。

父神から告げられた、厳しい別れでした。

一方、伊耶那岐命自身も、この後、近江国(おうみのくに)の多賀(たが)へと鎮まります。

現在の多賀大社(たがたいしゃ)には、伊耶那岐大神(いざなぎのおおかみ)と伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)が祀られています。

こうして、父と子の道は、それぞれ別の方向へ分かれていったのです。

第三章 天の門に立つ、武装した太陽神 ―

追放された須佐之男命(すさのおのみこと)は、すぐに母の国へ向かうこともできました。

しかし、その前に一つだけ心残りがありました。

姉である天照大御神(あまてらすおおみかみ)に、別れを告げたい。

須佐之男命はそう考えました。

「それならば、まず姉上に事情を申し上げてから、母の国へ向かいましょう」

そう言って、須佐之男命は高天原へ昇っていきました。

ところが、その姿が近づくにつれて、大地が震え始めました。

山々が鳴り、川々が揺れ、国土そのものが大きく震動します。

その音を聞いた天照大御神は、すぐに異変を察しました。

「弟がここへ来るのには、何か理由があるのでしょう」

天照大御神は警戒しました。

「もしかすると、私の国を奪おうとしているのではないでしょうか」

そこで天照大御神は、戦いに備えて身を整えました。

御髪を解き、男神のような御みずらに結い直します。

左右の御みずら、御かずら、そして左右の御手には、八尺(やさか)の勾玉(まがたま)を長い緒で貫いた玉飾りを巻きつけました。

背には千本の矢を入れた矢入れ。

脇には五百本の矢を入れた矢入れ。

さらに、威力ある鞆(とも)を身につけます。

弓を大きく振り立て、堅い土の庭に両足を踏み込みました。

――ドン!

大地が鳴ります。

天照大御神は、地面を沫雪(あわゆき)のように蹴散らし、雄叫びをあげました。

その姿は、まるで猛々しい武神そのものです。

太陽の女神である天照大御神が、このときは高天原を守るための強い神として立ち上がったのです。

やがて、須佐之男命が姿を現しました。

二柱の神は、天の安河(あまのやすのかわ)を挟んで向かい合います。

天照大御神は尋ねました。

「何のために、ここへ上ってきたのですか」

須佐之男命は深く頭を下げました。

「私には邪心などありません。

父である伊耶那岐大御神(いざなぎのおおみかみ)に、なぜ泣いているのかと尋ねられたので、母の国へ行きたいからだと申し上げました。

すると父神は、私をこの国から追放されたのです。

そこで、母の国へ行く前に、姉上に事情を申し上げようと思い、ここへ参上しただけなのです」

天照大御神は、須佐之男命の言葉を聞きました。

しかし、言葉だけでは本当の心は分かりません。

そこで、二柱はある神聖な方法によって、互いの心を確かめることにしたのです。

第四章 誓約

「あなたに邪心がないというなら、どうすればそれを確かめられるでしょう」

天照大御神(あまてらすおおみかみ)は尋ねました。

すると須佐之男命(すさのおのみこと)は答えました。

「それならば、誓約(うけい)をしましょう」

誓約とは、神々の世界における神聖な占いであり、誓いの儀式です。

二柱は、それぞれの持ち物を使い、そこから生まれる神々によって心の正しさを確かめることにしました。

天の安河の流れが、二柱の間を静かに流れています。

川面には天の光がきらめいていました。

まず、天照大御神は須佐之男命が腰に帯びていた十拳剣(とつかのつるぎ)を求めました。

須佐之男命は、その剣を差し出します。

天照大御神は剣を受け取ると、三つに折りました。

そして、天の真名井(あめのまない)の清らかな水で剣を清めます。

やがて、その剣を口に含み、噛み砕きました。

そして、

――ふうっ……

と息を吐き出しました。

すると、吐き出された息の霧から、まばゆい光とともに神々が姿を現したのです。

第五章 宗像三女神と五男神

宗像三女神の誕生

最初に現れたのは、

多紀理毗売命(たぎりひめのみこと)

です。

この神は、別名を**奥津島比売命(おきつしまひめのみこと)**といいます。

続いて、

市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)

が現れました。

この神は、狭依毗売命(さよりひめのみこと)とも呼ばれます。

そして三柱目に、

多岐都比売命(たぎつひめのみこと)

