龍神の記憶と目覚め  旅行記録6:奈良 法隆寺周辺巡り1 | 龍神の記憶と目覚め 

旅行記録6:奈良 法隆寺周辺巡り1

自然に癒やされながら思い返す

人気の少ない自然の多い場所を歩くと、心がすっと軽くなることがあります。
私自身、外に出ることがつらかった時期もありましたが、呼吸法や瞑想を続けてきたおかげか、自然の中を歩くことがむしろ楽しみになってきました。時間はかかりましたが、少しずつ感覚が戻ってくるものだと実感しています。木々の間を吹き抜ける風や、ふと深く息が吸える瞬間に、子どもの頃の感覚がよみがえるようで、心がそっと支えられるのです。

自然の中を歩くのは、交通費も数千円ほどで日帰りができ、経済的にも負担が少ないのがありがたいところです。
それに比べると、私が受けたカウンセリングや心理療法、催眠療法などは、費用のわりに自分にはあまり効果を感じられませんでした。
精神科の薬もさまざまな抗うつ薬を試した時期もあったのですが、効いている実感もなく、自分に合っていないと思い東京方面などにも行きさまざまな療法を受けていました。
この時期受けていたのが40万円もする療法で、2年間ほど受けていました。

かなりの時間と金額を浪費したのですが、そこから、世の中の情報や肩書き、権威といったものが必ずしも真実ではないのだと気づくきっかけにもなりました。人は気づかないまま流されてしまうこともあるのだと、世の中の仕組みを少し距離を置いて見られるようになった気がします。

大震災の影響で求人が減り、リクルートやハローワークにも登録しましたが、日本の企業には週休1日が当たり前のようなところも多く、働き方の厳しさを改めて感じました。同じ業種の募集も少なく、関西以外にも視野を広げて探してみました。練習がてら、スカウトのあった東京・丸の内にも行ってみましたが、スーツ姿の意識高い系ビジネス街はどうにも自分には合わないと感じました。関西弁のおっちゃんたちがいる工場の、あのラフな空気に慣れてしまっているのでしょう。

そんな中で「自然の多い場所で働くのもいいのでは」と思い、農業系の仕事も調べていました。
やはり自然のそばにいると心が落ち着きます。そう考えると、奈良あたりに住むのも悪くないなと思い始めました。

全国いろいろ巡ってきましたが、前世が奈良で生まれだったのか、奈良に強く惹かれていた時期でした。

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奈良法隆寺へのアクセス

奈良法隆寺は、奈良盆地のほぼ西部にあたる生駒郡斑鳩町にあります。
JR大阪駅で大和路快速線に乗ると40分程度で到着します。

今回は法隆寺から西方面を散策しました。
ルートは法隆寺→藤ノ木古墳→龍田神社と徒歩で散策です。


奈良 法隆寺

「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」。
秋の奈良を訪れると、あちこちに柿の木が見られます。
風景としては大好きなのですが、食べるのは少し苦手です。

ここ斑鳩町には「松山市観光俳句ポスト」が県外で初めて設置されたそうで、出身地松山との縁も深い土地柄です。関西の中でもどこかのんびりした空気が流れていて、歩いているだけでほっとします。
そして、関西にいて感じたのが奈良県の県民性と愛媛の県民性ととても似ている(のんびり、マイペース、保守的)ということに気づきました。

JR法隆寺駅を降りると、信貴山縁起や戦国武将松永久秀の居城「信貴山城」でも知られるなだらかな信貴山が見えます。
聖徳太子が物部守屋を討つ際、この山に毘沙門天が現れ、「信ずべし、貴ぶべし」と告げたことが山名の由来とされています。
また、法隆寺北方にある生駒山はニギハヤヒが天磐船に乗って降臨した地でもあり、山頂から周囲を見渡して「虚空(そら)にみつ日本国」と讃えたことが、日本という国名の起源になったとも伝えられています。
ちなみに、日本という国号が“公式に”使われ始めたのは、7世紀末〜8世紀初頭の天武・持統天皇時代の頃。大宝2年(702年) の遣唐使が中国側に「日本国」を名乗ったことが、明確な最古の用例とされています。
それ以前は、大和(やまと)、倭(やまと)、大倭(おおやまと)と呼称していました。

