葦原中国が平定された後、天津国が高天原から葦原中国へ降り立つまでの創作物語版です。
古事記の現代語訳を読みたい方は後半をご覧ください。

邇邇芸命(ににぎのみこと)は、天宇受売命(あめのうずめのみこと)を呼びました。
「天宇受売命(あめのうずめのみこと)よ。
私を先導してくれた猿田毘古神(さるたびこのかみ)を、あなたが送り届けなさい」
「はい」
天宇受売命(あめのうずめのみこと)は、猿田毘古神(さるたびこのかみ)とともに地上を進みました。
邇邇芸命(ににぎのみこと)は、さらに言いました。
「そして、猿田毘古神(さるたびこのかみ)の名をあなたが背負い、これからも天つ神の御子に仕えなさい」
こうして、天宇受売命(あめのうずめのみこと)は猿田毘古神(さるたびこのかみ)との結びつきを深めました。
その子孫は猿女君(さるめのきみ)と呼ばれ、祭祀や芸能に関わる氏族として伝えられていきます。

やがて猿田毘古神(さるたびこのかみ)は、阿耶訶(あざか)の海で漁をしていました。
青い海。
静かな波。
しかし、そのとき突然――。
「うっ!」
猿田毘古神(さるたびこのかみ)の手が、大きな比良夫貝(ひらぶがい)に挟まれてしまいました。
「離れよ!」
力を込めて手を引きます。
しかし、貝は離れません。
そのまま猿田毘古神(さるたびこのかみ)は、海の中へ沈んでいきました。
その御魂は、海底へ沈むとき、
底どく御魂(そこどくみたま)。
海面へ泡となって浮かび上がるとき、
つぶたつ御魂(つぶたつみたま)。
そして、その泡が弾けるとき、
あわさく御魂(あわさくみたま)
と呼ばれたといいます。
猿田毘古神(さるたびこのかみ)の姿は海に消えました。
しかし、その御魂は、海の底から世界へと広がっていったのです。

天宇受売命(あめのうずめのみこと)は、海の魚たちを集めました。
そして、一匹ずつ尋ねました。
「あなたたちは、天つ神の御子の御膳にお仕えしますか?」
魚たちは次々に答えます。
「はい、お仕えします」
「喜んでお仕えします」
ところが――。
一匹だけ、何も答えないものがいました。
それは海鼠(なまこ)でした。
天宇受売命(あめのうずめのみこと)は海鼠(なまこ)を見つめます。
「あなたは、どうなのですか?」
しかし、海鼠(なまこ)は答えません。
天宇受売命(あめのうずめのみこと)は、その口を裂きました。
そのため、海鼠(なまこ)の口は今のような形になったのだと伝えられています。
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■猿田毘古神の送迎と海鼠の由来
邇邇芸命は天宇受売命に言います。 「先導を務めた猿田毘古神をあなたが送りなさい。 その神の名はあなたが背負い、天つ神の御子に仕えなさい。」
こうして猿女君(さるめのきみ)は猿田毘古神の名を背負う氏族となりました。
猿田毘古神は阿耶訶(あざか)で漁をしていたとき、 比良夫貝(ひらぶがい)に手を挟まれ、海に沈んで亡くなります。 その御魂は、 海底に沈むときは底どく御魂(そこどくみたま)、 泡となって上がるときはつぶたつ御魂(つぶたつみたま)、 泡が弾けるときはあわさく御魂(あわさくみたま)と呼ばれます。
天宇受売命が魚類を集めて「天つ神の御子の御膳に仕えるか」と問うと、 海鼠(なまこ)だけが答えませんでした。 そこで天宇受売命は海鼠の口を裂き、 それが現在の海鼠の姿となったと伝えられます。
猿田彦大神との出会い
先払いの神が戻り、
「天八街(あまのやちまた)に鼻七握、背七尺、目は八咫鏡のように輝く神がいる」
と報告しました。
天鈿女命(あめのうずめのみこと)が遣わされ、胸を露わにして挑発すると、その神は名乗りました。
「私は猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)です。天孫をお迎えするために待っています。」
猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)は
「天孫は筑紫の日向の高千穂の槵触峯(くしふるたけ)に降られる。私は伊勢の狭長田(さなだ)の五十鈴(いすず)の川上に行く」
と言いました。
天鈿女命(あめのうずめのみこと)はこれを天に報告しました。
皇孫は天磐座(あまのいわくら)を離れ、天八重雲(あまのやえくも)を押し分けて降り、筑紫の日向の高千穂の槵触峯(くしふるたけ)に到着しました。
猿田彦神(さるたひこのかみ)は伊勢の狭長田(さなだ)の五十鈴(いすず)の川上に着きました。
天鈿女命(あめのうずめのみこと)は最後まで送って行きました。
皇孫は天鈿女命(あめのうずめのみこと)に、
「お前が露わにした神の名を、お前の姓氏にしよう」
と言い、猿女君(さるめのきみ)の名を賜わりました。
これが猿女君(さるめのきみ)の由来です。