龍神の記憶と目覚め  旅行記録22 :岐阜県 ~天下布武の布石 岐阜城に登る~ | 龍神の記憶と目覚め 

旅行記録22 :岐阜県 ~天下布武の布石 岐阜城に登る~

小谷から下呂温泉へと向かう

小谷城跡からの帰り道、「虎姫駅」で電車を待っていると、ふと去年の記憶がよみがえりました。
下呂温泉で食べた、あの素朴で温かい「けんちゃん鍋」。 味噌の香り、野菜の甘み、湯気の向こうに見えた部下君の笑顔。 その全部が、急に胸の奥でぽっと灯るように思い出されたのです。

昨年の記憶

「そうだ、ここまで来たんだから下呂温泉に行こう」
気づけば、そんな言葉が心の中に浮かんでいました。
旅というのは、ときどきこうして衝動に背中を押してくれるものですね。
この年購入したiPone4で、その場で旅館を予約し、電車に揺られて下呂へ向かいました。
ネットの進化でこうしてすぐ予約もできるなんて、旅も本当に楽になりました。

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到着したのは夕方の17時ごろ。 薄暗くなり始めた温泉街の灯りが、どこか懐かしい気持ちを誘います。 温泉手形を買って、まずはひと風呂。 湯のやわらかさが、今日歩いた道の疲れをゆっくりほどいていきました。

翌朝は、温泉入って下呂を少し散歩。
下呂温泉を南に少し下った合掌造りのある周辺を散策しました。

紅葉に彩られた山あいの風景の中に、静かに佇む茅葺屋根の家々が見えると、心がゆるむようなのどかさを感じます。 赤や黄色に染まった葉が、風に揺れながら茅の屋根にそっと降り積もり、まるで昔話の一場面を切り取ったような穏やかな景色になります。

茅葺屋根の柔らかな曲線と、紅葉の鮮やかな色合いが重なり合うことで、時間がゆっくりと流れているように思えます。 人の暮らしの温もりと、季節の移ろいが自然に溶け合っていて、眺めているだけで胸の奥が静かに落ち着いていきます。


岐阜城

下呂をJRで発ったあと、岐阜駅で下車しました。 岐阜は、これまで何度か出張で新幹線を通過したことはあっても、実際に降り立ったことはありませんでした。

そんな岐阜で、昔から一度訪れてみたいと思っていたのが、織田信長が「天下布武」を掲げた拠点である岐阜城(旧・稲葉山城)です。 桶狭間の戦いのあと、信長がこの城を落とすまでに八年もかかったといわれる難攻不落の堅城。 どれほどの城だったのか、ずっと気になっていたので、今回実際に登ってみることにしました。

岐阜城が建つ山は金華山(標高329m)で、現在の天守は1956年に復元されたものです。 岐阜駅から登山口まではバスで移動します。 車窓から見える山の上に、ちょこんと白い天守が姿を見せていて、あの高さに城を築いた戦国の人々の執念を思わず想像してしまいました。

登山道の入口付近には、板垣退助の銅像が立っています。 なぜここに銅像があるのかといえば、あの有名な 「板垣死すとも自由は死せず」 という言葉を発した場所が、この岐阜だからです。

自由民権運動の演説のために岐阜を訪れていた板垣退助は、ここで暴漢に襲われ重傷を負いました。 その際に口にしたとされる言葉が、後に象徴的な名言として語り継がれ、今もこの地に銅像が建てられているのです。


信長の邸宅跡

この奥が、信長が岐阜を居城としていた時代に、実際に住居として使っていた場所になります。
戦国のただ中で、信長が日々の政務を行い、天下布武の構想を練っていた空間が、この山の上にあったのだと思うと、足を踏み入れる前からどこか緊張感のようなものを覚えます。

織田信長が岐阜を本拠としたのは永禄十年(一五六七年)で、稲葉山城を攻略して「岐阜城」と改め、「天下布武」の朱印を使い始めた時期と重なります。現在、金華山の山頂に建つ天守が岐阜城として知られていますが、信長が実際に生活していたのは山麓に築かれた壮麗な居館でした。

発掘調査によれば、池を中心に庭園が広がり、巨石を立て並べた石列や段状に造成された敷地など、フロイスが「宮殿」と記したほどの豪華な構造だったといいます。信長はここで政務を行い、楽市楽座の推進や外交、軍事の指揮を執り、天下統一の構想を練りました。

山頂の楼閣は軍事的・儀礼的な場として使われ、日常生活は山麓で営まれていました。
岐阜を拠点とした約九年間は、信長にとって天下取りの基盤を築いた重要な時期だったのです。


