龍神の記憶と目覚め  日本神話ー⑧海幸彦・山幸彦から神武天皇誕生までの物語 | 龍神の記憶と目覚め 

日本神話ー⑧海幸彦・山幸彦から神武天皇誕生までの物語

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創作物語版

海幸彦・山幸彦の兄弟神の物語から、鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)を経て、神武天皇の誕生へとつながる大きな流れを、創作物語として章立てまとめています。
記紀の現代語訳を読みたい方は後半をご覧ください。

第一章 兄弟神のすれ違いと、海へ誘う風

蛇神大物主神より授かりし神秘の恩恵
史上初!潜在意識の深海で甦る ― 奇跡の再生ヒーリング
大うつ病、不安、ストレス解消,自律神経失調症といったメンタル不調を瞬時に解消


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天孫ニニギノミコトの子として生まれた二人の兄弟――
兄・海幸彦(ほでり)と弟・山幸彦(ほおり)。

海幸彦は、荒波を恐れず舟を操り、海の恵みを得ることに長けた神。

山幸彦は、山の獣の気配を読み、森の静けさの中で弓を引くことを好む神。

二人は互いの領分を尊重し、
「海は兄の世界」「山は弟の世界」と、争いなく暮らしていました。

しかし、ある日――
山幸彦の胸に、ふとした好奇心が芽生えます。

「兄上の釣り針を貸していただけませんか。
海の恵みを、この手で感じてみたいのです」

海幸彦は眉をひそめながらも、
弟の願いを断りきれず、渋々釣り針を渡しました。

🌫 失われた釣り針

山幸彦は海へ出ましたが、
慣れない波、慣れない風、慣れない海の呼吸。

やがて――
大切な釣り針は、波間に呑まれて消えてしまいます。

海幸彦の怒りは激しく、
弟を責め立てました。

「お前は山の神だろう!
なぜ海に手を出した!
あれは代々伝わる大切な釣り針なのだ!」

山幸彦は深く頭を垂れ、
胸の奥に重い悔いを抱きました。

「……必ず探し出します。
兄上の釣り針を、必ず」

その決意を胸に、
山幸彦は海辺へと向かいます。

🌬 海辺に立つ山幸彦

潮風はどこか優しく、
まるで彼を導くように吹いていました。

波間には、光が揺れています。
それは朝日か、海の神の気配か――
山幸彦にはわかりません。

ただ、その光を追うように歩いていくと、
足元の砂がふっと軽くなり、
世界が静かに変わり始めました。

波の音が遠のき、
代わりに深い水の響きが胸に届きます。

「……これは……?」

気づけば、
山幸彦は海の底へと続く不思議な道に足を踏み入れていました。

そこは、
海と空の境目が溶け合うような青い世界。

光は揺れ、
水は歌い、
遠くには、まるで都のような影が見えます。

山幸彦は一歩、また一歩と進みました。

釣り針を探すために。
兄との絆を取り戻すために。
そして――
この先で待つ運命の出会いへ向かうために。

第二章 海神の宮と、豊玉毘売との邂逅

山幸彦が足を踏み入れた海の底は、まるで別の宇宙でした。

珊瑚の柱は宮殿のように立ち並び

玉のように光る魚たちが静かに泳ぎ

潮の流れが壁を淡く照らし

水の音は、どこか祈りのように響く

その中心に、荘厳な宮がありました。
そこに座すのが 海神・綿津見(わたつみ)

そして、山幸彦を迎えたのは――
海の光をまとったような気品を持つ姫、豊玉毘売(とよたまひめ)でした。

豊玉毘売との出会い

豊玉毘売は山幸彦を見るなり、胸にそっと手を当てました。

「……あなたは、海の底に似つかわしくない光を持っていますね」

山幸彦は戸惑いながらも、彼女の優しさに心をほどかれていきます。

「私は兄の釣り針を探しに来たのです。
海の道は不思議で……気づけばここへ」

豊玉毘売は微笑み、父である海神へ案内しました。

海神のもてなしと釣り針の探索

海神・綿津見は山幸彦の事情を聞くと、
海の生き物たちに命じて釣り針を探させました。

鯛が海底を探り

蛸が岩陰を覗き

海老が砂を掘り返し

やがて、鯛の喉から釣り針が見つかります。

「これが……兄上の釣り針……!」

山幸彦は深く頭を下げました。

海神は言います。

「お前は誠実な神だ。
この宮でしばし客人として過ごすがよい」

その言葉に従い、山幸彦は海の宮で暮らし始め、
豊玉毘売との距離は自然と近づいていきました。

夫婦の契り

海の静けさ、豊玉毘売の優しさ、
そして互いの心が惹かれ合うままに、
二人は夫婦の契りを結びました。

豊玉毘売は山幸彦の手を取り、
海の光が揺れる中で静かに言います。

「あなたと共に生きたい。
海の底でも、地上でも……どこであっても」

山幸彦はその手を強く握り返しました。

地上へ戻る時

しかし、やがて地上へ戻る時が訪れます。

海神は潮の力を宿した二つの玉を差し出しました。

潮満の玉(しおみつのたま)