法隆寺は、中学の修学旅行で最初に訪れた場所でした。
もう25年以上も前のことです。
しかし、久しぶりに訪れてみると、当時の記憶とは少し違った印象を受けました。年月を経て、自分の感じ方が変わったのかもしれません。


法隆寺

奈良県斑鳩の地に立つ法隆寺は、飛鳥時代の息づかいを今に伝える日本を代表する古寺です。推古天皇15年(607年)に聖徳太子が創建したと伝えられ、現存する木造建築としては世界最古級の歴史を誇ります。境内は西院伽藍と東院伽藍に分かれ、とくに西院伽藍の金堂と五重塔は、創建当時の伽藍配置をほぼそのまま残す貴重な存在です。

伽藍配置

五重塔は高さ約32メートル。上層へ向かうほど屋根が小さくなる独特の逓減が美しく、中心を貫く心柱が塔全体を支える構造は、古代の高度な技術を示しています。初層内部には釈迦の生涯を描いた塑像群が安置され、素朴ながら深い精神性を感じさせます。

一方、東院伽藍の中心には八角円堂の夢殿が建ち、聖徳太子の等身像とされる救世観音像が秘仏として祀られています。春と秋の限られた期間にのみ開扉され、多くの参拝者が静かな感動を覚えます。

広い境内を歩くと、千三百年の時を超えて受け継がれてきた祈りと文化が、風や光とともにそっと寄り添ってくるようです。法隆寺は、ただ古いだけではなく、日本の精神史そのものを映し出す場所といえるでしょう。

西院伽藍 金堂

中門をくぐると、西院伽藍の中心に金堂と五重塔が並びます。修学旅行のとき、この金堂前の階段に整列して写真を撮った記憶があります。

西院伽藍 五重塔

法隆寺の境内に足を踏み入れると、まず視界に入ってくるのが五重塔の端正な姿です。
高さは約三十二メートル。現存する木造の五重塔としては世界最古とされ、飛鳥時代の空気をそのまま今に伝えているように感じられます。塔の屋根は上にいくほど小さくなり、五層目は初層の半分ほどの大きさです。この大胆な逓減が、塔全体に独特の安定感と優雅さを与えています。

中心には一本の心柱が通り、地下の心礎には舎利容器が納められています。
この構造が地震に強く、長い年月を耐え抜いてきた理由のひとつだといわれています。実際、近代の大きな地震でも大きな損傷を受けなかったことが確認されており、古代の技術の確かさに驚かされます。

初層内部には、釈迦の生涯を表す四つの場面が粘土塑像で表現されています。
東面には維摩詰と文殊菩薩の問答、南面には釈迦の涅槃、西面には遺骨の分配、北面には弥勒の浄土。いずれも八世紀初頭に作られたとされ、素朴でありながら深い精神性を感じさせる表情が印象的です。

塔の前に立つと、風が軒をくぐり抜ける音が聞こえ、木材の香りがほのかに漂います。
修学旅行で見たときはただ「大きい塔だ」と思っただけでしたが、大人になって改めて眺めると、千年以上の時間が静かに積み重なっていることが、じわじわと胸に迫ってきます。塔はただそこに立っているだけなのに、訪れる人の心の状態によって見え方が変わる不思議な存在です。

東院伽藍へと向かいます。
西院伽藍のにぎわいを抜け、東へ向かうと、人の声が遠ざかり、八角形の堂がすっと姿を現します。
これが東院伽藍の中心、夢殿です。

夢殿

東院伽藍の中心に建つ夢殿は、聖徳太子の等身像とされる救世観音像を安置した八角円堂です。救世観音像は長いあいだ白布に包まれた秘仏で、明治初期に岡倉天心とフェノロサによって初めてそのベールが解かれたことでも知られています。
現在は春と秋の限られた期間にしか開扉されていません。

高い基壇の上に建つ夢殿は、どこから眺めても均整が取れ、八つの面が光を受けてわずかに表情を変えます。近づくほどに、建物そのものが呼吸しているような気配があり、風が軒をかすめる音が心に染み込んでいきました。

回廊に囲まれた境内は人影も少なく、歩くたびに砂利がさらりと音を立てます。絵殿や舎利殿の前を通ると、千年以上続いてきた太子信仰の重みが、建物の静けさの中にそっと溶け込んでいるようでした。

