目次
自然の多いところに行くと、気分がすっと癒されます。
毎日、呼吸と瞑想を実践してきたおかげなのか、
この頃は外を歩くこともあまり苦にならなくなってきました。
――それは、自分でも驚くほど大きな変化だったと思います。
瞑想なんて眉唾ものだと思っていたのですが、
続けていくうちに少しずつ心がほどけていき、
気づけば癒しの感覚が深まり、やみつきになるほどでした。
時間がかかっても、感覚はゆっくり戻ってくるものです。
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近江八幡は、滋賀県のほぼ中央、琵琶湖の東岸に位置する町で、豊かな自然と歴史的景観が調和した地域です。現在の町並みの基礎を築いたのは、豊臣秀吉の甥で二代目関白となった豊臣秀次で、彼が八幡山城と城下町を整備したことが近江八幡の始まりとされています 。
秀次は、琵琶湖を往来する船を城下に引き入れるために八幡堀を開削し、湖上交通と町を結びつけました。これにより、人・物・情報が集まり、城下町は大きく活性化します。この仕組みが後に全国へ商いを広げる近江商人の発展につながったといわれています 。
江戸時代に入ると、近江八幡は五個荘・日野と並ぶ「三大近江商人の町」の一つとして栄えました。町には白壁の土蔵や商家が立ち並び、現在も新町通りや永原町通り、八幡堀沿いの町並みが重要伝統的建造物群保存地区として残されています 。
また、八幡堀周辺には、近江商人が信仰した日牟禮八幡宮があり、春には左義長まつりや八幡まつりが行われ、今も城下町の伝統文化が息づいています 。
さらに近代に入ると、アメリカ人建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズがこの地に魅了され、多くの西洋建築を残しました。和洋が溶け合う独特の景観も、近江八幡の魅力の一つとなっています 。
こうした歴史的背景のもと、近江八幡は「水郷の町」としても知られ、八幡堀から西の湖へ続く水郷地帯は、2006年に重要文化的景観の第1号として選定されました 。
豊臣秀次といえば、「殺生関白」として悪名高く語られてきましたが、近年の研究では、必ずしもそのような人物像ではなく、秀頼の誕生によって立場が危うくなり、汚名を着せられて自害に追い込まれた悲運の武将であったと考えられています。秀次一族が粛清されたことを思うと、当時の権力の厳しさを感じざるを得ません。その一方で、秀次が築いた城下町は非常に優れたもので、むしろ名君と言える人物だったように思えます。
近江八幡の旧市街に足を踏み入れると、まず空気の静けさに驚かされます。
観光地特有のざわつきがほとんどなく、どこか時間の流れがゆっくりと感じられるのです。
新町通りを歩き始めると、白壁の土蔵や格子戸の商家が整然と並び、まるで江戸時代の町並みに迷い込んだような気分になります。
軒先には古い看板が残り、往時の近江商人たちがここから全国へ商いに出かけていった姿が自然と想像されます。

少し歩くと、視界の先に八幡堀が現れます。
水面は穏やかで、石垣と柳の緑が映り込み、まるで絵巻物の一場面のようです。

堀をさらに進んでいくと城下町の水郷から、琵琶湖へ向かう遊覧観光の船もでています。
秀次は宮中の舟遊びに似せて近従と共に船めぐりをしたと伝えられ、これが水郷めぐりに繋がっていったと言われています。
所要時間約80分のコースで一人
大人2,200円 小人1,100円 (税込み)

さらに足を延ばして水郷地帯へ向かうと、景色は一気に開け、田園風景が広がります。
田園の向こうには安土山や八幡山が見え、山頂の城跡を眺めていると、秀次がこの地をどれほど大切に思っていたのか、ふと考えさせられます

真正面にある山が安土山
一面田園風景で、田植えするのも大変そうです。

ここは、観光用のパンフレットにもよく載っている撮影スポットです。
ゆるやかに曲がる水路の向こうから、遊覧船がゆっくりと通り過ぎていきます。
水面に揺れる船影と、石垣に落ちる光が重なり合って、まるで絵画のような風景が広がります。
桜の季節になると、堀沿いの木々が淡いピンク色に染まり、
水面にも花びらがふわりと流れていきます。
その光景は本当に見事で、思わず立ち止まってしまうほどです。
今日は桜こそ咲いていませんが、静かな水郷の雰囲気がかえって落ち着きを与えてくれます。