潮干の玉(しおひのたま)

「この玉は、潮を満たし、潮を引かせる力を持つ。
争いを鎮め、和をもたらすために使いなさい」

山幸彦は深く礼をし、
豊玉毘売は涙をこらえながら夫を見送りました。

「あなたの子を身ごもりました。
必ず……地上へ参ります。
どうか、その時まで私を忘れないで」

山幸彦は胸が締めつけられる思いで答えます。

「忘れるはずがありません。
必ず……あなたを迎えます」

豊玉毘売の涙は海の光と混ざり、
まるで真珠のように輝いていました。

第三章 兄弟の和解と、海の血を継ぐ子の兆し

山幸彦が海神の宮から戻ると、海幸彦は怒りを抑えきれずに詰め寄りました。

「お前のせいで、我が家の宝の釣り針を失ったのだぞ!」

しかし山幸彦は、海神から授かった二つの玉――
潮満の玉(しおみつのたま)潮干の玉(しおひのたま) を使い、
兄の怒りを静めていきます。

・潮満の玉を使えば、潮が満ちて海幸彦は溺れかけ

・潮干の玉を使えば、潮が引いて助けられる

その体験は、海幸彦の心を大きく揺さぶりました。

「……わかった。弟よ、私が悪かった。
これからはお前に従おう」

こうして兄弟の争いは終わり、
山幸彦は地上での務めを果たすことができました。

豊玉毘売、約束どおり地上へ

その頃、豊玉毘売は夫との約束を守り、
海辺に産屋を建てて出産の準備を進めていました。

潮風に揺れる産屋の前で、豊玉毘売は山幸彦に静かに告げます。

「どうか……私が子を産む時の姿を覗かないでください。
海の民の本来の姿は、あなたを驚かせてしまうでしょう」

山幸彦は深く頷きました。

「もちろんです。あなたを信じています」

しかし――
産屋の中から聞こえる不思議な気配、
潮のうねりのような音、
生まれようとする命の気迫。

そのすべてが山幸彦の心を揺さぶり、
ついに彼は禁を破ってしまいます。

産屋の隙間から覗いたその瞬間、
山幸彦は息を呑みました。

そこにいたのは、
人の姿ではなく――
巨大なワニ(海神族の本来の姿)

海の民が出産の時だけ見せる、
古い古い姿でした。

豊玉毘売は、姿を見られたことに気づき、
深く傷ついた表情で振り返ります。

「……あなたを信じていたのに」

その声は、波に溶けるように震えていました。

「私はあなたの妻として、
人の姿で生きようと決めていました。
けれど……本性を見られてしまった今、
もうあなたの側にはいられません」

涙をこぼしながら、
豊玉毘売は海へと戻っていきました。

その背中は、
海の光に溶けるように消えていきます。

豊玉毘売は去りましたが、
彼女が産んだ子は地上に残されました。

この子こそ――
鵜茅葺不合命(うがやふきあえずのみこと)

のちに神武天皇へと続く、
皇統の重要な系譜がここから始まります。

山幸彦は、
豊玉毘売の涙と、
海と山をつなぐ運命の重さを胸に抱きながら、
新たな時代へと歩みを進めていきます。

第四章 鵜葺草葺不合命の誕生と、玉依毘売の慈しみ

豊玉毘売が残していった子は、
鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)

産屋の屋根を葺く前に生まれたため、
「鵜の羽で葺こうとした屋根が間に合わなかった」
という意味からこの名がつけられました。

その誕生は、
海神の血と天孫の血が初めて結ばれた瞬間でもあります。

母を失った幼子を育てたのは、
豊玉毘売の妹 玉依毘売(たまよりひめ) でした。

姉の忘れ形見として

海と山の血を継ぐ尊い子として

そして、いつか国を導く存在として

玉依毘売は深い愛情で鵜葺草葺不合命を包みました。

彼女の腕の中で、
幼子は海の静けさと山の力強さを受け継ぎながら育っていきます。

成長と結ばれる運命

やがて鵜葺草葺不合命は立派に成長し、
育ての母である玉依毘売と結ばれます。

この結びは、
単なる夫婦の契りではなく、
海神の血脈と天孫の血脈が完全に一つになる象徴でした。

二人の間には四柱の子が生まれます。

五瀬命(いつせのみこと)

稲飯命(いなひのみこと)

三毛入野命(みけいりののみこと)

神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)