が生まれました。

三柱の女神は、静かに天の安河のほとりに立ちました。

この三柱が、後に「宗像三女神(むなかたさんじょしん)」として知られる神々です。

海を越えて人々が行き交う時代になると、三女神は海上交通を守護する神として厚く信仰されるようになります。

五男神(ごなんしん)の誕生

一方、今度は須佐之男命の番です。

須佐之男命は、天照大御神の身につけていた八尺の勾玉の玉飾りを求めました。

その玉飾りを受け取ると、須佐之男命も清め、噛み砕き、息を吹き出します。

すると、その息から五柱の男神が現れました。

最初に生まれたのは、

正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)

です。

次に、

天之菩卑能命(あめのほひのみこと)

さらに、

天津日子根命(あまつひこねのみこと)

続いて、

活津日子根命(いくつひこねのみこと)

そして最後に、

熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)

が生まれました。

こうして、三柱の女神と五柱の男神、合わせて八柱の神々が誕生しました。

天の安河のほとりには、まるで新しい世界が開かれたかのようでした。

そして天照大御神は、生まれた神々の所属を定めます。

「後から生まれた五柱の男子は、私の持ち物である玉飾りから生まれました。ですから、これは私の子です。

先に生まれた三柱の女子は、あなたの持ち物である剣から生まれました。ですから、この三柱はあなたの子です」

こうして、八柱の神々の所属が定められました。

しかし、この誓約は単なる神々の誕生ではありません。

それは、天照大御神と須佐之男命が互いの心を確かめるための、神聖な契りでもあったのです。

第六章 古代氏族への系譜

誓約によって生まれた神々は、神話の世界だけにとどまりませんでした。

やがて、その神々の名は古代の氏族たちの祖先として語られるようになります。

特に重要なのが、**天之菩卑能命(あめのほひのみこと)天津日子根命(あまつひこねのみこと)**です。

天之菩卑能命の系統

天之菩卑能命(あめのほひのみこと)の子には、

建比良鳥命(たけひらとりのみこと)

がいると伝えられています。

そして、この建比良鳥命を祖とする系譜には、出雲国造(いずものくにのみやつこ)をはじめとする多くの国造氏族が結びつけられています。

系譜は次のように伝えられます。

天照大御神(あまてらすおおみかみ)
 ↓
天之菩卑能命(あめのほひのみこと)
 ↓
建比良鳥命(たけひらとりのみこと)
 ↓
出雲国造(いずものくにのみやつこ)など

建比良鳥命の系統には、

出雲国造(いずものくにのみやつこ)
無耶志国造(むざしのくにのみやつこ)
上菟上国造(かみつうながみのくにのみやつこ)
下菟上国造(しもつうながみのくにのみやつこ)
伊自牟国造(いじむのくにのみやつこ)
津島県直(つしまのあがたのあたい)
遠江国造(とおとうみのくにのみやつこ)

などが祖神的な系譜として結びつけられています。

天津日子根命の系統

もう一柱、古代氏族の系譜において重要なのが、

天津日子根命(あまつひこねのみこと)

です。

天津日子根命は、多くの氏族の祖神として伝えられています。

その系統には、

凡川内国造(おおしかわちのくにのみやつこ)
額田部湯坐連(ぬかたべのゆえのむらじ)
茨木国造(うばらきのくにのみやつこ)
倭田中直(やまとのたなかのあたい)
山代国造(やましろのくにのみやつこ)
馬来田国造(うまくたのくにのみやつこ)
道尻岐閇国造(みちのしりのきへ)
周芳国造(すおうのくにのみやつこ)
倭淹知造(やまとのあむちのみやつこ)
高市県主(たけちのあがたぬし)
蒲生稲寸(かもうのいなき)
三枝部造(さきくさべのみやつこ)

などの名前が見られます。

もちろん、こうした神話上の系譜を、そのまま現代的な意味での血縁関係と考えることはできません。

古代社会では、氏族が自らの祖神をどの神に求めるかということが、祭祀を担う資格や政治的な地位を説明する重要な意味を持っていました。

つまり、

「私たちは、この神の子孫である」

という物語は、

「私たちは、この神を祀る資格を持つ氏族である」

宗像三女神と胸形君

という主張にもつながっていたのです。

一方、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が生んだ三柱の女神は、後に宗像地域と深い結びつきを持つようになります。

