龍神の記憶と目覚め  旅行記録24: 京都 ~貴船神社・鞍馬寺探訪~ | 龍神の記憶と目覚め 

旅行記録24: 京都 ~貴船神社・鞍馬寺探訪~

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12月も過ぎた頃、ついに農業関係の会社から合格採用の電話がありました。 「やれやれ」と胸をなでおろす一方で、これで本当に関西ともお別れなのだと実感しました。

引越しの準備はすでに終わっていたので、あとは新しい住まいを決めるだけです。 それまでは、せっかく時間があるのだからと、思いきり旅行をすることにしました。

長かった面接の緊張から解放され、 次の土地へ向かう前の“空白の時間”を旅で満たしていく―― そんな、少し寂しくも自由な日々の始まりでした。

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貴船神社・鞍馬寺へのアクセス

京都駅から京都市内の北にある叡山鉄道「出町柳駅まで電車を乗り継いで移動。
「出町柳駅」から「蛍ゲ駅」で鞍馬線に乗り換えて「貴船口駅」で下車。

https://kifunejinja.jp


貴船神社までの道のり

ワンマン電車が急こう配の山道をゆっくりと登っていく様子は、どこか懐かしさを感じさせ、心に静かな旅情を呼び起こします。 「貴船口駅」から貴船神社までは距離があり、駅を降りてからさらに山道を30分ほど歩いて向かうことになります。歩くにつれて、川のせせらぎや木々の匂いが濃くなり、日常から離れていく感覚が深まっていきます。

貴船神社は、鴨川の水源を守る水神様をお祀りする古社であり、古くから水の恵みを司る神として信仰されてきました。また、和泉式部の恋の逸話にちなみ、縁結びの神としても広く知られています。

一方で、貴船神社は「丑の刻参り」の伝承でも名を知られています。藁人形を使った呪詛の儀式として語られますが、これはあくまで民間伝承が独り歩きしたもので、神社が推奨しているものではありません。それでも、深い山に囲まれた貴船の静けさや、夜の闇に浮かぶ灯籠の赤い光が、昔の人々の想像力を刺激したのだろうと感じさせます。


蛍岩

貴船駅から少し歩くと右手に「蛍岩」という案内板が現れます。
「蛍岩」は、平安時代に和泉式部が貴船神社へ参詣し、恋の成就を祈った際に歌を詠んだ場所として伝えられています。 その折に和泉式部が詠んだとされる歌が、

「もの思へば 沢の蛍も わが身より あくがれ出づる 魂かとぞ見る」

という有名な和歌です。

恋の悩みに沈む心を、蛍の光に重ね合わせ、 まるで自分の魂が身体から離れて彷徨い出ていくかのようだ―― そんな切実な想いが込められています。

この歌が詠まれたのは、まさに貴船神社の近辺であると伝えられており、 「蛍岩」はその伝承を今に伝える静かな場所として知られています。 川のせせらぎと薄暗い木立の中に蛍が舞う光景は、 和泉式部が抱いた想いの深さを想像させ、 訪れる人の心にも静かに染み入ります。

貴船神社までは、奥深い山林地帯の中を、まるで森林浴を楽しむように歩いていくことになります。 道の両側には高くそびえる杉の木々が立ち並び、そのまっすぐに伸びた幹と、空を覆うように広がる枝葉の迫力に思わず圧倒されます。

歩みを進めるたびに、木々の香りが濃くなり、ひんやりとした山の空気が肌に触れ、 マイナスイオンを実感します。 川のせせらぎや鳥の声が静かに響き、 まるで自然そのものが参道となって、貴船神社へと導いてくれているようです。

下流では、鴨川の源流となる貴船川に沿って続く道を、せせらぎの音を聞きながらずっと歩いていきます。 川面に光が揺れ、湿った山の空気が肌に触れるたびに、ここが“京都の奥座敷”であることを実感します。

歩きながらふと、昔の人々は丑の刻参りのために、この道を真夜中に歩いていたのだろうかと想像してしまいます。 街灯もない時代、深い山の闇の中を進むのは、相当な勇気が必要だったはずです。 ましてや、呪いの願いを胸に抱えながら、ただひたすらに貴船を目指す―― その強い執念がなければ、とても来られなかったであろうと思うと、背筋がひやりとします。ぶるぶる。