岐阜城への登山

金華山の登山道はいくつかのルートが整備されており、その中でも上部に伸びる濃青と赤のルートは比較的険しい道として知られています。

赤色ルートは距離が長いものの勾配が緩く、初心者向け。
青色ルートは距離は短いものの勾配がきつい上級者向け。

今回は、赤色ルートを選びました。

登り始めると、道幅は次第に細くなり、足元には大小の石が転がっています。 木々の間から差し込む光が揺れ、山の斜面に沿って続く赤いルートは、まるで信長の居城へ向かう“試練の道”のようにも感じられます。

金華山の麓のほうは、登山道がよく整備されていて歩きやすく、最初のうちはほとんど苦もなく登ることができます。観光客や家族連れでも安心して歩ける穏やかな雰囲気があります。

周囲には杉や広葉樹が立ち並び、木漏れ日が道にまだら模様をつくり、山の空気がゆっくりと肌に触れていきます。 ときおり鳥の声が響き、長良川から吹き上げる風が心地よく、登山というより“散策”に近い軽やかさがあります。

登っている途中、ふと視界の端を小さな影が横切りました。 よく見ると、野生のリスです。

灰色がかった柔らかい毛並みが陽の光を受けてふわりと輝き、 しっぽをふさふさと揺らしながら、こちらを一瞬だけ振り返る仕草がとても愛らしく感じられました。

頂上まではまだ遠い。
この日は曇りがちで(雨男なので、だいたいほぼ曇り)遠く山頂付近は霧がかっていました。

登っていく途中で、登山道が「めい想の小径(赤ルート)」と「馬の背(青ルート)」の二つに分かれる場所に出ます。
「馬の背」ルートは山頂まで最短で二十分ほどで登れる道ですが、急斜面や岩場が多く、かなり険しいことで知られています。

一方の「めい想の小径」は、三十分から四十分ほど時間はかかるものの、道が比較的なだらかで歩きやすく、自然の中を静かに楽しめるルートです。 木々に囲まれた細い道が続き、風が葉を揺らす音や鳥の声が心地よく響き、名前の通り“めい想”にふけりながら歩けるような雰囲気があります。

このまま赤ルートの、「めい想の小径」を選びました。

足元は柔らかい土の道で、木漏れ日が揺れながら差し込み、歩くたびに森の匂いがふわりと漂ってきます。

ふもとのほうは道はだんだん険しくなりながらも、道はそれなりに整備されているので、てくてくと歩いていけます。

山頂近くになるとだんだん勾配も険しくなり、息もあらくなっていきます。
周囲も霧がかり、霧状の水滴が肌にあたり体温を下げてくれるので汗をかくほどではありませんでした。とはいえ、ちょっとハイキングというどころではありませんね、

しばらく進むと、道は次第に険しさを増し、ほとんど崖のような急斜面になっていきます。 足場は細く、岩がむき出しになっている場所も多く、手を使わないと登れないほどの難所が続きます。
角度はほぼ90度に近い・・。
「ロッククライミングをしに来たわけじゃないのにな…」 そんな思いが自然とこぼれるほどの急登です。

その一方で、上からは本格的な登山の装備をした人たちが次々と降りてきます。
ザックに登山靴、ストックまで持っている人もいて、まるで本格的な山に来たような光景です。
「ここって、そんな恰好で登るところなんだろうか…」
そう思いながら、自分は思いきりスニーカー。

関西ハイキングスクールで、白山に登山に参加したとき、スニーカーとバック一つで昇った記憶がよみがえります。
さすがに参加者の人から
「初心者でその恰好でよく登れましたね。すごいです」
と称賛されていました。

そのときのつらさに比べると、これくらいはまだまだ楽勝です。

崖のような急斜面に背をもたれるようにして、一度休むことにしました。 足元は細く、岩がゴツゴツとむき出しになっていて、もし足を滑らせれば、そのまま地上まで転げ落ちてしまいそうなほどの高さがあります。 山の静けさの中で、ふと背筋がぞくりとするような危うさを感じます。

こんな場所で、もし上から鉄砲や槍で攻撃されたらどうなるのだろう――。 戦国の兵たちがこの山を攻め上がったときの恐怖を思うと、胸の奥がひやりとします。 金華山が「難攻不落」と呼ばれた理由が、実際に登ってみるとよく分かります。

しかし、この堅城にも弱点がありました。 山の上には湧き水がなく、籠城戦になると水の確保が難しかったといわれています。 どれほど堅固な山城であっても、自然の条件には逆らえない――そんな脆さが、この険しい山道の途中でふと頭をよぎりました。

