目次
三貴子、誓約、天の岩戸伝説、スサノオの伝説を物語としてまとめています。
記紀の現代語訳を読みたい方は後半をご覧ください。

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黄泉(よみ)の国から戻った伊邪那岐命(いざなぎのみこと)は、死の穢(けが)れを祓うために禊(みそぎ)を行いました。
その行為は単なる浄化ではなく、宇宙の根源力を再び整えるための大いなる再創造の儀式でした。
水面に触れた瞬間、世界の深層に眠っていた光と影と変動の力が呼び覚まされ、三柱の尊い神が生まれます。
のちに「三貴子(さんきし)」と呼ばれる神々です。
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が左目を洗ったとき、まばゆい光が水面から立ち上り、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が生まれました。
その瞬間、高天原(たかまがはら)は初めて「昼」を得たといわれます。
天照大御神は、単なる太陽神ではありません。
彼女は世界を照らす光そのもの、秩序の源泉、神々の中心軸です。
・世界の構造を整える中心の光
・神々を統べる政治的権威
・生命を育む慈しみの光
・闇を退ける清浄の力
天照大御神の存在は、宇宙に「方向性」と「秩序」を与えました。
彼女が存在することで、神々は自らの役割を理解し、世界は安定したリズムを持つようになります。
右目を洗ったとき、夜の静けさをまとった月読命(つくよみのみこと)が生まれました。
その誕生は、世界に「夜」という概念をもたらしたとされます。
月読命は、天照大御神の光を補完する存在であり、静寂・節度・循環を司ります。
・昼と夜の交代
・時間の流れの均衡
・過剰な光を抑える節度
・生命の休息と再生のリズム
月読命は、天照大御神のように強烈な光を放つわけではありません。
しかし、彼の静かな力がなければ、世界は光に焼かれ、秩序は崩壊してしまうでしょう。
彼は「影の秩序」を守る神であり、宇宙の呼吸を整える存在なのです。
伊邪那岐命が鼻を洗ったとき、激しい風が吹き荒れ、須佐之男命(すさのおのみこと)が生まれました。
その誕生は、世界に「変動」「嵐」「浄化」という力をもたらしました。
須佐之男命は、三貴子の中でも最も複雑な性質を持つ神です。
・古いものを壊し、新しいものを生む破壊と再生
・海原を揺るがす荒ぶる力
・穢れを祓う浄化の力
・感情の激しさと純粋さが同居する人間的な神性
彼の荒々しさは災いをもたらす一方、停滞した世界を動かす原動力でもあります。
須佐之男命が存在することで、世界は「変化」という生命の本質を得るのです。
三柱の神は、それぞれが独立した力を持ちながら、互いに補完し合う関係にあります。
天照大御神:秩序・光・中心
月読命:静寂・節度・循環
須佐之男命:変動・浄化・再生
この三つが揃うことで、宇宙は初めて「安定しながら動き続ける世界」として成立します。
三貴子は、世界の根本原理そのものを象徴しているのです。
神話はしばしば、神々の行動を通して人間の心の動きを映し出します。
天照大御神は「責任と秩序を背負う者の孤独」
月読命は「静かに世界を見守る者の沈黙」
須佐之男命は「愛を求めるがゆえの暴走と純粋さ」
三貴子は、宇宙の原理であると同時に、人間の心の三つの側面を象徴しているとも解釈できます。
三柱が生まれた瞬間、世界は初めて「光・影・変動」という三つの軸を得ました。
この三つが揃うことで、神々の世界も、人間の世界も、物語を持つようになります。
(稚日女尊〈わかひるめのみこと〉も物語に関わる形で構成しています)

高天原(たかまがはら)には、静かだが張りつめた気配が漂っていました。
須佐之男命(すさのおのみこと)は父 伊邪那岐命(いざなぎのみこと)に会いたい一心で泣き叫び、海原を治める役目を放棄し、国土を荒らしてしまいます。
ついに伊邪那岐命は怒り、須佐之男命に「高天原を去れ」と命じました。
追放を前に、須佐之男命はどうしても姉に別れを告げたくなり、高天原へ向かいます。
しかし、その姿はあまりに荒々しく、山々は揺れ、川は逆流し、神々は恐れおののきました。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)の警戒と稚日女尊(わかひるめのみこと)の胸騒ぎ
須佐之男命が高天原に近づくと、姉である天照大御神(あまてらすおおみかみ)はその気配を感じ取りました。
「弟がまた乱暴を働きに来たのではないか」
そう疑った天照大御神は、髪をほどき、武装し、弓矢を手にして須佐之男命を迎え撃つ姿勢をとります。
その傍らには、天照大御神に仕える若き光の女神、
稚日女尊(わかひるめのみこと)が控えていました。
稚日女尊は、天照大御神の光を補佐し、
