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記紀と関わる氏族:卜部氏(うらべうじ)

卜部氏(うらべうじ)とは

卜部氏(うらべうじ)は、古代日本において亀卜(きぼく)と呼ばれる占いを専門とした氏族です。「卜」は占いを意味し、「部」は朝廷に奉仕する職能集団を意味するため、卜部とは「占いを司る人々」という意味になります。律令国家の成立以前から朝廷に仕え、国家祭祀や政治上の重要事項について神意を占う役割を担いました。

亀卜とは、アオウミガメの腹甲を火であぶり、その際に生じるひび割れの形から神の意思を読み取る占術です。この方法は古代中国や朝鮮半島にも見られますが、日本では神道祭祀の一部として独自の発展を遂げました。国家の祭祀、天皇の即位、軍事行動、農耕、災害、神社の祭礼など、国家の重要な決定に際して卜部氏が占断を行いました。

『日本書紀』や『延喜式』には、宮中祭祀において卜部が活躍した記録が数多く残されています。特に宮中三殿で行われる神事や新嘗祭、大嘗祭などでは、祭祀の日取りや儀式の吉凶を占う重要な役目を果たしました。天皇は祭祀の最高責任者でしたが、神意を読み取る専門家として卜部氏が不可欠な存在となっていました。

卜部氏は全国各地に配置されましたが、特に伊豆・壱岐・対馬の三地域の卜部が有名です。これらの地域は古くから亀卜に必要なウミガメが入手しやすく、海人文化とも深い関わりがありました。三国卜部は朝廷に召され、交代で宮中祭祀に奉仕していたと考えられています。

平安時代になると律令制度が整備され、神祇官の制度が確立すると、卜部氏は神祇官の下で祭祀・占術を担当しました。神祇官は国家祭祀を統括する役所であり、その中でも卜部は神意を伺う専門官として重要な位置を占めました。

また、中世以降には吉田神社の神職となった卜部氏の一族が勢力を伸ばします。特に室町時代の吉田兼倶(よしだ かねとも)は、卜部氏の流れをくむ人物として知られ、「吉田神道」を大成しました。吉田神道は神道理論を体系化し、中世から近世にかけて全国の神社に大きな影響を与えました。このことから、卜部氏は単なる占い師の集団ではなく、日本神道の発展にも大きく貢献した氏族と評価されています。

このように卜部氏は、古代国家において神意を読み取り、祭祀を支える専門集団として活躍し、その後も神道思想の形成や神社制度の発展に深く関わった、日本宗教史において極めて重要な氏族でした。

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祖神との結びつき

卜部氏の祖神として最も広く伝えられているのは、太玉命(ふとだまのみこと)です。太玉命は『古事記』『日本書紀』に登場する祭祀の神であり、日本神話において神々への供物や祭具を整え、祭祀そのものを司る神として描かれています。卜部氏が国家祭祀と占術を担ったことから、その職掌は太玉命の神格と極めてよく一致しており、太玉命を祖神と仰ぐようになりました。

天岩戸神話では、天照大御神が天岩戸に隠れた際、神々は岩戸の前に集まり、再び天照大御神を外へ迎え出すための祭祀を行いました。このとき太玉命は、榊に八尺瓊勾玉や八咫鏡を飾り、幣帛を捧げ、祭場を整えるという重要な役割を果たしています。一方、天児屋命が祝詞を奏上し、天鈿女命が神楽を舞いました。これらの神々の協力によって天照大御神は岩戸から姿を現し、世界に再び光が戻ったとされています。

この神話は、日本における祭祀の原型と考えられており、太玉命は祭具や供物を整える祭祀神として位置付けられました。卜部氏もまた、祭祀の前に神意を占い、儀式が神の意思にかなうかどうかを確認する役割を担いました。つまり、太玉命が神話世界で担った祭祀の役割を、人間社会で継承した氏族が卜部氏であると理解されていたのです。

卜部氏の特徴は、「神の意思を読み取る」という役割にあります。古代社会では国家の重要事項は人間だけで決定するものではなく、必ず神の意向を確認する必要があると考えられていました。戦争を始めるか、豊作を祈る祭りをいつ行うか、皇位継承の儀式をいつ執り行うかなど、あらゆる重要事項について神意を占いました。