西湖方面へと向かっていく観光船。

山へ向かう一本道に差しかかると、景色の空気がふっと変わります。
田んぼの広がる平地から、ゆるやかに山裾へと続く細い道。
左右には畦道と草むらが続き、風が通るたびに草の匂いがふわりと漂ってきます。
まるで宮崎駿のアニメに出てくるような、どこか懐かしくて、少しだけ非現実的な風景です。
遠くに見える山の稜線はやわらかく、空は広く、雲の影がゆっくりと田んぼの上を流れていきます。
人も車もほとんど通らないので、道の真ん中を気兼ねなく歩けます。
静けさに包まれた一本道を、ただまっすぐ山へ向かって歩いていくと、自然と気持ちが軽くなっていくのを感じます。
思わず口ずさみたくなるような風景で、気づけば「カントリーロード」を小さく歌いながら歩いていました。
歌声が風に溶けていくようで、子どもの頃の放課後に戻ったような、不思議な懐かしさが胸に広がります。

小学生の頃、こんな雰囲気の田舎に住んでいたことを思い出しながら歩きます。
山へ向かう一本道、風に揺れる草の匂い、遠くで鳴く鳥の声――どれも懐かしくて、胸の奥にしまっていた子どもの頃の感覚が少しずつよみがえってくるようです。
静かな田園風景の中に身を置いていると、呼吸が自然と深くなり、
「ああ、こういう感覚を自分はちゃんと持っていたんだ」
と、少しずつ取り戻していくような気がします。
まだ解離性障害によるブレインフォグ状態が頭にかかっていた状態だったのですが、こうした自然の中を歩くことで癒されていく実感を感じていくのでした。

水郷付近の見どころの一つは、何といっても一面に広がる葦(ヨシ/アシ)原の光景です。
風が吹くたびにざわざわと揺れ、まるで大地そのものが呼吸しているように見えます。
この静かな揺らぎを眺めていると、自然と心が落ち着いていきます。
葦は、世界の神話にもたびたび登場する不思議な植物です。
日本神話では、イザナミとイザナギの間に生まれたヒルコを乗せた葦船、
そして「葦原中国(あしはらのなかつくに)」という国名にも象徴的に使われています。
メソポタミアでは女神イナンナのシンボルとされ、
旧約聖書では赤ん坊のモーセを守ったのも葦の舟でした。
時代も地域も違うのに、葦が大切に扱われてきたのはとても興味深いです。
「葦原」という言葉には、葦がざわめく未開の地、
荒ぶる神々が潜む混沌の世界という意味もあります。
それでも同時に、葦は土壌や大地、繁栄を象徴する植物でもあり、
世界共通の“生命のシンボル”として扱われてきたのだろうと感じます。



山を少し登ると、視界が開けて、瓦屋根の家々が肩を寄せ合うように並び、どこか懐かしい昭和の面影を残す街並みが足元に広がります。
遠くから聞こえる生活音もどこか柔らかく、時間がゆっくりと流れているように感じられます。
真正面に見える大きな山が観音寺山です。
その堂々とした姿は、まるでこの地域全体を静かに見守っているかのようで、山肌の緑が陽の光を受けてやわらかく輝いています。
そして、その手前にぽこんと控えめに佇む小さな山が、かつて安土城が築かれていた安土山です。
戦国の喧騒を知る山とは思えないほど穏やかで、田園風景の中にすっと溶け込んでいます。



八幡堀から少し歩いて池田町に入ると、観光客の姿がすっと減り、地元の暮らしがそのまま残る落ち着いた通りに出ます。
古い家並みが続き、軒先には季節の花が飾られていたり、昔ながらの木戸がそのまま使われていたりして、どこか懐かしい気持ちになります。
道を歩いていると、ふと風が抜けて、家々の間をすり抜けるように音が響きます。
観光地の喧騒から離れたこの静けさは、旅の途中でほっと息をつけるような時間を与えてくれます。
池田町は信長の家臣名からきたものだそうです。
(ということは、池田恒興(つねおき)あたりでしょうか?)


池田町の一角に足を踏み入れると、近江八幡の和風の町並みとはまったく違う空気が流れています。
赤レンガの塀がまっすぐ100メートルほど続き、その奥に並ぶのは、白い外壁と大きな窓を持つ洋風住宅。
まるで日本の中に突然、小さなアメリカの街が現れたような不思議な景色です。
この住宅街をつくったのは、アメリカ出身の建築家 ウィリアム・メレル・ヴォーリズ。
1910年代、彼はキリスト教の宣教活動のために近江八幡に移り住み、仲間たちのための住居群をこの池田町に建てました。