朝の光・若々しい日の気配を司る神です。
彼女は天照大御神の背後に立ちながら、
須佐之男命の荒ぶる気配の奥に、微かな「迷い」を感じ取っていました。
「姉上さま……須佐之男命さまの光は、荒れてはおりますが、どこか悲しみが混じっております」
天照大御神はその言葉にわずかに眉を寄せました。
稚日女尊は光の揺らぎに敏感であり、天照大御神もその感性を信頼していたのです。
須佐之男命は武装した姉の姿を見て胸を痛め、涙をこぼします。
「姉上よ、私はただ、別れを告げに来ただけなのです」
その声を聞いた稚日女尊は、そっと天照大御神に囁きました。
「姉上さま……あの涙は偽りではございません。
光が、嘘をついておりません」
天照大御神はしばし沈黙し、弟を見つめました。
しかし、完全に疑いを解くことはできませんでした。
そこで須佐之男命は、自らの潔白を証明するために提案します。
「互いの持ち物を使い、どのような神が生まれるかで心の清らかさを示しましょう」
これが誓約(うけい)です。
稚日女尊は静かに頷き、儀式の場に柔らかな光を満たしました。
その光は、天照大御神と須佐之男命の心の乱れを少しだけ和らげました。
まず、須佐之男命が持つ十拳剣(とつかのつるぎ)を天照大御神が受け取り、口に含み、噛み砕きました。
その息から立ち上った光は三柱の女神となります。
多紀理毘売命(たぎりびめのみこと)
市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)
多岐都比売命(たぎつひめのみこと)
稚日女尊はその誕生を見つめ、静かに言いました。
「姉上さまの光は、やはり清らかでございます」
天照大御神はわずかに微笑みましたが、胸の奥にはまだ影が残っていました。
次に、天照大御神が身につけていた八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を須佐之男命が受け取り、同じように噛み砕きました。
その息から五柱の男神が生まれます。
正哉吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)
天之菩卑能命(あめのほひのみこと)
天津日子根命(あまつひこねのみこと)
活津日子根命(いくつひこねのみこと)
熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)
須佐之男命は胸を張って言います。
「私の心が清らかであるから、強く正しい男神が生まれたのです」
稚日女尊が感じた「光の乱れ」
誓約は形式上、須佐之男命の潔白を示したかのように見えました。
しかし稚日女尊は、二人の光の間に微かな乱れを感じ取っていました。
「姉上さま……須佐之男命さまの光は確かに清らかです。
けれど、その奥に揺らぎがございます。
それは、愛ゆえの迷い……そして、影の兆し」
天照大御神はその言葉に目を伏せました。
須佐之男命の心には、姉への愛情と憧れがありました。
しかし同時に、抑えきれない荒ぶる力が渦巻いていました。
誓約は「和解」の儀式であると同時に、
二人の神の心の距離を浮き彫りにする儀式でもあったのです。
儀式が終わると、須佐之男命は喜びのあまり高天原を駆け回り、田畑を荒らし、神殿を壊してしまいます。
それは悪意ではなく、感情の爆発でした。
稚日女尊は胸を押さえ、天照大御神に言いました。
「姉上さま……光が乱れています。
このままでは、世界に影が落ちましょう」
その予感はやがて現実となり、
天の岩戸(あまのいわと)という大事件へとつながっていきます。

須佐之男命(すさのおのみこと)の暴走は、ついに高天原(たかまがはら)の秩序を根底から揺るがしました。
田畑は荒れ、神殿は壊れ、そして最も深い傷となったのは――天照大御神(あまてらすおおみかみ)の機織り殿への冒涜でした。
その瞬間、光の女神 稚日女尊(わかひるめのみこと)は胸を押さえ、膝をつきました。
彼女は天照大御神の光を補佐する存在であり、光の乱れを最も敏感に感じ取る神でした。
「姉上さま……光が……裂けています……須佐之男命さまの影が、世界に落ちています……」
天照大御神はその言葉を聞き、深い悲しみと恐れに包まれました。
須佐之男命の暴挙は、単なる破壊ではありませんでした。
稚日女尊の目には、世界の光そのものがひび割れ、
高天原の空に細かな影が走るのが見えていました。
「このままでは……光が消えてしまう……」
稚日女尊は震える声で天照大御神に訴えます。
しかし、天照大御神の心はすでに限界に達していました。
「私は……もう耐えられません」
その言葉は、稚日女尊の胸を深く刺しました。
天照大御神は静かに背を向け、
天の岩戸(あまのいわと)へと歩みを進めました。
稚日女尊は必死に手を伸ばします。
「姉上さま! どうかお待ちくださいませ!
