目次
明日香村をひととおり探索した後、私は桜井市へ向かいました。
桜井市は、かつて三輪政権が置かれていた土地であり、三輪山を抱く古代史の中心地です。
しかし、私がこの地名に初めて心を留めたのは、歴史の本ではなく、もっと意外なものでした。
きっかけは、オンラインゲームに登場したダンジョン――その名も「三輪山」でした。
ゲームの世界では、そこに潜むラスボス「大物主神」を倒すために、私は何度も挑戦していました。
大物主神は三輪山に住む神であり、三輪山をご神体とする大神神社の祭神です。
当時の私は、そのドロップアイテムほしさに、何度も何度も大物主神を倒していたのです。
しかし、のちにこの神社で不思議な体験をしたことをきっかけに、
ここが私の氏神を祀る神社であったことを知ることになります。
ゲームの中で何度も相対していた存在が、実は自分と深い縁を持つ神だった――
その事実を知ったときの驚きと静かな感慨は、今でも忘れられません。
三輪山に住む大物主神は、古くから蛇神として知られています。

三輪山に住む大物主神は蛇神として知られています。
明日香村を歩き回っているうちに、いつの間にか夕方になっていました。
その日の宿は三輪山の麓にとっていたので、私は電車を乗り継ぎながら北へ向かいます。
飛鳥駅から橿原神宮前駅へ、さらに橿原線で大和八木へ。
近鉄大阪線に乗り換えると、三つ目の駅が桜井駅です。
途中、車窓の向こうに円錐形の耳成山が影のように浮かび上がり、古代の気配をそっと添えてくれました。
桜井駅に着いた頃には、すっかり夜の帳が降りていました。
駅前のバスターミナルからバスに乗り、目的地を降りたとき、ふいに視界が開けます。
目の前にある巨大な大神神社(おおみわじんじゃ)の大鳥居と、空に浮かぶ満月。
その二つが並んで立つ光景は、まるで異界の入口のようでした。
日本最大の大鳥居は、近づくほどにその存在感を増し、思わず息を呑むほどです。


本当は背後の三輪山を背景に写真を撮りたかったのですが、鳥居があまりにも大きく、どうしても画角に収まりません。
それでも胸の奥に灯るような神秘の気配があり、これまで巡ってきた神社とはどこか違う“深さ”を感じました。
旅館に着くと、胸が妙に高鳴っていて、女将さんに「月がとてもきれいで感激しました」と嬉しそうに話していた自分を思い出します。
宿は風情ある和式の旅館で、一人では少し広すぎるほどの部屋でした。
少し休んでいると、ぽつぽつと雨の音が。
到着したときは、満月がみえるほど澄み渡っていたのに、私が到着して30分もしないうちに空の表情が一変していました。
奇妙な天候の変わり方だったので記憶に残っていたのですが、今思えば私の祖先のお出迎えだったのかもしれません。(龍に守られている人は“雨人間”になる、と語られるように雨男です。)
普段はシャワーばかりなので、久しぶりに湯船に身を沈めると、旅の疲れがゆっくりと溶けていきました。
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三輪山のふもとに立つと、まず感じるのは“古さ”ではなく、“深さ”です。
ただ古いだけではなく、何層にも重なった時間が、静かにそこに沈んでいるような感覚があります。
三輪山は標高467メートルの円錐形の山で、古代から「神が宿る山」とされてきました。
山そのものが御神体であるという発想は、日本でも特に古い信仰の形で、
大神神社には本殿がなく、拝殿の奥に広がる山をそのまま拝むという独特の形式が今も続いています。
この山を中心に、3世紀後半頃には初期大和政権――いわゆる三輪政権が営まれていました。
崇神天皇の時代とされ、まだ国家という形が固まりきらない頃、
政治と祭祀がほとんど同じ意味を持っていた時代です。
そのため、三輪山の神を祀ることは、国を治めることとほぼ同義でした。
山麓には、行灯山古墳(伝崇神陵)、渋谷向山古墳(伝景行陵)、西殿塚古墳、そして箸墓古墳といった、巨大な前期古墳が点々と並んでいます。
どれも200〜300メートル級の規模で、古代の権力の大きさを物語っています。
特に箸墓古墳は、卑弥呼の墓ではないかと長く議論されてきた場所です。
もちろん、年代のずれや形状の違いから確定はできませんが、
巻向遺跡の広がる地形や、古代の祭祀跡が集中していることを思うと、
この一帯がただの集落ではなく、古代日本の中心だったことが自然と理解できます。
そして、三輪山には古くから神婚説話が伝わっています。
夜ごと姫のもとへ通う男の正体を探るため、衣に糸をつけて辿っていくと、
糸は三輪山の社へと続いていた――というあの有名な物語です。
糸巻に三巻(みわ)残っていたことから「三輪」と名づけられたという説話は、
地名の由来であると同時に、この地がどれほど神と人の距離が近い場所だったかを示しています。
参考URL:三輪山伝説
https://kotobank.jp/word/%E4%B8%89%E8%BC%AA%E5%B1%B1%E4%BC%9D%E8%AA%AC-139995
三輪山の神・大物主神は蛇神として知られ、
水、雷、農耕、そして祟りといった、自然の力そのものを象徴する存在です。
人々はその力を畏れ、敬い、そして頼ってきました。
三輪山のふもとに立つと、古代の人々がなぜこの山を特別視したのか、
言葉ではなく、空気の重さや静けさとして伝わってくる気がします。
三輪の歴史は、教科書に載るような「出来事」ではなく、
山と人が長い時間をかけて育ててきた“信仰の記憶”そのものなのだと思います。
翌朝、窓を開けるとしとしととした雨模様。
この日は傘をさしての散策となりました。
宿泊していた大神神社近くの宿をでてから、以下のマップのルートで1日徒歩で散策しました。

