目次
面接結果が出るまでは、気晴らしに旅行へ出かけることにしました。
奈良はだいたい巡ったので、今回は少し遠出をして、1泊2日で福井を観光することにしました。
以前、白山登山へ向かう途中で見かけた「永平寺」と、「東尋坊」、「一乗谷」を巡ってみる計画です。
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「大阪駅」からサンダーバードに乗り「福井駅」で下車。
えちぜん鉄道の芦原三国線に乗り換えて「あわら湯のまち駅」へ向かいます。
福井屈指の温泉街である「あわら温泉」で一泊しました。
芦原温泉は、福井県あわら市にある北陸屈指の温泉地で、「関西の奥座敷」として親しまれています。開湯は1883年、農地の灌漑用に掘られた井戸から高温の湯が湧き出したことが始まりとされ、翌年には温泉宿が開業しました。周囲には田園風景が広がり、静かで落ち着いた雰囲気が魅力です。
各旅館が独自の源泉を持つため、泉質や肌触りが宿ごとに異なるのも特徴で、源泉数は74本にのぼります。泉質は中性〜微アルカリ性の含塩化土類食塩泉で、神経痛や慢性皮膚炎、リウマチなどに効能があるとされています。1948年の福井地震や1956年の芦原大火を経て復興し、現在は整然とした温泉街として発展しています。最寄りはえちぜん鉄道「あわら湯のまち駅」で、東尋坊や永平寺、一乗谷など周辺観光地へのアクセスも良く、旅の拠点として最適な温泉地です。
福井・石川・岐阜の三県にまたがる白山。 昔、関西のハイキングサークルに入っていた頃、白山へ行くイベントがありました。しかし、そこが本格的な登山の山だとは知らず、スニーカーのハイキング姿で参加してしまったという思い出深い山です。名前にすっかり騙されました。

白山は日本三霊山(白山・富士山・立山)のひとつに数えられ、古代から崇敬の対象とされてきました。福井の僧・泰澄が天空に現れた白山神のお告げを受け、717年(奈良時代)に開山したと伝えられています。白山信仰の中心である白山神社には、白山比咩神(しらやまひめのかみ)・伊弉諾尊・伊弉冉尊が祀られています。
白山比咩神は、菊理姫(キクリヒメ・ククリヒメ)と同一神とされています。 菊理姫は『日本書紀』の一書に一度だけ登場する女神で、黄泉平坂でイザナギとイザナミが口論していた際に仲裁したことから、縁結びの神(和合の神)として崇敬されています。「ククリ」=「括り」=「結ぶ」が神名の由来とも考えられています。
是時、菊理媛神亦有白事。
伊奘諾尊聞而善之。
乃散去矣。
この時、菊理媛神(くくりひめのかみ)また白(まを)すこと有り。
伊奘諾尊(いざなぎのみこと)、これを聞きて善しとす。
すなわち散り去りき。
このとき、菊理媛神が何かを申し上げた。
伊奘諾尊はその言葉を聞いて「もっともだ」と思い、
その場を立ち去った。
また、菊理姫は白蛇や白龍とも関係があるといわれていますが、これも白山の雪の白さや、「結ぶ=糸」という象徴性(三輪山の蛇神伝承のように)と結びついているのかもしれません。 つまり、ククリ=キクリとなり、「菊」には和合の意味が込められているとも考えられます。菊花紋が象徴する不老長寿や夫婦和合といった信仰内容とも響き合っているように思います。
(十六菊花紋=八(陽・男神)+八(陰・女神))
朝起きて、芦原温泉駅からバスに乗り、東尋坊へ向かいました。
車窓には田園風景が流れ、まだ少し眠気の残る朝の空気が心地よく感じられます。
バスに揺られること約40分、海の気配が近づくにつれて、どこか胸の奥が静かに高まっていきました。
やがて、断崖の名所として知られる東尋坊に到着しました。

東尋坊は、約1200〜1300万年前の火山活動によって生じたマグマが冷えて固まる際に形成された、安山岩の五〜六角形の柱状の割れ目(柱状節理)が、日本海の荒波による浸食で姿を現した断崖です。
これほど大規模な安山岩の柱状節理は世界でも三か所しか確認されておらず、非常に貴重な地形とされています。そのため、東尋坊は国の天然記念物および名勝に指定されており、地質学的価値と景観の美しさの両面から高く評価されています。

