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面接で愛媛の新居浜へ向かいました。 まさか地元で面接を受けることになるとは思っていませんでした。 とはいえ、同じ愛媛でも松山からは距離があるため、新居浜にはあまり行ったことがありません。
このあたりは、別子銅山の銅で財を築いた住友グループ発祥の地であり、住友系の企業が密集する工業地帯です。 私も以前は住友系の会社に入社していたため、今回のスカウトも同じ系列の縁があってのことだと感じました。 面接先は住友化学の子会社で、工場も住友化学の敷地内にあります。
これで鉄鋼と化学の両方の工場に足を踏み入れたことになりますが、半導体系の工場と比べると、どちらもスケールがまったく違います。 町全体が工場のような場所なので、門のところでタクシーを降りても、面接会場までかなり歩きました。
すると、面接担当の方がわざわざ歩いて迎えに来てくださいました。 しかもその方は、住友化学の新居浜工場長を歴任された取締役の方でした。 (以前のブラック副社長とは違い、腰が低く、とても丁寧に対応していただきました。) 人間性の高い方で、その人柄に強く惹かれました。
最初に工場見学があり、約1時間ほど案内していただきました。 その後、5人の面接官による1時間の面接。 雰囲気もよく、面接官の皆さんも人柄が良さそうだったので、 「この会社に入りたい」 という気持ちが自然と湧いてきました。
帰りも、わざわざ駅まで見送っていただく丁重さに驚きました。 ただ、帰る頃にはすでに18時を過ぎており、電車と新幹線を乗り継いで家に着いたのは21時過ぎ。 さすがに疲れました。
結果が出るまでの間、気分転換に法隆寺方面へ向かいました。
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奈良法隆寺は、奈良盆地のほぼ西部にあたる生駒郡斑鳩町にあります。
JR大阪駅で大和路快速線に乗ると40分程度で到着します。
前回は法隆寺の西方面を探索しましたが、今回は東方面に向かいます。
前回訪問した記事
この日は曇り空で、今にも雨が降りそうな空模様でした。
前回法隆寺を訪れたとき、北の方に三重塔が見えたので、今回はその方向を目指して歩きました。
このあたりはコスモス畑が有名なようで、秋になると田園風景のあちこちに色鮮やかなコスモスが咲き、訪れる人の目を楽しませてくれます。
法輪寺は奈良県斑鳩町三井にある聖徳宗の寺院で、地名にちなみ「三井寺」とも呼ばれます。創建については明確な史料が残っていませんが、7世紀中頃にはすでに存在していたことが発掘調査から確認されています。聖徳太子の子・山背大兄王が太子の病気平癒を願って建立したという説や、法隆寺焼失後に百済の僧らが再建に関わったとする説など、複数の伝承が残っています。
伽藍は法隆寺式の配置をとり、かつては七堂伽藍を備えた大寺院でした。しかし中世以降は火災や風害により衰退し、江戸時代には三重塔を除く多くの建物が失われました。享保年間には寶祐上人によって再興が進められ、金堂や妙見堂などが再建されました。
寺の象徴であった三重塔は、法隆寺・法起寺と並ぶ「斑鳩三塔」の一つとして知られていましたが、1944年の落雷で焼失しました。現在の塔は1975年に再建されたもので、世界遺産には含まれていません。それでも境内には飛鳥時代の薬師如来像や虚空蔵菩薩像が残り、古代の気配を今に伝えています。
三重塔と金堂


法輪寺から東へ向かうと、世界遺産にも登録されている法起寺に到着します。
法起寺(ほうきじ/ほっきじ)は、奈良県斑鳩町岡本にある聖徳宗の寺院で、古くは岡本寺や池後寺(いけじりでら)とも呼ばれていました。寺の起源は、聖徳太子が法華経を講じたとされる「岡本宮」にさかのぼります。太子の死後、その遺言を受けて、子の山背大兄王(やましろのおおえのおう)が岡本宮を寺に改めたことが創建の始まりと伝えられています。創建年は舒明天皇10年(638年)とされ、聖徳太子建立七寺の一つにも数えられます。
奈良時代には栄えましたが、平安時代以降は衰退し、法隆寺の末寺となりました。江戸時代に入り、僧・真政圓忍らによって再興が進められ、講堂や聖天堂が再建されました。現在の寺号の読み「ほうきじ」は、世界遺産登録に際し、法隆寺と読みを統一するために正式採用されたものです。

伽藍は金堂と三重塔が東西に並ぶ「法起寺式伽藍配置」をとり、飛鳥時代の寺院の姿をよく伝えています。中でも高さ24メートルの三重塔は、慶雲3年(706年)に建立された日本最古の三重塔で、国宝に指定されています。塔は創建当時の姿を保つ貴重な遺構であり、飛鳥建築の特徴を今に伝えています。

コスモス畑がなんともいえずのどかで、心が癒されます。
ここで寝転んで、1日中ぼんやりと過ごしていたいと思うほどの場所です。
しかし、こんなのどかな田園風景が広がるこの地も、かつては仏教文化がいち早く花開いた最先端の地域でした。 静かな景色の奥に、飛鳥から奈良へと続く歴史の息づかいが確かに感じられます。

こういった風景を見ると、「日本らしいなあ」としみじみ感じます。
どこか懐かしく、心がゆるむような景色です。
この一帯は、CMなどのロケ地としてもよく使われる場所で、訪れるたびに“日本の原風景”に触れているような気持ちになります。

しかし、空は曇りがちであったのと、カメラの性能も古いタイプだったことも重なりきれいな写真が撮れてませんでした。そのため彩度を高めにして載せていますが、不自然な仕上がりになってます。


