目次
三回目となる愛媛企業の社長面接が終わりました。 今回は役員三名と社長一名、計四名による面接で、 一時間みっちりと向き合う形になり、さすがに疲れがどっと出ました。
とはいえ、これまで何度も面接を重ねてきたおかげか、 緊張の波にもだいぶ慣れてきていて、 自分でも「今日はうまくいった」と感じられるほど、落ち着いて話せた気がします。
一方で、京都で受けた会社は残念ながら不採用でした。 手ごたえがあっただけに、結果を見たときは少し肩の力が抜けるような気持ちになりました。
さらにもう一社、大阪の企業も受けていました。 こちらも面接中の雰囲気は悪くなく、 「これはいけるかもしれない」と思える瞬間もあったのですが、結果は不採用。
この会社はハローワークの紹介で、 なぜかサポートの方が面接に付き添ってくれるという珍しいケースでした。 (付き添いなんてあるんだな、と少し驚きました。)
サポーターの方も、
「感じよかったのになぜだめだったんだろう…」
と首をかしげていて、こちらとしても納得しきれない気持ちが残りました。
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京都市駅から
JR嵯峨野線「園田線」⇒JR山陰線「吉田駅」⇒バス「北駅」
と乗り換えながら移動。
京都市駅からJR電車+南丹市営バスで約2時間。
次の行き先を決めようと、山麓でひと息つきながらネットを眺めていると、ふと目を奪われる写真がありました。 茅葺き屋根の家々が並び、まるで昔話の世界に迷い込んだような、美しい風景が広がっている場所です。
それが、京都のほぼ中央部、山深い地域にある美山町でした。 京都というと寺社の多い市街地の印象が強いのですが、京都市から北へ向かうと、ほとんどが山地で、なぜか古民家が驚くほど多く残っています。 その理由は、戦災を受けなかったことや、山間部ゆえに開発の波が遅れたことなど、いくつかの歴史的背景があるのでしょう。
写真に映る茅葺き屋根の集落を見ているうちに、 「これは実際に見てみたい」 という気持ちが自然と湧き上がってきました。
思い立ったらすぐ行動。 さっそく美山町の宿を予約し、岐阜から京都の山奥へ向かう旅路を決めました。 岐阜城の霧の景色とはまったく違う、静かで素朴な風景が待っていると思うと、胸が少し高鳴ります。

美山町に足を踏み入れると、まるで江戸時代に迷い込んだかのような静けさが広がっていました。 茅葺き屋根の家々が並び、ゆるやかな山の稜線と溶け合うように佇む風景は、日本昔話の一場面をそのまま切り取ったようです。 川のせせらぎや薪の匂いまでが、どこか懐かしく、心をゆっくりとほどいてくれます。
思えば、小学生の頃から、河合商会が出していた水車小屋や農家のプラモデルを作るのが好きでした。 あの頃から、こういう茅葺きの家や水車のある風景に惹かれていたのだと思います。 子どもなのに、すでに“古い日本の風景”に心を寄せていたのだから、ある意味では早くも老化が始まっていたのかもしれません。
いや、それか、祖先が農耕系氏神でもあるので、その遺伝子的なものかもとふと思うのでした。


茅葺き屋根の家々は、ただ古いだけではなく、今も人が暮らし、煙が立ちのぼり、生活の気配が静かに息づいています。 山の匂い、川の音、ゆっくりと流れる時間――どれもが、子どもの頃にプラモデルの箱絵を眺めながら思い描いていた情景と重なり、胸の奥がじんわりと温かくなりました。
美山の集落に足を踏み入れると、まず目に飛び込んでくるのは、深い山々に抱かれるように並ぶ茅葺き屋根の家々です。 屋根は分厚く、草の一本一本が陽の光を吸い込み、柔らかく鈍い光を返しています。 その姿は、ただ古いだけではなく、長い年月を耐え抜いてきた“生きた建物”のように感じられます。