「東尋坊」という名前は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて、この地にいたとされる僧・東尋坊(とうじんぼう)に由来すると伝えられています。東尋坊は力が強く、乱暴で手に負えない人物であったため、周囲から恐れられていました。あるとき、彼を疎ましく思った僧たちが、酒に酔わせて断崖から突き落としたという伝承が残されています。この出来事が地名の由来となり、断崖は「東尋坊」と呼ばれるようになったといわれています。
この伝承は史実として確認されているわけではありませんが、荒々しい日本海の波が打ちつける断崖の景観と相まって、土地に独特の物語性を与えています。現在の東尋坊は、国の名勝・天然記念物に指定され、地質学的にも貴重な景勝地として知られています。

ここはまるで、日本のシチリア半島のように感じられます。
断崖に寄せる波を眺めていると、思わずネスカフェの「ダバダー」を口ずさみたくなるような、どこか優雅でゆったりとした気分になります。
断崖の縁を歩いていると、ほんの少し足を踏み外すだけで海へ転落してしまいそうなほどの迫力があります。日本海の荒波が打ちつける音と、足元の岩肌のざらつきが、ここが自然の厳しさをそのまま残した場所であることを実感させてくれます。

ごつごつとした柱状節理の岩場があちこちに点在しており、まるで大地がそのまま隆起したような迫力があります。規則的なようでいて不揃いな岩の形が、自然の力の大きさと時間の積み重ねを静かに物語っているように感じられます。

一本だけ海に向かって突き出した、ひときわ目を引く岩が「蝋燭岩」です。細長い形がろうそくの炎のように見えることから、この名が付けられています。もうひとつ「ライオン岩」と呼ばれる岩もあるのですが、岸から眺めた限りでは、その姿をはっきりと見分けることはできませんでした。

柱状節理に囲まれた小さな入江があり、その下へは降りられるようになっていて、遊覧船の乗り場が設けられています。断崖の上から見下ろすと、規則正しい岩の壁が湾を囲むように立ち並び、まるで天然の劇場のような独特の景観をつくり出しています。

柱状節理の表層部は比較的平らになっているところもあり、このあたりでは腰をおろして海をのんびり眺めることができます。断崖の迫力とは対照的に、足元には穏やかな時間が流れていて、波の音を聞きながらしばらく佇みたくなるような場所です。



帰りはバス停までしばらく歩きます。海岸線には松並木が続いていて、潮風に揺れる枝がとても美しく感じられます。どこか懐かしいような風景で、ゆったりとした気分になります。

しばらく歩いていると、海にかかった赤い橋が見えてきました。橋の先にあるのは「雄島(おしま)」という島で、別名「日本海の江の島」とも呼ばれているそうです。
確かに、江の島の光景とよく似ています。
興味をそそられる景色でしたが、バスの時刻もあったため、今回は訪れるのを見送りました。

https://chinobouken.com/oshima
東尋坊から永平寺へバスで直行。
途中、丸岡城にも立ち寄ってみたかったのですが、時間的に余裕がなかったのでスルーしました。
移動だけで1時間30分かかります。
バスを降り、坂道を登っていくと永平寺へ。

永平寺は、1244年に道元禅師によって開かれた曹洞宗の大本山で、今も百名ほどの修行僧が日々の修行を続ける禅の中心地です。深い杉木立に囲まれた山あいに位置し、境内には七堂伽藍をはじめとする大小70以上の建物が静かに佇んでいます。
寺名の「永平」は、中国で仏教が広まった時代の元号「永平」に由来し、「永久の和平」を願う意味が込められています。道元は宋で学んだ「只管打坐」の教えを日本に伝え、雑念を離れてただ坐るという禅の姿をこの地で徹底しました。
永平寺の回廊を歩くと、木の香りと静寂が満ち、修行の場としての厳しさと清らかさが感じられます。傘松閣の天井絵や、僧堂・仏殿などの伽藍は見応えがあり、訪れる人に深い静けさと心の落ち着きを与えてくれる場所です。