この末子こそが、
のちに東へ向かい、
大和を平定し、
初代・神武天皇となる神です。

神武天皇へ続く血脈

こうして、

天つ神の光

海神の深い力

山幸彦の勇気

豊玉毘売と玉依毘売の慈しみ

すべてが一つの流れとなり、
神武天皇へとつながっていきます。

日本の国の始まりは、
争いだけでなく、
愛、別れ、和解、そして再び結ばれる縁によって形づくられていく――
その象徴が、この系譜に宿っています。

第五章 神武天皇の誕生と、東へ向かう志の芽生え

神倭伊波礼毘古命は、幼い頃から不思議な光をまとったような気品を持ち、
周囲の人々は自然と彼を 「日の御子」 と呼ぶようになりました。

その眼差しは澄み、

言葉は柔らかく、

しかし胸の奥には揺るぎない意志が宿っていました。

彼の歩くところには、なぜか風が静まり、
人々は安心したように微笑んだと伝えられています。

成長するにつれ、神倭伊波礼毘古命は胸の奥にある「使命」を自覚し始めます。

「この国は広い。
まだ見ぬ地には、多くの民が暮らしている。
私はそのすべてを照らす太陽のような存在でありたい」

その言葉には、
天孫の血、海神の血、山幸彦の勇気、
そして玉依毘売の慈しみが重なっていました。

日向の地は豊かでしたが、
彼の視線はもっと遠く、
もっと広い世界へ向けられていました。

🛡 兄弟と共に歩む「東への道」

やがて彼は兄弟たち――

五瀬命(いつせのみこと)

稲飯命(いなひのみこと)

三毛入野命(みけいりののみこと)

と共に、東へ向かう大いなる旅を決意します。

この旅こそが、後に 神武東征 と呼ばれる物語の始まり。

日向を出て

豊後の海を渡り

吉備を経て

浪速へ上陸し

そして大和へ向かう

その道のりは、
ただの移動ではなく、
「国を一つにまとめるための試練」そのものでした。

すべてが一本の川のように流れ、
やがて 日本の初代天皇の誕生 へとつながっていきます。

古事記現代語訳

海幸彦と山幸彦
― 兄弟の争いと、海神の国への旅 ―


火照命(ほでりのみこと)は 海幸彦 として海の獲物を、
火遠理命(ほおりのみこと)は 山幸彦 として山の獲物を得て暮らしていました。
ある時、山幸彦は兄に願います。
「互いの道具を交換して使ってみたいのです。」
兄は拒み続けましたが、ついに交換に応じました。
しかし山幸彦は魚を一匹も釣れず、兄の釣針を海に失ってしまいます。
兄は怒り、
「元の釣針を返せ」
と迫ります。
山幸彦は十拳剣を砕いて五百本、さらに千本の釣針を作って償おうとしましたが、
兄は受け取らず、ただ
「元の釣針を返せ」
と言い張りました。
山幸彦は海辺で泣きました。

塩椎神の導きと、海神の宮へ

そこへ 塩椎神(しおつちのかみ) が現れ、事情を聞くとこう言いました。
「あなたのために良い計画があります。」
塩椎神は竹で隙間なく編んだ小舟を作り、
山幸彦を乗せて海へ押し出しました。
「潮の流れに乗って進めば、
魚の鱗のように家が並ぶ宮殿が見えます。
それが 綿津見神(わたつみ)の宮 です。
門のそばの泉の桂の木に登れば、
綿津見の娘があなたを見つけて取り計らってくれるでしょう。」
山幸彦が教えられた通りに進むと、
すべて塩椎神の言葉の通りでした。

豊玉毘売との出会いと結婚

泉の水を汲みに来た侍女が、
桂の木の上にいる美しい青年(山幸彦)を見つけます。
山幸彦は水を求め、
侍女が差し出した器に、
首飾りの玉を口に含んで吐き入れました。
玉は器に張り付き、侍女は離せません。
侍女はそのまま器を 豊玉毘売(とよたまびめ) に届けました。
豊玉毘売は外に出て山幸彦を見て、
一目で恋に落ちます。
父の綿津見神も山幸彦を見て驚き、
「天津日高の御子、虚空津日高(そらつひこ)だ」
と見抜き、宮に迎え入れました。
海驢(あしか)の皮畳を八重に敷き、
絹畳を八重に敷いて座らせ、
盛大にもてなし、
豊玉毘売と結婚させました。
山幸彦は 三年間、海神の宮に滞在 しました。

