龍神の記憶と目覚め  日本神話ー⑲天孫降臨3(木花咲夜姫・石長姫)

日本神話ー⑲天孫降臨3(木花咲夜姫・石長姫)

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創作物語版

葦原中国が平定された後、天津国が高天原から葦原中国へ降り立つまでの創作物語版です。
古事記の現代語訳を読みたい方は後半をご覧ください。

第十一章 笠沙(かささ)の御崎(みさき)の少女

高千穂(たかちほ)で暮らしていた邇邇芸命(ににぎのみこと)は、やがて笠沙(かささ)の御崎(みさき)へ向かいました。

そこで、一人の美しい少女に出会いました。

海から吹く風が、少女の髪を静かになびかせています。

邇邇芸命(ににぎのみこと)は尋ねました。

「あなたは、どなたですか?」

少女は答えます。

「私は大山津見神(おおやまつみのかみ)の娘です。

名を神阿多都比売(かむあたつひめ)。

またの名を、木花之佐久夜毘売命(このはなさくやびめのみこと)と申します」

その美しさに心を惹かれた邇邇芸命(ににぎのみこと)は、求婚しました。

「あなたを妻に迎えたいと思います」

木花之佐久夜毘売命(このはなさくやびめのみこと)は静かに答えました。

「そのことについては、私の父がお答えするでしょう」

こうして、邇邇芸命(ににぎのみこと)は大山津見神(おおやまつみのかみ)へ使いを送りました。

第十二章 二人の姉妹

大山津見神(おおやまつみのかみ)は、天つ神の御子から求婚されたと聞き、大変喜びました。

「なんという喜ばしいことでしょう!」

そこで大山津見神(おおやまつみのかみ)は、二人の娘を差し出しました。

妹の木花之佐久夜毘売命(このはなさくやびめのみこと)。

そして、姉の石長比売(いわながひめ)です。

しかし、邇邇芸命(ににぎのみこと)は石長比売(いわながひめ)を返し、木花之佐久夜毘売命(このはなさくやびめのみこと)だけを妻として迎えました。

その知らせを聞いた大山津見神(おおやまつみのかみ)は、深く嘆きました。

「私は二人の娘を差し出したのです。

石長比売(いわながひめ)をともに妻とすれば、天つ神の御子の命は岩のように永遠になったでしょう。

しかし、木花之佐久夜毘売命(このはなさくやびめのみこと)だけを迎えたのなら、その命は木の花のように儚くなるでしょう」

こうして、人の命には限りがあるものとなったのだと語られています。

第十三章 疑われた木花之佐久夜毘売命(このはなさくやびめのみこと)