“いつか行ってみたい”とぼんやり思っていた場所に、ようやくたどり着いたような感覚があります。
美山は、懐かしさと静けさが同時に押し寄せてくる、不思議なほど心に馴染む場所でした。

ちょうど秋の季節で、野にはススキの穂が一面に揺れていました。 黄金色の穂が風にそよぎ、その柔らかな光が茅葺き屋根の古い民家の色と見事に調和しています。 その風景は、どこか寂しさを帯びながらも、胸の奥に静かな古き日本の温もりを呼び起こすような、深い郷愁を感じさせてくれます。


歩いていると、ふと胸の奥がきゅっと締めつけられるような、 懐かしいのに初めて見る風景――そんな不思議な感覚が広がります。 秋の美山は、ただ美しいだけではなく、 心の奥に眠っていた記憶や感情をそっと呼び覚ましてくれます。

川を挟んだところからの集落の眺め。
茅葺き屋根のくすんだ茶色と、秋の陽に照らされたススキの淡い輝き。 その対比が、まるで時間がゆっくりと沈んでいく夕暮れのような情緒を生み出しています。 人の気配は少なく、風の音と川のせせらぎだけが響き、 “昔の日本”がそのまま息づいているような静けさがありました。
観光地の喧騒とは無縁で、時間がゆっくりと流れているような静けさがあります。 人の声よりも、風の音や川のせせらぎのほうが大きく、 “昔の日本”がそのまま残っているというより、 “今もここで生き続けている”という実感が湧いてきます。

観光パンフレットでもよく見かける撮影場所から撮影。


集落の中を歩く。
家の軒先には、昭和のときによく見た干し柿やだいこんが整然と積まれ、
どの家も“暮らしの時間”がそのまま外に滲み出ているようでした。

どこからか薪の匂いが漂い、 川のせせらぎが静かに響き、 人の姿は少なく、時間がゆっくりと流れている。こうした風景が重なると、 「むかしむかし、あるところに――」 という語り出しが自然と頭に浮かんできます。





集落から少し外れた細い道を歩いていくと、急に人の気配が途切れ、 木々が鬱蒼と茂る一角に、ひっそりと神社が佇んでいました。
鳥居は色あせ、苔がびっしりと張りつき、 境内には落ち葉が積もり、誰も通らなくなって久しいことが一目で分かります。 社殿の板壁はところどころ剥がれ、 風が吹くたびに“ギィ…”と古い木が軋む音が響き、 まるで廃墟のような雰囲気を漂わせていました。
その空気は、美山の温かい茅葺き集落とはまったく別の世界で、 一歩足を踏み入れた瞬間、 まるで八墓村のような、不気味な世界に迷い込んだような感覚に包まれます。

光が届きにくい場所で、 木々の影が社殿に複雑な模様を落とし、 風の音さえどこかざわざわと不穏に聞こえる。 そんな“異界の入口”のような雰囲気がありました。
けれど、こういう風景もどこか惹かれるものがあります。

集落を離れ、川に沿って南へと数キロ歩いていくと、 周囲の空気がさらに澄み、山の静けさが深まっていくのを感じます。
川は驚くほど透明で、エメラルドグリーンの色をしています。 水底の石までくっきりと見えるほど澄んでいて、 その上を、冷たい水がゆるやかに流れていきます。 光が差し込むと、水面がきらきらと揺れ、 まるで宝石のような輝きを放っていました。
川沿いの木々はちょうど紅葉の盛りで、 真っ赤なモミジが枝いっぱいに広がっています。 その紅葉が水面に映り込み、 エメラルドグリーンの川と鮮やかな赤が混ざり合い、 自然がつくり出すとは思えないほど美しい色彩を生み出していました。


川沿いの道をさらに南へ進んでいくと、 やがて視界の先に、山の斜面が大きくえぐれたような場所が現れました。 そこだけ木々が途切れ、岩肌がむき出しになった壮大な崖がそびえ立っています。
陽の光を受けて白く輝く岩壁は、まるで山の内部がそのまま露出したようで、 自然の力強さを目の前に突きつけられるような迫力がありました。
写真では分かりにくいのですが、 その崖のあちこちで、多くの野生の猿たちが戯れていました。 岩を器用に登ったり、枝から枝へ飛び移ったり、 子猿がじゃれ合う姿も見えて、まるで山全体が彼らの遊び場のようです。

