目次
神武天皇の神武東征を物語として章立てまとめています。
古事記の現代語訳を読みたい方は後半をご覧ください。

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日向の山々は、夜の青さをわずかに残しながら、朝の光に染まり始めていました。
高千穂の峰を包む霧は、風に揺られて白い布のようにたなびき、まるで天と地の境を曖昧にするかのようでした。
その霧の向こうに、伊波礼毘古命はひとり立ち、静かに山の息づかいを聞いていました。
遠くからは海の波音がかすかに届き、鳥たちが新しい一日の訪れを告げています。
しかし、その美しさの中で、彼の胸には小さな影が落ちていました。
伊波礼毘古命の独白と揺れる心
「……豊かな地だ。山も海も、すべてが恵みに満ちている。」
彼はそうつぶやき、手のひらで朝の風を受け止めました。
けれど、その瞳はどこか遠く、まだ見ぬ地平の向こうを見つめています。
「だが……この国の中心となるには、まだ遠い。
ここに留まっていては、天照大御神の御心に応えることはできぬのではないか……」
その声は、霧の中に溶けていくほど静かでした。
兄たちとの語らい
やがて、焚き火のそばに兄たちが集まってきました。
火の粉がぱちりと弾け、薄明の空へ舞い上がります。
兄・五瀬命が、伊波礼毘古命の横顔を見つめながら問いかけました。
「弟よ……今朝は、いつにも増して思い詰めた顔をしているな。
何か心に引っかかるものがあるのか?」
伊波礼毘古命は少しだけ微笑み、しかしすぐに真剣な表情へ戻りました。
「兄上……私は思うのです。
我らが治めるべき国は、もっと広く、もっと多くの民が暮らす地であるべきだと。」
もう一人の兄・稲飯命が、焚き火越しに身を乗り出しました。
「それは……東の地のことか?」
伊波礼毘古命は静かにうなずきました。
「はい。日の昇る東こそ、天照大御神の御子孫である我らが向かうべき場所。
そこにこそ、この国の中心があるはずです。」
五瀬命はしばらく黙っていましたが、やがて深く息を吐き、力強く言いました。
「……ならば行こう。
お前がそう感じるのなら、それはきっと天の導きだ。
我ら兄弟、共に進もうではないか。」
火の光が兄たちの瞳に映り、決意の炎が静かに燃え上がりました。
東への旅立ちの瞬間
霧が晴れ、山々が金色に染まり始める頃。
伊波礼毘古命は東の空を見つめ、そっとつぶやきました。
「……行こう。
この光の向かう先へ。
我らの国を、真に照らすために。」
その声は、朝の空気を震わせるほどの静かな力を帯びていました。
こうして、日向の山々に見守られながら、
伊波礼毘古命と兄たちの東への旅路は、静かに、しかし確かに始まったのです。

美々津の港に着いたとき、海は夜明けの光を受けて鏡のように澄みわたり、波ひとつ立たずに空を映していました。
船べりが水面に触れるたび、淡い波紋が広がり、朝の色が揺れます。
伊波礼毘古命はしばらく海を見つめ、そっとつぶやきました。
「……この静けさが、まるで我らの旅立ちを見守っているようだ。」
五瀬命が隣に立ち、軽く笑いました。
「静かすぎて、かえって胸がざわつくな。だが、行かねばならぬ。」
「はい。ここを離れるのは惜しいですが……東へ向かうのは、我らの務めです。」
二人の声は、潮の香りを含んだ風に溶けていきました。
出航の瞬間 ― 故郷が遠ざかる中で
帆が風を受け、船がゆっくりと港を離れ始めると、日向の山々が少しずつ遠ざかっていきました。
稲飯命が甲板から山の方を振り返り、ぽつりと言いました。
「……あの山々の色、忘れられぬな。」
伊波礼毘古命は静かにうなずきました。
「ええ。だが、胸の奥で何かがほどけていくのを感じます。
故郷への愛しさと……新しい国を求める意志が、ようやく形になり始めたような。」
五瀬命がその言葉を受けて、真剣な眼差しを向けました。
「弟よ。お前のその思いが、我らを導くのだ。迷うな。」
「はい。兄上たちと共に進めることが、何より心強い。」
船は朝の光の中を進み、故郷の影は次第に薄れていきました。
筑紫 ― 松林のざわめきと温かな迎え
筑紫に着くと、海岸に立つ松林が風にざわめき、潮の匂いと松の香りが混ざり合っていました。
迎えに出た豪族たちは、深く頭を下げて言いました。
「遠き日向より、よくぞお越しくださいました。
我らは皆、あなた方の旅路を支えましょう。」
五瀬命が礼を返しながら、伊波礼毘古命に小声で言いました。
「……こうして迎えられると、旅の重さを実感するな。」
伊波礼毘古命は微笑みました。
「人々の思いが、我らの力となるのでしょう。」
宇佐 ― 夕日の川面に映る対話
宇佐では、川面に映る夕日が赤く輝き、空と水がひとつに溶け合うようでした。
阿多稲目命が夕日を眺めながら言いました。
「……まるで天照大御神の光が、我らの道を照らしているようだ。」
伊波礼毘古命は静かに答えました。
「ええ。迷いがあっても、この光を見れば進むべき道がわかります。」
阿岐 ― 紫の山影と夜の語らい
阿岐に着くころには、山の稜線が紫に染まり、夜の帳が静かに降りていました。
焚き火のそばで、兄弟たちは肩を寄せ合い、旅の疲れを癒していました。
五瀬命が火を見つめながら言いました。
「……東の地は、どれほど遠いのだろうな。」
伊波礼毘古命は火の揺らめきを見つめ、ゆっくりと答えました。
「遠くとも、必ず辿り着きます。
我らが歩む道は、天の意志に続いているのですから。」
兄弟たちはその言葉に静かにうなずき、夜は深まっていきました。
吉備 ― 季節を巡る八年の歳月
吉備に着くころには、季節がひとつ巡っていました。
高島宮での八年は、ただの滞在ではなく、未来を見据えるための大切な年月でした。
春、川沿いに桜が咲き誇り、兵たちの心を和ませた。
夏、蝉の声が宮を包み、鍛錬の汗が光った。
秋、黄金の稲穂が風に揺れ、豊穣の兆しが人々を励ました。
冬、雪が静かに積もり、心を研ぎ澄ます時間が訪れた。
ある冬の夜、伊波礼毘古命は兄たちに語りました。
「……この八年で、我らは強くなりました。
心も、兵も、志も。
東へ向かう時は、もうすぐです。」
五瀬命は深くうなずきました。
「ああ。ここで過ごした日々が、必ず我らを支えてくれる。」
その言葉に、焚き火の炎が静かに揺れました。
旅の意味が深まる瞬間
四季を重ねるごとに、伊波礼毘古命の心は鍛えられ、旅の意味はより深く、確かなものになっていきました。
故郷を離れた痛みも、未来への希望も、すべてが彼の中でひとつの光となりつつありました。

吉備を出て浪速の浜に上陸したとき、空は重く垂れこめ、海風は肌を刺すように冷たく吹きつけていました。
波は低くうねり、砂浜にはどこか湿った沈黙が漂っています。
五瀬命が空を見上げ、眉をひそめました。