やがて、木花之佐久夜毘売命(このはなさくやびめのみこと)は身ごもりました。

しかし、邇邇芸命(ににぎのみこと)は驚きました。

「一夜の契りで、もう身ごもったというのですか?」

そして、疑いの言葉を口にしました。

「もしかすると、その子は私の子ではなく、国つ神の子なのではありませんか?」

木花之佐久夜毘売命(このはなさくやびめのみこと)は、悲しみました。

しかし、逃げることなく、はっきりと言いました。

「もし、この子が国つ神の子なら、無事には生まれないでしょう。

けれども、天つ神の御子ならば、どのようなことがあっても無事に生まれるはずです」

そして、自分の潔白を証明するため、恐ろしい決意をします。

第十四章 炎の中の出産

木花之佐久夜毘売命(このはなさくやびめのみこと)は、一つの産殿を造りました。

その産殿には、戸口がありません。

入口を土で塞ぎました。

そして、火を放ちます。

炎が燃え上がります。

赤い炎が産殿を包みます。

神々は息をのみました。

「佐久夜毘売命(さくやびめのみこと)様……!」

しかし、炎の中から声が響きました。

「私は負けません。

この子が天つ神の御子なら、必ず無事に生まれるでしょう」

そして――。

炎の中から、一人の御子が生まれました。

さらに、二人目。

そして、三人目。

三柱の御子が誕生したのです。

第十五章 三柱の御子

最初に生まれた御子は、火照命(ほでりのみこと)でした。

火のような力強さを持つ御子です。

火照命(ほでりのみこと)は、後に隼人(はやと)の阿多君(あたのきみ)の祖となったと伝えられています。

次に生まれたのは、火須勢理命(ほすせりのみこと)。

そして最後に生まれたのが、火遠理命(ほおりのみこと)です。

火遠理命(ほおりのみこと)は、またの名を天津日子穂穂手見命(あまつひこほほでみのみこと)といいます。

炎に包まれた産殿から生まれた三柱の御子。

その誕生は、木花之佐久夜毘売命(このはなさくやびめのみこと)が語った言葉を証明する、神聖な出来事となりました。

第十六章 日向三代、そして神武天皇(じんむてんのう)へ

こうして、邇邇芸命(ににぎのみこと)と木花之佐久夜毘売命(このはなさくやびめのみこと)の物語から、新たな世代が始まりました。

火照命(ほでりのみこと)。

火須勢理命(ほすせりのみこと)。

火遠理命(ほおりのみこと)。

そして、この三柱の物語は、やがて日向三代へと受け継がれていきます。

その中心となるのが、火遠理命(ほおりのみこと)です。

火遠理命(ほおりのみこと)の物語は、海神(わたつみ)の宮へと続き、そこで新たな神々との出会いが待っています。

さらに、その血統は次の世代へ、そしてまた次の世代へと受け継がれていきます。

高天原(たかまのはら)から地上へ。

天つ神の御子から、その子へ。

日向(ひむか)から、やがて大和(やまと)へ。

そして、その遥かな道の先に、初代天皇である神武天皇(じんむてんのう)の物語が待っています。

邇邇芸命(ににぎのみこと)が高千穂(たかちほ)の峰に降り立ったその日。

それは、一人の神が地上へ降りた日であるだけではありませんでした。

天つ神の系譜が地上に根を下ろし、やがて日本の王統へとつながっていく――その長い物語の始まりだったのです。

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古事記原文現代訳


■木花之佐久夜毘売との出会い

邇邇芸命は笠沙の御崎で美しい少女を見つけます。 少女は言います。 「私は大山津見神(おおやまつみのかみ)の娘で、 名は神阿多都比売(かむあたつひめ)、またの名は木花之佐久夜毘売命(このはなさくやびめのみこと)です。」

邇邇芸命が求婚すると、 「父が答えるでしょう」と述べます。

大山津見神は喜び、姉の石長比売(いわながひめ)を添えて娘を差し出しますが、 石長比売が醜かったため、邇邇芸命は姉を返し、 木花之佐久夜毘売だけを留めて一夜の契りを結びます。

大山津見神は嘆きます。 「石長比売を用いれば、天つ神の御子は岩のように永遠であったでしょう。 木花之佐久夜毘売だけを留めたゆえに、 御子の寿命は木の花のように儚くなるでしょう。」

これが天皇の寿命が永遠でなくなった由来とされます。

■火中出産と日向三代の誕生

木花之佐久夜毘売命は身重となり、 「この子は天つ神の御子です。私事として産むべきではありません」 と申し上げます。

邇邇芸命は疑います。 「一夜の契りで身籠ったというのか。国つ神の子ではないか。」
木花之佐久夜毘売命は言います。 「もし国つ神の子なら無事に生まれません。 天つ神の御子なら無事に生まれるでしょう。」

彼女は戸口のない産殿を造り、土で塞ぎ、 その産殿に火を放って出産します。

炎の中で生まれた子は三柱。
火照命(ほでりのみこと)――隼人の阿多君(あたのきみ)の祖。
火須勢理命(ほすせりのみこと)。
火遠理命(ほおりのみこと)――またの名を天津日子穂穂手見命(あまつひこほほでみのみこと)。

この三柱から日向三代へ続き、 やがて神武天皇へと至る皇統が始まります。

日本書紀現代語訳

別の言い伝え(第二)

