黄泉の国物語を創作物語としてまとめています。
記紀の現代語訳を読みたい方は後半をご覧ください。

伊邪那岐(いざなき)は、愛しい妻・伊邪那美(いざなみ)を失った悲しみに耐えられず、もう一度だけ会いたいと願われました。 その思いに突き動かされ、ついに黄泉国(よみのくに)への暗い道を踏み進まれたのです。
やがて黄泉国の御殿に辿り着くと、閉ざされた戸の向こうから、かつての妻の気配が漂いました。 伊邪那岐(いざなき)は戸口に向かい、胸の奥から言葉を絞り出して申し上げました。
「愛しい我が妻よ。私とあなたとで作った国は、まだ作り終わってはおりません。どうか現世へ戻ってきてください」
すると、戸の向こうから伊邪那美(いざなみ)の声が返りました。
「それは残念なことです。もっと早く来てくださればよかったのに……私はもう黄泉国の食物を食べてしまいました。けれども、あなたが訪ねてくださったことは嬉しゅうございます。帰りたいと思いますが、しばらく黄泉の神々と相談いたします。その間、決して私の姿を御覧になってはなりません」
そう言い残し、伊邪那美(いざなみ)は闇の奥へ戻られました。
しかし、待てど暮らせど妻は戻られません。 焦りが胸を焼き、伊邪那岐(いざなき)はついに禁を破りました。 左の御角髪(みかずら)に挿していた神聖な爪櫛(つまぐし)の太い歯を一本折り取り、火を灯して御殿の中を照らしたのです。
そこにいたのは、かつての美しき妻ではありませんでした。 身体には蛆がたかり、腐敗の音がゴロゴロと響き、さらにその身には八種の雷神が宿っていました。
頭には 大雷(おおいかずち)、 胸には 火雷(ほのいかずち)、 腹には 黒雷(くろいかずち)、 陰部には 析雷(さくいかずち)、 左手には 若雷(わかいかずち)、 右手には 土雷(つちいかずち)、 左足には 鳴雷(なるいかずち)、 右足には 伏雷(ふすいかずち)―― 黄泉の力が全身に満ちていたのです。

日本書紀では、ここで三柱の神が姿を現します。
◆ 速玉之男命(はやたまのおのみこと) 伊邪那岐が吐いた唾から生まれた神で、 「速やかに玉を解く=速やかに事態を鎮める」力を持つとされます。
◆ 事解男命(ことさかのおのみこと) 伊邪那岐が掃き払った行為から生まれた神で、 「事を解きほぐし、祓い清める」力を象徴します。
◆ 菊理媛命(くくりひめのみこと) 黄泉比良坂の境に現れ、 伊邪那岐と伊邪那美の間を「括り(くくり=調停)」によって取り持つ女神です。 日本書紀では一瞬の登場ながら、後世の白山信仰の中心神となる重要な存在です。
三柱は、黄泉の混乱と怒りの気を鎮め、 伊邪那岐(いざなき)が境へ辿り着く道を整えたと語られます。
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伊邪那岐(いざなき)は恐怖に駆られ、逃げ出しました。 背後から、伊邪那美(いざなみ)の怒りの声が響きます。
「私によくも恥をかかせましたね!」
その叫びとともに、黄泉国の醜女(しこめ)たちが追いすがりました。
伊邪那岐(いざなき)は髪に着けていた黒い鬘(かずら)を投げ捨てました。 するとそこから山ぶどうの実が生え、醜女たちはそれに群がりました。 さらに右の御角髪に挿していた爪櫛の歯を折り取って投げると、筍が生え、また醜女たちはそれを食べて足を止めました。
しかし追撃は止まりません。 八種の雷神は千五百の軍勢を従え、黄泉比良坂(よもつひらさか)へ迫ってきました。
伊邪那岐(いざなき)は十拳剣(とつかのつるぎ)を抜き、後ろ手に振りながら必死に逃げ続けました。
黄泉比良坂の麓に辿り着いたとき、そこに桃の木があり、枝には三つの実がなっていました。 伊邪那岐(いざなき)がそれを投げつけると、黄泉の軍勢はたちまち退散しました。
伊邪那岐(いざなき)は桃の実に向かい、静かに語りかけました。
「おまえが私を助けてくれたように、葦原中国(あしはらのなかつくに)の人々が苦しむときには、どうか力を貸してやってくれ」
こうして桃は 意富加牟豆美命(おほかむづみのみこと) と名づけられました。

ついに、伊邪那美(いざなみ)自身が追ってこられました。 伊邪那岐(いざなき)は巨大な千引の岩(ちびきのいわ)を引き据え、黄泉比良坂の境を塞ぎました。 岩を挟んで、二柱の神は最後の言葉を交わします。
伊邪那美(いざなみ)は言いました。