「……嫌な風だな。まるで、この地が我らを拒んでいるようだ。」
伊波礼毘古命は静かに頷きました。
「ええ。だが、進むしかありません。ここを越えねば、大和へは辿り着けない。」
その言葉が終わるか終わらぬうちに、森の奥から太鼓の音が響き渡りました。
長髄彦の軍勢、森から現る
太鼓が地を震わせ、矢が空を裂き、長髄彦の軍勢が一斉に姿を現しました。
黒い影が波のように押し寄せ、戦の気配が一気に張り詰めます。
五瀬命が剣を抜き、振り返って叫びました。
「弟よ!ここが正念場だ。怯むな!」
伊波礼毘古命は深く息を吸い、兄の背に続きました。
「兄上こそ……どうか無茶をなさらぬように!」
しかし五瀬命は笑いました。
「無茶をせねば、道は開けぬ!」
その声は勇ましく、兵たちの士気を一気に押し上げました。
五瀬命、胸を貫かれる
戦いは瞬く間に激しさを増し、矢が雨のように降り注ぎました。
五瀬命は先頭に立ち、敵陣へと突き進みます。
その瞬間——
鋭い音とともに一本の矢が飛び、五瀬命の胸を深く貫きました。
「兄上!!」
伊波礼毘古命が駆け寄ると、五瀬命は血に染まった胸を押さえながら、それでも微笑みました。
「……伊波礼毘古……泣くな……」
「泣いてなど……!兄上、しっかり!」
五瀬命は苦しい息の中で、途切れ途切れに言葉を紡ぎました。
「我らは……日の神の御子……
太陽に向かって戦うのは……良くない……
日が……我らの目を……奪う……」
その声は風に溶け、かすかに震えながら消えていきました。
伊波礼毘古命は兄の手を強く握りしめ、声にならない叫びを胸に押し込めました。
雨の中の撤退と、胸を裂く決断
空はさらに暗くなり、冷たい雨が降り始めました。
五瀬命の亡骸を抱え、伊波礼毘古命は震える声で命じました。
「……退く。紀伊へ向かう。
兄上の犠牲を無駄にはしない……必ず、必ず大和へ辿り着く。」
兵たちは涙をこらえながら頷き、雨の中を南へと進み始めました。
山道には霧が立ちこめ、足元はぬかるみ、疲労と悲しみが重くのしかかります。
しかし、その重さこそが、伊波礼毘古命の心をさらに強くしていきました。
悲しみが、志を鋼へと変える
夜、焚き火の前で伊波礼毘古命は兄の亡骸を前に膝をつきました。
雨に濡れた髪が頬に張りつき、声は震えていました。
「兄上……あなたの勇気が、我らの道を照らしています。
必ず……必ず大和を平らげ、日の御子としての務めを果たします。」
その誓いは、静かな炎の揺らめきとともに、彼の胸に深く刻まれました。
悲しみは決意へと変わり、東征の意味はこれまで以上に重く、強いものとなったのです。

紀伊の山々を越えたとき、空は急に重く垂れこめ、風の匂いが変わりました。湿った土の香りに混じって、胸の奥を刺すような鋭い気配が漂い、兵たちは思わず足を止めました。
五瀬命を失った悲しみを抱えたままの一行にとって、その空気はあまりにも不吉でした。
稲飯命が眉をひそめて言いました。
「……この山、ただの山ではない。何かが我らを拒んでいる。」
伊波礼毘古命は静かに頷きました。
「感じます。まるで、山そのものが息を潜めて我らを見ているようだ。」
木々は高くそびえ、枝葉が空を覆い隠し、昼であるはずなのに薄暗く、まるで夜の入口に迷い込んだかのようでした。
深まる霧と沈黙、そして倒れていく兵たち
山道を進むにつれ、霧は濃くなり、足元の石はぬめり、鳥の声すら消えていきました。
静寂は深く、風の音すらなく、ただ自分たちの息遣いだけが耳に残ります。
やがて兵のひとりが膝をつき、倒れました。
続いて、またひとり。
その倒れ方は、まるで糸が切れたように静かでした。
阿多稲目命が駆け寄り、声を震わせました。
「毒気だ……!山が、我らを蝕んでいる!」
伊波礼毘古命もまた視界が揺れ、膝が地に落ちました。
土の冷たさが頬に触れ、意識が遠のいていきます。
「……ここで……終わるのか……」
その思いが胸をかすめた瞬間でした。
霧を裂く灯りと、高倉下の出現
霧の向こうから、ひとつの灯りが揺れながら近づいてきました。
松明の光でありながら、それ以上の何か——闇を切り裂くような強い気配をまとっていました。
やがて姿を現したのは、高倉下という老人でした。
白い髭は胸まで伸び、瞳は深い湖のように静かで、しかし底に強い光を宿しています。
老人は倒れた伊波礼毘古命の前に膝をつき、低く、しかしよく通る声で言いました。
「天つ神より授かりました。
この剣こそ、あなた方を導くものです。」
布都御魂が放つ、静かなる力
老人が差し出した霊剣・布都御魂は、光を放つわけでもなく、ただ静かにそこにあるだけでした。
しかし、その存在だけで周囲の空気が震え、霧がざわめくように揺れました。
伊波礼毘古命は震える手で剣を握りました。
その瞬間——
山を覆っていた霧が裂けるように消え、
倒れていた兵たちが次々と目を覚ましました。
阿多稲目命が驚きの声を上げました。
「……息が、戻った……!毒気が消えていく……!」
風が再び木々を揺らし、鳥の声が戻り、山はまるで深い眠りから目覚めたかのようでした。
伊波礼毘古命は深く礼を述べました。
「あなたのおかげで、我らは救われました。
この恩、決して忘れません。」
高倉下は静かにうなずき、霧の奥へと姿を消していきました。
その背は、まるで山そのものに溶けていくようでした。
再び歩みを進める力
兵たちは互いの無事を確かめ合い、伊波礼毘古命は剣を胸に抱きしめました。
「……兄上。
あなたの犠牲を無駄にはしません。
この剣と共に、必ず大和へ辿り着きます。」
その声は、山の静けさに吸い込まれながらも、確かな決意を帯びていました。
こうして一行は、再び歩みを進める力を取り戻したのです。

熊野の山道は、まるで迷う者を永遠に閉じ込めるために作られたかのように複雑でした。
木々は天を覆い、枝葉が光を遮り、昼であるはずなのに薄闇が漂っています。
岩は鋭く露出し、道は細く、どちらへ進むべきか誰にも分かりません。
兵のひとりが不安げに言いました。
「……この先、本当に道があるのでしょうか。」
伊波礼毘古命は周囲を見渡しながら答えました。
「必ずある。だが、人の目には見えぬ道なのだろう。」
その声には、疲労の中にも揺るぎない意志が宿っていました。
八咫烏の降臨
そのとき、空から影がひとつ、ゆっくりと舞い降りました。
黒い羽は陽光を受けて青く光り、三本の足を持つ神鳥——八咫烏でした。
兵たちは息を呑み、稲飯命が小声でつぶやきました。
「……神の御使い……!」
八咫烏は一声、澄んだ鳴き声を上げました。
その声は山の静寂を震わせ、霧をわずかに揺らしました。
伊波礼毘古命は胸に手を当て、深く頭を垂れました。
「天照大御神が……我らに道を示してくださっている。」
その言葉に、兵たちの顔に希望の光が戻りました。