西院伽藍が「歴史の舞台 陽の世界」だとすれば、東院伽藍は「祈りの空間 陰の世界」。
前者は壮大で開かれ、後者は静かで内省的。
同じ法隆寺の中に、こんなにも異なる二つの世界が共存していることに驚かされます。

法隆寺の境内を抜けると、急に視界が開け、そこには広々とした田園風景が広がっていました。歴史の中心にいたはずなのに、一歩外へ出るとこんなにも素朴で静かな里が続いていることに、思わず足を止めてしまいます。思っていたよりもずっと田舎で、風に揺れる麦の穂や、遠くで鳴く鳥の声が、さっきまでの伽藍の荘厳さをゆっくりとほどいていくようでした。

この道をさらに北へ進めば、秋になるとコスモス畑に囲まれた法起寺があります。
日本最古の三重塔」が立つことで知られ、秋には一面の花が塔を取り巻くように咲き誇るといいます。

この日は昼に到着したため時間の都合で見送りましたが、コスモスの咲く秋に訪れれば、また違った斑鳩の表情に出会えるのだろうと思いました。


西里

法隆寺を後にして西へ向かうと、境内の荘厳さとはまったく違う、素朴で静かな街並みが続いていました。西里と呼ばれるこの一帯は、南北にまっすぐ伸びる細い道の両側に、土塀と古い民家が200メートルほど途切れず並んでいます。白壁の土塀はところどころ日に焼け、瓦屋根は低く、どこか懐かしい匂いが漂っていました。観光客の姿も少なく、足元の砂利がかすかに音を立てるのみの閑静な場所です。

土塀の向こうから吹き抜ける風はやわらかく、遠くで鳥の声が響きます。
法隆寺の壮大な伽藍を見た直後だからこそ、この西里の素朴な風景がいっそう心に沁みました。
このあたりは、縄文時代の土器や石器が出土する古くから開けた土地だといいます。法隆寺が建つよりはるか昔から、人々が暮らし、火を焚き、畑を耕していたのでしょう。


藤ノ木古墳

来たときは青空が広がっていて、法隆寺の瓦屋根も陽に照らされて輝いていたのに、写真でもわかるように気づけば雲が厚くなり、空はどんよりと沈んだ色に変わっていました。
他の訪問地同様に、私が雨雲を呼ぶ雨男だということがお判りでしょう。
私はやはり龍神の使いなのです。🐉
西里の一本道を抜けると、急に視界が開けて、ぽつんと盛り上がった“ちょっと変わった丘”が見えてきます。

西里の一本道を抜けて見えてきた“変わった丘”に近づいていくと、胸の奥がふっとざわつきました。
案内板を確認すると、そこは 藤ノ木古墳 でした。私が中学生の頃、ニュースで大きく取り上げられていた未盗掘の古墳で、当時の記憶が蘇りました。

曇り空の下で見る墳丘はどこか寂しげで、しかしその静けさが古代の謎をいっそう深く感じさせました。テレビ越しに見た鮮やかな朱や金色の馬具の記憶が、目の前の静かな丘と重なり、時間がひとつにつながったような不思議な感覚に包まれました。

藤ノ木古墳について

藤ノ木古墳は、奈良県斑鳩町、法隆寺の西側に位置する古墳時代後期の円墳です。直径約50メートル、高さ約9メートルの規模をもち、1985年の発掘調査で未盗掘の横穴式石室が発見されたことで一躍注目を集めました。石室内部には朱で塗られた家形石棺が据えられ、成人男性二名が合葬されていたことが確認されています。副葬品としては、金銅製の冠や馬具、飾履、大刀、鏡など、当時の最高級の工芸技術を示す品々が多数出土し、現在は国宝に指定されています。

しかし、これほどの豪華な副葬品を持ちながら、被葬者が誰であるかは今も明らかになっていません。穴穂部皇子・宅部皇子の合葬説や崇峻天皇説、あるいは斑鳩周辺の有力豪族説などが挙げられていますが、決定的な証拠は見つかっていません。現在、墳丘は公園として整備され、静かな田園風景の中に佇んでいます。石室は通常非公開ですが、特別公開の際にはガラス越しに内部を見学することができます。藤ノ木古墳は、古代の謎と美しい副葬品が今も息づく、斑鳩を代表する歴史遺産です。