別の言い伝え(第二)によると、天つ神が経津主神(ふつぬしのかみ)と武甕槌神(たけみかつちのかみ)を遣わし、葦原中国(あしはらのなかつくに)を平定させられました。

そのとき二柱の神は、
「天に悪い神がいます。名を天津甕星(あまつみかほし)といいます。またの名は天香香背男(あまのかかせお)です。どうかまずこの神を除き、それから降って葦原中国を平定させて頂きたい」
と言いました。

このとき、甕星(みかほし)を征する斎主を斎の大人(いわいのうし)といいました。
この神は今、東国の檝取(かとり)(香取)の地にお出でになります。

時に、二柱の神は出雲(いずも)の五十田狭(いたさ)の小汀(おばま)に降って、大己貴神(おおあなむちのみこと)に、
「お前はこの国を天つ神に奉るかどうか」
と問われました。

大己貴神(おおあなむちのみこと)は、
「あなた方二神の言われることはどうも怪しい。私が元から居るところへやって来たのではないか。許すことは出来ぬ」
と答えました。
そこで経津主神(ふつぬしのかみ)は帰り上って報告しました。

高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)は二柱の神を再び遣わし、大己貴神(おおあなむちのみこと)に勅して言いました。

「今、お前の言うことを聞くと、深く理に叶っている。それで詳しく条件を揃えて申しましょう。
あなたが行う現世の政治は皇孫が致しましょう。あなたは幽界(ゆうかい)の神事を受け持ちなさい。
あなたの住むべき宮居(みやい)は、今からお造りしますが、千尋もある栲(たえ)の縄で結び固めて造りましょう。
柱は高く太く、板は広く厚く致しましょう。供田も作りましょう。
また、あなたが海に遊ばれるために、高い橋や水上に浮く橋、鳥のように速く走る船なども造りましょう。
さらに天上の安河(やすかわ)に掛け外しのできる橋を造りましょう。
また幾重にも革を縫い合わせた白楯(しらたて)を造りましょう。
あなたの祭祀を掌るのは、天穂日命(あめのほひのみこと)が致します。」

そこで大己貴神(おおあなむちのみこと)は、
「天つ神のおっしゃることは、こんなに行き届いている。どうして仰せに従わないことがありましょうか。
私が治めるこの世のことは、皇孫がまさに治められるべきです。私は退いて幽界の神事を担当しましょう」
と答えました。

そこで岐神(ふなとのかみ)(猿田彦神)を二神に勧めて、
「これが私に代わってお仕え申し上げるでしょう。私は今ここから退去します」
と言い、体に八坂瓊(やさかに)の大きな玉をつけて、永久にお隠れになりました。

その後、経津主神(ふつぬしのかみ)は岐神(ふなとのかみ)を先導役として方々を巡り歩き、平定しました。
従わない者は斬り殺し、帰順する者には褒美を与えました。

このとき帰順した首長は、大物主神(おおものぬしのかみ)と事代主神(ことしろぬしのかみ)でありました。
そこで八十万神(やそのかみ)を天高市(あめのたけち)に集め、この神々を率いて天に上り、その誠の心を披歴しました。

時に、高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)は大物主神(おおものぬしのかみ)に勅して言いました。「お前がもし国つ神を妻とするなら、私はお前がまだ心を許していないと考える。
そこで、これから我が娘の三穂津姫(みほつひめ)をお前に娶わせて妻とさせたい。
八十万神(やそのかみ)を引き連れて、永く皇孫のために守って欲しい。」

そして、紀国(きのくに)の忌部の遠祖である手置帆負神(たおきほおいのかみ)を笠作りの役目とし、
彦狭知神(ひこさちのかみ)を盾作りの役目とし、
天目一箇神(あまめひとつかのかみ)を鍛冶の役とし、
天日鷲神(あまのひわしのかみ)を布作りの役とし、
櫛明玉神(くしあかるたまのかみ)を玉作りの役としました。