釣針の発見と、潮満珠・潮干珠

三年後、山幸彦はため息をつきます。
綿津見神が理由を尋ねると、
「兄の釣り針を失ったままなのです」
と答えました。
綿津見神は魚たちを集めて尋ねます。
「誰か釣り針を飲み込んだ者はいるか?」
するとが喉を押さえて苦しんでいました。
調べると、そこに兄の釣り針が刺さっていたのです。
海神は釣り針を取り出し、山幸彦に返しました。
綿津見神は言いました。
「兄に返す時は、
『憂鬱になる釣針、貧しくなる釣針』
と唱えて後ろ手に渡しなさい。
兄が高い田を作れば低い田を、
低い田を作れば高い田を作りなさい。
私は水を支配しているので、
三年は兄は貧しくなるでしょう。
もし攻めてきたら
潮満珠(しおみつたま) で溺れさせ、
許しを乞えば
潮干珠(しおふるたま) で助けなさい。」
さらに綿津見神は鰐魚(わに=サメ)を集め、
一尋鰐魚に山幸彦を送らせました。
山幸彦は鰐魚に紐刀を贈り、
その鰐魚は 佐比持神(さひもちのかみ) と呼ばれるようになりました。

海幸彦の服従

山幸彦が釣針を返すと、
兄・海幸彦は貧しくなり、
ついに攻めてきました。
山幸彦は潮満珠で溺れさせ、
潮干珠で助け、
苦しめ続けました。
ついに海幸彦は言いました。
「これからは昼夜あなたを守護いたします。」
この兄の子孫が、のちに隼人(はやと)と呼ばれる人々であると伝えています。
こうして隼人族は、
海で溺れた時の動作を舞として伝え、
宮廷に奉仕するようになりました。

鵜葺草葺不合命の誕生
― 豊玉毘売の出産と別れ ―


豊玉毘売は身重になり、
「天つ神の御子を海で産むわけにはいきません」
と言って地上へ来ました。
海辺に 鵜の羽を葺草にした産屋 を作りましたが、
屋根が葺き終わらないうちに陣痛が始まりました。
豊玉毘売は言いました。
「異郷の者は出産の時、本来の姿に戻ります。
どうか覗かないでください。」
しかし山幸彦は覗いてしまい、
豊玉毘売が 八尋の大鰐 となって身をくねらせる姿を見てしまいます。
豊玉毘売は恥じ、
産んだ子を残して海へ帰りました。
その子が
天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命
(あまつひこひこなぎさたけうかやふきあえずのみこと)

です。

玉依毘売との出会いと、神武天皇の誕生へ

豊玉毘売は夫を慕う心を抑えられず、
妹の 玉依毘売(たまよりびめ)
子の養育係として送り、歌を託しました。
山幸彦も歌で応えました。
鵜葺草葺不合命は玉依毘売を妻とし、
四柱の御子を生みます。
五瀬命
稲氷命
御毛沼命
若御毛沼命(神倭伊波礼毘古命)=初代神武天皇
こうして、
天孫の血統は地上に根づき、
大和王権の始祖へとつながっていく
のです。

日本書紀現代語訳

彦火火出見尊と火闌降命

兄の火闌降命(ほのすそりのみこと)は、もともと海の幸を得る力を備えていました。弟の彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)は、もともと山の幸を得る力を備えていました。兄弟二人は相談して、「ためしに二人の幸を取りかえてみよう」と言いました。

そして実際に取り換えてみましたが、それぞれの幸を得ることができませんでした。兄は後悔して弟の弓矢を返し、自分の釣針を返してほしいと言いました。しかし弟はすでに兄の釣針を失っており、探し求める方法もありませんでした。

そこで弟は別に新しい針を作って兄に与えましたが、兄はこれを承服せず、もとの針を要求しました。弟は悩んで、自分の太刀で新しい針を鍛えて箕(みの)に一杯に盛って贈りました。それでも兄は怒って、「私のもとの針でなければ、たくさん寄越しても受け取れません」と言って、さらに責め立てました。

そのため、彦火火出見尊は深く憂え苦しみました。海のほとりに行って呻き悲しんでいると、塩土老翁(しおつつのおじ)に会いました。老翁は「なぜこんなところで悲しんでいるのですか」と尋ねました。彦火火出見尊は事の始終を告げました。

老翁は「心配には及びません。私があなたのために考えてあげましょう」と言って、無目籠(まなしかたま)を作り、彦火火出見尊を籠の中に入れて海に沈めました。すると、ひとりでに美しい小さな浜に着きました。

そこで籠を捨てて出ていくと、たちまち海神(わたつみ)の宮に着きました。その宮は立派な垣が備わり、高殿が光り輝いていました。門の前には一つの井戸があり、井戸の上には神聖な桂の木があり、枝葉が繁茂していました。

彦火火出見尊はその木の下を歩きさまよいました。しばらくすると一人の美しい女性が戸を押し開いて出てきて、立派な椀に水を汲もうとしていました。彦火火出見尊がそれを見ていると、女性は驚いて中に入り、父母に「門の前の木の下に珍しい客人がおられます」と告げました。