三輪山のふもとに立つと、まず思い浮かぶのは大神神社の存在です。
本殿を持たず、山そのものを御神体とする――そんな古代の信仰の姿が、今もそのまま息づいている神社は、日本でもほとんどありません。
大神神社の祭神・大物主神は、崇神天皇の時代に大流行した疫病を鎮めたと伝えられています。
また、杜氏に美酒を授けたという伝承から、医薬と酒造りの神としても広く信仰されています。
「大いなる物の主」という名の通り、精霊(もの)を統べる存在であり、
水神、雷神、そして日本を守護する神としての側面を持ちながら、
一方で祟りをなすほどの強大な力を秘めた神でもあります。
『古事記』では、大物主神は出雲の大国主神の“和魂”とされています。
国造りを共にしていた少名毘古那神が常世へ去り、大国主神が途方に暮れていたとき、
海の彼方から光り輝く神が現れ、「我を倭の青垣の東の山に祀れば、国造りは成就する」と告げます。
その神こそ大物主神であり、その山が三輪山だと伝えられています。
『日本書紀』の異伝では、大物主神は大国主神の別名とされ、
大神神社の由緒では、大国主神が自らの和魂を大物主神として三諸山に祀ったと記されています。
神話の中でも、三輪山と大物主神は切り離せない関係にあります。
よく、「三」という数字がでてくるけど、何か意味があるのかな?
三は蛇、六は亀を表すんだって。
この神社は「三」と「蛇」に結び付くものが多くあるから探していくといろいろなきづきが得られるよ。
三輪山の周辺では、「三」という数字がよく現れます。
三輪、三諸、三巻――。
古い伝承では、三は蛇、六は亀を象徴すると言われています。
三は蛇の形(ー)、六は亀の甲羅(〇)。
記紀の中にも多くの数字が登場しますが、数字に込められた象徴は、古代の人々の自然観をそっと映し出しているようです。
かつて三輪山は、神官や僧侶以外は足を踏み入れることのできない禁足地でした。
山そのものが神である以上、軽々しく踏み込むことは許されなかったのでしょう。
鎌倉時代になると、慶円が三輪氏の氏神であった三輪神社を拡大し、
本地垂迹説によって三輪明神と改め、三輪山平等寺を建立します。
江戸時代には平等寺の許可がなければ入山できませんでしたが、
明治以降は「入山者の心得」を守れば誰でも登れるようになりました。
それでも、山に入る前に胸の奥が少しだけ緊張するのは、
この山が今も“神の領域”であることを、どこかで感じているからかもしれません。
三輪山の周辺には、静かに佇む摂社がいくつもあります。
・高宮社:三輪山山頂に鎮座する社。
・磐座神社:大国主命と国造りを行った少彦名神を祀る、小さな磐座の神社。
少彦名神を祀る小さな社で、岩そのものが神の依り代となっている場所です。拝殿と狭井神社のあいだに小さくひっそりと立ち、古代の祭祀の名残を感じさせます。
・狭井神社:病気平癒の神として知られ、境内には湧き出る御神水があります。
手を添えるとひんやりとした水が指先を包み、まるで身体の奥まで澄んでいくような感覚がありました。三輪山への入山手続きもここで行われます。
・活日神社:杜氏の祖・高橋活日命を祀る社。
・市杵島神社:宗像三女神の一柱、市杵島姫神を祀る。
・大直禰子神社:かつて聖林寺の十一面観音像が安置されていた神宮寺。
・檜原神社:元伊勢のひとつとして知られる古社。現在の伊勢神宮に祀られている天照大神も古くはここに祀られていました。
大神神社HP: http://oomiwa.or.jp/jinja/gosaijin/
大神神社の参道は、ニの鳥居から拝殿まで一直線に伸びています。
その道を歩くと、空気が少しずつ澄んでいくような感覚がありました。