多紀理毗売命(たぎりひめのみこと)
→ 沖津宮(おきつぐう)

市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)
→ 中津宮(なかつぐう)

多岐都比売命(たぎつひめのみこと)
→ 辺津宮(へつぐう)

という形で、現在の宗像大社(むなかたたいしゃ)に祀られています。

そして、この三女神を祭祀した氏族として知られるのが、**胸形君(むなかたのきみ)**です。

海に囲まれた日本では、海を渡ることは命を懸けた旅でした。

波が荒れれば船は沈み、霧が出れば進む方向さえ分からなくなります。

そのような古代の航海者たちにとって、海の向こうへ導いてくれる神は、まさに生命を守る神でした。

宗像三女神への信仰は、こうした海上交通と深く結びつきながら発展していったと考えられます。

神話から歴史へ

三貴神の誕生。

須佐之男命(すさのおのみこと)の追放。

天照大御神(あまてらすおおみかみ)との対面。

天の安河での誓約。

そして、宗像三女神と五柱の男神の誕生。

この一連の物語は、単なる神々の家族物語ではありません。

そこには、日本列島で生きた古代の人々が、

「この世界はどのように始まったのか」

「誰がどの世界を治めるのか」

「どの神を祀るべきなのか」

「自分たちの氏族は、どの神につながるのか」

という問いに答えようとした姿が重なっています。

神々の物語は、やがて氏族の系譜となり、祭祀となり、国造たちの政治的な正統性へと結びついていきました。

天上で生まれた神々の名が、やがて地上の氏族たちによって受け継がれていったのです。

そして、この物語の先には、さらに大きな出来事が待っています。

須佐之男命(すさのおのみこと)が高天原で繰り広げる数々の行為。

それによって苦しむ天照大御神(あまてらすおおみかみ)。

そして、ついには太陽の神が天岩戸(あまのいわと)へ隠れてしまいます。

世界から光が失われるのです。

三貴神の誕生から始まった物語は、ここから「天岩戸神話」という、日本神話を代表する大きな物語へと続いていきます。

古事記現代語訳

三貴神を授けるよろこび

伊耶那岐命は禊ぎの末に三柱の貴い御子を得たことを、大いに喜んで言いました。
「私は長く子を生み続け、ついに三柱の尊い子を得ることができた。」
そう言って、御首飾りの玉の緒を、玉がさやさやと鳴るほどに揺らしながら外し、
天照大御神に授けてこう告げました。
「あなたは高天原を治めなさい。」
この御首飾りの名は 御倉板挙之神(みくらたなのかみ) といいます。
続いて 月読命(つくよみのみこと) には、
「あなたは夜の食国(よるのおすくに)を治めなさい。」
そして 建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと) には、
「あなたは海原を治めなさい。」
と、それぞれの役割を委ねました。

須佐之男命の嘆きと泣き荒ぶ

三貴神はそれぞれ委任された国を治め始めましたが、
ただ一人、須佐之男命だけは与えられた海原を治めようとせず、泣きわめき続けました。
その泣き声は激しく、
青々とした山は枯れ山のようになり、
河や海は泣き乾してしまうほどでした。
そのため、悪しき神々の声は五月の蠅のように満ちあふれ、
あらゆる災いが世に起こりました。
伊耶那岐命の問いと須佐之男命の答え
伊耶那岐命は怒りを含んで問いただします。
「なぜお前は、委ねられた国を治めずに泣きわめいているのか。」
須佐之男命は涙ながらに答えました。
「私は亡き母の国――根之堅州国(ねのかたすくに) に参りたいと思って泣いているのです。」

父の怒りと追放

これを聞いた伊耶那岐命は大いに怒り、
「それならば、お前はこの国に住んではならない。」
と告げ、ただちに須佐之男命を**神やらい(追放)**によって追い払いました。

伊耶那岐大神の鎮座

こうして伊耶那岐大神は、
近江の多賀(おうみのたが) に鎮まり、
その地に祀られるようになりました。
多賀大社に伝わる「古事記」の伝承は、この場面に由来します。

天への参上と天地の震動

速須佐之男命(すさのおのみこと)は言いました。
「それならば、天照大御神にお願いして、根之堅州国へ退出しよう。」
そう言って天へ昇ったとき、
山も川も鳴動し、国土は大きく震えました。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)はこれを聞き、驚きと警戒を込めて言います。
「わが弟が上ってくる理由は、きっと善い心ではあるまい。
わが国を奪おうとしているのだろう。」