境内配置図 1.山門、2.仏殿、3.法堂、4.僧堂、5.大庫院、6.浴室、7.東司、8.承陽殿、9.鐘楼堂、10.勅使門、11.祠堂殿、12.中雀門、13.傘松閣、14.吉祥閣(参考:ウィキより)

永平寺に到着しました。山深い場所にあり、木々が生い茂る中に大きな建造物がいくつも立ち並んでいて、まさに威厳に満ちた風格を感じさせます。静かな森の気配と、堂々とした伽藍の佇まいが調和し、この地が長い年月をかけて育んできた精神性の深さを物語っているようでした。

紅葉にはまだ早い時期でしたが、並木の参道は一面の緑に覆われていて、歩いているだけで森林浴をしているような心地よさがあります。木々の間を抜ける風がやわらかく、道のりそのものが、すでに心を静めてくれるようでした。


参道をまっすぐ進むと、参拝入口の右手に「唐門」が見えてきます。一般の参拝者は入ることができませんが、手前には大杉が岩をのみ込むように根を張っている場所があり、ちょっとした撮影スポットになっています。苔むした岩と大杉の力強い姿が、永平寺の長い歴史を静かに物語っているようでした。

拝観チケット(大人500円)を購入すると、まずは研修道場である「吉祥閣(きちじょうかく)」へ案内されます。ここから内部に入り、永平寺の広大な伽藍を巡ることができます。永平寺は約33万平方メートルの敷地に、70を超えるお堂や楼閣が建ち並ぶ大寺院です。なかでも、修行に欠かせない七つの建物を指す「七堂伽藍(しちどうがらん)」は回廊で結ばれ、修行僧たちの生活動線そのものが禅の教えを体現しています。
七堂伽藍の中でも最も高い位置にあるのが「法堂(はっとう)」で、ここからは伽藍全体と四季折々の美しい景色を眺めることができます。永平寺の修行は禅宗の中でも特に厳しいことで知られ、現在も約160名の雲水(うんすい)と呼ばれる修行僧が日々の修行に励んでいます。

吉祥閣から回廊を進んでいくと、やがて「承陽門(じょうようもん)」と呼ばれる重厚な門が姿を現します。承陽とは道元禅師の諡号「承陽大師」に由来し、永平寺の精神を象徴する名を冠した門です。深い木立の中に静かに佇むその姿は、華美さよりも質実さを重んじる禅寺らしい落ち着きを感じさせます。


永平寺の横を静かに流れる渓流は、まるで時間そのものがゆっくりとほどけていくような、澄んだ空気に満ちていました。
しばらくその場に立ち止まり、深く息を吸い込みながら森林浴をさせていただきました。 水の流れる音、木々のざわめき、鳥の声が重なり合い、心の奥にたまっていた緊張が少しずつほどけていくのを感じます。マイナスイオンに包まれるような清らかな空気が、身体の周りを流れ、自然の中に溶け込んでいくような心地よさがありました。

雲水が正式に永平寺へ入門する時、そして長い修行を終えて寺を後にする時にしか通ることが許されない山門は、特別な結界のような厳かな雰囲気に包まれています。 その山門の両側には、仏教の守護神である四天王が静かに祀られており、訪れる者を見守るように立っています。

四天王の姿は、永平寺がただの寺院ではなく、厳しい修行と精神の鍛錬を重んじる場であることを象徴しているように感じられます。 雲水たちは、この門をくぐることで俗世との境界を越え、仏道に身を投じる覚悟を新たにするのでしょう。 そして修行を終えて再びこの門を通る時には、入門した頃とはまったく違う心の在り方で、静かに外の世界へ戻っていくのだと思います。
山門に祀られた四天王は、そのすべての過程を見守り、永平寺の精神を象徴する存在として、今も変わらず凛として佇んでいます。。
永平寺の境内に静かに佇む報恩塔は、深い感謝の心を象徴するような、落ち着いた気配をまとっています。 この塔は、道元禅師の教えを受け継ぎ、永平寺の歴史を支えてきた多くの先師や修行僧たちへの「報恩」、すなわち恩に報いる心を形にしたものとされています。
周囲を囲む杉木立の間から差し込む光が塔の表面に柔らかく反射し、訪れる者に静かな敬意を促すように感じられます。 塔の前に立つと、永平寺が積み重ねてきた長い年月と、そこに身を置いた人々の祈りや修行の重みが、静かに胸に響いてきます。
報恩塔は、華美な装飾こそありませんが、その簡素さの中に禅の精神が息づいています。