貴船神社

民家が見えてくるあたりまで歩くと、ようやく貴船神社に到着します。 山道を抜けて人の暮らしの気配が戻ってくる瞬間は、どこかほっとするものがあります。

訪れたのが平日だったためか、境内には人があまりおらず、静かな雰囲気が漂っていました。 貴船神社は観光地として知られていますが、時期や時間帯によっては驚くほど人が少ないこともあります。 特に平日の午前中や夕方は、こうした落ち着いた空気に包まれることが多いようです。

おなじみの撮影スポットの参道。
「いつもこんな感じなのだろうか」と思うほどの静けさで、 山の神域らしい厳かな空気をより強く感じられる時間でした。

貴船神社の社殿は、本宮・結社(中宮)・奥宮の三箇所に分かれて建てられています。 現在の本宮に本殿が置かれていますが、もともとは奥宮こそが古来の本殿であったと伝えられています。 しかし、度重なる川の氾濫によって社殿が被害を受けたため、より安全な場所である現在の本宮に本殿が移されたとされています。

奥宮は、古くから“貴船神社の原点”とされる神域であり、 その静けさと独特の雰囲気から、丑の刻参りの伝承が結びついた場所としても知られています。 いわゆる「藁人形」のイメージが語られるのも、この奥宮周辺にまつわる伝承が背景にあります。

ただし、これはあくまで民間伝承が広まったものであり、 神社が推奨しているものではありません。

貴船神社の本殿(横)には神馬の像が置かれており、水神を祀る社らしい厳かな雰囲気を漂わせています。 本宮では、水神である 高龗神(たかおかみのかみ) を祭神としており、古代には「祈雨八十五座」の一座に数えられるなど、雨乞い・止雨の神として深く信仰されてきました

本殿と拝殿は比較的新しく、2007年に改築されたばかりで、木の香りが残る清々しい佇まいを見せています。 古社でありながら、建物は整えられ、清浄な空気が満ちているのが印象的です。

高龗神について

高龗神が登場する記紀の場面は、イザナミが火の神・迦具土神を産んで亡くなり、怒りに燃えたイザナギが迦具土を斬った直後の描写にあります。『古事記』では、剣についた血が滴り落ちて多くの神々が生まれ、その中に水を司る高龗神と闇龗神が現れます。原文には「其の御刀の本に付ける血の垂りて成れる神の名は、高龗神」と記され、火の神の死から水の神が生まれるという象徴的な構図が示されています。一方『日本書紀』では誕生譚は簡潔に扱われ、代わりに高龗神が祈雨・止雨の祭祀において重要な役割を果たす神として描かれます。雨が降らないときには高龗神に祈り、大雨の際には鎮めを願うなど、国家的な祭祀の対象となっていました。こうした記紀の描写は、貴船神社が古代から祈雨の中心として信仰されてきた背景と深く結びつき、山の水源に鎮座する現在の姿と重なり合って見えてきます。

桂(ご神木)

この根元からいくつもの枝が天へ向かって力強く伸びている木は、桂の木です。 樹齢は約四百年、幹周りは四・六メートル、高さは三十メートルにも達し、貴船の森の中でもひときわ存在感を放っています。

その姿は、まるで大地から御神気が龍のように勢いよく立ち昇っていく様子を思わせることから、 貴船神社の御神徳を象徴する御神木として古くから崇められてきました。 幾重にも分かれた枝が空へ向かって伸びる姿には、生命力と神聖さが宿り、 訪れる人々に静かな畏敬の念を抱かせます。

長い年月を生き抜いてきた桂の木は、 水神・高龗神の神域にふさわしい清らかな気配をまとい、 貴船の森そのものが持つ霊性を象徴する存在となっています。

水占おみくじ

貴船神社で特に人気を集めているのが「水占おみくじ」です。 ここのおみくじは、最初は文字がまったく見えない真っ白な紙の中から一枚を選び、境内に湧き出る霊泉にそっと浮かべることで、はじめて吉凶が現れる仕組みになっています。

水に触れた瞬間、紙の上に文字がじわりと浮かび上がってくる様子はとても神秘的で、 まさに “水の神を祀る貴船ならではのおみくじ” といえます。 また、ここでは「大凶」が出ることもあるとされ、運勢をより真剣に受け止める人も多いようです。