龍田神社

西里の静かな家並みを抜けて南へ歩いていくと、やがて龍田神社へと続く道に出ます。境内に近づくと、まず目に入るのは木造の鳥居です。石造鳥居の神社が多いなかでは少し珍しく、素朴で温かみのある佇まいが印象的でした。

境内はこぢんまりとしていますが、龍田神社には、聖徳太子と深く関わる由緒が伝わっています。
太子が法隆寺を建立するための寺地を探していた際、白髪の老人に姿を変えた龍田大明神に出会い、「斑鳩の里こそ仏法興隆の地である。私はその守護神となろう」と告げられたといいます。太子はその言葉に従い、斑鳩に法隆寺を建て、守護神として龍田大明神を祀る社を創建したと伝えられています。

さらに南へ歩いていくと、吉田寺(きちでんじ)というお寺があります。
別名「ぽっくり寺」と呼ばれ、ここでお参りすると、できるだけ長く元気に過ごし、最期は穏やかに迎えられると信じられているそうです。
死ぬときはなるべく病気にかからず、痛みを伴わずにぽっくりと逝きたいな。

これも神社で、境内の雰囲気がどこか個性的でした。変わった神社を見て回るのは本当に楽しく、土地ごとに異なる信仰や歴史が感じられるのが魅力です。
人と一緒に旅をするのも楽しいですが、一人旅だと人や時間に気を遣うこともなく、好きな場所をふらふらきままに探索できるのがいいですね。


条理跡

吉田寺から西へ向かって歩き、法隆寺駅を目指して帰ります。このあたりは古代の条里制がよく残っている場所だそうですが、実際に歩いてみると、どこまでも田んぼが続いていて、まっすぐな道が静かに伸びていました。区画がきれいにそろっているのは確かですが、見渡す限り田園風景です。

小川をのぞくと、黒っぽい影がいくつもゆらゆらと泳いでいて、よく見るとすべて亀でした。水面近くをのんびりと進む姿がかわいらしく、思わず足を止めて眺めてしまいます。こうした何気ない風景に出会えるのも、歩く旅ならではだと感じました。

そのまま西へ向かって歩き続け、法隆寺駅に着くころには、すっかり暗くなっていました。

奈良の代表的な郷土料理

1. 柿の葉寿司(かきのはずし)
奈良といえばこれ。 塩サバやサケを酢飯にのせ、柿の葉で包んだ押し寿司。 保存食として発達したため、味がしっかりしていて旅のお供にも最適。 2. 三輪そうめん
日本最古の素麺の産地・三輪の名物。 細いのにコシが強く、喉ごしが抜群。 冬は「にゅうめん」として温かく食べるのも奈良流。
3. 奈良の茶粥(大和の茶がゆ)
奈良の家庭料理の代表格。 ほうじ茶で炊いた薄味のお粥で、香ばしくて軽い食べ心地。 旅の疲れがすっと抜けるような優しい味。 4. 奈良漬(ならづけ)
瓜やきゅうりを酒粕で漬けた奈良の伝統漬物。 甘みとコクが強く、好きな人にはたまらない深い味わい。
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愛媛県松山市出身。 国立理系大学院卒の元大手半導体材料研究開発エンジニア。(CPU基盤材料、太陽電池材料の研究開発に関わる) 関西在住時にうつ病療養のため何度か尋ねた蛇神大物主神を祀る奈良大神神社で不思議な体験を経験。それをきっかけに記紀を読むこと十年後、祖先は宇佐八幡初代神官大神比義、さらには大神神社(地祇系三輪・大神氏)といった蛇神族の血流(神官系)につながることをつきとめます。 また、20年間あらゆる療法を試しても治らなかった難治性うつ病も瞑想と催眠の研究を続けていくことで奇跡的に解消し、人間に備わる自然治癒力発動法を発見します。独自のヒーリング法を確立し5年間精神疾患者への対面施術指導を行った後コロナ禍以降は引退。現在はサイトを立ち上げオンラインでHSP向けセルフヒーリングを提供しています。 自身の経験をもとに、「この世界には、時に説明のつかない出来事が起こり奇跡が起こる」ということを伝えていきたいと考えています。 「引き寄せの法則」などのスピリチュアル、宗教団体とは関係ありません。
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