天照大御神の武装と覚悟

天照大御神は、須佐之男命の来訪に備えて武装します。
御髪を解き、御みずらに結い直す
左右の御みずらと御かずら、左右の御手に
八尺の勾玉を長い緒で貫いた玉飾りを巻きつける
背には千本入りの矢入れ
脇腹には五百本入りの矢入れ
威力ある竹製の鞆(とも)を装着
弓を内側に向けて振り立てる
堅い土の庭に両脚を踏み込み、
沫雪のように地面を蹴散らし、雄叫びをあげる
その姿はまさに稜威(いつ)の男神のような威容で、
須佐之男命を迎え撃つ覚悟が満ちていました。

天照大御神の問いと須佐之男命の弁明

天照大御神は荒々しく足を踏み鳴らし、須佐之男命に問います。
「何のために上ってきたのか。」
須佐之男命は深く頭を下げ、こう答えました。
「私には邪心はありません。
伊耶那岐大御神が、私が泣きわめく理由をお尋ねになったので、
『亡き母の国へ行きたいと思って泣いているのです』と申し上げました。
すると伊耶那岐大御神は
『お前はこの国にいてはならない』
と仰り、神やらいにより追放されました。

そこで、妣(はは)の国へ行くことをお許しいただきたく、
天に参上しただけです。
他の意図はありません。」
心の清明を確かめるための「誓約(うけい)」
天照大御神は言います。
「それならば、お前の心が清らかであることを、何によって知ろうか。」
須佐之男命は答えました。
「お互いに誓約(うけい)をして、子を生みましょう。」
誓約とは、互いの持ち物を用いて神を生み、
その生まれた神の性質によって心の清浄を確かめる儀式です。
ここから、天照大御神と須佐之男命の運命を分ける
重大な儀式「誓約」が始まります。

天の安河をはさんだ〈うけい〉の開始

天照大御神と速須佐之男命は、天の安河(あまのやすのかわ)を間に置いて向かい合い、互いの心の清明を確かめるために〈うけい〉を行うことになりました。

天照大御神が須佐之男命の剣から生んだ三柱の女神
まず天照大御神は、須佐之男命の腰に帯びた十拳剣(とつかのつるぎ)を求め、受け取ると三つに折り、
その剣を天の真名井(あまのまない)で清め、噛み砕いて息を吐きました。
その息の霧から生まれたのは三柱の女神です。
多紀理毗売命(たぎりひめのみこと)
別名:奥津島比売命(おきつしまひめ)
市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)
別名:狭依毗売命(さよりひめ)
多岐都比売命(たぎつひめのみこと)
この三柱はのちに宗像三女神として知られます。

須佐之男命が天照大御神の玉飾りから生んだ五柱の男神
続いて須佐之男命は、天照大御神の左の御みずらに巻かれた八尺の勾玉の玉飾りを求め、受け取って清め、噛み砕いて息を吐きました。
そこから生まれた神は次の通りです。
正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみ)
さらに、
右の御みずらの玉 → 天之菩卑能命(あめのほひのみこと)
右の御手の玉 → 天津日子根命(あまつひこねのみこと)
左の御手の玉 → 活津日子根命(いくつひこねのみこと)
右の御手の玉 → 熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)
合わせて五柱の男神が誕生しました。
子の所属を決める天照大御神の言葉
天照大御神は須佐之男命に告げます。
「あとから生まれた五柱の男子は、私の持ち物から生まれたのだから、私の子である。
先に生まれた三柱の女子は、お前の持ち物から生まれたのだから、お前の子である。」
こうして、八柱の神々の所属が定められました。

宗像三女神の鎮座

天照大御神が生んだ三柱の女神は、現在の宗像大社の三宮に祀られています。
多紀理毗売命 → 宗像大社・沖津宮
市寸島比売命 → 宗像大社・中津宮
多岐都比売命 → 宗像大社・辺津宮
この三柱は胸形君(むなかたのきみ)が祭祀する「三前の大神」です。