霊泉の清らかな水に紙を浮かべ、ゆっくりと文字が姿を現すその時間は、 貴船の静けさと水神の気配を感じられる特別な体験となっています。

神社奥

訪れたのは十二月に入った頃で、境内の紅葉はすでに散り始めていました。
鮮やかな色づきのピークは過ぎていたものの、地面には落葉が一面に広がり、
赤や黄色の葉が敷き詰められた景色は、晩秋ならではの静かな美しさを感じさせます。

藁人形がどこかにないかと周囲を注視しながら歩いてみましたが、結局のところ何も見つかりませんでした。 参拝そのものよりも、ついそちらのほうが気になってしまうのは、怖いもの好きの性分ゆえでしょうか。 あの静まり返った奥宮の空気の中で、もし本当に藁人形を見つけてしまったら――と思うと、背筋がぞくりとする一方で、どこかたまらない魅力を感じてしまいます。

貴船の深い森と、古くから伝わる丑の刻参りの伝承が重なることで、 “何かがあってもおかしくない”ような気配が漂い、 その緊張感がまた、歩く足をわずかに速めてくれます。

おもひ川

奥宮の近くを流れるこの小川は、「おもひ川」と呼ばれています。 澄んだ水が静かに流れ、周囲の木々の影を揺らしながら奥宮へと続いていくその姿には、どこか古い物語の気配が漂っています。

「おもひ川」という名は、古くから人々の“思い”や“願い”がこの川に託されてきたことに由来するとされ、 貴船の神域の中でも特に静謐で、心が落ち着く場所です。 水面に映る光や、川のせせらぎが耳に届くたびに、 訪れる人の心の奥にある思いや祈りが、そっと浮かび上がってくるような気がします。

「思ひ川」と呼ばれるこの谷川には、和泉式部の物語と古い信仰が重なり合っています。 夫の愛を取り戻そうと深く思い悩んでいた和泉式部は、貴布禰詣でを思い立ち、この地を訪れたと伝えられています。 当時は奥宮こそが本社であり、参拝者はまずこの谷川で手を洗い、口をすすぎ、身を清めてから参拝したといわれています。

つまり、この谷は 禊(みそぎ)の川、物忌(ものいみ)の川 として古くから神聖視されていた場所なのです。 和泉式部もまた、この川で身を清め、胸に抱えた切なる思いを神に託して恋の成就を祈ったのでしょう。

もともとは「おものいみ川」と呼ばれていたこの川が、 和泉式部の恋の物語と結びついたことで、 いつしか人々の間で 「思ひ川」 と呼ばれるようになりました。

静かに流れる水の音に耳を澄ませていると、 千年前の和泉式部の想いが、今も川面にそっと漂っているように感じられます。

遅桜なほもたづねて奥宮
思ひ川渡ればまたも花の雨
虚子

つつみヶ岩

結社と奥宮のちょうど中間あたり、山側に位置するのが「つつみヶ岩」です。 高さ四・五メートル、重さ四十三トンにも及ぶ巨岩で、庭石としても非常に評価が高いことで知られています。 山道の途中に突然現れるその姿は、まるで山の気配が凝縮されたような迫力があります。

この周辺は、マグマが急冷して固まった岩石で形成された地質帯で、 緑がかった石や紫色を帯びた独特な色合いの岩が多く見られます。 つつみヶ岩もまた、この地質が生み出した自然の造形美のひとつであり、 長い年月を経て今の姿を保っていることに、どこか神秘的な力を感じさせます。

杉木立の中の奥宮

杉木立に囲まれた奥宮は、貴船の中でもひときわ静けさが深まる場所です。 まっすぐに伸びた杉の幹が参道の両側に立ち並び、光をやわらかく遮ることで、境内には独特の薄明かりが漂っています。 風が吹くたびに杉の葉がかすかに揺れ、その音が奥宮の静寂をいっそう際立たせていました。

山の奥へと進むにつれ、空気がひんやりと澄み、 “ここから先は神の領域なのだ”と自然に感じさせるような、張りつめた気配が満ちています。 本宮とはまた違う、古い神域の重みと静謐さが、杉木立の間からゆっくりと滲み出てくるようでした。