海神は何枚もの畳を敷いて彦火火出見尊を導き入れ、座につかせて来訪の理由を尋ねました。彦火火出見尊は詳しく事情を話しました。

海神は大小の魚を集めて問いただしましたが、皆「わかりません。ただ赤目(鯛)がこの頃、口の病があって来ておりません」と答えました。赤目を呼び出して口を調べると、失われた針が見つかりました。

その後、彦火火出見尊は海神の娘である豊玉姫(とよたまひめ)を娶られました。

海宮に留まること三年になりました。そこは安らかで楽しい場所でしたが、彦火火出見尊には郷(くに)を思う心があり、しばしば嘆かれました。豊玉姫はそれを聞いて父に「天孫は郷土を思って悲しんでおられるのでしょう」と伝えました。

海神は彦火火出見尊を呼び、「もし国に帰りたいと思われるならば、お送りいたします」と言い、手に入れた針を渡して「この針を兄に渡すとき、こっそり『貧釣(まじち)』と言ってから渡しなさい」と教えました。

さらに潮満玉(しおのみちたま)と潮涸玉(しおひのたま)を授け、「潮満玉を水につければ潮が満ち、兄を溺れさせることができます。兄が悔いて救いを求めたら潮涸玉を水につければ潮は引きます。このように攻め悩ませれば兄は降参するでしょう」と言いました。

帰ろうとするとき、豊玉姫は「私はすでに孕んでいます。間もなく生まれるでしょう。風や波の速い日に浜辺に出ますから、どうか産屋を作って待っていてください」と言いました。

彦火火出見尊は元の宮に帰り、海神の教えに従いました。そのため兄の火闌降命は災厄に悩まされ、自ら降伏して「今後、私はお前の俳優(わざおぎ)の民になりますから、どうか許してください」と言いました。彦火火出見尊はその願いを受け入れました。火闌降命は吾田君小橋(あたのきみおばし)の遠祖となりました。

後に豊玉姫は妹の玉依姫(たまよりひめ)を連れて風波を越えて海辺にやってきました。子を生む時に「どうか見ないでください」と頼みました。

しかし彦火火出見尊は我慢できず、こっそり覗きました。すると豊玉姫は出産の時に体が竜になっていました。豊玉姫はこれを恥じ、「もし私を恥かしめなければ、海と陸は永久に隔絶することはなかったでしょう。しかし恥をかかされた以上、どうしてこれから睦まじくできましょうか」と言い、草で子を包んで海辺に棄て、海路を閉じて帰ってしまいました。

その子を彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)と名づけました。

その後、久しく経ってから彦火火出見尊は崩御され、日向の高屋山上陵(たかやのやまのうえのみささぎ)に葬られました。

別の言い伝え(第二)

門の前には一つの井戸がありました。その井戸のそばには、枝のよく茂った杜の木がありました。彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)は跳ね上がってその木に登り、そこに立っておられました。

そのとき、海神(わたつみ)の娘である豊玉姫(とよたまひめ)が、手に玉の碗を持ってやってきて、水を汲もうとされました。ちょうど井戸の中に人の姿が映っているのを見て、仰ぎ見られました。その瞬間、驚いて碗を落とされました。碗は破れ砕けましたが、それを顧みることなく戻って両親に、「井戸のそばの木の上に一人の人がおられました。顔色は美しく、容貌も上品で、まず常人ではありません」と伝えました。

父の神はこれを聞いて不思議に思い、八重畳(やえだたみ)を敷いて迎え入れられました。座につかれると、どうしてここにお出でになったのかと尋ねました。彦火火出見尊は、ことの訳を詳しく話されました。海神は憐れみの心を起こし、大小の魚をすべて集めて尋ねられました。皆が言うには、「よく知りませんが、ただ赤女(あかめ)だけが口の病があって来ておりません」ということでした。

また別の説では、「鲻(いな/ぼら)が口の病があるということです」と言われ、急いで呼んでその口を探ると、紛失した釣針がすぐに見つかりました。そこで海神は、「鲻よ、お前はこれから餌を食べてはなりません。また、天孫が勧めるご膳に加わることはできません」と禁じました。それで鲻を御膳に進めないのは、これが由来であるとされています。

海神は、彦火火出見尊が帰ろうとされるとき、「今、天つ神(あまつかみ)の孫が恐れ多くも私のところへお出でくださいました。心の中の喜びは忘れることができません」と言われました。そして、思いのままに潮を満たせる玉と、潮を引かせる玉をその針に添えて奉り、「遠く隔たっても、どうか時に思い出して、忘れてしまわないようにしてください」と言われました。