建物はどれもアメリカ開拓時代の コロニアルスタイル。
高い煙突、白い木造の外壁、陽光をたっぷり取り込む大きな窓――どれも当時の日本では珍しいものでした。
道を歩いていると、静かな住宅街の中に、どこか異国の香りが漂います。
赤レンガの塀の向こうに見える三階建ての洋館は、かつて宣教師ウォーターハウス一家が暮らした「ウォーターハウス邸」。
現在は「ウォーターハウス記念館」として保存され、宿泊もできる特別な建物です。

その隣には、ヴォーリズの教え子であり支援者だった吉田悦蔵の邸宅、
さらに横長の二世帯住宅「ダブルハウス」など、個性的な洋館が並びます。
どれも築100年を超えていますが、今も人が暮らし、生活の温度が感じられるのが印象的です。
池田町の洋風住宅街は、観光地の喧騒から少し離れた静かな場所にあり、
歩いていると、ヴォーリズがこの地に抱いた理想や、当時の人々の暮らしがふっと想像できるような、
そんな穏やかな時間が流れています。

八幡堀から北へ視線を上げると、緑の山肌の上に、かつての城の気配が静かに漂っています。
これが、豊臣秀次が築いた 近江八幡城(八幡山城) です。
標高271mの八幡山の山頂に築かれた山城で、今は石垣だけが残っています。
ロープウェーに乗ると、わずか数分で山頂へ。
秀次は18歳でこの城に入り、八幡堀を開削し、
琵琶湖を行き交う船を城下に引き入れることで町を活性化させました。

八幡堀沿いを歩いていくと、鳥居が姿を現します。
水郷の静けさと、どこか凛とした空気が混ざり合う場所――それが 日牟禮八幡宮 です。
近江八幡という地名の由来にもなった、まさにこの町の“心臓部”のような神社です。

楼門をくぐると、境内の空気がすっと澄んで、背筋が自然と伸びるような感覚になります。
日牟禮八幡宮の歴史は驚くほど古く、
社伝では 成務天皇元年(131年) に大嶋大神を祀ったのが始まりとされています。
その後、応神天皇がこの地を訪れた際、
太陽が二つ現れる不思議な現象 があったと伝えられ、
そこから「日群之社(ひむれのやしろ)」と名付けられたといいます。
平安時代には一条天皇の勅願により、
八幡山に宇佐八幡宮を勧請して「上の社」が建てられ、
のちに山麓に「下の社」が置かれました。
現在の社殿は、この“下の社”にあたります。
今、こうして過去に何度か尋ねた近江八幡ですが、私の祖先も宇佐八幡神社神官とつながりがあるので、同じ八幡ということにひきつけられていた縁があったのかもしれません。



八幡堀のほとりに立つと、まず水面の静けさに心が吸い寄せられます。
石垣が水面に映り込み、柳の枝が風に揺れて影を落とし、
まるで江戸時代の絵巻物の中に入り込んだような気分になります。
堀沿いの道を歩いていると、堀の中でゆったりとカモが泳いでいたりします。

夏頃撮影

堀の両側には白壁の蔵や古い町家が並び、
格子戸や木の看板がそのまま残っていて、
「ここは本当に現代なのだろうか」と思うほど、
昔の日本の風景が自然に息づいています。
春には桜が咲き、花びらが水面にふわりと流れていきます。
秋には紅葉が石垣を彩り、冬には澄んだ空気の中で水面が鏡のように輝きます。
季節ごとに表情が変わるのも、八幡堀の魅力です。

3月に撮影


日が傾きはじめると、八幡堀の水面がゆっくりと橙色に染まっていきます。
石垣の影は長く伸び、柳の枝が夕風に揺れて、
その影が水面に淡く映り込む様子は、まるで古い日本画の一場面のようです。
堀沿いの白壁の蔵や町家も、夕陽を受けてほんのり赤みを帯び、
普段よりも温かい表情を見せてくれます。
観光客の姿も少なくなり、足音だけが石畳にやわらかく響きます。

だいたいここに来るときは、夕暮れどきに風景
がとてもきれいなので丸一日いました。
夏になると、夕暮れの空気が少し冷えてきた頃に、
どこからともなく ヒグラシの声 が響いてきます。
あの透明で少し切ない鳴き声が、堀の静けさと重なって、
胸の奥がじんわりと温かくなるような、不思議な癒しをくれます。
ヒグラシの声を聞いていると、
「もう少しだけここにいたい」
そんな気持ちになって、ついつい暗くなるまで居続けてしまいます。
ヒグラシがなく声が聞こえる場所もあまりなくなりましたしね。

帰りは白壁の壁の家が立ち並ぶ、近江商人の街並みを歩いて帰ります。
この街がとても気に入ったので、この近くに転職したいと思って面接を受けたのですが、落とされてしまいました~。