この神意を知るために行われたのが亀卜です。亀甲に刻まれたひび割れは神の意思そのものと考えられ、その解釈は高度な知識と経験を必要としました。卜部氏は代々この技術を継承し、神託を読み解く専門家として朝廷に仕えました。

また、卜部氏の祖神信仰には「神と人を結ぶ仲介者」という意味も込められています。太玉命は神々の祭祀を執り行う神であり、人間世界では卜部氏がその役割を受け継ぐ存在でした。神の言葉を直接聞くのではなく、祭祀や占いを通して神意を明らかにするという考え方は、日本神道の大きな特色の一つです。

さらに、中世になると卜部氏の一流である吉田家は、祖神である太玉命への信仰を背景に神道理論を体系化しました。吉田兼倶は神道を独立した宗教思想として整理し、「唯一神道(吉田神道)」を唱えます。この思想では、祭祀は天地を調和させる根本原理であり、その中心に祖神・太玉命の祭祀精神があると考えられました。

吉田神道は全国の神社へ広まり、多くの神職が吉田家から神道裁許状を受けるようになります。こうして卜部氏の祖神信仰は、一氏族の信仰にとどまらず、中世神道全体へ大きな影響を及ぼしました。

一方で、卜部氏は地域ごとの伝承も色濃く残しています。壱岐・対馬・伊豆の卜部は、海神や龍神への信仰とも結び付き、海から得られるウミガメを神聖視しました。亀は長寿や神霊の依り代とされ、祭祀に用いられることで神と人を結ぶ特別な存在と考えられていました。こうした海人文化と太玉命信仰が融合したことも、卜部氏の特色といえます。

また、祖神との結び付きは血統だけではなく、「祭祀を継承する」という精神的な継承にも重きが置かれました。太玉命が神話世界で示した祭祀のあり方を、卜部氏は現実の国家祭祀の中で受け継ぎ、神意を占い、祭場を清め、神と天皇、そして国家を結ぶ役割を果たしました。そのため、卜部氏は単なる占術集団ではなく、日本古来の祭祀文化を支える宗教的専門家として尊重されました。

このように、卜部氏と祖神・太玉命との結び付きは、「神の意思を読み取り、祭祀を正しく執り行う」という共通の使命によって成り立っています。その伝統は古代から中世、さらに近世へと受け継がれ、日本神道の祭祀体系や神社制度、さらには神道思想の発展にまで大きな影響を与えました。卜部氏の歴史は、神と人をつなぐ祭祀文化そのものの歴史であり、その祖神である太玉命への信仰は、日本の宗教文化を理解する上で欠かすことのできない重要な要素となっています。

系譜図

天御中主神
   │
(神代の神々)
   │
天太玉命(太玉命)
(祭祀・神宝・占祭を司る神)
   │
  太玉命の後裔
   │
  忌部氏(斎部氏)
   │
   ├─────────────┐
   │            │
 祭祀を司る一族     卜占を専門とする一族
               │
             卜部氏
               │
   ────────────────────
   │     │      │
 伊豆卜部   壱岐卜部   対馬卜部
   │     │      │
   └───────朝廷・神祇官へ奉仕───────┘
               │
            平安時代
               │
             神祇官卜部
               │
            中世・吉田家
               │
           吉田兼倶(1435~1511)
               │
            吉田神道を大成

※系譜については、『新撰姓氏録』や『日本書紀』などをもとにした伝承系譜であり、神話的系譜を含みます。また、卜部氏は忌部氏と同じ太玉命を祖神とするものの、職掌や成立については諸説があります。

氏神を祀る神社

卜部氏の氏神として最も重要なのは、祖神である太玉命(ふとだまのみこと)を祀る神社です。しかし、卜部氏は全国に広がり、それぞれの地域で宮中祭祀や亀卜を担当したため、信仰の中心となる神社も複数存在します。中でも京都の吉田神社、奈良県の天太玉命神社、徳島県の忌部神社などは、卜部氏や太玉命信仰を語る上で欠かせない神社です。

吉田神社(京都府京都市)

最も卜部氏との関係が深い神社が京都市左京区に鎮座する吉田神社です。

吉田神社は平安時代の貞観元年(859年)に創建されました。当初は藤原氏の氏神である春日四神を勧請した神社でしたが、中世になると卜部氏の嫡流である吉田家が神職を世襲するようになります。

