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京都東山地区へは、日を改めて再び訪れました。
今回は、秋がいよいよ深まりゆく祇園のあたりを歩いてみることにしました。
再生の神・大物主神から授かった静かな恩恵。
潜在意識の深いところでゆっくり息を吹き返す、やさしい再生ヒーリングです。
眠りと覚醒のあわいで「意識の置き換え」と「癒し」がそっと芽生え、
心の奥の記憶や不安に寄り添いながら、
日々のストレスやトラウマを静かにほどいていきます。
「祇園」といえば、まず思い浮かぶのは『平家物語』の冒頭です。 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。 猛き者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。
しかし、祇園とは東山に広がる一帯の地域で、かつて八坂神社の社領として門前町が発展した花街のことです。 八坂神社も昔は「祇園社」と呼ばれていたため、この地域一帯が祇園と呼ばれるようになりました。
私は長い間、祇園精舎もこのあたりにあるのだと思っていましたが、実際にはインドにあった寺院なのですね。 しかも、祇園精舎には鐘はなかったといわれています。 人間は空想が好きで、そうした想像や物語が、いつの間にか世界を別の姿に見せてしまう―― そんな不思議さを改めて感じました。
京都四条駅から祇園地区へ向かうと、まず目に飛び込んでくるのが歌舞伎座「南座新開場祇園」です。 堂々とした外観で、近づくほどに迫力があり、祇園の玄関口としての存在感を放っていました。

歌舞伎座近くを歩いていると、もち団子屋を見つけました。
私はもち団子には目がないので、みそ団子を買って食べながら観光を続けました。 もぐもぐと頬張りながら歩く祇園の街は、どこか特別な味わいがあります。
しばらく歩いていても、周囲は近代的でごく普通の街並みが続いています。 ところが、ある一角を境に、急に祇園らしい風情が姿を現します。 このあたりは「弥栄(やさか)地区」と呼ばれています。
“弥栄”と聞くと、どこか「ヤーウェ」を連想してしまい、 「私の名を呼ぶはない」というあの言葉が頭をよぎります。
通りには、幽霊が出てきそうな雰囲気の柳の木が揺れ、 格子造りの町家が静かに並んでいます。 この日本的な風景が、祇園の空気を一気に深めてくれるようで、 思わず足を止めて見入ってしまいました。


このあたりまで来ると、舞妓さんらしい姿の人が歩いているのを見かけます。
舞妓さんは夜に出勤するものだと思っていましたが、昼間もお仕事をされているのですね。
観光客の間をすっとすり抜けるように歩く姿は、やはり祇園らしい雰囲気を感じさせてくれます。

辰巳大明神は、御所の辰巳(南東)方向を守護するために祀られた神社です。 神社といってもこじんまりとした佇まいで、祇園の町並みに溶け込むように静かに建っています。 現在では、舞妓さんが習い事の上達を願ったり、商売繁盛を祈願したりする神社として信仰されています。
小さな社殿ながら、朱塗りの鳥居や柳の木が祇園らしい風情を醸し出していて、 通りを歩いているとふっと足を止めたくなるような、不思議な魅力があります。

辰巳大明神のそばを流れる白川にかかる小さな橋が「巽橋」です。 この橋の近くには、昔、人をだます悪戯狸が住んでいたといわれています。 そこで狸を祀る祠を建てたところ、悪戯が治まったという伝説が残っています。
この一帯は、祇園の中でも特に人気のあるスポットで、 風情ある町並みと白川の流れ、そして巽橋の組み合わせがとても絵になります。 そのため、観光客――特に外国の方々が写真撮影のために多く集まっていました。
柳の木が風に揺れ、格子造りの町家が並ぶ光景は、 まさに“祇園らしさ”が凝縮された一角で、歩いているだけで物語の中に入り込んだような気持ちになります。

祇園北部の祇園新橋周辺は「伝統的建造物群保存地区」に、 南部の花見小路を挟む一帯は「歴史的景観保全修景地区」に指定されています。
ただ、思っていたほどこの街並みの区画は広くなく、 高知のはりまや橋ほどではないにしても、少し拍子抜けするのは私だけではないようです。
(参考) http://gotravel.blog.jp/archives/75530212.html
歩いてみると、京都はむしろ郊外のほうが“日本らしさ”が色濃く残っていて、 静かな風景や古い家並みが心にしっくりと馴染むように感じました。

祇園には「かにかくに碑」と呼ばれる石碑があります。 そこには、吉井勇の有名な一首が刻まれています。
「かにかくに祇園はこひしぬるときも 枕の下を水のながるる」
祇園を離れてもなお恋しく思う気持ちと、 白川の水音が枕元にまで聞こえてくるような情景が、 短い言葉の中にしっとりと閉じ込められています。
碑の前に立つと、 祇園の町家や白川の流れ、夜の静けさまでもが ふっと胸の奥に広がるようで、 この地が多くの人に愛されてきた理由を改めて感じました。