ついに登頂。

実は、この険しいルートは、関ケ原の合戦の前哨戦で池田輝政が岐阜城を攻めた際に通った道だといわれています。 崖のような急斜面を前にすると、あの時代の兵たちがここを駆け上がったという事実が、にわかには信じられないほどです。

足場は細く、岩がむき出しになり、手を使わなければ登れないような場所が続きます。 現代の登山者でも慎重に進むほどの難所を、甲冑をまとい、武器を携えたまま登ったのだと思うと、その気迫と覚悟に圧倒されます。戦国時代の人は、現代人とはくらべものにならないほど、強靭だったと思います。

険しい道のりの中で、歴史の足跡がふと重なり、 「ここを彼らも登ったのか」 そんな思いが胸に静かに広がっていきました。


岐阜城天守閣からの眺め

岐阜城の天守閣に着き、展望台に立つと、本来なら濃尾平野が一望できるはずの景色が広がっているはずでした。 しかし、この日は下界に霧がかかり、町並みは白い霞の向こうにぼんやりと沈んでいました。 長良川の流れも輪郭が曖昧になり、遠くの山々は影のようにかすんで見えます。

晴れた日のような鮮明な眺望ではありませんが、霧に包まれた景色には独特の静けさがあり、 まるで城だけが空の上に浮かんでいるような、不思議な孤高の雰囲気が漂っていました。

信長も、こんな霧の日にこの場所に立ち、天下を思い描いたことがあったのだろうか―― そんな想像がふと胸に浮かび、霧の向こうに歴史の気配がゆっくりと溶け込んでいくように感じられました。

関ケ原方向。


千成びょうたんを掲げた場所

下山する途中、ふいに視界の先に案内板が現れました。 そこには、豊臣秀吉が千成びょうたんを掲げた場所であることが記されていました。

秀吉がこの岩の上で勝利の象徴である千成びょうたんを掲げ、兵たちを鼓舞した光景を想像すると、山の静けさの中に一瞬だけ戦の熱気がよみがえるようでした。

帰りはロープウェイで下山することにしました。 あれほど苦労して登ってきた山も、ロープウェイに乗ればわずか三分。 ゴンドラが静かに動き出すと、さっきまで必死に登っていた急斜面が、まるで別の世界のように足元へ流れていきます。

窓の外には、霧に包まれた岐阜の町並みがゆっくりと広がり、しだいにふもとに近づくにつれて、現代の時間へと戻っていく感覚があります。

たった三分の下山ですが、歩いてきた道のりを思い返す静かな時間でした。

ふもとに到着。
2日続けての山登りは疲れたので、2時で切り上げ帰宅しました。

岐阜の郷土おみやげ

1.朴葉味噌(ほおばみそ)
朴葉の上に味噌・ネギ・きのこなどをのせて焼く飛騨の名物。 香ばしい香りが特徴で、ご飯にも酒にも合う。 2.飛騨牛
岐阜が誇るブランド和牛。霜降りの甘みと柔らかさが特徴。 ステーキ・すき焼き・炙り寿司など多彩。 3.鶏ちゃん(けいちゃん) 味噌や醤油ダレに漬けた鶏肉とキャベツを鉄板で焼くソウルフード。 地域や店ごとに味が違うのも魅力。 4.五平餅 つぶした米を串に巻き、味噌ダレをつけて焼く山間部の定番。 わらじ型・団子型など地域差が大きい。 5.ほう葉寿司 酢飯の上に川魚や山菜をのせ、朴葉で包んだ初夏の風物詩。 田植えの弁当として発達した保存性の高い寿司
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愛媛県松山市出身。 国立理系大学院卒の元大手半導体材料研究開発エンジニア。(CPU基盤材料、太陽電池材料の研究開発に関わる) 関西在住時にうつ病療養のため何度か尋ねた蛇神大物主神を祀る奈良大神神社で不思議な体験を経験。それをきっかけに記紀を読むこと十年後、祖先は宇佐八幡初代神官大神比義、さらには大神神社(地祇系三輪・大神氏)といった蛇神族の血流(神官系)につながることをつきとめます。 また、20年間あらゆる療法を試しても治らなかった難治性うつ病も瞑想と催眠の研究を続けていくことで奇跡的に解消し、人間に備わる自然治癒力発動法を発見します。独自のヒーリング法を確立し5年間精神疾患者への対面施術指導を行った後コロナ禍以降は引退。現在はサイトを立ち上げオンラインでHSP向けセルフヒーリングを提供しています。 自身の経験をもとに、「この世界には、時に説明のつかない出来事が起こり奇跡が起こる」ということを伝えていきたいと考えています。 「引き寄せの法則」などのスピリチュアル、宗教団体とは関係ありません。
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