船型石

奥宮本殿の西側には、船の形をした「舟形岩」があります。 由来書によると、神武天皇の母神である玉依姫が、浪速の地から水源を求めて黄色い船に乗り、鴨川をさかのぼってこの地にたどり着いたと伝えられています。 その際、姫が乗ってきた船を人目に触れないよう、小石を積み上げて覆い隠したものが、この舟形岩であるとされています。

岩の形は確かに船を思わせ、長い年月を経てもなお、当時の伝承を静かに語り続けているように見えます。 奥宮の静寂と相まって、玉依姫が水源を求めて旅した物語が、現実と重なり合う瞬間がありました。

鉄輪伝説

奥宮の近くには、鉄輪伝説の地であることを示す表札が立てられていました。 鉄輪伝説とは、能の題目として知られる物語で、丑の刻参りを行った宇治の橋姫が登場する有名な話です。 その名を目にすると、どうしても周囲に何か痕跡が残っていないかと気になってしまいますが、見渡した限りでは御神木に釘跡のようなものはまったく見られませんでした。

下京に住む男が後妻を迎えたことを妬み、先妻は後妻に対しての呪いを考え、貴船に参詣し、「赤い布を裁ち切り身にまとい、顔には朱を塗り、頭には鉄輪を乗せ、ロウソクを灯せば鬼となる」と橋姫伝説と同じような神のお告げを受けます。一方の下京の男は先妻の鬼と化した悪夢に悩まされ、安倍晴明の元を訪ねます。晴明は人形(かたしろ)をもって祈祷を続け、鉄輪の女と対決し、やがて晴明の呪術が勝り、鬼は消え失せる。


川魚料理で昼食

貴船神社を後にして少し山を下り、鞍馬寺へ向かう途中には、いくつかのお食事処が並んでいます。
このあたりは水がとてもきれいなことで知られており、そのため川魚料理がおいしいと評判です。 せっかくなので、私も川魚料理をいただいてきました。

清流で育った魚は身が締まり、香ばしく焼かれた皮の風味も格別で、 貴船の澄んだ空気と相まって、まさに“山の恵み”を味わうひとときでした。 参拝の余韻を抱えながらいただく川魚は、旅の流れの中で自然と心を落ち着かせてくれるようでした。

食事を済ませたあとは、少し下って鞍馬寺へ。


鞍馬寺

貴船神社から来た道をそのまま貴船口駅の方向へ進んでいくと、途中に鞍馬寺へ続く裏口のような入り口がありました。 せっかくなので、ここから鞍馬寺を目指してみることにしました。

表参道とは違い、ひっそりとした山道にぽつんと現れるその入り口は、どこか秘密めいた雰囲気があり、 “ここから先は別の物語が始まる”ような気配が漂っています。 貴船の静けさから、鞍馬の山へと足を踏み入れる瞬間は、旅の流れが切り替わるようで、 少しだけ胸が高鳴りました。

鞍馬山といえば、源義経が幼い頃――牛若丸の時代に、鞍馬天狗から剣術や兵法を授かったという伝説で広く知られています。 標高五百八十四メートルの霊山ではありますが、すでに電車でかなりの高さまで登ってきているため、鞍馬寺まではそれほど大変ではないだろうと思っていました。

ところが、裏口から進み始めた途端、いきなり急斜面の登りが続き、思わず足が止まりました。 “これは天狗に鍛えられる前の牛若丸でもきつかったのでは…”と感じるほどの勾配で、 伝説の舞台にふさわしい試練のようにも思えてきます。

貴船の静けさから一転、鞍馬の山道はどこか厳しさを帯び、 物語の世界へ足を踏み入れたような感覚がありました。

道の脇に、何かのお地蔵さまらしきものがひっそりと佇んでいました。
由来も役割もよく分からないのですが、こうした説明のない存在に出会うと、つい心を惹かれてしまいます。
誰がいつ置いたのか、どんな願いが込められているのか――想像が広がる感じがたまりません。

この頃には、岐阜城をはじめ、あちこちの山道を登って体を慣らしていたこともあり、こうした道でもそれほど辛いとは感じなくなっていました。 少しずつ体力がついてきたのか、急斜面でも息が上がりにくくなり、 “ああ、自分の足でちゃんと山を歩けるようになってきたな”という実感がありました。