五柱の男神の子孫と氏族

・天之菩卑命(あめのほひのみこと)の子
建比良鳥命(たけひらとりのみこと)
出雲国造・無耶志国造・上菟上国造・下菟上国造・伊自牟国造・津島県直・遠江国造らの祖

・天津日子根命(あまつひこねのみこと)
凡川内国造
額田部湯坐連
茨木国造
倭田中直
山代国造
馬来田国造
道尻岐閇国造
周芳国造
倭淹知造
高市県主
蒲生稲寸
三枝部造
などの祖

これらの記述は、古代氏族の正統性を示す重要な系譜として語られています。

日本書紀現代語訳

月夜見尊と保食神

別の言い伝え(第十一)によりますと、
伊奘諾尊(いざなぎのみこと)は、三柱の御子に命じて次のようにおっしゃいました。

「天照大神(あまてらすおおみかみ)は高天原(たかまがはら)を治めなさい。
月夜見尊(つくよみのみこと)は、日と並んで天のことを治めなさい。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)は、青海原(あおうなばら)を治めなさい。」


天照大神は天上にお出でになり、次のようにおっしゃいました。

「葦原中国(あしはらのなかつくに)には、
保食神(うけもちのかみ)という神がおられるそうです。
月夜見尊よ、お前が行って様子を見てきなさい。」

そこで月夜見尊はその命令を受け、葦原中国へ降りて、保食神のもとを訪ねました。

保食神が首を回して陸の方を向くと、口から米の飯が出てきました。
海の方を向くと、口から大小さまざまな魚が出てきました。
山の方を向くと、口から毛皮を持つ獣たちが出てきました。

保食神は、それらの食べ物をすべて集め、たくさんの机に並べて、月夜見尊を丁寧にもてなしました。

しかしこのとき、月夜見尊は大いに怒りました。

「なんとけがらわしいことだ。
なんと卑しいことだ。
口から吐き出したものを、わざわざ私に食べさせようとするのか。」

そう言って剣を抜き、保食神を斬り殺してしまいました。

月夜見尊は天に帰り、この出来事の一部始終を天照大神に報告しました。
これを聞いた天照大神は非常にお怒りになり、こうおっしゃいました。
「お前はなんと悪い神なのです。
私はもう、お前に会いたくありません。」

こうして天照大神と月夜見尊は昼と夜に分かれて住むことになり、決して同じ時に現れることはなくなったとされています。

その後、天照大神は
天熊人(あまのくまひと)という神に命じて、事実を確かめさせました。
天熊人が行ってみると、保食神は本当に死んでいました。
しかし、その亡骸からさまざまなものが生まれていました。

保食神のからは、牛と馬が生まれていました。
からは、粟(あわ)が生まれていました。
からは、蚕(かいこ)が生まれていました。
の中からは、稗(ひえ)が生じていました。
の中からは、稲(いね)が生じていました。
そして陰部からは、麦・大豆・小豆が生じていました。

天熊人は、それらをすべて持ち帰り、天照大神に奉りました。
すると天照大神は大変喜び、こうおっしゃいました。
「これらのものは、人民が生きていくために必要な食物です。」
そして、
粟・稗・麦・豆を畑の種とし、
稲を水田の種と定めました。
さらに、天の邑君(むらきみ)という村の長を定めて、農耕を司らせました。
そして稲の種を**天狭田(あまのさなだ)長田(ながた)**に植えました。
その年の秋には、稲穂は八握りもあるほど大きく垂れ下がり、たいへん見事な実りとなりました。

また天照大神は、口の中に**蚕の繭(まゆ)**を含み、それを引いて糸を作る方法を示しました。
こうして人々は**養蚕(ようさん)**を行うことができるようになったと伝えられています。