さらに、「この針をあなたの兄に与えられるときには、『貧乏神の針、滅亡の針、衰える針』と称えて、言い終わったら後ろの方に投げ棄てて与えなさい。向かい合って授けてはいけません。もし兄が怒ってあなたを損なおうとするなら、潮満玉(しおのみちたま)を出して溺れさせ、苦しんで助けてくれと乞うたら、潮干玉(しおひのたま)を出して救いなさい。このように責め悩ませれば、自ずから従うでしょう」と教えました。

彦火火出見尊はその玉と針を受け取り、もとの宮に帰られました。海神の教えの通りに、まずその針を兄に与えられました。兄は怒って受け取りませんでした。そこで弟が潮満玉を出すと、潮が大きく満ちてきて兄は溺れました。兄は助けを求め、「私はあなたにお仕えして奴(やっこ/奴隷)になりましょう。どうかお助けください」と言いました。弟が潮干玉を出すと潮は引き、兄は元に戻りました。

しかし後になると、兄は前言を改めて、「私はお前の兄である。どうして人の兄として弟に仕えることができようか」と言いました。弟はそのとき潮満玉を取り出しました。兄はこれを見ると高山に逃げ登りました。潮は山をも呑みました。兄は高い木に登りました。潮はまた木を没しました。兄は全く困り果てて逃げるところもなく、罪を伏して、「私は過ちを犯しました。今後はあなたの子孫の末々まで、あなたの俳人(わざひと)になりましょう」と言いました。また別の説では、「狗人(いぬびと)として仕えます。どうか哀れんでください」と言ったともされています。

弟が潮干玉を出すと潮はおのずから引きました。そこで兄は、弟が海神の徳を身につけていることを知り、ついに弟に服従しました。それで火酢芹命(ほのすせりのみこと)の後裔である諸々の隼人たちは、今に至るまで天皇の宮の垣のそばを離れず、吠える犬の役をしてお仕えしているのです。世の中の人が失せた針を催促しないのは、これがその由来であるとされています。

別の言い伝え(第三)

兄の火酢芹命(ほのすせりのみこと)は海の幸を得ることができたので、海幸彦(うみさちひこ)と名づけました。弟の彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)は山の幸を得ることができたので、山幸彦(やまさちひこ)と言いました。

兄は風が吹き雨が降るたびにその幸を失いましたが、弟は風が吹き雨が降ってもその幸が変わりませんでした。兄は弟に「私は試しに、お前と幸を取り替えてみたいと思う」と相談しました。弟は承諾して取り替えました。

兄は弟の弓矢を持って山に入り獣を狩り、弟は兄の釣針を持って海に行き魚を釣りました。しかしどちらも幸を得られず、空手で帰ってきました。兄は弟の弓を返して、自分の釣針を返すよう求めました。弟は針を海中に紛失しており、探し求める方法がありませんでした。それで別に新しい釣針をた高い所の田を作られたら、あなたは窪んだ低い田を作りなさい。兄が窪んだ低い田を作ったら、あなたは高い所の田を作りなさい」と言いました。

海神はこのように誠を尽くしてお助けしました。彦火火出見尊は帰ってきて、海神の教えの通りに実行しました。その後、火酢芹命は日々にやつれ、憂えて「私は貧乏になってしまった」と言い、弟に降伏しました。弟が潮満玉を出すと兄は手を挙げて溺れ苦しみ、潮干玉を出すと元のように戻ることを繰り返したためです。

これより先、豊玉姫は天孫に「私は妊娠しました。天孫の御子を海の中で生むことはできません。子を生むときには必ずあなたのところへ参ります。私のために産屋(うぶや)を海辺に作って待っていてください」と言いました。

彦火火出見尊は郷に帰り、鵜(う)の羽で屋根を葺いて産屋を作りました。屋根をまだ葺き終わらぬうちに、豊玉姫は大亀に乗り、妹の玉依姫(たまよりひめ)を連れて海を照らしながらやってきました。すでに臨月で、子は産まれる直前でした。それで葺き上がるのを待たずにすぐ中に入られました。

落ち着いた豊玉姫は天孫に「私が子を生むとき、どうか見ないでください」と言いました。天孫はその言葉を怪しみ、こっそり覗かれました。すると姫は八尋鰐(やひろわに)に変わっていました。そして覗き見されたことを知り、深く恥と恨みを抱きました。

子が生まれてから天孫が行って「子の名前を何とつけたら良いだろうか」と尋ねると、豊玉姫は「彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)とつけましょう」と答えました。

言い終わると海を渡ってすぐに去りました。そのとき彦火火出見尊は次のように歌われました。

オキツトリ、カモツクシマニ、ワガイネシ、イモハワスラシ、ヨノコトゴトモ。
沖にいる鴨の寄るあの島で、私が一緒に寝た妹のことは、世のかぎりまで忘れることはできないだろう。

別の説(続き)