神鳥の導き
八咫烏はゆっくりと前へ歩き始めました。
その歩みは迷いがなく、まるで山の奥深くまで知り尽くしているかのようでした。
崖の縁に近づけば、八咫烏は鋭く鳴いて警告し、
ぬかるんだ谷に差しかかれば、別の道へと迂回し、
ときには木の枝に止まり、
ときには地面をついばむようにして方向を示す。
その導きは、ただの鳥の動きではなく、確かな意志を持った案内そのものでした。
阿多稲目命が感嘆の声を漏らしました。
「……まるで、山そのものが道を開いているようだ。」
伊波礼毘古命は静かに答えました。
「神の御心が、我らを大和へ導いているのだ。」
大和の地が姿を現す
山を越え、谷を渡り、長い霧の道を抜けたとき——
視界が一気に開けました。
遠くに広がる大和の地は、朝の光を受けて金色に輝き、
まるで天から降り注ぐ祝福のようでした。
兵たちは思わず足を止め、誰からともなく声が漏れました。
「……これが……大和……」
伊波礼毘古命は胸の奥が熱くなるのを感じながら、そっとつぶやきました。
「ここが……我らの国の中心となる地……」
その瞬間、八咫烏は最後に一声鳴き、
大きく翼を広げて空へ舞い上がりました。
黒い影は雲の向こうへ消え、山に静けさが戻りました。
神鳥への感謝と、新たな一歩
一行は深く頭を垂れ、八咫烏の導きに感謝を捧げました。
そして、ゆっくりと大和の地へ足を踏み入れました。
その歩みは、これまでの苦難を越えた者だけが持つ、確かな力に満ちていました。

大和の地に入ったとき、空気はまるで別の国のもののように澄んでいました。
山々は青く連なり、川は鏡のように澄み、風は柔らかく頬を撫でていきます。
伊波礼毘古命は思わず足を止め、深く息を吸いました。
「……懐かしいような、初めて来たような……不思議な土地だ。」
稲飯命が周囲を見渡しながら答えました。
「ここが……我らが求めてきた地なのだろうな。」
しかし、その美しさの裏には、確かに何かが潜んでいました。
風の流れがふと止まり、鳥の声が消え、空気がわずかに震えます。
阿多稲目命が低くつぶやきました。
「……来るぞ。」
その瞬間、太鼓の音が山々に響き渡りました。
長髄彦の軍勢、姿を現す
森の影から、槍を構えた兵たちが一斉に姿を現しました。
槍の先が陽光を反射し、鋭い光が走ります。
長髄彦の声が響きました。
「天孫を名乗る者よ!この地は渡さぬ!」
伊波礼毘古命は太陽を背にして立ちました。
兄・五瀬命の最期の言葉が胸に刻まれていたからです。
「太陽に向かって戦うのは良くない……
ならば、太陽を背に受けて戦えばよい。」
その決意が、彼の姿をひときわ大きく見せていました。
戦いの激しさと、軍勢の奮闘
矢が空を飛び交い、地面が震えるほどの叫び声が響きました。
伊波礼毘古命の軍は、長い旅で鍛えられた心と、神々の加護を背に、少しずつ優勢へと転じていきます。
稲飯命が叫びました。
「押しているぞ!このまま一気に——」
しかし、敵の数は多く、戦況は決して楽ではありませんでした。
黄金の鵄、降り立つ
そのときでした。
空から一羽の鳥が舞い降りました。
黄金の羽を持つ鵄——金鵄でした。
伊波礼毘古命の弓の先にふわりと降り立ち、
その羽は太陽の光を受けてまばゆく輝きました。
兵たちは息を呑み、長髄彦の軍勢はその光に目を覆いました。
「な、なんだ……あの光は……!」
「目が……見えぬ……!」
金鵄の光は、まるで天照大御神の意志そのもののように、敵の目を眩ませました。
伊波礼毘古命は静かに呟きました。
「……兄上。あなたの言葉が、今、道を開いています。」
長髄彦の敗北と、大和に訪れる静けさ
敵の軍勢は乱れ、長髄彦はついに敗北を認めるしかありませんでした。
太鼓の音が止み、槍の音が消え、戦場に静けさが戻ります。
風が草原を揺らし、空は澄み渡り、
まるで大和の地そのものが、戦の終わりを告げているようでした。
伊波礼毘古命は空を見上げ、深く息を吐きました。
「……ここから始まるのだ。
新しい国が。」
その言葉に、兵たちは静かにうなずきました。

戦いの喧騒が遠ざかり、大和の地に静けさが戻ると、伊波礼毘古命は橿原の地を選びました。
そこは、山々が柔らかく連なり、川が澄んだ音を立てて流れ、春の風が若葉を揺らす、穏やかな場所でした。
宮の建設が進む中、兵たちは木材を運び、職人たちは柱を立て、
鳥たちはその頭上で歌い、まるで新しい時代の訪れを祝っているかのようでした。
稲飯命が、建ち上がる宮を見上げながら言いました。
「……ここが、我らの国の中心となるのだな。」
伊波礼毘古命は静かに頷きました。
「長い旅だった。しかし、この地に立つと、不思議と心が落ち着く。
まるで、初めからここへ導かれていたようだ。」
即位の時、深まる静けさと強さ
宮が完成し、春の光が満ちる中、伊波礼毘古命はその中心に立ちました。
長い旅を経て、彼の姿には深い静けさと揺るぎない強さが宿っていました。
臣下たちが整列し、風がそっと吹き抜け、若葉が揺れます。
阿多稲目命が胸に手を当て、深く頭を垂れました。
「伊波礼毘古命……いえ、これよりは——」
伊波礼毘古命は静かに息を吸い、空を見上げました。
東の空には、柔らかな光が満ちています。
「……私は、この地にて国を治める。
天照大御神の御心を継ぎ、民を照らす者となろう。」
その瞬間、空気がわずかに震え、風が草原を渡り、
鳥たちが一斉に歌い始めました。
臣下たちは声を揃えて叫びました。
「神武天皇——!」
日の御子が、日の昇る東で国を開く
その名が響いた瞬間、橿原の空はさらに澄み渡り、
光が柔らかく降り注ぎました。
まるで天が祝福を与えているかのように、
風は静かに吹き抜け、川のせせらぎは優しく響き、
大和の地全体が新しい時代の始まりを告げていました。
伊波礼毘古命——神武天皇は、
長い旅の果てに、ついに日の御子として国を開いたのです。
神武東征 ― 天つ神の御子、東へ向かう物語
高千穂の宮におられた 神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと) は、兄の 五瀬命(いつせのみこと) と共に、
「どこに都を定めれば、天下を安らかに治められるだろうか。
やはり、日の昇る東へ向かうべきだ」
と語り合い、ついに日向を出発されました。
豊国・筑紫・安芸・吉備への旅
東征の途上、宇佐では 宇沙都比古・宇沙都比売 が宮を建てて食事を献じ、
筑紫の岡田宮には一年、安芸の多祁理宮には七年、
吉備の高島宮には八年滞在されました。
その後、海峡で 亀の甲に乗って釣りをする不思議な男 に出会われます。
「海路を知っているか」と問うと、「よく存じています」と答えたため、
竿を差し渡して船に迎え入れ、槁根津日子(さおねつひこ) の名を与えられました。