素戔嗚尊の誓約

素戔嗚尊(すさのおのみこと)は申し上げました。
「私は父のご命令に従って、根の国へ参ることにいたします。
しかしその前に、高天原(たかまがはら)へ参って、姉上にお目にかかり、お別れを申し上げたいと思います。」
すると
伊奘諾尊(いざなぎのみこと)は、
「よかろう。」
とおっしゃいました。
そこで素戔嗚尊は天へ昇って行かれました。
その後、伊奘諾尊は神としての務めをすべて終えられ、やがてこの世を去ろうとされました。
そこで**幽宮(かくれみや)**を淡路の地に造り、静かに永く隠れておられたといわれています。
また別の言い伝えでは、伊奘諾尊はその功徳が非常に大きかったため、天へ帰ってご報告をされ、**日の少宮(ひのわかみや)**に留まってお住みになったとも伝えられています。
さて、素戔嗚尊が天へ昇るとき、
大海は轟き渡り、山々も鳴り響きました。
それは、素戔嗚尊の性質が非常に猛々しかったからであるとされています。
一方、
天照大神(あまてらすおおみかみ)は、もともと素戔嗚尊が荒々しく、良くない行いをする神であることをご存じでした。
そこで素戔嗚尊がやって来る様子をご覧になると、顔色を変えて驚かれ、次のように言われました。
「私の弟がやって来るのは、きっと良い心からではないでしょう。
おそらく国を奪おうという志があるのではありませんか。
父母はそれぞれの子供に国を与え、境界を定められました。
それなのに、なぜ自分の行くべき国を捨てて、わざわざここへ来るのですか。」
そう言うと天照大神は戦いの姿になりました。
髪を結い上げて**角髪(みずら)とし、裾をからげて袴としました。
さらに大きな玉をたくさん緒に通したものを髪や腕に巻きつけました。
背には矢入れを負い、腕には立派な
高鞆(たかとも)**をつけました。
そして弓の弭(ふはず)を振り立て、剣の柄を握りしめました。

さらに足で大地を踏み抜くほどに力強く踏みしめ、土を雪のように踏み散らしながら、勇ましい態度と厳しい言葉で素戔嗚尊を激しく問い詰めました。
すると素戔嗚尊は答えました。
「私は最初から汚い心など持っておりません。
父母の厳しい命令があったので、まっすぐ根の国へ行くつもりでした。
ただ姉上にお目にかかりたいと思っただけなのです。
それで雲霧を踏み分けて遠くから参りました。
姉上のこのような厳しいお顔を見ることになるとは、思いもよりませんでした。」
すると天照大神はさらに問いかけました。
「それならば、お前の心が清いという証拠を何で示すのですか。」
素戔嗚尊は答えました。
「では姉上と誓約(うけい)をいたしましょう。
誓約によって子を生むことにいたします。
もし私が生んだ子が女神ならば、私の心は汚れていると思ってください。
もし男神ならば、私の心は清いとしてください。」
そこで天照大神は、素戔嗚尊の**十握の剣(とつかのつるぎ)**を借りました。
それを三つに折り、**天の真名井(あまのまない)**で洗い清めました。
そしてそれをカリカリとかみ砕き、吹き出されました。
するとその細かな霧の中から神々が生まれました。
最初に生まれた神を
**田心姫(たごりひめ)**といいます。
次に
湍津姫(たぎつひめ)
次に
市杵嶋姫(いつきしまひめ)
合わせて三柱の女神です。
次に素戔嗚尊は、天照大神が髪や腕に巻いていた
八坂瓊(やさかに)の五百箇(いおつ)の御統(みすまる)を借りました。
それを天の真名井で洗い清め、同じように噛んで吹き出しました。
するとその霧から神々が生まれました。
最初の神は
正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひあまのおしほみみのみこと)です。
次に
天穂日命(あめのほひのみこと)
この神は出雲土師連(いずものはじのむらじ)の祖先とされています。
次に
天津彦根命(あまつひこねのみこと)
この神は凡川内直(おおしこうちのあたい)山代直(やましろのあたい)の祖先とされています。
次に
活津彦根命(いくつひこねのみこと)

最後に
熊野櫲樟日命(くまのくすびのみこと)

合わせて五柱の男神です。
このとき天照大神は言われました。
「もとをたどれば、八坂瓊の五百箇の御統は私のものです。
したがって、この五柱の男神はすべて私の子です。」

そう言って引き取って養われました。
また天照大神は言われました。

「そして、その十握の剣は素戔嗚尊のものです。
したがって、この三柱の女神はすべてあなたの子です。」
そしてこの三柱の女神を素戔嗚尊に授けられました。
この三柱の女神こそ、
筑紫の胸肩君(むなかたのきみ)たちが祀る神であるとされています。

素戔嗚尊の誓約(別の言い伝え 第一)

別の言い伝え(第一)によりますと、
天照大神(日の神)は、もともと
素戔嗚尊(すさのおのみこと)が非常に猛々しく、負けず嫌いで気性の激しい神であることをご存じでした。
そのため、素戔嗚尊が天へ登って来る様子を見て、次のように思われました。