室町時代には吉田兼倶が神道思想を体系化し、「吉田神道(唯一神道)」を創始しました。吉田家は全国の神社に神職の免許状(神道裁許状)を発給するほどの権威を持つようになり、日本神道界に大きな影響を与えました。

吉田神社は単なる地域の神社ではなく、全国神社の中心的存在となり、卜部氏の精神的拠点として発展しました。

天太玉命神社(奈良県橿原市)

奈良県橿原市に鎮座する天太玉命神社は、祖神・太玉命を主祭神とする古社です。

太玉命は天岩戸神話で祭祀を整えた神であり、日本の祭祀文化の原点ともいえる存在です。

神社では祭祀・神宝・神職の守護神として古くから信仰され、忌部氏だけでなく卜部氏からも篤く崇敬されました。

現在でも神職や神道関係者の参拝が多く、日本の祭祀文化を学ぶ人々にとって重要な神社となっています。

忌部神社(徳島県徳島市)

忌部神社は阿波忌部氏の総氏神です。

忌部氏は太玉命の子孫とされ、古代には麻・木工・祭具製作など祭祀全般を担当しました。

卜部氏とは職掌こそ異なりますが、共に太玉命を祖神とする祭祀氏族として古くから交流がありました。

そのため卜部氏の祖神信仰を知る上でも非常に重要な神社となっています。

壱岐・対馬の卜部ゆかりの神社

卜部氏は壱岐・対馬・伊豆の三地域から朝廷へ派遣されました。

壱岐には**天手長男神社**をはじめとする古社が数多く存在し、古代の祭祀文化や海人信仰を今に伝えています。

対馬では**海神神社**が代表的で、海神・航海安全・国家鎮護の神として古くから崇敬されてきました。卜部氏が用いた亀甲は海から得られるものであり、海神信仰との結び付きは非常に深いものでした。

これらの神社は太玉命を直接祀るわけではありませんが、卜部氏が活動した土地の信仰を現在に伝える重要な存在です。

伊豆地域の神社

伊豆国も古代の卜部が置かれた地域として知られています。

**三嶋大社**は伊豆国一宮として全国的に有名ですが、古代祭祀との関係も深く、伊豆卜部が宮中へ奉仕した背景を考える上で重要な神社です。

伊豆では海人文化が発達しており、ウミガメを用いた亀卜との関係も指摘されています。

政治的役割

卜部氏(うらべうじ)は、古代日本において亀卜(きぼく)による神意の判断を専門とした氏族であり、その政治的役割は単なる占い師としての活動にとどまりませんでした。古代国家では、政治と祭祀は切り離すことのできない関係にあり、「祭政一致」の理念のもとで国家運営が行われていました。そのため、神の意思を読み取り、国家の重要事項について吉凶を判断する卜部氏は、政治を陰から支える重要な存在でした。

古代社会では、天皇は神々に仕える最高祭司としての性格を持っていました。そのため、国家の重大な決定を下す際には、必ず神々の意思を確認する儀式が行われました。この神意を知るために用いられた方法が亀卜であり、その実施を担当したのが卜部氏です。戦争の開始や終結、新たな宮殿や都の造営、神社の創建、祭礼の日程、皇位継承に関わる儀式など、多くの国家的事業が亀卜によって吉凶を占われました。

例えば、『日本書紀』には天皇が重要な決断を下す際、神々の意向を占う場面がたびたび登場します。これは古代の政治が、人間だけの判断ではなく、神の意思に基づいて行われるべきものと考えられていたことを示しています。卜部氏は、その神意を読み解く専門家として、天皇や朝廷から大きな信頼を得ていました。

律令国家が成立すると、政治制度はさらに整備されます。その中で設置された神祇官は、国家祭祀を統括する最高機関でした。神祇官は太政官と並ぶ重要な官司であり、国家の祭祀や神社行政を担当していました。卜部氏は神祇官に属し、亀卜や占祭を担当する専門官として制度的に位置付けられます。これは、占いが国家運営の正式な制度として組み込まれていたことを意味しています。

卜部氏の政治的役割は、単に吉凶を占うだけではありませんでした。神意を正しく読み取り、その結果を天皇や朝廷へ伝えることで、政策決定の重要な根拠を提供していたのです。現代の視点から見ると、卜占は宗教的儀礼に思われますが、当時の社会では政治的な意思決定の正当性を支える制度として機能していました。神意に従って行われた政策は、人々からも受け入れられやすく、国家の統治を安定させる効果がありました。