光が消えれば、世界は……」
しかし天照大御神は振り返らず、
岩戸の奥へと姿を消しました。
岩戸が閉ざされた瞬間――世界は闇に沈みました。
風は止まり、鳥は鳴きやみ、
神々の声すら消えていきました。
稚日女尊はその場に崩れ落ち、
自らの光が弱まっていくのを感じました。
世界が闇に沈んだことで、
八百万の神々は天安河原(あまのやすかわら)に集まりました。
思兼神(おもいかねのかみ)は知恵を絞り
天宇受売命(あめのうずめのみこと)は舞の準備をし
天手力男神(あめのたぢからおのみこと)は岩戸を開く力を蓄え
しかし、その中心で最も深く傷ついていたのは、
天照大御神の光を補佐する稚日女尊でした。
彼女は岩戸の前にひざまずき、
震える声で祈り続けました。
「姉上さま……どうか戻ってきてくださいませ……
光がなければ、私は……世界は……」
その涙は、闇の中で唯一の微かな光となって揺れていました。
このとき、静かに前へ進み出た神がいました。
金属と光を司る鍛冶の女神、
石凝姥命(いしこりどめのみこと)です。
彼女は稚日女尊の涙を見つめ、
静かに言いました。
「稚日女尊よ……光を取り戻すには、光を映す器が必要です。
天照大御神が、自らの光を思い出すための“形”を」
そう言うと、石凝姥命は岩戸の前で火を起こし、
金属を打ち始めました。
カン……カン……カン……
その音は闇を震わせ、
稚日女尊の胸にも微かな希望を灯しました。
やがて石凝姥命は、
八咫鏡(やたのかがみ)を鍛え上げました。
それは、天照大御神の光をそのまま映し返す、
世界で最も清らかな鏡でした。
天宇受売命が岩戸の前で舞い始めると、
神々はどっと笑い声を上げました。
稚日女尊はその光景を見て、
弱りながらも自らの光を振り絞り、
舞の場を照らすように光を放ちました。
「姉上さま……どうか、この光に気づいて……」
その光は細く弱かったものの、
確かに岩戸の奥へと届いていました。
天宇受売命の舞に心を動かされた天照大御神は、
岩戸を少しだけ開きました。
その瞬間、
石凝姥命が鍛えた八咫鏡が、岩戸の前に掲げられました。
天照大御神は驚きました。
「これは……私……?」
鏡に映ったのは、
闇に沈んだ世界を照らす、
かつての自分の光。
その光は、
稚日女尊が必死に支え続けた“残り火”でもありました。
天照大御神は鏡に吸い寄せられるように身を乗り出します。
その一瞬の隙を逃さず、
天手力男神が岩戸を引き開けました。
眩い光が世界に溢れ、
闇は一瞬で消え去りました。
稚日女尊はその場に崩れ落ち、
安堵の涙を流しました。
「姉上さま……お帰りなさいませ……」
天照大御神は稚日女尊を抱き寄せ、
静かに言いました。
「あなたの光が……私を呼び戻してくれました」
天照大御神が戻ったことで、
稚日女尊の光も再び満ちていきました。
石凝姥命は静かに鏡を置き、
深く頭を下げました。
「八咫鏡は、あなたの光の象徴。
どうか、再び世界を照らしてくださいませ」
稚日女尊は胸に手を当て、
光の主を見つめながら呟きました。
「私は……姉上さまの光を守るために生まれたのだと……
今日、改めて知りました」
しかし、光の復活は同時に、
須佐之男命への裁きが避けられないことを意味していました。
稚日女尊はその運命を感じ取り、
静かに目を閉じました。

天の岩戸の騒動の後、八百万の神々は須佐之男命の罪を裁き、
ついに「高天原からの追放」を決定しました。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)は涙をこぼし、
稚日女尊(わかひるめのみこと)は胸を押さえて震えました。
「弟よ……これ以上、光を乱すことは許されません」
須佐之男命は深く頭を垂れ、
静かに天の浮橋(あめのうきはし)を降りていきました。
須佐之男命が地上へ降りる途中、
ある村で一夜の宿を求めました。
裕福な弟 巨旦将来(こたんしょうらい) は冷たく断り、
貧しい兄 蘇民将来(そみんしょうらい) は
粗末な食事と藁の寝床で心からもてなしました。
須佐之男命は深く感動し、別れ際に言います。
「そなたの真心、忘れぬ。
茅(ちがや)の輪を腰につけよ。
そなたと子孫には、災いは決して近づかぬ」
これが後世の 「蘇民将来の護符」
そして 「茅の輪くぐり」 の起源となりました。
荒ぶる神が初めて“守護の神”としての姿を見せた瞬間でした。
さらに旅を続けた須佐之男命は、