「愛しい我が夫がこのようなことをなさるなら、私はあなたの国の人々を一日に千人締め殺します」
伊邪那岐(いざなき)は静かに答えました。
「愛しい我が妻よ。あなたがそうするなら、私は一日に千五百の産屋を建てましょう」
こうして、死と生の理が定められました。 伊邪那美(いざなみ)は 黄泉津大神(よもつおおみかみ) と名づけられ、 伊邪那岐(いざなき)は追撃を退けたことから 道敷大神(ちしきのおおかみ) と呼ばれました。
境を塞いだ岩は 道反之大神(ちがへしのおおかみ)、 黄泉国の入口は 黄泉戸大神(よみどのおおかみ) と名づけられました。
そして、黄泉比良坂(よもつひらさか)は、今の出雲国にある 伊賦夜坂(いうやさか) であると伝えられています。
伊邪那岐(いざなき)は、妻であった伊邪那美(いざなみ)にもう一度会いたいと思い、あとを追って黄泉国(よみのくに)へ向かわれました。 やがて伊邪那美(いざなみ)が御殿の閉ざされた戸のところに姿を現された時、伊邪那岐(いざなき)は申し上げました。
「愛しい我が妻よ。私とあなたとで作った国は、まだ作り終わってはおりません。どうか現世に戻ってきてください」
すると伊邪那美(いざなみ)は答えられました。
「それは残念なことです。もっと早く来てくださればよかったのに。私はもう黄泉国(よみのくに)の食物を食べてしまいました。けれども、愛しい我が夫がわざわざ訪ねてくださったことは恐れ入ります。ですから帰りたいと思いますが、しばらく黄泉国(よみのくに)の神々と相談してみます。その間、私の姿を御覧になってはなりません」
そう言って伊邪那美(いざなみ)は御殿の中に戻られました。
しかし、その間がたいへん長く、伊邪那岐(いざなき)は待ちきれなくなりました。
そこで左の御角髪(みかずら)に挿していた神聖な爪櫛(つまぐし)の太い歯を一本折り取り、
これに火を灯して御殿の中を御覧になると、女神の身体には蛆がたかり、ゴロゴロと音を立てていました。
さらに、 頭には 大雷(おおいかずち)、 胸には 火雷(ほのいかずち)、 腹には 黒雷(くろいかずち)、 陰部には 析雷(さくいかずち)、 左手には 若雷(わかいかずち)、 右手には 土雷(つちいかずち)、 左足には 鳴雷(なるいかずち)、 右足には 伏雷(ふすいかずち)、 合わせて八種の雷神が宿っていました。
黄泉比良坂での醜女(しこめ)たちの追撃
これを見た伊邪那岐(いざなき)は驚き、恐れて逃げ帰ろうとしました。すると伊邪那美(いざなみ)は、
「私によくも恥をかかせましたね」
と言って、ただちに黄泉国(よみのくに)の醜女(しこめ)を遣わして追わせました。
伊邪那岐(いざなき)は髪に着けていた黒い鬘(かずら)を取って投げ捨てると、たちまち山ぶどうの実が生りました。醜女(しこめ)たちがそれを拾って食べている間に、伊邪那岐(いざなき)は逃げ延びました。
しかし、なお追ってくるので、今度は右の御角髪(みかずら)に挿していた爪櫛(つまぐし)の歯を折り取って投げ捨てると、たちどころに筍が生えました。醜女(しこめ)たちがそれを抜いて食べている間に、伊邪那岐(いざなき)はさらに逃げ延びました。
その後、八種の雷神は千五百人もの黄泉国(よみのくに)の軍勢を従えて追ってきました。 そこで伊邪那岐(いざなき)は身に着けていた十拳剣(とつかのつるぎ)を抜き、うしろ手に振りながら逃げ続けました。
なおも追ってくるので、現世と黄泉国(よみのくに)の境である黄泉比良坂(よもつひらさか)の麓に至った時、そこに生っていた桃の実を三つ取って投げつけると、黄泉(よみ)の軍勢はことごとく退散しました。
そこで伊邪那岐(いざなき)は桃の実に向かって言われました。
「おまえが私を助けてくれたように、葦原中国(あしはらのなかつくに)に生きる現世の人々がつらい目に遭って苦しむ時には助けてやってくれ」
こう言って、その桃の実に 意富加牟豆美命(おほかむづみのみこと) の神名を与えられました。
黄泉比良坂での最終の追跡と千引の岩での決別
最後には、伊邪那美(いざなみ)自身が追ってきました。 そこで伊邪那岐(いざなき)は巨大な千引の岩(ちびきのいわ)を黄泉比良坂(よもつひらさか)に引き据え、その岩を挟んで二神が向き合い、夫婦離別の言葉を交わしました。
伊邪那美(いざなみ)が言います。
「愛しい我が夫がこのようなことをなさるなら、私はあなたの国の人々を一日に千人締め殺します」