太玉命(ふとたまのみこと)は、天孫の代理として大己貴神(おおあなむちのみこと)を祀る役を負いました。これが始まりです。

また天児屋命(あめのこやねのみこと)は神事の元締であり、太占(ふとまに)の占いを役目としました。

高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)は勅して言いました。

「私は天津神籬(あまつひもろぎ)と天津磐境(あまついわさか)を造り、皇孫のために謹んで祭ろう。
天児屋命(あめのこやねのみこと)と太玉命(ふとたまのみこと)は天津神籬をもって葦原中国に降り、皇孫のために謹んで祭りなさい。」
そして二神を遣わし、天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)に付き従わせて降らせました。

このとき天照大神(あまてらすおおみかみ)は宝鏡(ほうきょう)を手に持ち、天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)に授けて言いました。
「我が子がこの宝鏡を見るのは、私を見るのと同じであるべきだ。共に床を同じくし、部屋を一つにして慎み祭る鏡とせよ。」

また天児屋命(あめのこやねのみこと)と太玉命(ふとたまのみこと)に勅して、
「お前たち二神は共に同じ建物に侍って、よく守りの役をせよ」
と言われました。

さらに、
「我が高天原(たかまがはら)の斎庭(ゆにわ)の稲穂を我が子に与えなさい」
と言われました。

高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)の娘の万幡姫(よろずはたひめ)を天忍穂耳尊(あまのおしほみみこと)に娶わせ、妃として降らせました。

その途中の大空で生まれた子を天津彦火壤瓊瓊杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)といいます。
この皇孫を親の代理として降らせようと思われました。

天児屋命(あめのこやねのみこと)と太玉命(ふとたまのみこと)以下の諸神をすべてお伴とし、前例のごとく装束を授けられました。
そののち天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)は天に帰られました。

天津彦火瓊瓊杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)は日向の槵日(くしひ)の高千穂峯(たかちほのみね)に降られ、膂宍の胸副国(そししのむなそうくに)を丘続きに求め歩き、浮渚在平地(うきじまりたいら)に立たれ、国主である事勝国勝長狭(ことかつくにかつながさ)を召して尋ねられました。事勝国勝長狭(ことかつくにかつながさ)は、
「ここに国があります。勅のままにどうぞ御自由に」
と答えました。

皇孫は宮殿を建てて住まわれました。
後に浜辺で美人をご覧になり、
「お前は誰の娘か」
と尋ねられました。

美人は答えました。
「私は大山祇神(おおやまつみのかみ)の娘で、名は神吾田鹿葦津姫(かむあたかしつひめ)、またの名を木花開耶姫(このはなさくやひめ)といいます。姉に磐長姫(いわながひめ)がいます。」

皇孫は、
「お前を妻にしたい」
と言われました。

木花開耶姫(このはなさくやひめ)は、
「父にお尋ね下さい」
と答えました。

大山祇神(おおやまつみのかみ)は二人の娘に多くの物を持たせて奉りました。
皇孫は姉を醜いと思われて返し、妹を召されました。

一夜で妊娠したため、磐長姫(いわながひめ)は恥じて呪い、
「もし私を退けなければ、御子は永遠に生きたでしょう。しかし妹だけを召されたので、その子は木の花のように散るでしょう」
と言いました。

これが人の命が短い理由とされます。

木花開耶姫(このはなさくやひめ)は恥じて塗籠を作り、
「もし他の神の子なら不幸になるでしょう。本当に天孫の子なら無事に生まれるでしょう」
と誓い、火をつけました。

炎が出始めたときに生まれた子を火酢芹命(ほのすせりのみこと)、
火の盛んなときに生まれた子を火明命(ほのあかりのみこと)、
次に生まれた子を彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)、またの名を火折尊(ほおりのみこと)といいます。

別の言い伝え(第三)

はじめに炎が明るくなったときに生まれた子を火明命(ほのあかりのみこと)といいます。
次に炎の盛んになったときに生まれた子を火進命(ほのすすみのみこと)、または火酢芹命(ほのすせりのみこと)といいます。
次に炎がなくなるときに生まれた子を火折彦火火出見尊(ほおりひこほほでみのみこと)といいます
この三人の御子は火でも損なわれることがありませんでした。
母親もまた少しも損なわれるところがありませんでした。