全国にある八坂神社や、素戔嗚尊を祭神とする関連神社(約2,300社)の総本社が、この八坂神社です。 祇園地区を管轄してきた八坂神社は、伊邪那岐・伊邪那美の三貴神の一柱である素戔嗚命を祀り、祇園祭で広く知られています。
八坂神社では、素戔嗚命のほか、出雲でヤマタノオロチを退治した後に妻となった櫛稲田姫命、そして八柱御子神(素戔嗚命の八人の子)を合わせて祀っています。
社伝によれば、創建は656年。 高句麗から来日した調進副使・伊利之使主(いりしおみ)によるものとされています。 現在は素戔嗚命が主祭神ですが、当初は素戔嗚とは関係のない「祇園天神」あるいは「天神」が祀られていました。 その後、牛頭天王と素戔嗚命が習合し、明治の神仏分離までは牛頭天王(櫛稲田姫命は妃の頗梨采女、八柱御子神は八王子)が祭神とされていました。
牛頭天王は、釈迦の生誕地である祇園精舎の守護神とされ、中国や朝鮮(新羅)を経て伝わったとよく言われますが、実際にはこれらの地域で信仰された形跡はなく、現在では日本独自の神と考えられています。
現在の八坂神社は神社色が濃いものの、創建当初は興福寺や延暦寺の支配を受け、「寺」とみなされていたようです。 平安時代中期には一帯の産土神として信仰され、朝廷からも篤い崇敬を受けて次第に大きくなりました。 1070年には鴨川西岸の広大な地域が「境内」として認められ、「不入権」も承認されます。 この頃から紀氏一族が執行家として世襲支配するようになりました。
「八坂神社」という名称に改められたのは、明治の神仏分離以降のことです。
こうして見てみると、 “八坂”はキリストの神ヤーウェとは関係なさそうで、 さらに出雲系と直接つながるわけではない―― その複雑さが、むしろ日本の神々らしいとも感じます。
交通量の多い東大路通りに面して建つ大きな門が「西桜門」です。 参拝者の多くはこの門を通って境内へ入っていきますが、実はここは表門ではないそうです。
立派な門構えでありながら“正門ではない”というところに、 八坂神社の歴史の長さや、街の発展とともに変わってきた参道の流れを感じました。

八坂神社の「本殿」は、1999年から修復工事が行われ、2002年に完成したものです。 本殿の起源は平安時代初期にさかのぼり、藤原基経によって建てられたのが始まりとされています。 現在の建物は、1654年に徳川家綱が紫宸殿を模して再建したものと伝えられています。
「本殿」と「拝殿」は一つの大きな屋根でつながっており、 この独特の建築形式は『祇園造』と呼ばれています。 八坂神社を象徴する特徴的な姿で、他の神社ではあまり見られない構造です。
また、陰陽道では大地のエネルギーが集まる場所を「龍穴(りゅうけつ)」と呼び、 神社の中にはこの龍穴の上に建てられているものもあるといわれます。 八坂神社の本殿の下には池があり、この池が龍穴の役割を果たしていると伝えられています。 見えない“気”の流れを意識した配置が、古い時代の信仰の深さを感じさせてくれました。

この舞台では、納行事や結婚式なども行われます。 花街から奉納された提灯には、毎夜あかりが灯され、境内をやわらかく照らしています。 現在では、提灯の灯りは電球からLEDへと取り換えられているそうです。
夜になると、朱色の舞台と提灯の光が静かに浮かび上がり、 祇園らしい華やかさと、どこか懐かしい温もりが同時に感じられました。

八坂神社のすぐ近くに知恩院があったので、少し立ち寄ってみました。 京都は本当にお寺が多いと改めて感じます。
知恩院は、浄土宗の総本山にあたる寺院で、 浄土宗の開祖である法然が後半生を過ごしたゆかりの地に建てられました。 現在のような大規模な伽藍が整えられたのは、江戸時代以降のことだそうです。
巨大な三門や広い境内は、 祇園の華やかさとはまた違う、静かで落ち着いた空気をまとっていて、 歩いているだけで心がすっと静まるようでした。

伽藍
知恩院の境内は、三門や塔頭寺院が並ぶ下段(手前側)、 御影堂(本堂)など中心伽藍が建ち並ぶ中段、 そして勢至堂や法然廟がある上段の三つに分かれています。
段を上がるごとに空気が静まり、 祇園の賑わいから少しずつ離れていくような感覚がありました。 同じ境内でありながら、場所によってまったく違う表情を見せてくれるのが、 知恩院の魅力のひとつだと感じます。


まず目に入るのが、知恩院の象徴ともいえる大きな三門です。 この門は、徳川家の2代将軍・秀忠公の命によって建立されたもので、 高さ24メートル、横幅50メートル、屋根瓦は約7万枚という圧倒的な規模を誇ります。
その構造と大きさから、わが国最大級の木造の門とされ、国宝にも指定されています。
「三門」とは、悟りへ通じる三つの解脱の境地を表す「三解脱門(さんげだつもん)」を意味します。 ただの巨大建築ではなく、門そのものが“悟りへの象徴”としての役割を担っているのだと感じました。

中段にある本堂は、1633年に焼失しており、 現在の建物は1639年に徳川家光によって再建されたものです。 宗祖・法然を本尊として安置していることから、「御影堂」とも呼ばれています。
本堂の前に立つと、まず目に入るのが非常に大きな立て札で、 その存在感に思わず圧倒されました。
堂内は広々としていて、静けさが深く、 私はしばらくのあいだ何も考えず、ただぼんやりと過ごしていました。 祇園の賑わいから少し歩いただけなのに、 まるで別世界に入り込んだような感覚がありました。(撮影禁止だったので画像は残念ながらありません。)

ふと青空を見上げると、運気が上がる兆しを思わせるような、 龍が立ち上るような形の雲が浮かんでいました。 まるで空がこちらに合図を送っているようで、しばらく見入ってしまいました。
でも、さすがに疲れてきたので、そのまま帰ることにしました。 静かな境内をあとにしながら、 今日の散策の余韻がゆっくりと身体に染み込んでいくようでした。