ニの鳥居から拝殿までは一直線に、この大通りを進む
途中に立つのが、しるしの杉。
“しるし”とは示現、すなわち神が姿を現したという意味で、この杉は三輪の大神が宿る木とされてきました。
近づくと、風がひときわ清らかに感じられ、自然と背筋が伸びます。

しるしの杉
しるしとは、示現のことで、三輪の大神のあらわれた杉、神の坐す杉とされてきた。
とても清々しく身を清められる。
その先には、巳の神杉があります。
大物主大神の化身とされる白蛇が棲むと伝わる杉で、樹齢は五百年ともいわれます。
根元には参拝者が供えた卵が並び、蛇神への素朴な信仰が今も息づいていることを感じました。

巳の神杉
大物主大神の化身とされる白蛇が棲むことから名付けられた。

樹齢500年とも言われる。蛇の好物の卵が参拝者によってお供えされている。
拝殿は、1664年に四代将軍・徳川家綱によって再建されたものです。
その両脇に巳の神杉が立ち、拝殿全体が大物主神の気配に包まれているようでした。

拝殿
1664年に4代将軍徳川家綱公により再建された。
拝殿の両脇に巳の神杉があります。

稲荷神社
宇迦之御魂神 。拝殿の南側の小高い場所にあります。

市杵島神社
宗像三女神の1柱、市杵島姫神を祀る。
拝殿から北への道を進むとたどり着きます。

狭井神社
病気平癒の神社。湧き出る御神水を飲むことができます。

境内から少し離れた場所に、久延彦神社があります。
久延毘古命はかかしの姿をした神で、古事記では大国主神に少名毘古那神の名を教えた知恵の神として描かれています。
そのため、ここは合格祈願の神社として知られ、境内にはふくろうを模した絵馬がたくさん奉納されていました。
神社へ向かう階段は細長く、両側を竹藪が覆っています。
人の気配が少なく、竹が風に揺れる音だけが響き、まるで時間が止まったような静けさでした。
受験期にはきっと多くの人で賑わうのでしょうが、この日はただ、竹の影が揺れるばかりでした。

三輪山の展望台からは、山麓の古墳群や巻向の地が一望できます。

三輪山にある展望台からの眺め。
撮影スポットのひとつ。
その後、三輪山から巻向(まきむく)まで、あぜ道を歩いて移動しました。
田畑の間を抜ける細い道は、古代の人々もきっと歩いたであろう素朴な風景で、
三輪の信仰と暮らしがどれほど密接だったかを、足元から感じるようでした。