また別の説には、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)は女たちを呼び出して、乳母、湯母、飯かみ(飯を嚙んで子に与える役)、湯人(ゆえ:子の入浴をさせる役)を決めて、すべての役目を整えて養育したといいます。ときには仮に他の女を使って乳母としたこともありました。これが世の中で乳母を決めて子を育てることの始まりだとされています。

この後、豊玉姫(とよたまひめ)は、その子がとても立派であることを聞き、憐れみの心が募り、また自ら帰って育てたいと思いました。しかし、それは義にかなわぬことなので、妹の玉依姫(たまよりひめ)を遣わして養わせました。そのとき豊玉姫が玉依姫に寄せて返歌を奉りました。

アカタマノ、ヒカリハアリト、ヒトハイヘド、キミガヨソヒシ、タフトクアリケリ。
赤玉の光はすばらしいと人は言いますが、あなたのお姿はそれよりも立派だと思います。

この贈答の二首を挙歌(あげうた)と名づけます。

別の言い伝え(第四)

別の言い伝え(第四)によると、兄の火酢芹命(ほのすせりのみこと)は山の幸を得て、弟の火折尊(ほおりのみこと)は海の幸を得ていたとされます。弟が憂え悲しんで海辺におられたとき、塩土老翁(しおつつのおじ)に会いました。老翁は「なぜそんなに悲しまれるのですか」と問いました。火折尊はこれこれと事情を答えました。

老翁は「悲しまれますな。私が計り事をしてあげましょう」と言い、「海神(わたつみ)の乗る駿馬(しゅんば)は八尋鰐(やひろわに)です。これがその鰭(はた)を立てて橘の小戸におります。私が彼と一緒になって計り事をしましょう」と言って火折尊を連れて行き、鰐に出会いました。

鰐は言いました。「私は八日の後に、確かに天孫を海神の宮にお送りできます。しかし我が王の駿馬は一尋鰐(ひとひろわに)です。これはきっと一日のうちにお送りするでしょう。だから今、私が帰って彼を来させましょう。彼に乗って海に入りなさい。海に入られたら、海中に自ずから良い小浜があるでしょう。その浜伝いに進まれたら、必ず我が王の宮に着くでしょう。宮の門の井戸の上に神聖な桂(かつら)の木があります。その木の上に乗っていらっしゃい」と言いました。言い終わるとすぐ海中に入りました。

そこで天孫は鰐の言った通りに八日間待たれました。しばらくして一尋鰐がやってきました。それに乗って海中に入り、すべて前の鰐の教えに従いました。そのとき、豊玉姫の侍者が玉の碗を持って井戸の水を汲もうとすると、人影が水底に映っているのを見て汲み取ることができず、上を仰ぐと天孫の姿が見えました。

侍者は中に入って王に告げました。「私は、我が大王だけが優れて麗しいと思っていましたが、今、一人の客を見ますと、もっと優れておられました」と言いました。海神はそれを聞いて「ためしに会ってみよう」と言い、三つの床を設けて招き入れました。

天孫は入口の床では両足を拭かれ、次の床では両手を押さえられ、内の床では真床覆衾(まとこおうきぬ)の上にゆったりと座られました。海神はこれを見て、この人が天神の孫であることを知り、ますます尊敬したといいます。

海神は赤女(あかめ)や口女(くちめ)を呼んで尋ねました。すると口女は口から針を出して奉りました。赤女は赤鯛(あかだい)、口女は鲻(いな/ぼら)です。

海神は針を彦火火出見尊に授け、「兄に針を返すとき、天孫は『あなたが生まれる子の末代まで、貧乏神の針、ますます小さく貧乏になる針』と言いなさい。言い終わったら三度唾を吐いて与えなさい。また兄が海で釣りをするとき、天孫は海辺におられて風招(かざおぎ)をしなさい。風招とは口をすぼめて息を吹き出すことです。そうすると私は沖つ風、辺つ風を立てて、速い波で溺れさせましょう」と言いました。

火折尊は帰ってきて、海神の教えの通りにしました。兄が釣りをする日に弟は浜辺にいて嘯(うそぶ)きをしました。すると疾風(はやて)が急に起こり、兄は溺れ苦しみました。生きられそうもないので遥かに弟に救いを求め、「お前は長い間海原で暮らしたから、きっと何か良いわざを知っているだろう。どうか助けてくれ。私を助けてくれたら、私の生む子の末代まで、あなたの住居の垣のあたりを離れず、俳優(わざおぎ)の民となろう」と言いました。

そこで弟は嘯きをやめ、風も止みました。兄は弟の徳を知り、自ら罪に服しようとしましたが、弟は怒っていて聞き入れませんでした。

そこで兄は褌(ふんどし)をし、赤土を手のひらと額に塗り、「私はこの通り身を汚しました。永久にあなたのための俳優になりましょう」と言い、足をあげて踏みならし、そのときの苦しそうな真似をしました。