そのとき竹刀で御子の臍の緒を切りました。
その捨てた竹刀が後に竹林となり、その場所を竹屋(たけや)と名づけました。

時に、神吾田鹿葦津姫(かむあたかしつひめ)は、占いによって定めた神餞田を狭名田(さなだ)と名づけました。
その田の稲で天甜酒(あめのたむさけ)を嚙んで造り、お供えしました。
また沼田の稲を炊いて飯とし、お供えしました。

別の言い伝え(第四)

高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)は真床覆衾(まとこおうふすま)をもって、天津彦国光彦火瓊瓚杵尊(あまつひこくにてるひこほのににぎのみこと)にお着せになり、天磐戸(あまのいわと)を開き、天八重雲(あまのやえぐも)を押し分けて降ろされました。

そのとき、大伴連(おおとものむらじ)の遠祖である天忍日命(あまのおしひのみこと)、来目部(くめべ)の遠祖である天槵津大来目(あめくしつおおくめ)を率いて、背には天磐鞔(あまのいわゆき)を負い、臂には高鞆をつけ、手には天梔弓(あまのはじゆみ)と天羽羽矢(あまのははや)、八目の鏑矢を添え、柄頭が槌のような剣を帯び、天孫の前に立って降りました。

日向(ひむか)の襲(そ)の高千穂(たかちほ)の扼日(くしび)の二上峯(ふたかみのたけ)の天浮橋(あまのうきはし)に至り、「うきじまのたいら」に立ち、膂宍(そしし)の空国(むなくに)を丘続きに求め歩き、吾田(あた)の長屋(ながや)の笠狭(かささ)の崎に着かれました。

そこに一人の神がいて、名を事勝国勝長狭(ことかつくにかつながさ)といいました。
天孫が「ここに国があるか」と問うと、「あります。勅のままに奉ります」と答えました。
この事勝国勝長狭は伊奘諾尊(いざなぎのみこと)の子で、またの名を塩土老翁(しおつつのおじ)といいます。

別の言い伝え(第五)

天孫が大山祇神(おおやまつみのかみ)の娘、吾田鹿葦津姫(あたかしつひめ)を召され、一夜で孕まれました。
そして四人の子を生みました。

吾田鹿葦津姫(あたかしつひめ)は子を抱いて言いました。
「天つ神の子を、どうしてこっそり養いましょうか。様子を申し上げます。」

天孫は子らを見て嘲笑し、
「何とまあ、私の皇子たち、こんなに生まれたとは嬉しい」
と言いました。

姫は怒り、
「どうして私を嘲るのですか」
と言いました。

天孫は、
「心に疑わしく思う。一夜で孕むはずがない。きっと我が子ではあるまい」
と言いました。

姫は恨み、無戸室(うつむろ)を作って籠もり、誓って言いました。
「もし天つ神の子でなければ焼け失せよ。もし天つ神の子なら損なわれることはない。」

火をつけると、炎が明るくなったとき踏み出した子が名乗りました。
「我は天つ神の子、火明命(ほのあかりのみこと)。父はどこにおられるか。」

次に火の盛んなとき踏み出した子が名乗りました。
「我は天つ神の子、火進命(ほのすすみのみこと)。父と兄弟はどこにおられるか。」

次に炎の衰えるとき踏み出した子が名乗りました。
「我は天つ神の子、火折尊(ほおりのみこと)。父と兄弟はどこにおられるか。」

次に火熱が引けるとき踏み出した子が名乗りました。
「我は天つ神の子、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)。父と兄弟はどこにおられるか。」

母の吾田鹿葦津姫(あたかしつひめ)も燃え杭の中から出て、
「私も子らも火難に遭っても損なわれませんでした。天孫はご覧になりましたか」
と言いました。

天孫は、
「もとより我が子と知っていた。ただ一夜で孕んだことを疑う者があると思い、衆人に示したかったのだ。お前は不思議な力がある。この子らが人に勝れた気を持つことを示したかった。」
と言いました。