三輪山から巻向まであぜ道を通り移動

巻向遺跡付近から眺める三輪山
蛇神を祀る神社は近くに円錐状の山があると言われています。
神神社から巻向駅へ向かって、線路沿いの道を北へ二〇〜三〇分ほど歩くと、
視界の奥にゆっくりと姿を現す巨大な古墳があります。
それが、箸墓古墳――日本で最初期の前方後円墳とされる場所です。
3世紀後期から4世紀初頭にかけて、巻向遺跡の一角に築かれたと考えられ、
全長278メートル、後円部の直径は約150メートル、高さは30メートル。
前方部も幅130メートル、高さ16メートルと、近づくほどにその圧倒的な存在感が迫ってきます。
しかも、近年の研究では「本来はもっと大きかった可能性がある」とも言われています。
この古墳の名の由来は、『日本書紀』に記された大物主神と倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)の伝説にあります。
姫が大物主神の正体を知ってしまい、驚きのあまり箸で陰部を突いて亡くなった――
その悲劇の物語から、この地は「箸墓」と呼ばれるようになりました。
被葬者は、第7代孝霊天皇の皇女・倭迹迹日百襲姫命と考えられています。
そしてもう一つ、この古墳を有名にしているのが、
「卑弥呼の墓ではないか」という長年の議論です。
確かに、巻向遺跡の広がりや古墳の規模は、邪馬台国の中心地を思わせるものがあります。
しかし、卑弥呼の没年は247年頃とされ、箸墓古墳の築造年代とは半世紀ほどのずれがあります。
さらに、『魏志倭人伝』に記された墓の形状は直径100メートルの円墳であり、
前方後円墳である箸墓とは一致しません。
それでも、古墳の前に立つと、
「ここに眠るのは誰なのか」
「この地で何が起きていたのか」
そんな問いが自然と胸に浮かびます。
巻向の風は静かで、田畑の向こうに三輪山がゆったりと横たわっています。
古代の人々が見ていた景色と、今の景色がほとんど変わらないのだと思うと、
時間の層がふっと薄くなるような、不思議な感覚に包まれました。

wikiの航空画像

箸墓古墳 円墳側

箸墓古墳 方墳側
「倭迹迹日百襲姫は大物主神の妻となった。でもその夫の神はいつも昼間は見えず、夜にだけやって来る。姫は「あなたはいつも夜だけにやって来るので、顔がはっきり見えません。どうか朝までいてください。その麗しく威厳のある姿を私に見せてください」と頼んだ。大神は「なるほどよく分かった。私は明日の朝、君の櫛笥入っていよう。でもその姿に驚かないでくれ」と語った。姫は不思議に思ったが、明くる朝を待って櫛笥を見ると、ちょうど衣紐ほどの大きさのとても美しい小蛇がいた。姫が驚いて叫ぶと、大神は人の形に戻り「私に恥をかかせたな。しかえししてやる。」 と言い残し、大空を駆け上がり、三輪山に登っていった。その姿を見た姫は悔いて座り込んでしまい、その拍子に箸で陰部を突いて死んでしまった。ゆえに当時の人たちはその墓を箸墓と名付けた。この墓は昼は人が造り、夜は神が造った。また大坂山から石材を手渡しで運んだ。」

箸墓古墳から北へ歩くと巻向駅に着きます。
そこから再び南へ戻り、桜井駅で談山神社行きのバスに乗り換えます。
「聖林寺前」で降り、ゆるやかな坂道を五分ほど歩くと、山の中腹にひっそりと佇む聖林寺にたどり着きました。
聖林寺は、716年に談山神社の別院として、藤原鎌足の長男・定慧(じょうえ)によって創建された寺です。
談山神社のある多武峰は、紅葉の名所として知られるだけでなく、大化の改新の談合が行われた地でもあります。
その歴史の余韻が、聖林寺の静けさにもどこか影を落としているように感じられました。
寺は小高い場所にあり、境内に入るとまず目に入るのが、子安延命地蔵の大きな石像です。
真言宗室生寺派の寺らしい、素朴で温かみのある空気が広がっていました。
観光地の喧騒とは無縁で、風の音と鳥の声だけが響く、静かな時間が流れています。
そして、この寺を特別な場所にしているのが、国宝・十一面観音像です。
十一面観音像は、もとは大神神社の神宮寺である旧大御輪寺(だいごりんじ/おおみわてら)の本尊でした。
大神氏の祖・大田田根子を祀る寺であり、観音像は長いあいだ秘仏として人々の目に触れることはありませんでした。
明治維新の廃仏毀釈によって聖林寺に移され、
その後、来日した哲学者アーネスト・フェノロサと岡倉天心によって開扉されます。
フェノロサはこの観音像を激賞し、
その言葉がきっかけとなって、十一面観音像は日本美術史の中でも特別な存在として知られるようになりました。
実際に目の前に立つと、
その静かな気品と、どこか人間離れした優しさに包まれるような感覚があります。
細やかな衣のひだ、柔らかな体の線、そして十一の表情を持つ頭部――
どれもが千年以上の時を超えて、今もなお生きているようでした。
毎年十一月には曼荼羅絵図が公開され、
観音像とともに、より深い世界観に触れることができます。
季節の移ろいとともに姿を変える聖林寺は、
訪れるたびに違う表情を見せてくれる場所なのだろうと思いました。