旅を重ねるうちに、風景だけでなく身体の感覚まで変わっていくのが分かると、 それもまた旅の楽しさのひとつだと感じます。

緑色岩(ハイアロクラスタイト)とは、マグマが水中で急激に冷やされることで生じた、細かな砕屑粒子を主体とする岩石なのだそうです。 貴船周辺で見られる緑がかった石や紫色を帯びた独特な岩も、この急冷作用によって生まれたものと考えられています。

こうした地質の特徴を知ると、 “なぜこの山には不思議な色の石が多いのか” “どうして巨岩が独特の形をしているのか” といったことが、自然の営みとしてすっと腑に落ちてきます。

登っていくと、山道のあちこちに小さなお堂のような建物が見られます。 どれも静かに佇んでいて、誰がいつ建てたのか分からないまま、 ただ山の空気とともにそこに存在している――そんな雰囲気がありました。

不動堂

このお堂は「不動堂」といい、中には伝教大師・最澄が自ら刻んだと伝えられる不動明王像が安置されているそうです。 山道の途中にひっそりと佇む小さなお堂ですが、由来を知るとその存在感がぐっと増し、 鞍馬山が古くから霊山として信仰されてきた理由が自然と伝わってきます。

最澄が刻んだとされる不動明王像が、この静かな山中で千年以上も守られてきたと思うと、 お堂の前に立つだけで背筋がすっと伸びるような気配がありました。

木の根道

道は次第に木の根が地表に張り出し、足の踏み場が分からないほど根っこで覆われて歩きにくくなっていきます。 この道は「木の根道」と呼ばれ、鞍馬山を象徴する景観のひとつです。

なぜこんな道になっているのかというと、地中の地盤がマグマによって硬化しており、木の根が地下へ伸びることができなかったためだそうです。 そのため、根が地表に張り巡らされ、まるで生き物のようにうねりながら道を覆っているのです。 義経もこの木の根道で修行したと伝えられており、確かに“鍛えられそうな道”ではあります。

しかし、実際に歩いてみると、木の根がうじゃうじゃと絡み合っていて、どこか蛇がのたうっているようにも見えてしまい、正直ちょっと気持ち悪い。 蛇神の血筋なのに、蛇はどうにも苦手なのです。

僧正ヶ谷

このあたり一帯は「僧正ヶ谷」と呼ばれ、源義経が修行していた場所と伝えられています。 山の空気がひんやりと澄み、どこか張りつめたような静けさが漂っており、 義経が幼い身でここに立ち、剣術や兵法の鍛錬に励んでいた姿がふっと想像されました。

鞍馬山の深い谷間に響く風の音や、木々のざわめきが、 まるで当時の修行の気配を今もかすかに残しているかのようです。

義経堂

奥州・平泉で非業の最期を遂げた義経の魂は、死後に再び鞍馬山へ戻ってきたと伝えられています。
そのため、ここでは義経を「遮那王尊」としてお祀りしているそうです。

幼い頃に修行を積んだ鞍馬山へ、魂が帰ってきたという伝承には、どこか切なくも温かい響きがあります。 山の静けさの中に立っていると、義経がこの地に深く結びついていたことが自然と感じられました。

なかなか、ここはよい足腰の運動になりますわい。 そんなことを思いながら、ぴょんぴょんと牛若丸のように跳ねるような気分で歩いていきました。

急斜面や木の根道が続く鞍馬山ですが、身体が慣れてきたこともあって、 どこか修行というより遊びに近い感覚で進める瞬間もあります。 義経が幼い頃にここを駆け回っていたという伝承を思い出すと、 つい自分も軽やかに動きたくなってしまうのです。

霊宝殿

頂上付近まで登ってくると、急に視界が開け、山の向こうまで見渡せるようになりました。 眼下に見える建物は、鞍馬山博物館である「霊宝殿」です。

霊宝殿は三層構造になっており、 一階は自然科学博物苑展示室で、鞍馬山の地質や動植物について学べるようになっています。 二階には寺宝展観室と、与謝野寛・晶子の記念室が設けられており、文学と寺の歴史が交差する空間になっています。 三階は仏像奉安室で、鞍馬寺ゆかりの仏像が安置され、静かな気配に満ちているそうです。