永平寺のふもとで売られている焼き団子は、ひとつひとつが驚くほど大きく、香ばしい匂いが漂ってきてとてもおいしいです。 焼きたての表面はほんのり焦げ目がつき、噛むともちもちとした食感が広がり、素朴ながらも心にしみる味わいがあります。
お昼どきには、その焼き団子をむしゃむしゃと頬ばりながら、ゆっくりとバスを待ちました。 渓流の音や山の空気に包まれながら食べる団子は、どこか懐かしく、旅先ならではの贅沢なひとときに感じられます。 永平寺の厳かな雰囲気の中で味わう素朴な団子は、心と身体をほっと和ませてくれるようでした。
https://urala.jp/gourmet/shop/detail.php?id=10
バスに乗り込み、まずは福井駅へ向かいます。
バス乗り場のすぐ近くには、かつて織田信長家臣で北方攻略司令官であった柴田勝家が居城としていた「北ノ庄城跡」がありました。
現在残っているのは、勝家の像と天守閣の模型、そしてわずかな石垣だけで、往時の壮大さを思わせるものは多くありません。
しかし資料によれば、この北ノ庄城は、織田信長の安土城(七層)をしのぐ九層の天守閣を備えた、日本でも最大級の城だったといわれています。城下町の規模も安土の二倍に達したとされ、当時の北陸支配の拠点として、いかに重要な城であったかがうかがえます。
主君である信長が、家臣の勝家にこれほど大規模な城を築くことを許したというのも、信頼の深さを感じさせる話です。信長の懐の大きさを思わずにはいられません。史実では信長は冷酷で神経質とは言われていますが、実在像はその逆でしょう。

しかし、歴史は厳しいものです。賤ヶ岳の戦いで羽柴(豊臣)秀吉に敗れた勝家は、北ノ庄城へ戻り、妻であるお市の方とともに自害しました。城もその際に火が放たれ、壮麗を誇った天守閣も焼失してしまいました。 今は静かな城跡となっていますが、そこに立つと、戦国の激動の中を生きた人々の息遣いが、かすかに残っているように感じられます。

福井駅を出た時には、すでに16時を過ぎていました。
バスに乗り込む際、運転手さんから
「え、今から一乗谷なんか行くの?」と驚かれてしまいました。
どうやら、観光で向かうにはかなり遅い時間帯のようです。
福井駅から一乗谷まではバスで約30分。
到着した頃には、もう17時に近づいていました。 夕暮れが迫る中、限られた時間でできるだけ見て回ろうと、足早に見学を始めました。
静かな山あいの空気と、少し心が急くような時間の感覚が入り混じり、不思議な緊張感のある訪問になりました。

一乗谷跡は、南北朝期から室町時代にかけて、朝倉氏が一乗谷川沿いの谷間に築いた城郭と城下町の跡です。 戦国時代に入ると、荒廃した京から多くの公家や僧侶が避難して移り住んだため、山あいの地でありながら華やかな文化が花開きました。
特に四代当主・朝倉孝景の時代には町が大いに繁栄し、その文化的な豊かさから「北ノ京」と呼ばれるほどの全盛期を迎えます。 武家の政治と公家文化が共存する独特の雰囲気があり、京の雅と北陸の実直さが交わった、他に類を見ない城下町だったといわれています。
しかし、五代当主・朝倉義景の時代になると、織田信長の侵攻によって情勢は一変します。 「刀根坂の戦い」で大敗した後、一乗谷は信長軍によって火を放たれ、朝倉家は滅亡しました。 その後、この地は柴田勝家の支配下に入り、勝家は北ノ庄を新たな拠点とすることになります。
かつての繁栄を誇った一乗谷は、時の流れとともに田畑の下に埋もれていきましたが、1967年に本格的な発掘調査が始まり、その歴史的価値が再び注目されるようになりました。 今では、往時の町並みが復元され、静かな山あいに戦国文化の息遣いがよみがえっています。
ここは、朝倉家最後の当主である第五代・朝倉義景が暮らしていたと伝えられる館跡です。 三方を土塁と堀でしっかりと囲まれた構造になっており、外敵から身を守るための堅固な造りであったことがうかがえます。
館の内部には、会所、主殿、小座敷、台所などの建物が整然と配置されていたとされ、戦国大名の暮らしぶりを今に伝える貴重な遺構となっています。 さらに敷地内には、日本最古といわれる花壇も含まれており、当時の朝倉氏が文化や美意識を大切にしていたことが感じられます。
山あいの静けさの中に残る館跡は、かつての繁栄と義景の暮らしを静かに物語っているようでした。



