
愛媛の有力豪族越智氏の氏神神社は大浜八幡大神社でした。
愛媛の物部氏(饒速日、越智氏)に関わる神社には多岐神社(たきじんじゃ)、櫛玉比売神社(くしたまひめじんじゃ)布都神社(ふつじんじゃ)があります。
今回は多岐神社(たきじんじゃ)について。
再生の神・大物主神から授かった静かな恩恵。
潜在意識の深いところでゆっくり息を吹き返す、やさしい再生ヒーリングです。
眠りと覚醒のあわいで「意識の置き換え」と「癒し」がそっと芽生え、
心の奥の記憶や不安に寄り添いながら、
日々のストレスやトラウマを静かにほどいていきます。
多伎神社(たきじんじゃ)は、愛媛県今治市内の南部に鎮座する神社です。
伊予国内神名帳には「正一位 多伎不断大願大菩薩」となっています。
弥生時代に起源をもち、創建年代は不詳とされています。
社伝によると、崇神天皇時代、饒速日命6代孫、伊香武雄命?が「瀧の宮」の社号を奉り、初代斎宮になったという(社頭掲示板による)。
饒速日命6代孫というと、伊香色雄命で、伊香武雄命という名前は見当たりません。
同一人物でしょうか?
饒速日命──宇摩志麻治命──彦湯支命──出石心大臣──大矢口宿禰──大綜杵命──伊香色雄命──大新川命──大小千連──乎致命〔越智氏族之祖〕──天狭介──粟鹿──三並──熊武──伊但島──喜多守──高縄〔現大濱八幡大神社創建者〕
伊香色雄命は、崇神天皇時代の人物です。
奈良大伊香色雄命は崇神天皇の時代に登場する人物です。 奈良大神神社の祭神である大物主神の祟りによってパンデミック的な飢饉が起こった際、大物主神の子(あるいは孫)である大田田根子を祀ると災いが鎮まったという伝承が残っています。 この出来事と同じ時期に活動していたのが伊香色雄命であり、今治市の伊加奈志神社の祭神が伊香色雄命となっています。
『日本書紀』には次のように記されています。
即ち意富多々泥古命(おほたたねこのみこと)を神主として御諸山に意富美和之大神を拝し祭らせた。また伊迦賀色許男命(いかがしこをのみこと)に命じて、天の八十平瓮(やそひらか)を作らせ、天神地祇の社地を定め奉らせた。
この記述から、饒速日系の伊香色雄命と、出雲系(三輪系)の大田田根子が協力関係にあったことがわかります。 その後、奈良大神神社の神主は三輪(大神氏)系が担うようになっていきます。
伊香色雄命は記紀ではこの場面にしか登場しませんが、天神地祇の社地を定め、物部氏の氏神を祀る奈良石上神宮の創建に関わった人物でもあります。
饒速日系と三輪系は本来別系統であるにもかかわらず、記紀ではしばしば並んで登場し、まるで一体となって動いているかのように描かれています。

多伎都比売命(タギツヒメノミコト)は、宗像三女神の1柱。
須佐之男命(スサノオ)は出雲の出発神で、出雲系の祭神と分かりますが、多伎都比古命は?
『出雲国風土記』には、大国主神と多紀理毘売命(タギリヒメ)の子阿遅須枳高日子根(アジスキタカヒコネ)の子と記載されているようです。
多伎神社は「滝の神」で奥の院の磐座(巨石)信仰に始まり、「瀧の宮(多伎宮)」とも呼ばれています。多伎川を遡った山頂近くに奥の院があり、川上巌(かわかみのいわお)と呼ばれる磐座があります。
本殿裏には多伎宮古墳群を中心に50基以上の古墳が残されています。
(県指定史跡「多伎神社古墳群」)
雨乞いに霊験があると伝えられ、江戸時代には今治藩の祈願所となり、雨乞い祈願が行われたと伝わります。祈願の際には藩主が参拝し、七日間の祈願の前半は本殿で、後半は川上巌で行われたという。
社殿がピンク色に光って見える美しい神社。
ついでに行ってみたい多岐宮古墳群