また、卜部氏は全国各地の神社とも深い関係を持っていました。地方で起きた災害や異変が朝廷へ報告されると、その意味を占う役目も担っていたと考えられています。干ばつや洪水、疫病、地震などの自然災害は神々からの警告と受け止められることが多く、その原因や対策を祭祀の面から検討するために卜占が行われました。このように、卜部氏は宗教と政治、さらには地方行政を結び付ける役割も果たしていました。

平安時代になると、律令制度の変化によって政治の実権は藤原氏を中心とする貴族社会へ移っていきます。しかし、宮中祭祀そのものは依然として国家の重要な儀式であり、卜部氏は神祇官の祭祀や宮中行事において引き続き重要な役割を果たしました。特に大嘗祭や新嘗祭など、天皇の権威を象徴する祭祀では、神意を確認するための占いが重視され、卜部氏の専門知識は欠かせないものとなっていました。

鎌倉時代以降、武家政権が成立すると、政治の中心は武士へ移りましたが、朝廷における祭祀の伝統は継続されました。この時代、卜部氏の一流である吉田家が勢力を伸ばし、神道界における中心的な存在となります。吉田家は神道理論を体系化し、室町時代には吉田兼倶(かねとも)が「吉田神道(唯一神道)」を確立しました。

吉田神道は、神道を仏教や儒教とは異なる独自の思想として整理したものであり、全国の神社に大きな影響を与えました。吉田家は朝廷から神職を認定する権限を与えられ、多くの神社へ神道裁許状を発給しました。これにより、卜部氏の流れをくむ吉田家は、宗教的権威を背景に神社行政へ強い影響力を持つようになります。

戦国時代には、各地の大名も神社の保護を通じて領国支配を進めました。その際、吉田家の権威は神職任命や祭祀の正統性を保証する役割を果たし、政治と宗教を結び付ける存在として機能しました。これは、古代以来の「神意によって政治を支える」という卜部氏の役割が、形を変えながら継承された例といえます。

江戸時代には、幕府が神社制度を統制する中でも、吉田家は全国の神社との関係を維持し、神道界で大きな影響力を持ち続けました。しかし、明治維新後の神仏分離政策や近代国家の成立により、神社制度は国家によって再編され、吉田家の特権は次第に失われていきます。それでも、卜部氏が築いた祭祀や神道思想は、日本の神社制度や神職の伝統の中に受け継がれています。

このように卜部氏の政治的役割は、「神意を占う」という宗教的な活動だけではなく、国家の重要政策に正当性を与え、祭祀を通じて政治の安定を支えることにありました。また、中世には吉田家を通じて神社行政や神道思想にも大きな影響を及ぼし、日本の政治と宗教の歴史に深く関与しました。表舞台で権力を握る氏族ではありませんでしたが、国家祭祀を支える専門家として、歴代の天皇や朝廷、さらには武家政権からも重視された存在であり、その功績は日本古代史・宗教史において極めて重要な位置を占めています。

他の氏族一覧

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空海が育った善通寺の近くで生まれ、愛媛県で育ちました。 国立理系大学院を修了後は、大手半導体メーカーで研究開発エンジニアとして勤務し、CPU基盤材料や太陽電池材料の研究に携わっていました。 関西在住時、うつ病療養のために何度か訪れた奈良・大神神社(大物主神を祀る古社)で、不思議な体験をしたことが転機となります。 その出来事をきっかけに記紀を読み始め、十年後、自身の祖先が宇佐八幡初代神官・大神比義、さらには大神神社(地祇系三輪・大神氏)へと連なる「蛇神族の神官系の血流」であることを突きとめました。 また、20年間どの療法でも改善しなかった難治性うつ病が、瞑想と催眠の研究を続ける中で奇跡的に解消し、人間に本来備わる自然治癒力の発動法を見出しました。 その後、独自のヒーリング法を確立し、5年間にわたり精神疾患を抱える方々への対面施術・指導を行いましたが、コロナ禍を機に現場を引退。現在はサイトを立ち上げ、HSP向けのセルフヒーリングをオンラインで提供しています。 自身の経験から、 「この世界では、時に説明のつかない出来事が起こり、奇跡が起こることがある」 というメッセージを蛇神の血筋として伝えていきたいと考えています。 なお、宗教団体とは一切関係ありません。
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