別の言い伝え(第六)

天忍穂根尊(あめのおしほねのみこと)は、高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)の娘である栲幡千千姫・万幡姫命(たくはたちぢひめ・よろずはたひめのみこと)、または火之戸幡姫(ほのとはたひめ)の子の千千姫命(ちぢひめのみこと)を娶られました。

そして天火明命(あまのほのあかりのみこと)を生み、次に天津彦根火瓊瓊杵根尊(あまつひこねほのににぎねのみこと)を生みました。
天火明命(あまのほのあかりのみこと)の子である天香山(あまのかぐやま)は尾張連(おわりのむらじ)の遠祖です。

皇孫・火瓊瓊杵尊(ほのににぎのみこと)を葦原中国(あしはらのなかつくに)に降すにあたり、高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)は八十神に勅して、
「葦原中国は岩根も木の株も草の葉も物を言う。夜は火の子のように騒ぎ、昼は蠅のように沸き立つ」
と言いました。

天稚彦(あめわかひこ)が帰らないため、無名雄雉(ななしおのきぎし)を遣わしましたが、粟や豆を見て帰らず、これが「雉の片道使い」の由来です。

次に無名雌雉(ななしおのきぎし)を遣わすと、天稚彦(あめわかひこ)に射られ、その矢に当たって天に戻り報告しました。

その後、高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)は真床覆衾(まどこおうふすま)をもって皇孫・天津彦根火瓊瓊杵根尊(あまつひこねほのににぎねのみこと)に着せ、天八重雲(あまのやえくも)を押し分けて降らせました。
この神を天国饒石彦火瓊瓊杵尊(あめくににぎしひこほのににぎのみこと)といいます。

天降りの地を日向(ひむか)の襲(そ)の高千穂(たかちほ)の添の山峯(そほりのたまのたけ)といいます。

その後、吾田(あた)の笠狭(かささ)の御崎に至り、長島(ながしま)の竹島(たけしま)に登られました。
そこに事勝国勝長狭(ことかつくにかつながさ)がいて、
「ここは長狭(ながさ)の国ですが、今は天孫に奉ります」
と言いました。

天孫が「波の上の御殿で機を織る少女は誰か」と問うと、
「大山祇神(おおやまつみのかみ)の娘で、姉が磐長姫(いわながひめ)、妹が木花咲耶姫(このはなさくやひめ)、またの名を豊吾田津姫(とよあたつひめ)」
と答えました。

天孫は豊吾田津姫(とよあたつひめ)を召し、火酢芹命(ほのすせりのみこと)、火折尊(ほおりのみこと)を生みました。
またの名を彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)といいます。

母の誓いにより、これが皇孫の胤であることは明らかでしたが、豊吾田津姫(とよあたつひめ)は恨んで口をきかず、天孫は悲しんで歌を詠みました。

オキツモハ、へニハヨレドモ、サネトコモ、アタハヌカモヨ、ハマツチトリヨ。
沖の藻は浜に寄るが、わが思う妻は寄らず、寝床も与えてくれない。浜千鳥よ、二人寄り添うお前たちが羨ましい。

別の言い伝え(第七)

別の言い伝え(第七)によると、高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)の娘として、天万栲幡千幡姫(あまよろずたくはたちはたひめ)がいました。
一説では、高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)の子である万幡姫(よろずはたひめ)の子の玉依姫命(たまよりひめのみこと)であるともいいます。

この神が天忍骨命(あまのおしほねのみこと)の妃となり、天之杵火火置瀬尊(あまのぎほほおきせのみこと)を生みました。

あるいは、勝速日命(かちはやひのみこと)の子である天大耳尊(あまのおおしみみのみこと)が丹舄姫(にくつひめ)を娶って、火瓊璦杵尊(ほのににぎのみこと)を生んだともいいます。