彼は後に大和国造の祖となります。
浪速での戦いと五瀬命の死
浪速の渡しに至ると、登美那賀須泥毘古(とみのながすねびこ) が軍勢を率いて待ち構えていました。
激しい戦いの中、五瀬命は敵の矢を受けて重傷を負います。
「日の神の御子である私が、日に向かって戦ったのが悪かったのだ。
これからは日を背にして戦おう」
そう誓って南へ回り、血沼海で傷を洗われましたが、
紀伊国の男之水門でついに力尽きられました。
その御陵は竈山にあります。
熊野での昏倒と布都御魂の太刀
伊波礼毘古命が熊野に入られたとき、
山中に大きな熊が現れては消え、
その直後、天皇も兵も皆、気を失って倒れてしまいます。
そこへ熊野の 高倉下(たかくらじ) が一振りの太刀を携えて現れ、献上しました。
その太刀こそ、布都御魂(ふつのみたま)。
天照大御神と高木神の命により、建御雷神が天から授けた霊剣でした。
太刀を手にした瞬間、荒ぶる神々は自然と斬り伏せられ、
兵たちも次々と正気を取り戻しました。
八咫烏の導きと吉野の国つ神たち
高木神の勧めにより、天皇は 八咫烏(やたがらす) の導きに従って進まれます。
吉野川では魚を獲る 贄持之子(にえもつのこ)、
井戸から現れた 井氷鹿(ゐひか)、
岩を押し分けて出てきた 石押分之子(いわおしわくのこ) など、
国つ神たちが次々と姿を現し、天皇を迎えました。
宇陀の兄宇迦斯と弟宇迦斯
宇陀に入ると、兄宇迦斯は八咫烏を射返し、
偽りの殿を建てて天皇を罠にかけようとします。
しかし弟宇迦斯が密かに天皇へ知らせ、
大伴氏の祖・道臣命と久米氏の祖・大久米命が兄宇迦斯を罠へ追い込み、
自ら仕掛けた押罠にかかって死にました。
その地は 宇陀の血原 と呼ばれるようになります。
土雲(つちぐも)との戦いと久米歌
忍坂の大室では、尾の生えた土雲たちが岩屋に潜み、
唸り声をあげて待ち受けていました。
天皇は料理人たちに太刀を佩かせ、
合図の歌と共に一斉に討ち果たします。
続く戦いでも久米部の勇士たちは歌を詠み、
敵を圧倒していきました。
邇芸速日命の帰順
このとき、天つ神の御子 邇芸速日命(にぎはやひのみこと) が天降り、
天皇に瑞宝を献じて帰順しました。
彼は登美毘古の妹・登美夜毘売を妻とし、
その子孫は物部氏・穂積氏などの祖となります。
橿原宮の建設と天下平定
こうして伊波礼毘古命は荒ぶる神々を平定し、
服従しない者たちを討ち、
ついに 畝火の白檮原宮(かしはらのみや) に都を定めて天下を治められました。
ここに 初代・神武天皇 の御代が始まります。
皇后・伊須気余理比売(いすけよりひめ)
天皇は日向にいた頃、阿比良比売との間に二柱の御子をもうけていましたが、
さらに皇后を求められたとき、
大久米命が「神の御子」と称される少女を紹介します。
その少女こそ、
三輪山の大物主神が丹塗りの矢となって通い、
生まれた 比売多多良伊須気余理比売 でした。
天皇は高佐士野で七人の少女の中から彼女を選び、
やがて三柱の御子をもうけられます。
当芸志美美の反逆と建沼河耳の即位
天皇崩御の後、異母兄の 当芸志美美(たぎしみみ) が皇后を奪い、
三人の御子を殺そうと企てました。
皇后は歌に託して危機を知らせ、
御子たちは当芸志美美を討とうとしますが、
兄の神八井耳は手が震えて斬れません。
そこで弟の 神沼河耳(かむぬなかわみみ) が代わって討ち取り、
兄は皇位を譲って祭祀を司る者となり、
神沼河耳が 第二代天皇・綏靖天皇 となられました。
神武天皇の御終焉
神武天皇は 137歳 まで御代を保ち、
畝火山の北、白檮尾のあたりに葬られました。
東征への出発
日本磐余彦天皇(にほんやまといわれびこのすめらみこと)の諱(ただのみな/実名)は、彦火火出見(ひこほほでみ)と申します。
鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)の第四子でございます。
母は玉依姫(たまよりひめ)といい、海神豊玉彦(わたつみとよたまひこ)の二番目の娘でございます。
天皇は生まれながらに賢く、気性がしっかりしておられました。
十五歳で皇太子となられました。
成長されて、日向国吾田邑(ひむかのくにあたのむら)の吾平津媛(あひらつひめ)を娶って妃とされ、手研耳命(たぎしみみのみこと)をお生みになりました。
東征を決意される
四十五歳になられたとき、天皇は兄弟や子どもたちに語られました。
「昔、高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)と天照大神(あまてらすおおみかみ)が、この豊葦原瑞穂国(とよあしはらみずほのくに)を祖先の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に授けられた。
そこで瓊瓊杵尊は天の戸を押し開き、路を押し分け、先払いを走らせてお出でになった。
代々父祖の神々は善政をしき、恩沢がゆき渡った。
しかし遠い国々ではまだ王の恵みが及ばず、村々は境を設けて争っている。
塩土(しおつつ)の翁が言うには、『東の方に良い土地があり、青い山が取り巻いている。その中へ天の磐舟(いわふね)に乗って飛び降った者がいる』という。
その者は饒速日(にぎはやひ)であろう。
そこに行って都をつくるべきである。」
諸皇子たちも賛同し、この年(甲寅)に東征を開始されました。
速吸之門(はやすいのと/豊予海峡)
速吸之門(はやすいのと)にお出でになると、一人の漁人(あま)が小舟で近づきました。
天皇が「お前は誰か」と問われると、漁人は答えました。
「私は土着の神で、珍彦(うずひこ)と申します。
天つ神の御子がおいでになると聞き、お迎えに参りました。」
天皇は道案内を命じ、漁人を舟に引き入れ、椎根津彦(しいねつひこ)の名を賜りました。
これが倭直(やまとのあたい)の祖でございます。
宇佐(うさ)・宇佐神宮
筑紫国(ちくしのくに)の宇佐(うさ)に着かれると、宇佐津彦(うさつひこ)・宇佐津姫(うさつひめ)が川のほとりに宮を造ってもてなしました。
宇佐津姫は天種子命(あまのたねのみこと)に娶わせられました。
天種子命は中臣氏(なかとみのうじ)の祖でございます。
十一月九日、筑紫国の岡水門(おかのみなと)に着かれ、
十二月二十七日、安芸国(あきのくに)の埃宮(えのみや)にお出でになりました。
安芸(あき)・吉備(きび)・難波(なにわ)
翌年三月六日、吉備国(きびのくに)に移られ、高島宮(たかしまのみや)を造られました。
三年間、兵器・糧食を蓄え、天下平定の準備をされました。
戊午の年二月十一日、東へ向かわれました。
難波(なにわ)の岬に着くと潮流が速く、すぐに到着したため、浪速国(なみはやのくに)と名づけました。