すると伊邪那岐(いざなき)は答えます。
「愛しい我が妻よ。あなたがそうするなら、私は一日に千五百の産屋を建てましょう」
このようにして、一日に必ず千人が死に、同時に一日に千五百人が生まれることになったのです。
ここから、伊邪那美(いざなみ)を 黄泉津大神(よもつおおみかみ) と名づけます。
また、伊邪那岐(いざなき)に追いついたので 道敷大神(ちしきのおおかみ) ともいいます。
黄泉の坂を塞いだ岩は 道反之大神(ちがへしのおおかみ) と名づけ、また黄泉国(よみのくに)の入口を塞いでおられる 黄泉戸大神(よみどのおおかみ) ともいいます。
そして、いわゆる黄泉比良坂(よもつひらさか)は、今の出雲国にある 伊賦夜坂(いうやさか) であると伝えられています。
黄泉の国
その後、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)は伊奘冉尊(いざなみのみこと)を追いかけて、黄泉の国まで行って話し合われました。
そのとき伊奘冉尊はいわれました。
「わが夫の尊よ、いらっしゃるのが遅すぎました。私はもう黄泉の国の食物を食べてしまいました。そして、私はもう寝ようとするところです。どうか寝姿を見ないでください」
と申されました。
しかし伊弉諾尊はいわれたことを聞き入れず、こっそりと爪櫛(つまぐし)をとって、その端の太い歯を欠き、手灯として照らしてご覧になりました。
すると、膿が流れ、蛆が湧いている伊奘冉尊の姿がありました。
今の世の人が、夜に一つの火を灯すことを忌み、また夜に櫛を投げることを忌むのは、これがその起こりであるといいます。
このとき伊弉諾尊は大いに驚かれ、
「私は思いがけぬ酷く汚い国にやってきた」
と言って、急いで逃げ帰られました。
そのとき伊奘冉尊はいわれました。
「どうして覗き見してはならぬという約束を守らず、私に恥をかかせたのですか」
そして冥界の鬼女八人、あるいは泉津日狭女(よもつひさめ)という女を遣わして追わせました。
伊弉諾尊は剣を抜いて後ろを振り払いながら逃げました。
また、髪に巻いていた蔓草の飾りを投げました。
これが葡萄(ぶどう)になりました。
醜女(しこめ)はこれを拾って食べました。
食べ終わるとまた追ってきました。
伊弉諾尊はまた爪櫛を投げました。
これが筍(たけのこ)になりました。
醜女はそれを抜いて食べました。
食べ終わるとまた追ってきました。
その後から伊奘冉尊自身も追ってきました。
このとき伊弉諾尊は、もう黄泉の国の境である平坂(ひらさか)に着きました。
一説では、伊弉諾尊は大樹に向かって放尿されました。
これが大きな川となりました。
泉津日狭女がこの川を渡ろうとする間に、伊弉諾尊は泉津平坂(よもつひらさか)に着いたといいます。
そこで千引きの磐(ちびきのいわ)でその坂路を塞ぎ、伊奘冉尊と向かい合って、縁切りの呪言をはっきりと唱えました。
そのとき伊奘冉尊はいわれました。
「愛するわが夫よ。あなたがそのようにおっしゃるならば、私はあなたが治める国の民を、一日に千人ずつ締め殺しましょう」
伊弉諾尊は答えていわれました。
「愛するわが妻がそのように言うなら、私は一日に千五百人ずつ生ませましょう」
そして、
「これより入ってはならぬ」
と言って、持っていた杖を投げられました。
これを岐神(ふなとのかみ/塞の神)といいます。
また持っていた帯を投げられました。これを長道磐神(ながちわのかみ)といいます。
また着ていた衣を投げられました。これを煩神(わずらいのかみ)といいます。
またその申又(さるまた)を投げられました。これを開嚙神(あきくいのかみ)といいます。
またその履(くつ)を投げられました。これを道敷神(ちしきのかみ)といいます。
いわゆる泉津平坂というのは別世界の場所ではありません。
ただ、死に臨んで息が絶えそうな時をこういうのだといいます。
塞がっている磐石とは、冥界の入口をふさぐ大神のことで、別名を道返大神(ちかえしのおおかみ)といいます。
再生の神・大物主神から授かった静かな恩恵。
潜在意識の深いところでゆっくり息を吹き返す、やさしい再生ヒーリングです。
眠りと覚醒のあわいで「意識の置き換え」と「癒し」がそっと芽生え、
心の奥の記憶や不安に寄り添いながら、
日々のストレスやトラウマを静かにほどいていきます。