「弟がここへ来るのは、善い心からではないでしょう。
きっと私の高天原を奪おうとしているのでしょう。」

そう思われて、天照大神は堅固な武装を整えられました。
身には
十握の剣(とつかのつるぎ)
九握の剣(ここのつかのつるぎ)
八握の剣(やつかのつるぎ)
を帯びました。

さらに背中には矢入れを負い、腕には高柄をつけ、手には弓矢を持って、自ら素戔嗚尊を迎え撃つ構えを取られました。
そのとき素戔嗚尊は言われました。
「私はもともと悪い心を持っておりません。
ただ姉上にお目にかかりたいと思って参上しただけです。」

そこで天照大神は素戔嗚尊と向かい合って立ち、誓約(うけい)を行ってこう言われました。
「もしお前の心が清く、私の国を奪おうという気持ちがないならば、
お前の生む子はきっと男神となるでしょう。」

そう言い終えると、天照大神は身に着けていた十握剣を食べられました。
そして生まれた子を
瀛津嶋姫(おきつしまひめ)
と名付けました。

次に九握剣を食べて生まれた子を
湍津姫(たぎつひめ)
と名付けました。

さらに八握剣を食べて生まれた子を
田心姫(たごりひめ)
と名付けました。
この三柱が生まれました。
一方、素戔嗚尊は首にかけていた五百箇の御統(いおつのみすまる)の玉を取り、
天淳名井(あまのなない)、またの名を
去来の真名井(いざのまない)で洗い清めてから食べました。
すると神々が生まれました。
最初の神を
正哉吾勝勝速日天忍骨尊(まさかあかつかちはやひのあまのおしほねのみこと)
と名付けました。
次に
天津彦根命
次に
活津彦根命
次に
天穂日命
次に
熊野忍踏命
合わせて五柱の男神です。
この結果によって、素戔嗚尊は誓約に勝った証拠を得ることができました。

そこで天照大神は、素戔嗚尊に悪い心がないことを理解されました。
そして天照大神が生んだ三柱の女神を筑紫の国へ降らせました。
そのとき三柱の神にこう命じられました。
「お前たち三柱の神よ。
海路の途中に降りて、天孫を助けなさい。
そして天孫のために祭祀を受けなさい。」


別の言い伝え(第二)

別の言い伝えによりますと、素戔嗚尊が天へ昇ろうとされたとき、一柱の神が現れました。
その神の名は
羽明玉(はかるたま)
といいます。
この神が素戔嗚尊を迎え、
瑞八坂瓊(みつのやさかに)の曲玉(まがたま)を献上しました。
素戔嗚尊はその玉を持って天へ昇られました。
このとき天照大神は、弟に悪い心があるのではないかと疑い、兵を集めて問い詰めました。
すると素戔嗚尊は答えました。
「私が参上したのは、本当に姉上にお目にかかりたかったからです。
また宝である瑞八坂瓊の曲玉を献上したいと思っただけです。
それ以外の心はありません。」
そこで天照大神は言われました。
「それがお前の真実の言葉かどうか、どうやって証明するのですか。」
素戔嗚尊は答えました。
「では姉上と共に誓約を立てましょう。
その誓約で、もし女神を生めば私に黒い心があると思ってください。
もし男神を生めば、私の心は清いと考えてください。」

そこで天の真名井(あまのまない)に三つの井戸を掘り、二神は向かい合って立ちました。
そのとき天照大神は言いました。
「私が今帯びている剣をあなたにあげましょう。
代わりにあなたの持っている八坂瓊曲玉を私にください。」

こうして互いに交換しました。
天照大神は八坂瓊曲玉を天の真名井に浮かべ、玉の端を噛み切って口から吹き出されました。
その息の中から生まれた神を
市杵島姫命
と名付けました。
この神は宗像の遠瀛宮(おきつみや)に鎮座する神です。
次に玉の中程を噛み切り、息の中から生まれた神を
田心姫命
と名付けました。
この神は宗像の中瀛宮(なかつみや)に鎮座する神です。

次に玉の尾を噛み切り、息から生まれた神を
湍津姫命
と名付けました。
この神は海辺の辺津宮(へつみや)に鎮座する神です。
この三柱を合わせて三女神といいます。
一方、素戔嗚尊は自分の剣を天の真名井に浮かべ、剣の先を噛み切って吹き出しました。
するとその息の中から神々が生まれました。
最初の神を
天穂日命
次に
正哉吾勝勝速日天忍骨尊
次に
天津彦根命
次に
活津彦根命
最後に
熊野櫲樟日命
以上、合わせて五柱の男神が生まれました。