三月十日、河内国草香村(かわちのくにくさかむら/日下村)白肩津(しらかたのつ)に着かれました。
五瀬命(いつせのみこと)の死
四月九日、竜田(たつた)へ向かう道は険しく、進めませんでした。
そこで生駒山(いこまやま)を越えて内つ国へ入ろうとされました。
長髄彦(ながすねひこ)はこれを聞き、
「天神の子が来るのは我が国を奪うためだ」
と言って孔舍衛坂(くさえのさか)で戦いました。
流れ矢が五瀬命(いつせのみこと)の肘脛に当たり、軍は進めませんでした。
天皇は、
「日神の子孫である私が、日に向かって戦うのは天道に逆らう。
一度退き、背に太陽を負って戦うべきだ。」
と述べ、草香津(くさかのつ)に退きました。
盾を立てて雄叫びしたため、その津を盾津(たてつ)と呼ぶようになりました。
五月八日、茅淳(ちぬ)の山城水門(やまきのみなと)に着くころ、五瀬命の傷は悪化しました。
命は剣を撫でて雄叫びし、
「丈夫(ますらお)が賊に傷つけられ、報いずに死ぬとは無念だ」
と言われました。
その地を雄水門(おのみなと)と名づけました。
軍は紀国(きのくに)の竈山(かまやま)に至り、五瀬命は亡くなり、同地に葬られました。
稲飯命(いなひのみこと)・三毛入野命(みけいりのみこと)の別れ
六月二十三日、名草邑(なくさむら)に着き、名草戸畔(なくさとべ)という女賊を誅しました。
佐野(さの)を越えて熊野(くまの)の神邑(みわのむら)に至り、天磐盾(あまのいわたて)に登りました。
海を渡ろうとすると暴風に遭い、船は進みませんでした。
稲飯命(いなひのみこと)は嘆いて言われました。
「我が先祖は天つ神、母は海神であるのに、なぜ陸でも海でも我を苦しめるのか。」
そう言って海に入り、鋤持神(さびもちのかみ)となられました。
三毛入野命(みけいりのみこと)も恨んで言われました。
「母も姨も海神であるのに、なぜ波を立てて我らを溺れさせるのか。」
そう言って常世国(とこよのくに)へ行かれました。
八咫烏(やたがらす)
天皇はひとり、皇子である手研耳命(たぎしみみのみこと)と軍を率いて進み、熊野の荒坂の津(くまののあらさかのつ)に着かれました。
そこで丹敷戸畔(たきしとべ)という女賊を誅されました。
そのとき、神が毒気を吐いて人々を弱らせました。
このため皇軍は振るわず、進むことができませんでした。
するとそこに、熊野の高倉下(たかくらじ)という人がいました。
その夜、高倉下の夢に、天照大神(あまてらすおおみかみ)が武甕雷神(たけみかづちのかみ)に語られる声が聞こえました。
「葦原中国(あしはらのなかつくに)は、まだ乱れ騒がしい。お前が往って平げなさい。」
武甕雷神は答えました。
「私が行かなくても、国を平定したときの剣を差し向ければ、国は自ら安定するでしょう。」
天照大神は、
「もっともだ。」
とお答えになりました。
そこで武甕雷神は高倉下に語りました。
「私の剣は名を『布都御魂(ふつのみたま)』という。それをあなたの倉の中に置こう。
それを取って天孫に献上しなさい。」
高倉下が「承知しました」と答えると、夢から覚めました。
翌朝、倉を開いてみると、夢のとおり剣が庫の底板に逆さに突き刺さっていました。
高倉下はそれを取って天皇に献上しました。
そのとき天皇は深く眠っておられましたが、たちまち目覚め、
「自分はどうしてこんなに長く眠ったのだろう。」
と言われました。
すると毒気に当たっていた兵たちも皆、同時に目を覚ましました。
八咫烏(やたがらす)の出現
皇軍は内つ国へ向かおうとしましたが、山は険しく道もなく、進退に迷いました。
その夜、天皇は再び夢を見られました。
天照大神が語られました。
「吾は今、八咫烏(やたがらす)を遣わす。これを案内にせよ。」
すると八咫烏が大空から飛び降りてきました。
天皇は言われました。
「この烏の来たことは瑞夢にかなっている。偉大で栄誉あることだ。
天照大神が我々の事業を助けようとしてくださっている。」
このとき、大伴氏(おおとものうじ)の先祖である日臣命(ひのおみのみこと)は、大来目(おおくめ)を率いて大軍の監督者となり、山を越え、道を踏み分け、烏の導きに従って進みました。
そしてついに宇陀の下県(うだのしもつこおり)に着きました。
その場所を宇陀の穿邑(うだのうかちのむら)と名づけました。
天皇は日臣命をほめて言われました。
「お前は忠勇の士であり、軍をよく導いた。
名を改めて道臣(みちのおみ)としよう。」
兄猾(えうかし)と弟猾(おとがし)
秋八月二日、兄猾(えうかし)と弟猾(おとがし)を呼びました。
この二人は、宇陀の県(うだのこおり)の人々の頭でございました。
ところが、兄猾(えうかし)はこれに応じませんでしたが、弟猾(おとがし)はやってきて、軍門(みかど)を拝み、申し上げました。
「私の兄、兄猾(えうかし)は、天孫がお出でになると聞き、兵を率いてこれを襲おうとしております。
皇軍の軍勢を眺めると、戦いにくいことを恐れて、こっそり兵を隠し、仮の新宮(にいのみや)を造り、その御殿の中に仕掛けを設け、もてなすように見せかけて事を起こそうとしています。
どうかこの謀をお知りいただき、よく備えてください。」
天皇は道臣命(みちのおみ)を遣わして、その計略を調べさせました。
道臣命はこれを仔細に調べ、兄猾に暗殺の心があることを知り、大いに怒って叱責し、
「卑怯者だ。お前が造った部屋に、自分で入るがよい。」
と言って剣を構え、弓をつがえて中へ追い詰めました。
兄猾(えうかし)は天を欺いたため言い逃れできず、自ら仕掛けに落ちて圧死しました。
その屍を引き出して斬ると、流れる血はくるぶしを埋めるほどに溢れました。
それで、その場所を宇陀の血原(うだのちはら)と呼びました。
弟猾(おとがし)は、たくさんの肉と酒を用意して皇軍を労い、もてなしました。
天皇は酒肉を兵士たちに分け与え、歌を詠まれました。
来目歌(くめうた)
ウタノタカキニ、シギワナハル、ワガマツヤ、シギハサヤラズ、イスクハシ、クデラサヤリ、コナミガ、ナコハサバ、タチソバノミノ、ナケクヲ、コキシヒエネ、ウハナリガ、ナコハサバ、イチサカキミノ、オホケクヲ、コキタヒエネ。
(宇陀(うだ)の高城(たかき)に嶋をとるワナを張って私が待っていると、鴨はかからず鷹がかかりました。これは大漁です。
古女房が獲物をくれと言ったら、やせそばの実のないところをたくさんやりなさい。
若女房が獲物をくれと言ったら、斎賢木(いちさかき)のように実の多いところをたくさんやりなさい。)
これを来目歌(くめうた)といいます。
現在、楽府(おおうたどころ)でこの歌を歌うとき、手の広げ方の大小や声の太さ細さに違いがあるのは、古くからの遺法でございます。
吉野(よしの)での邂逅