山頂近くの澄んだ空気の中でこうした建物を見下ろすと、 鞍馬山が“自然・歴史・信仰”のすべてを抱えた場所であることが改めて感じられました。

冬柏亭

なぜか、こんな山の中に与謝野晶子の書斎「冬柏亭」が建っています。 調べてみると、先代の管長さんが与謝野晶子と深い縁があったらしく、その関係からこの建物が移築されたのだそうです。

鞍馬山の霊気漂う風景の中に、文学者の書斎がひっそりと佇んでいるという取り合わせはどこか不思議で、 まるで山の物語に晶子の言葉がそっと溶け込んでいるようにも感じられました。

鐘楼

頂上付近まで登っていくと、静かな木立の中にひと際変わった鐘楼が姿を現します。
鞍馬山の鐘楼には特別な固有名はなく、寺では単に「鐘楼」と呼ばれているようです。
山の澄んだ空気の中に佇むその姿はどこか厳かで、長い年月を経ても変わらず山を見守ってきた存在感があります。

本堂金堂

ここからは下り坂になり、そのまま進むと「本殿金堂」に到達します。 赤と白を基調とした建物で、一般的なお寺とは少し雰囲気が異なる、不思議な佇まいをしています。

この本殿金堂に祀られている本尊は「尊天」と呼ばれ、 「千手観世音菩薩」「毘沙門天王」「護法魔王尊」の三身を一体とした存在だそうです。 尊天は森羅万象あらゆるものの根源であり、宇宙エネルギーそのもの、そして真理そのものを表すとされています。

鞍馬寺が他の寺院とは異なる独特の雰囲気を持つのは、 こうした“宇宙観”に基づく信仰が背景にあるからなのだと、建物を前にすると自然と納得できる気がしました。

ふと目に入ったこの像は、狛犬なのかどうなのか判然としません。 形も雰囲気も、一般的な神社の狛犬とはどこか違っていて、 このあたりに来ると「やはり普通のお寺とは雰囲気が違うな」と感じ始めます。

鞍馬寺独特の世界観が、建物や像の細部にまで滲み出ていて、 境内を歩くほどに“別の宗教観の場所に来た”という実感が強まっていきました。

翔雲台

「本殿金堂」の前広場の南端には「翔雲台」と呼ばれる場所があります。 ここは、平安京の擁護と人々の幸福を祈るために、本尊が降臨したと伝えられる特別な地点です。

翔雲台から前方を望むと、遠くに比叡山の姿がはっきりと見えます。 鞍馬山と比叡山という二つの霊山が向かい合うように位置しているのを目にすると、 この地が古くから“都を守るための聖域”として重んじられてきた理由が自然と感じられました。

帰り道は本道を通って下っていきます。 参道には、どこか貴船神社を思わせるような多宝塔風の建物がいくつも続き、 行きとはまた違った雰囲気を味わいながら歩くことができます。

赤い柱と独特の屋根が連なる景色は、寺というよりも山全体が一つの聖域になっているようで、 鞍馬山ならではの世界観が最後まで続いていくのを感じました。

双福苑

このあたりは、『枕草子』で清少納言が 「近うて遠きもの 鞍馬の九十九折の道」 と記した参道にあたります。 実際に歩いてみると、都人が“近いのに遠い”と感じた理由がよく分かるほど、折れ曲がった道が続いています。

この周辺一帯は「双福苑」と呼ばれ、天に向かってそびえる「玉杉大黒天」をはじめ、 福徳の神である「玉杉大黒天」と「玉杉恵比寿尊」の祠が祀られています。 山の静けさの中に、どこか柔らかい福の気配が漂っていて、 鞍馬山の厳しさとはまた違う、ほっとするような空間になっていました。

由岐神社

この社は、940年の天慶の乱の際に鞍馬寺へ遷宮され、北方鎮護の役目を仰せつかった鎮守社だと伝えられています。 鞍馬の火祭は、そのとき里人たちがかがり火を掲げて神霊を迎えたことに由来するといわれています。

静かな山中に立ちながら、かつてこの地で燃え上がった炎の列や、 神霊を迎えようとする人々の祈りの気配を思い浮かべると、 鞍馬の火祭が単なる行事ではなく、歴史と信仰が重なり合った深い意味を持つ祭りであることが感じられました。