別の言い伝え(第三)
日神ひのかみは素戔嗚尊すさのおのみことに向かって、
「お前にもし悪い心がないのであれば、お前の生む子はきっと男性でありましょう。もし男の子を生んだならば、その子は私の子として高天原たかまがはらを治めさせましょう」
とお告げになりました。

そして日神ひのかみは、まず十握剣とつかのつるぎをお食べになり、その御口からお生まれになった御子は、瀛津島姫命おきつしまひめのみこと、またの名を市杵嶋姫命いつきしまひめのみことと申します。
次に九握剣ここのつかのつるぎをお食べになり、その御子として湍津姫命たぎつひめのみことがお生まれになりました。
さらに八握剣やつかのつるぎをお食べになり、その御子として田霧姫命たぎりひめのみことがお生まれになりました。

一方、素戔嗚尊すさのおのみことは、左の髻もとどりに巻かれていた五百箇いおつの御統みすまるの瓊たまを口に含み、左の掌の上に置いて、男神をお生みになりました。
素戔嗚尊は、
「今こそ私が勝ちました」
とおっしゃいました。
この言葉により、その御子は勝速日天忍穂耳尊かちはやひあまのおしほみみのみことと名づけられました。

さらに、右の髻もとどりの瓊たまを口に含み、右の掌の上に置いて、天穂日命あめのほひのみことをお生みになりました。
また、首にかけておられた瓊たまを口に含み、左の腕の中に置いて、天津彦根命あまつひこねのみことをお生みになりました。
右の腕の中からは活津彦根命いくつひこねのみことをお生みになりました。
左の足の中からは烽之速日命ひのはやひのみことをお生みになりました。
右の足の中からは熊野忍踏命くまのおしほみのみこと、またの名を熊野忍隅命くまののおしくまのみことをお生みになりました。

このように、素戔嗚尊すさのおのみことがお生みになった御子は、すべて男神でございました。
そこで日神ひのかみは、素戔嗚尊がはじめから赤き心、すなわち清らかな誠の心を持っておられたことを悟られ、その六柱の男神を日神の御子として高天原を治めさせることになさいました。

一方、日神がお生みになった三柱の女神は、葦原中国あしはらのなかつくにの宇佐嶋うさしまへと降らされました。
そして今は北の海路、すなわち朝鮮半島へ向かう海の道の途中においでになり、その御名を道主貴ちぬしのむちと申し上げます。
この神こそが、筑紫の水沼君ちくしのみぬまのきみらの祭神でございます。

再生の神・大物主神から授かった静かな恩恵。
潜在意識の深いところでゆっくり息を吹き返す、やさしい再生ヒーリングです。
眠りと覚醒のあわいで「意識の置き換え」と「癒し」がそっと芽生え、
心の奥の記憶や不安に寄り添いながら、
日々のストレスやトラウマを静かにほどいていきます。

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空海が育った善通寺の近くで生まれ、愛媛県で育ちました。 国立理系大学院を修了後は、大手半導体メーカーで研究開発エンジニアとして勤務し、CPU基盤材料や太陽電池材料の研究に携わっていました。 関西在住時、うつ病療養のために何度か訪れた奈良・大神神社(大物主神を祀る古社)で、不思議な体験をしたことが転機となります。 その出来事をきっかけに記紀を読み始め、十年後、自身の祖先が宇佐八幡初代神官・大神比義、さらには大神神社(地祇系三輪・大神氏)へと連なる「蛇神族の神官系の血流」であることを突きとめました。 また、20年間どの療法でも改善しなかった難治性うつ病が、瞑想と催眠の研究を続ける中で奇跡的に解消し、人間に本来備わる自然治癒力の発動法を見出しました。 その後、独自のヒーリング法を確立し、5年間にわたり精神疾患を抱える方々への対面施術・指導を行いましたが、コロナ禍を機に現場を引退。現在はサイトを立ち上げ、HSP向けのセルフヒーリングをオンラインで提供しています。 自身の経験から、 「この世界では、時に説明のつかない出来事が起こり、奇跡が起こることがある」 というメッセージを蛇神の血筋として伝えていきたいと考えています。 なお、宗教団体とは一切関係ありません。
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