この後、天皇は吉野(よしの)のあたりをご覧になりたいと思われ、宇陀の穿邑(うだのうかちのむら)から軽装の兵を連れて巡幸されました。
吉野に着かれたとき、そこに人がいて、井戸の中から出てきました。
その人は体が光り、尻尾がありました。
天皇が、
「お前は何者か。」
と問われると、
「手前は国つ神で、名は井光(いひか)と申します。」
と答えました。
これは吉野の首部(きびのおびと)の先祖でございます。
さらに少し進むと、また尾のある人が岩を押し分けて出てきました。
天皇が問われると、
「手前は石押分(いわおしわく)の子です。」
と答えました。
これは吉野の国栖(くず)の先祖でございます。
川に沿って西においでになると、また梁(やな)を設けて漁をする者がありました。
天皇が尋ねられると、その者は、
「手前は苞苴担(にえもつ)の子です。」
と言いました。
これは阿太(あだ)の養鵜部(うかいら)の先祖でございます。
八十梟帥(やそたける)の布陣
九月五日、天皇は宇陀の高倉山(うだのたかくらやま)の頂に登って、国の中を眺められました。
そのころ国見丘(くにみのたけ)の上には八十梟帥(やそたける)がいました。
女坂(めさか)には女軍(めのいくさ)を置き、男坂(おさか)には男軍(おのいくさ)を置き、墨坂(すみさか)にはおこし炭を置いていました。
女坂・男坂・墨坂の名はここから起こったものです。
また兄磯城(えしき)の軍は磐余邑(いわれのむら)に溢れていました。
敵の拠点はみな要害の地であり、このため道は絶え塞がれて通るべきところがありませんでした。
天皇はこれを憎まれました。
天つ神(あまつかみ)の夢告
その夜、天皇は神に祈ってお休みになりました。
すると夢に天つ神(あまつかみ)が現れ、こう言いました。
「天香具山(あまのかぐやま)の社の中の土を取って、平瓦八十枚をつくり、
お神酒(みき)を入れる瓶をつくり、天神地祇をお祀りせよ。
また身を清めて呪詛を行え。
そうすれば敵は自然に降伏するだろう。」
天香具山(あまのかぐやま)の土を取る
天皇は夢のお告げを謹んで承り、実行しようとされました。
そのとき弟猾(おとがし)が申し上げました。
「倭の国の磯城邑(しきのむら)には磯城(しき)の八十梟帥(やそたける)がいます。
また葛城邑(かずらきのむら)には赤銅(あかがね)の八十梟帥がいます。
この者たちは皆、天皇にそむき戦おうとしています。
今、天香具山(あまのかぐやま)の赤土を取って平瓦をつくり、天神地祇をお祀りください。
そうすれば敵を討ち払いやすくなるでしょう。」
天皇は夢のお告げが吉兆であると感じておられ、弟猾の言葉を聞いて喜ばれました。
そこで椎根津彦(しいねつひこ)に着古した衣服と蓑笠を着せて老人の姿にし、
弟猾(おとがし)には箕(みの)を着せて老婆の姿にし、
「お前たち二人、香具山(かぐやま)に行って、こっそり頂の土を取ってきなさい。
大業の成否はお前たちで占おう。しっかりやってこい。」
と命じられました。
敵陣をすり抜ける
そのとき敵兵は道を覆い尽くしており、通ることは困難でした。
椎根津彦(しいねつひこ)は神意を占い、
「我が君がこの国を定められるなら、行く道は自然に開ける。
もしそうでなければ、敵が道を塞ぐだろう。」
と言って出発しました。
敵兵は二人の姿を見て大いに笑い、
「汚らしい老人どもだ。」
と言って道を開けました。
二人は無事に山に着き、土を取って帰りました。
平瓦・厳瓮(いつへ)を造り、天神地祇を祀る
天皇は大いに喜ばれ、その土で多くの平瓦や、
手抉(たくじり:土を丸めて指で窪ませた土器)、
厳瓮(いつへ:御神酒を入れる器)を造り、
丹生(にう)の川上に上って天神地祇を祀られました。
宇陀川(うだがわ)の朝原で、水沫のように固まり着く場所がありました。
天皇はまた神意を占われました。
「私は今、たくさんの平瓦で水なしに飴を造ろう。
もし飴ができれば、武器を使わずとも天下を平げるだろう。」
飴を造ると、たやすくできました。
さらに天皇は占われました。
「私は今、御神酒瓮(おみさかめ)を丹生(にう)の川に沈めよう。
もし魚が大小なく酔って流れ、槇の葉のように浮き流れるなら、
私はこの国を平定するだろう。
そうでなければ成し遂げられぬだろう。」
瓮を沈めると口が下を向き、しばらくすると魚が皆浮き上がって口をパクパクさせました。
椎根津彦(しいねつひこ)が報告すると、天皇は大いに喜び、
丹生の川上の榊を根こぎにして諸々の神を祀られました。
このときから祭儀には御神酒瓮(おみさかめ)が置かれるようになりました。
厳瓮(いつへ)と諸神の名付け
天皇は道臣命(みちのおみのみこと)に言われました。
「今、高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)を私が顕斎(うつしいわい)しよう。
お前を斎主(いわいのうし)として、女性らしく厳媛(いつひめ)と名づけよう。
そこに置いた土瓮を厳瓮(いつへ)とし、
火の名を厳香来雷(いつのかぐつち)、
水の名を厳罔象女(いつのみつはのめ)、
食物の名を厳稲魂女(いつのうかのめ)、
薪の名を厳山雷(いつのやまつち)、
草の名を厳野椎(いつののづち)とする。」
八十梟帥(やそたける)討伐
冬十月一日、天皇は厳瓮(いつへ)の供物を召し上がり、兵を整えて出発されました。
まず八十梟帥(やそたける)を国見丘(くにみのおか)で撃ち斬られました。
天皇は勝利を確信し、歌われました。
カムカゼノ、イセノウミノ、才ホイシニヤ、イハヒモトへル、シタダミノ、シタダミノ、アゴヨ、アゴヨ、シタダミノ、イハヒモ卜ヘリ、ウチテシヤマム、ウチテシヤマム。
(伊勢の海の大石に這いまわる細螺(しただみ/キシャゴ)のように、
我が軍勢よ、我が軍勢よ。
細螺のように這いまわって、必ず敵を討ち負かしてしまおう、という意味でございます。)
忍坂(おさか)の酒宴の計略
残党はなお多く、情勢は測りがたかったため、天皇は密かに道臣命に命じました。
「お前は大来目部(おおくらめべ)を率いて、大室(おおむろ)を忍坂邑(おさかのむら)に造り、
盛んに酒宴を催して敵を騙し討ちにせよ。」
道臣命は室を掘り、味方の強者を選んで敵と同居させ、
「酒宴がたけなわになったら自分が立って舞う。
その声を聞いたら一斉に敵を刺せ。」
と示し合わせました。
敵は陰謀を知らず酔いしれ、道臣命が歌うと、
味方は一斉に頭椎(くぶつつ)・石椎(いしつつ)の剣を抜いて敵を皆殺しにしました。
皇軍は大いに喜び、天を仰いで笑い、歌われました。
イマハヨ、イマハヨ、アアシヤヲ、イマダニモアゴヨ、イマダニモアゴヨ。
また歌われました。
エミシヲ、ヒタリモモナヒト、ヒトハイヘドモ、タムカヒモセズ。
これらはすべて密旨を受けて歌われたもので、私意ではありません。