夕暮れが近づくと、茅葺き屋根の家々がゆっくりと橙色に染まり始めます。 山の稜線が長く影を落とし、集落全体が柔らかい光に包まれていくその瞬間は、 まるで時間が静かに息をひそめたような、特別な美しさがあります。
茅葺き屋根の表面に夕陽が当たると、 草の一本一本が金色に輝き、 古い家々がまるで温かい灯りを内側から灯しているかのように見えます。 秋の空気は澄んでいて、光の色がより深く、より優しく感じられました。
本来なら、写真にもその橙色の美しさが写り込むはずなのですが、 なぜか撮った画像は青みがかってしまい、 実際の光景とはまったく違う色合いになっていました。
カメラの性能なのか、夕暮れの微妙な光の揺らぎなのか―― あの“肉眼でしか見えない色”が写らなかったことに、 少しだけ惜しさを感じます。


画像では明るく見えますが、
もうかなり暗くなっており、電灯もあちこちにつき始めました。

茅葺き屋根の家々の間に立つ電灯は、
強い光ではなく、どこか懐かしい橙色の灯りで、
その光が道の上に柔らかい輪をつくっています。
夕暮れの残光と電灯の灯りが混ざり合い、
集落全体が薄い金色の膜に包まれたような、不思議な静けさが漂っていました。

肉眼では、茅葺き屋根の影が濃く沈み、
山の稜線もほとんど黒く溶け込んで見えるほどの暗さなのに、
カメラに映ると、なぜか青みがかった明るい写真になってしまう。

数分すると周辺は真っ暗に。
街灯もほとんどないので、深い闇に覆われます。

本当に何も見えなくなるほど、あたりが真っ暗になるとは予想もしていませんでした。 夕暮れの柔らかい光が消えると、山あいの集落は一気に闇に沈み、 電灯の灯りも届かない場所では、足元さえ判別できないほどの暗さになります。
宿まではわずか一キロほどの道のりなのですが、 その距離がいつもよりずっと長く感じられました。 携帯のライトを頼りに、とぼとぼと歩きながら、 光の輪の外側に広がる濃い闇が、まるで別の世界のように思えてきます。

宿は、おしゃれで現代的なところで、ぜいたくにも花弁の入った大浴場でのんびりと湯舟に浸かり疲れを癒しました。
翌日は小雨が降り、山々には薄い霧がかかっていました。 昨日とはまったく違う表情の美山が広がり、 茅葺き屋根も、ススキの穂も、川の流れさえも、 雨に濡れてしっとりと落ち着いた色合いを見せています。
この周辺には大きな観光スポットがあるわけでもなく、 バスが来るまでの時間をどう過ごすか少し迷いましたが、 結局、昨日と同じ道をゆっくりと周回することにしました。 同じ場所でも、天気が変わるだけでまったく違う風景に見えるのが、 山里の面白さでもあります。
傘を差しながら歩く道は、 雨粒が傘を叩く音と、しっとりと濡れた土の匂いが混ざり合い、 どこか“詫びさび”を感じさせる静けさに包まれていました。

霧が山の斜面をゆっくりと流れ、 茅葺き屋根の上に薄く降り積もるように漂っています。 その様子は、まるで集落全体が深い眠りに落ちているかのようで、 昨日の明るい秋景色とはまた違う、 静謐で奥ゆかしい美しさがありました。














川のエメラルドグリーンも、 雨に濡れると少し色を落とし、 水面に映る紅葉が淡く滲んで見えます。 そのぼんやりとした色合いが、 逆に心を落ち着かせてくれるようでした。
雨の美山は、華やかさはないものの、
しっとりとした情緒が深く沁み込むような、
静かな魅力に満ちていました。