または、高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)の娘である栲幡千幡姫(たくはたちはたひめ)が、その子として火瓊瓊杵尊(ほのににぎのみこと)を生んだともいいます。

また別の説では、天杵瀬尊(あまのきせのみこと)が吾田津姫(あたつひめ)を娶って、火明命(ほのあかりのみこと)を生み、次に火夜織命(ほのよおりのみこと)、次に彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)を生んだとされます。

別の言い伝え(第八)

別の言い伝え(第八)によると、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかあかつかちのはやひあまのおしほみみのみこと)は、高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)の娘である天万杵幡千幡姫(あまよろずたくはたちはたひめ)を娶り、子を生みました。

この子を天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほのあかりのみこと)と名づけました。
これが尾張連(おわりのむらじ)らの遠祖であります。

次に天饒石国饒石天津彦火瓊瓊杵尊(あめにぎしくににぎしあまつひこほのににぎのみこと)を生みました。
この神は大山祇神(おおやまつみのかみ)の娘である木花開耶姫(このはなさくやひめ)を娶り、子を生ませました。

これが火酢芹命(ほのすせりのみこと)と彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)であります。

神武前紀(ニギハヤヒの降臨は天孫降臨より後に書かれている)

【甲寅年】
天照大神は、饒速日命(にぎはやひのみこと)に十種の神宝(とくさのかんだから)を授け、
天磐船(あまのいわふね)に乗って天下に降るよう命じられました。
饒速日命はその命に従い、天磐船に乗って河内国・河上哮ヶ峯(かわかみのたけるがみね)に天降られました。
その後、大和国鳥見の白庭山(しらにわやま)へ移られました。
長髄彦(ながすねひこ)は饒速日命を天神の御子として敬い、
妹の三炊屋媛(みかしきやひめ)を妻として差し出しました。
饒速日命はこの地で勢力を持ち、大和の統治に関わるようになりました。

【戊午年】

神武天皇が大和へ向かわれたとき、長髄彦はこれを拒み、戦いとなりました。
長髄彦は「自分は天神の御子である饒速日命に仕えている」と主張し、
天皇の天孫としての正統性を疑いました。

しかし、饒速日命は天皇が天つ神の御子であることを知り、
長髄彦の不順を「道に背くもの」と判断されました。

そこで饒速日命は長髄彦を誅し、
自らの軍勢を率いて天皇のもとに参上し、申し上げました。

「私は天つ神の御子にお従いするため、この地に降りました。
今、天皇こそが天つ神の御子であると明らかになりましたので、
私はその御前に帰順いたします。」

こうして饒速日命は天皇に帰服し、
その子・宇摩志麻遅命は物部氏の祖として重んじられることになります。

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空海が育った善通寺の近くで生まれ、愛媛県で育ちました。 国立理系大学院を修了後は、大手半導体メーカーで研究開発エンジニアとして勤務し、CPU基盤材料や太陽電池材料の研究に携わっていました。 関西在住時、うつ病療養のために何度か訪れた奈良・大神神社(大物主神を祀る古社)で、不思議な体験をしたことが転機となります。 その出来事をきっかけに記紀を読み始め、十年後、自身の祖先が宇佐八幡初代神官・大神比義、さらには大神神社(地祇系三輪・大神氏)へと連なる「蛇神族の神官系の血流」であることを突きとめました。 また、20年間どの療法でも改善しなかった難治性うつ病が、瞑想と催眠の研究を続ける中で奇跡的に解消し、人間に本来備わる自然治癒力の発動法を見出しました。 その後、独自のヒーリング法を確立し、5年間にわたり精神疾患を抱える方々への対面施術・指導を行いましたが、コロナ禍を機に現場を引退。現在はサイトを立ち上げ、HSP向けのセルフヒーリングをオンラインで提供しています。 自身の経験から、 「この世界では、時に説明のつかない出来事が起こり、奇跡が起こることがある」 というメッセージを蛇神の血筋として伝えていきたいと考えています。 なお、宗教団体とは一切関係ありません。
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