天皇は言われました。
「戦いに勝っておごらないのは良将である。
大きな敵は滅んだが、悪い者はまだ多い。
長く同じ所にいて難に遭うのはよくない。」
そこでその地を離れ、別の場所へ移られました。
兄磯城(えしき)・弟磯城(おとしき)
十一月七日、皇軍は大挙して磯城彦(しきひこ)を攻めようとしていました。
まず使者を送り兄磯城(えしき)を呼びましたが、兄磯城は応じませんでした。
八咫烏(やたのからす)を遣わして呼ぶと、烏は軍営に行って鳴き、
「天つ神の子がお前を呼んでおられる。さあさあ。」
と言いました。
兄磯城(えしき)は怒り、
「天つ神が来たと聞いて憤っている時に、なぜ烏が悪く鳴くのか。」
と言って弓で射ました。烏は逃げました。
次に弟磯城(おとしき)の家に行って鳴くと、弟磯城はかしこまり、
「天つ神が来られたと聞いて朝夕畏れておりました。
烏よ、お前が鳴くのは良いことだ。」
と言い、皿八枚に食物を盛ってもてなし、烏に導かれて天皇のもとへ来て申し上げました。
「兄磯城(えしき)は八十梟帥(やそたける)を集め、武器を整えて決戦しようとしています。
速やかに準備すべきです。」
天皇は諸将と相談し、弟磯城を使者として諭しましたが、兄磯城は承伏しませんでした。
椎根津彦(しいねつひこ)は計略を立てました。
「まず女軍(めのいくさ)を忍坂(おさか)から進ませ、敵を引きつけ、
その隙に男軍(おのいくさ)が墨坂(すみさか)から回り込み、
宇陀川(うだがわ)の水で敵の炭火を消し、不意を突けば勝てる。」
天皇はこれを採用し、
女軍が敵を引きつけ、男軍が背後から襲い、
梟雄・兄磯城(たけるえしき)を斬りました。
長髄彦(ながすねひこ)と金鵄(きんし)
十二月四日、皇軍はついに長髄彦(ながすねひこ)を討つことになりました。
戦いを重ねましたが、なかなか勝つことができませんでした。
そのとき急に空が暗くなり、雹が降ってきました。
そこへ金色の不思議な鵄(とび)が飛んできて、天皇の弓の先にとまりました。
その鵄(とび)は光り輝き、まるで雷光のようでございました。
このため長髄彦(ながすねひこ)の軍勢は皆、眩惑されてしまい、力を発揮できませんでした。
長髄(ながすね)というのは、もとは邑(むら)の名であり、それを人名としたものです。
皇軍が鵄(とび)の瑞兆を得たことから、当時の人々はその地を鵄の邑(とびのむら)と名づけました。
現在の鳥見(とみ)という地名は、これが訛ったものです。
昔、孔舍衛(くさえ)の戦いで、五瀬命(いつせのみこと)が矢に当たって亡くなられました。
天皇はこれを忘れず、常に恨みに思っておられ、この戦いで仇を討ちたいと願われました。
そして歌って言われました。
ミツミツシ、クメノコラガ、「力キモトニ」アハフニハ、カミラヒトモト、ソノガモト、ソネメツナギテ、ウチテシヤマム。
(天皇の御稜威(みいつ)を負った来目部(くめべ)の軍勢の家の垣の根元に粟が生え、その中に韮が一本まじっています。
その韮の根から芽までをつないで抜き取るように、敵の軍勢をすっかり撃ち破ろう、という意味でございます。)
天皇はさらに歌われました。
ミツミツシ、クメノコラガ、力キモ卜ニ、ウエシハジカミ、クチビヒク、ワレハワスレズ、ウチテシヤマム。
(来目部(くめべ)の家の垣の元に植えた山椒は、口に入れるとヒリヒリします。
そのように敵の攻撃の手痛さは今も忘れない。
今度こそ必ず撃ち破ってやろう、という歌でございます。)
敵兵を放ってさらに急追しました。
これら諸々の御歌は、すべて来目歌(くめうた)と呼ばれます。
これは歌った人を指して名づけたものです。
長髄彦(ながすねひこ)の言上
そのとき、長髄彦(ながすねひこ)は使者を送り、天皇に言上しました。
「昔、天神の御子が天磐船(あめのいわふね)に乗って天降られました。
その名を櫛玉饒速日命(くしたまにぎはやひのみこと)と申します。
この方が私の妹の三炊屋媛(みかしきやひめ)を娶って子が生まれました。
名を可美真手命(うましまてのみこと)と申します。
それで私は饒速日命(にぎはやひのみこと)を君として仕えております。
天つ神の子は二人おられるのですか?
どうしてまた天つ神の子と名乗って、人の土地を奪おうとされるのですか。
私が思うに、それは偽者でしょう。」
天皇は答えられました。
「天つ神の子は多くいる。
お前が君とする者が本当に天つ神の子ならば、必ず表(しるし)があるはずだ。
それを示しなさい。」
長髄彦(ながすねひこ)は、饒速日命(にぎはやひのみこと)の天羽羽矢(あまのははや:蛇の呪力を負った矢)と歩靭(かちゆき:徒歩で弓を射るときのヤナグイ)を天皇に示しました。
天皇はこれをご覧になり、
「偽りではない。」
と言われ、天皇自身の所持する天羽羽矢(あまのははや)一本と歩靭(かちゆき)を長髄彦に示されました。
長髄彦はその天つ神の表(しるし)を見て、ますます恐れ畏まりました。
しかし、兵器の準備はすでに整っており、中途で止めることは難しく、
また誤った考えを捨てず、改心の気持ちもありませんでした。
饒速日命(にぎはやひのみこと)の帰順
饒速日命(にぎはやひのみこと)は、天つ神たちが深く心配されているのは天孫のことであると知っていました。
長髄彦(ながすねひこ)は性格が捻れており、天つ神と人とは全く異なるのだと教えても理解しそうになかったため、
饒速日命(にぎはやひのみこと)によって殺害されました。
そして饒速日命はその部下たちを率いて帰順しました。
天皇は饒速日命が天から下ってきたことを知り、今ここに忠誠を尽くしたので、これを褒めて寵愛されました。
これが物部氏(もののべのうじ)の先祖でございます。
土賊の討伐と土蜘蛛(つちぐも)
翌年、己未の春二月二十日、天皇は諸将に命じて士卒を選び、訓練されました。
このとき、添県(そほのあがた)の波哆の丘岬(はたのおかざき)に新城戸畔(にいきとべ)という女賊があり、
また和珥(わに:天理周辺)の坂下に居勢祝(こせのはふり)という者があり、
臍見(ほそみ)の長柄の丘岬(ながらのおかさき)に猪祝(いのはふり)という者がありました。
この三か所の土賊は力を誇示して帰順しませんでした。
そこで天皇は軍の一部を派兵して皆殺しにさせました。
また、高尾張邑(たかおわりのむら)に土蜘蛛(つちぐも)がいて、その人態は身丈が短く、手足が長く、侏儒(しゅじゅ)に似ていました。
皇軍は葛の網(かつらのあみ)を作って覆い捕え、これを殺しました。
そこでその邑を改めて葛城(かずらき)としました。
磐余(いわれ)の地の元の名は片居(かたい)または片立(かたたち)といいます。
皇軍が敵を破り、大軍が集まってその地に溢れたので磐余(いわれ)としました。
また、ある人は言います。