潮が差して足を浸したときには爪先立ちをし、膝についたときには足をあげ、股についたときには走り回り、腰についたときには腰をなで回し、脇に届いたときには手を胸に置き、首に届いたときには手を上げてひらひらさせました。それから今に至るまで、その子孫の隼人たちはこの所作をやめていません。

これより先、豊玉姫が海から出てきて子を産もうとするとき、皇孫に頼んで言われたことがありましたが、皇孫は従われませんでした。豊玉姫は大いに恨み、「私の言うことを聞かず、私に恥をかかせました。だから今後、私の召使いがあなたの所に行ったら返さないでください。あなたの召使いが私のもとに来ても返しません」と言いました。

ついに真床の布団と草かやでその子を包み、渚に置いて海中に入りました。これが海と陸とが相通わなくなった始まりです。

一説には、子を渚に置くのは良くないからと、豊玉姫は自ら抱いて去ったともいいます。長くして後、「天孫の御子を海の中に置いてはならない」と言って、玉依姫に抱かせて送り出しました。

はじめ、豊玉姫は別れるとき恨み言をしきりに言われました。それで火折尊は、もう会うことがないと知って歌を贈られました。この歌は前述の通りです。

彦波瀲武鷓鷀草葺不合尊と玉依姫の子

彦波瀲武鷓鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)は、その姨(おば)である玉依姫(たまよりひめ)を妃とされました。
そして、まず彦五瀬命(ひこいつせのみこと)をお生みになりました。
次に稲飯命(いなひのみこと)。
次に三毛入野命(みけいりのみこと)。
次に神日本磐余彦尊(かむやまといわれびこのみこと)。
全部で四人の男神をお生みになりました。

久しい後に、彦波瀲武鷓鷀草葺不合尊は西洲の宮(しのくにのみや)でお隠れになりました。
それで日向(ひむか)の吾平山上陵(あひらのやまのうえのみささぎ)に葬られました。

別の言い伝え(第一)

別の言い伝え(第一)によると、まず彦五瀬命(ひこいつせのみこと)を生み、次に稲飯命(いなひのみこと)。
次に三毛入野命(みけいりのみこと)。
次に狭野尊(さののみこと)、のちの神日本磐余彦尊(かむやまといわれびこのみこと)をお生みになったとされます。

狭野というのは、年若い時の名であるといいます。
後に天下を平定して八洲を治められたので、また名を加えて神日本磐余彦尊と申し上げるのです。

別の言い伝え(第二)

別の言い伝え(第二)によると、まず五瀬命(いつせのみこと)を生み、次に三毛野命(みけのみこと)。
次に稲飯命(いなひのみこと)。
次に磐余彦尊(いわれびこのみこと)。
または神日本磐余彦火火出見尊(かむやまといわれびこほほでみのみこと)をお生みになったとされます。

別の言い伝え(第三)

別の言い伝え(第三)によると、まず彦五瀬命(ひこいつせのみこと)を生み、次に稲飯命(いなひのみこと)。
次に神日本磐余彦火火出見尊(かむやまといわれびこほほでみのみこと)。
次に稚三毛野命(みけいりのみこと)をお生みになったとされます。

別の言い伝え(第四)

別の言い伝え(第四)によると、まず彦五瀬命(ひこいつせのみこと)を生み、次に磐余彦火火出見尊(いわれびこほほでみのみこと)。
次に彦稲飯命(いなひのみこと)。
次に三毛入野命(みけいりのみこと)をお生みになったとされます。

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愛媛県松山市出身。 国立理系大学院卒の元大手半導体材料研究開発エンジニア。(CPU基盤材料、太陽電池材料の研究開発に関わる) 関西在住時にうつ病療養のため何度か尋ねた蛇神大物主神を祀る奈良大神神社で不思議な体験を経験。それをきっかけに記紀を読むこと十年後、祖先は宇佐八幡初代神官大神比義、さらには大神神社(地祇系三輪・大神氏)といった蛇神族の血流(神官系)につながることをつきとめます。 また、20年間あらゆる療法を試しても治らなかった難治性うつ病も瞑想と催眠の研究を続けていくことで奇跡的に解消し、人間に備わる自然治癒力発動法を発見します。独自のヒーリング法を確立し5年間精神疾患者への対面施術指導を行った後コロナ禍以降は引退。現在はサイトを立ち上げオンラインでHSP向けセルフヒーリングを提供しています。 自身の経験をもとに、「この世界には、時に説明のつかない出来事が起こり奇跡が起こる」ということを伝えていきたいと考えています。 「引き寄せの法則」などのスピリチュアル、宗教団体とは関係ありません。
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