十一面観音像(聖林寺HPより)
聖 林寺HP: http://www.shorinji-temple.jp/about/

バスから降りた風景
右上にある建物が聖林寺

寺院

境内

晴天であれば、三輪山が遠方に見えます
時間がまだ少しあったので、聖林寺からそのまま北へ歩き、桜井駅まで戻ることにしました。
夕方の光が傾きはじめ、道の両側に広がる田畑がゆっくりと色を変えていくのを眺めながら歩いていると、帰路の途中で、どこか異国めいた雰囲気を漂わせる寺院が目に入りました。
安倍文殊院――その名を見た瞬間、足が自然とそちらへ向かっていました。
安倍文殊院は、飛鳥時代の豪族・安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)が創建した氏寺です。
645年、大化の改新の際に初の左大臣となった人物で、その政治的な重みが寺の歴史にも静かに刻まれています。
現在は華厳宗の寺院で、京都宮津の知恩寺、山形県高畠の亀岡文殊と並び、日本三文殊のひとつに数えられています。
寺は戦国時代の戦火でほぼ焼失し、現在の本堂と礼堂は1665年に再建されたものです。
安倍文殊院といえば、平安時代の陰陽師・安倍晴明が修行した場所としても知られています。
境内には晴明ゆかりの天文台跡があり、かつて彼が星を読み、吉凶を占ったという伝承が残っています。
また、遣唐使として知られる安倍仲麻呂、さらには安倍晋三首相の献灯碑まであり、
安倍氏の歴史が一つの場所に凝縮されたような不思議な空間でした。
境内を歩くと、獅子に乗った文殊菩薩と四人の脇侍からなる国宝・渡海文殊菩薩群像が迎えてくれます。
その姿はまるで海を渡って知恵をもたらす神話の一場面のようで、
静かな堂内に立つと、時代を超えた力強さと優しさが同時に伝わってきました。
さらに、縁結びの神として知られる重要文化財・白山堂、
特別史跡に指定されている西古墳、
陰陽道の秘宝を納めた金閣浮御堂など、
境内には思いがけない見どころが次々と現れます。
聖林寺の静謐さとはまた違う、
どこか“異界”の入口のような雰囲気を持つ寺院でした。
偶然の寄り道だったはずなのに、
気づけばずいぶん長い時間を過ごしていたことに驚きました。
歩いているだけの帰り道が、
思いがけず深い歴史の旅へと変わっていく――
そんな体験をくれるのが、桜井という土地の面白さなのだと思います。
安倍文殊院: http://www.abemonjuin.or.jp/about.html
神道、仏教、陰陽道がごちゃまぜになっている、今時めづらしい神仏習合のお寺だよ。

表山門
本来の表山門であるが、車による参拝者の増加でここから入る人は少ないようです。

金閣浮御堂(仲麻呂堂)
文殊池の中にある金色の六角堂
中に安倍仲麻呂像、安倍晴明像などを祀る。

稲荷社
安倍晴明の秘話にまつわる「くずは稲荷」として祭られています。

稲荷社までの鳥居
京都の伏見稲荷大社ほどの規模ではないですが、いくつかの鳥居をくぐっていきます。

安倍晴明を祀る晴明堂
高台にある占いの開祖で有名な、安倍晴明天文観測の地。

如意宝珠
この玉を撫でると魔除け方位除けの後利益が受けられるという。

白山堂
当山の鎮守である白山堂は、室町時代に建立されたもの。 北陸の白山神社の末社で、菊理姫を主神として祭り、特に縁結びの神として信仰が厚い。

弘法大師像
石仏群が安置された前には弘法大師像があり、足元の「お砂踏み石」の中には、四国八十八ヶ所の各寺院の砂が奉納されている。
華厳宗は南都六宗の一つで、鎌倉時代に真言密教の思想が取り入れられたから、弘法大師像があるのかもね。

閼加井(あかい)の古墳(通称智恵の窟)
原始的素朴な巨石を使用し加構された古墳で、羨道の中ほどに数百年の昔より涸れることなく、こんこんと涌き出ているこの泉は「知恵の水」と呼ばれ智恵のご祈祷を受けられる方々に授与されています。

合格門
松を使用して造られた門。
一足先に合格門をくぐり合格を「まつ」という意味があるそうです。
この日は雨の中の観光でいい写真が撮れなかったのが残念です。
しかし、この日の桜井市での訪問をきっかけに、うつ病の心が癒されて、何度か訪問することになるのでした。