「一乗谷朝倉氏庭園」には、「朝倉館跡庭園」「湯殿跡庭園」「諏訪館跡庭園」「南陽寺跡庭園」の四つがあり、それぞれに異なる趣があります。 中でも「湯殿跡庭園」は、一乗谷で最も古い庭園とされ、室町時代中期、四代当主・朝倉孝景の時代に築かれたものと推測されています。
この庭園の特徴は、何といっても「立石」と呼ばれる、すっと屹立する石を多用した独特の造りにあります。 一般的な枯山水とは少し異なり、石そのものが強い存在感を放ち、静かな山あいの中で不思議な緊張感を生み出しています。 その独創性は現代の芸術家にも響いたようで、岡本太郎もこの庭園を訪れ、強い感銘を受けたと伝えられています。
……とはいえ、私には正直なところ、ただ石がごろごろ転がっているようにしか見えませんでした。 歴史的価値や美意識を理解するには、もう少し感性を磨く必要があるのかもしれません。 それでも、夕暮れの光の中で静かに佇む庭園には、どこか時代の気配が残っているように感じられました。


一乗谷の城下町は、京都の町割を参考にしたといわれ、南北に約1.7キロメートル続く谷間に、計画的で整然とした町並みが築かれていたそうです。 山あいの地でありながら、武家屋敷や町家、寺院などが秩序立って配置され、当時としては非常に洗練された都市空間だったことがうかがえます。
現在は、そのうち約200メートルの区画が復元されており、戦国時代の町の雰囲気を実際に歩きながら味わうことができます。 土塀や町家の造り、石畳の道などが再現されていて、夕暮れの静けさの中を歩くと、まるで時代に巻き戻ったかのような感覚になります。

もっとのんびりと歩きたかったのですが、気がつくと谷間には夕暮れの影が深く落ち、あたりはとっぷりと日が暮れかかっていました。 復元町並みの土塀や家並みも、夕日の残光を受けて少しずつ色を失い、戦国の面影だけが静かに浮かび上がってくるようでした。
山あいの空気はひんやりとし始め、時間の流れが急に早まったように感じます。
名残惜しさを抱えながらも、そろそろ戻らなければならないことを悟り、足を速めました。

焚火の煙が夕暮れの空にゆっくりとたなびき、谷間にほのかなこおばしい匂いが漂っていました。 その光景を眺めていると、どこか懐かしい風景に出会ったような気持ちになります。 子どもの頃に見た田舎の夕暮れや、昔の日本の原風景がふっと心の奥からよみがえってくるようでした。
静かな山あいに、焚火の煙と夕暮れの色が溶け合い、時間が少しだけゆっくり流れているように感じられます。


帰りは電車で戻ることにしました。
駅の周囲には本当に街灯らしいものがほとんどなく、見渡す限り田んぼが広がっていて、まるで「トトロのバス停」でバスを待っているような気分になります。 真っ暗な中を、遠くからゴトゴトと音を立てて近づいてくる電車の姿は、まさに“トトロバス”そのものでした。

電車に揺られながら今日一日の旅を思い返しているうちに、尼崎の家に着いたのは22時を過ぎていました。 長い一日で、さすがにちょっと疲れました。 でも、その疲れさえも旅の余韻として心地よく感じられるような、そんな一日でした。