裏道から登ってきたときは、ずっと「お寺」だと思い込んで歩いていました。 ところが進むにつれて鳥居や神社の社殿が現れ、「あれ、ここは鞍馬神社?」と思うようになってきます。

仁王門

仁王門は明治44年に再建され、その後、昭和35年(1960年)に移築修理が行われたものです。 門内に安置されている仁王像は、運慶の子である湛慶の作と伝えられています。

山の入口に堂々と構えるこの門は、鞍馬山へ入る者を静かに迎えつつ、 長い歴史の重みと、湛慶の力強い作風が今も息づいているように感じられました。

ここまで来て、ふと
「神社じゃなく、やっぱり寺だよなあ……」
と首をかしげた一瞬でした。

あとで調べてみると、鞍馬寺は奈良時代、鑑真和上の弟子である鑑禎(がんてい)上人が770年にこの地へ草庵を結び、毘沙門天を安置したことが始まりだそうです。 その後、開山を経て宗派も変遷し、真言宗、天台宗を経て、第二次世界大戦後には新興宗教である鞍馬弘教(くらまこうきょう)へと宗派を改めています。

今では珍しくなったものの、ここには神仏習合の古い形が色濃く残っており、 桜井市の安倍文殊院にも通じるような、道教的な要素を含め“良いものは取り入れる”という柔軟な宗教観が感じられます。 鞍馬山全体が、さまざまな信仰が重なり合ってできた独特の世界観を保っているのだと実感しました。


鞍馬山温泉

麓に着いたのは午後4時頃でした。 近くに「くらま温泉」があったので、そこでゆっくりと温泉に浸かってきました。

山道を歩き続けた身体がじわじわとほぐれていき、 鞍馬山の独特な空気に包まれた一日の締めくくりとして、 湯の温かさがなんとも言えない心地よさでした。

帰り道はちょうど夕暮れ時でした。 山を下りていくと、京都の街中にあるような民家が並び始め、 旅の終わりを告げるように日常の風景が戻ってきます。

家々の窓からこぼれるオレンジ色の明かりが、 どこか懐かしく、温かさを感じさせてくれました。 鞍馬山の静けさから一転して、人の暮らしの気配が漂うこの光景に、 ほっと肩の力が抜けていくようでした。

鞍馬寺周辺には人影もほとんどいなくなっていました。

鞍馬駅は木造のけっこうレトロな駅舎です。
電車を待っている人も少なく、がらんとした空間の中でひと時を過ごしました。

京都の郷土おみやげ

1.阿闍梨餅(満月)
もっちり生地+丹波大納言あん。京都最強の定番。 2.京ばあむ
抹茶×豆乳のしっとりバーム。見た目も上品。 3.生八つ橋 おたべ
季節限定が豊富。京都らしさ100%。 4.茶の菓(マールブランシュ)
濃茶ラングドシャ。京都土産の王道洋菓子。 5.井筒八ッ橋
歯ごたえのある焼き八ッ橋。日持ち◎。 6.夕子(井筒八ッ橋) 生八つ橋の定番。個包装で配りやすい。
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愛媛県松山市出身。 国立理系大学院卒の元大手半導体材料研究開発エンジニア。(CPU基盤材料、太陽電池材料の研究開発に関わる) 関西在住時にうつ病療養のため何度か尋ねた蛇神大物主神を祀る奈良大神神社で不思議な体験を経験。それをきっかけに記紀を読むこと十年後、祖先は宇佐八幡初代神官大神比義、さらには大神神社(地祇系三輪・大神氏)といった蛇神族の血流(神官系)につながることをつきとめます。 また、20年間あらゆる療法を試しても治らなかった難治性うつ病も瞑想と催眠の研究を続けていくことで奇跡的に解消し、人間に備わる自然治癒力発動法を発見します。独自のヒーリング法を確立し5年間精神疾患者への対面施術指導を行った後コロナ禍以降は引退。現在はサイトを立ち上げオンラインでHSP向けセルフヒーリングを提供しています。 自身の経験をもとに、「この世界には、時に説明のつかない出来事が起こり奇跡が起こる」ということを伝えていきたいと考えています。 「引き寄せの法則」などのスピリチュアル、宗教団体とは関係ありません。
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