「天皇が昔、厳瓮(いつへ)の供物を召し上がり、出陣して西片を討たれた。
このとき磯城(しき)の八十梟帥(やそたける)がそこに屯聚(みいわみ:集兵)した。
天皇軍と大いに戦ったが、ついに滅ぼされた。
それで名づけて磐余邑(いわれのむら)という。」
また、皇軍が叫び声(たけびごえ)を立てたところを猛田(たけだ)と呼び、
城(き)を造った所を城田(きた)といい、
賊軍が戦って倒れた屍が臂(ひじ)を枕にしていたので頰枕田(つらまきた)と呼びました。
天皇は前年の秋九月、密かに天香山(あまのかぐやま)の埴土(はにつち)を取り、
沢山の平瓮を造り、自ら斎戒して諸神を祀られました。
そしてついに天下を平定することができました。
それで土を取ったところを埴安(はにやす)と呼びます。
宮殿造営
三月七日、天皇は令(のりごと)を下して言われました。
「東征を始めてから六年になった。
天つ神(あまつかみ)の勢威のお蔭で凶徒は討ち滅ぼされた。
しかし、周辺の地はまだ治まらない。
残りの災いはなお根強いが、内州(うちつくに)の地には騒ぐ者もいない。
皇都(みやこ)を開き広めて御殿を造ろう。
しかし今、世の中はまだ開けていないが、民の心は素直である。
人々は巣に棲んだり穴に住んだりして、未開の慣わしが変わらずにある。
そもそも大人(ひじり:聖人)が制(のり)を立てて、道理が正しく行われる。
人民の利益となるならば、どんなことであっても聖の行うわざとして間違いはない。
まさに山林を開き払い、宮室を造って謹んで尊い位につき、人民を安ずべきである。
上は、天つ神が国をお授け下さった御徳に答え、
下は、皇孫の正義を育てられた心を弘めよう。
その後、国中を一つにして都を開き、天の下を掩って一つの家とすることは、また良いことではないか。
見れば、かの畝傍山(うねびやま)の東南の橿原(かしはら)の地は、思うに国の真中である。
ここに都を造るべきである。」
この月、天皇は役人に命じて都造りに着手されました。
橿原宮(かしはらのみや)の造営と正妃の立后
庚申(かのえさる)の年、秋八月十六日、天皇は正妃を立てようと思われました。
改めて貴族の女子を探されました。
そのとき、ある人が奏して申し上げました。
「事代主神(ことしろぬしのかみ)が、三島溝橛耳神(みしまぞくいみみのかみ)の娘、玉櫛媛(たまくしひめ)と結婚され、その生まれた子を媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)といいます。
この方は容色に優れた人です。」
これを聞いて天皇は大いに喜ばれました。
九月二十四日、媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめのみこと)を召して正妃とされました。
橿原即位(かしはらそくい)
辛酉(しんゆう)の年、春一月一日、天皇は橿原宮(かしはらのみや)にご即位になりました。
この年を天皇の元年といたします。
正妃を尊んで皇后とされました。
皇子の 神八井命(かむやいのみこと)、神淳名川耳尊(かむぬなかわみみのみこと) をお生みになりました。
そのため、古語にもこれを称して次のようにいいます。
「畝傍(うねび)の橿原(かしはら)に、御殿の柱を大地の底の岩にしっかりと立て、
高天原(たかまがはら)に千木(ちぎ)高くそびえ、
初めて天下を治められた天皇」
名づけて 神日本磐余彦火火出見天皇(かむやまといわれびこほほでみのすめらみこと) といいます。
国政の開始と倒語(さかしまごと)の始まり
初めて天皇が国政を始められる日に、
大伴氏(おおとものうじ)の先祖である 道臣命(みちのおみのみこと) が、大来目部(おおくらめべ)を率いて密命を受け、
よく 諷歌(そえうた)(比喩的な歌)、倒語(さかしまごと)(合言葉・暗号)を用いて災いを払い除きました。
倒語(さかしまごと)が用いられるのは、このときが始まりでございます。
二年・論功行賞
二年春二月二日、天皇は論功行賞を行われました。
道臣命(みちのおみのみこと) に宅地を賜り、築坂邑(つきさかのむら)に住まわせ、特に目をかけられました。
大来目(おおくめ) を畝傍山(うねびやま)の西、川辺の地に住まわせました。
現在の来目邑(くめのむら)はこれが由来です。
椎根津彦(しいねつひこ) を倭国造(やまとのくにのみやつこ)としました。
弟猾(おとがし) に猛田邑(たけだのむら)を与え、猛田の県主(たけだのむらのあがたぬし)としました。
これは宇陀(うだ)の主水部(もいとりべ)の先祖です。
弟磯城(おとしき)、名は黒速(くろはや)を磯城の県主(しきのあがたぬし)としました。
剣根(つるぎね) を葛城国造(かずらきのくにのみやつこ)としました。
八咫烏(やたがらす) も賞に加えられ、その子孫が葛野主殿県主(かずらののとのもりあがたぬし)です。
四年・天つ神の祭祀
四年春二月二十三日、天皇は詔して言われました。
「我が皇祖の霊が天から降り眺められ、我が身を助けて下さった。
今、多くの敵はすべて平げて、天下は何事もない。
そこで天つ神(あまつかみ)を祀って大孝を申し上げたい。」
神々の祀りの場を鳥見山(とみやま)の中に設け、
そこを 上小野の榛原(かみつおののはりはら)、下小野の榛原(しもつおののはりはら) といい、
高皇産霊尊(たかみむすひのみこと) を祀りました。
三十一年・秋津洲(あきつしま)の名の由来
三十一年夏四月一日、天皇は御巡幸されました。
腋上の嗛間(わきかみのほほま)の丘に登られ、国のかたちを望見して言われました。
「なんと素晴らしい国を得たことだ。
狭い国ではあるけれども、蜻蛉(あきつ:トンボ)がトナメ(交尾)しているように、
山々が連なり囲んでいる国であるな。」
これによって、初めて 秋津洲(あきつしま) の名が生まれました。
かつて伊奘諾尊(いざなぎのみこと)はこの国を名づけて、
「日本(やまと)は心安らぐ国、良い武器が沢山ある国、優れて良く整った国」
と言われました。
また大己貴大神(おおあなむちのおおかみ)は、
「玉牆(たまかき)の内つ国(なかつくに)」
と言われました。
饒速日命(にぎはやひのみこと)は天磐船(あめのいわふね)に乗って大空を飛び、この国を見て降りられたので、
「空見つ日本(やまと)の国」
と呼ばれました。
四十二年・皇太子の立太子
四十二年春一月三日、皇子である 神淳名川耳尊(かむぬなかわみみのみこと) を皇太子とされました。
七十六年・神武天皇の崩御
七十六年春三月十一日、天皇は橿原宮(かしはらのみや)で崩御されました。
御年 百二十七歳 でございました。
翌年秋九月十二日、畝傍山(うねびやま)の東北の陵(うしとらのすみのみささぎ)に葬られました。