食物を司る女神 保食神(うけもちのかみ) を訪ねました。
須佐之男命が「食物を出せ」と命じると、
保食神は天を向いて息を吐き、
海を向いて息を吐き、
山を向いて息を吐きました。
すると――
天からは魚が
海からは海産物が
山からは獣や穀物が
次々と生まれ、豊かな食物となりました。
しかし須佐之男命は、その光景を“穢れ”と誤解し、
怒りのままに 保食神を斬ってしまいます。
斬られた保食神の身体からは、
頭から蚕(かいこ)
目から稲
耳から粟
鼻から小豆
陰部から麦
尻から大豆
が生まれました。
須佐之男命はその光景を見て、
自らの過ちに気づき、深く後悔しました。
「私は……また光を傷つけてしまったのか……」
この出来事は、
須佐之男命の心に“悔恨”という影を落とし、
後の英雄的行動へとつながっていきます。
須佐之男命は出雲(いずも)の肥河(ひのかわ)上流にたどり着き、
老夫婦 足名椎(あしなづち)・手名椎(てなづち) と
娘 櫛名田比売(くしなだひめ) に出会います。
老夫婦は涙ながらに語りました。
「八岐大蛇が、毎年娘を呑んでいくのです……
今年は、この櫛名田比売の番でございます……」
須佐之男命は静かに頷きました。
「私がその大蛇を退治しよう。
櫛名田比売を、私の妻として迎えることを許してくれるならば」
老夫婦は深く頭を下げました。
須佐之男命は櫛名田比売を櫛に変え、髪に挿して守り、
老夫婦に命じて 八塩折(やしおり)の酒 を八つの桶に満たさせました。
やがて大地を揺らしながら、
八つの頭と八つの尾を持つ巨大な大蛇が現れました。
目は炎のように赤く
身体には苔と杉と檜が生え
その息は毒の霧をまき散らす
大蛇は酒を飲み、酔いしれ、動きを止めました。
須佐之男命は十拳剣(とつかのつるぎ)を抜き、
雷のような叫びとともに斬りかかりました。
斬っても斬っても、
大蛇の身体は山のように巨大で、
血は川のように流れました。
ついに八つの頭をすべて斬り落とし、
大蛇は大地に崩れ落ちました。
須佐之男命が大蛇の尾を切り裂くと、
中から光り輝く一本の剣が現れました。
天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)
のちの 草薙剣(くさなぎのつるぎ) です。
須佐之男命はその剣を手に取り、
天を仰いで和歌を詠みました。
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに
八重垣作る その八重垣を
(やくもたつ いずもやえがき つまごみに
やえがきつくる そのやえがきを)
これは日本最古の和歌とされ、
櫛名田比売を守るための“愛の歌”でした。
須佐之男命の荒ぶる心が、
初めて“優しさ”として形になった瞬間でした。
須佐之男命は櫛名田比売を妻とし、
出雲の須賀(すが)の地に宮を造りました。
「ここに来ると、心がすがすがしい」
そう言ったことから、
その地は 須賀(すが) と呼ばれるようになりました。
須佐之男命はここで多くの子孫を残し、
地上の守護神としての姿を確立していきます。
やがて須佐之男命は、
黄泉に近い 根の国(ねのくに) へと向かいます。
それは追放された神の「終わり」ではなく、
荒ぶる力を静かに沈め、
新たな役割へと向かう「再生の旅」でした。
蘇民将来との約束、
保食神との悲劇、
八岐大蛇の退治、
櫛名田比売との結婚――
それらすべてが、
須佐之男命を“破壊の神”から“守護の神”へと変えていきました。
三貴神を授けるよろこび
伊耶那岐命は禊ぎの末に三柱の貴い御子を得たことを、大いに喜んで言いました。
「私は長く子を生み続け、ついに三柱の尊い子を得ることができた。」
そう言って、御首飾りの玉の緒を、玉がさやさやと鳴るほどに揺らしながら外し、
天照大御神に授けてこう告げました。
「あなたは高天原を治めなさい。」
この御首飾りの名は 御倉板挙之神(みくらたなのかみ) といいます。
続いて 月読命(つくよみのみこと) には、
「あなたは夜の食国(よるのおすくに)を治めなさい。」
そして 建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと) には、
「あなたは海原を治めなさい。」
と、それぞれの役割を委ねました。
須佐之男命の嘆きと泣き荒ぶ
三貴神はそれぞれ委任された国を治め始めましたが、
ただ一人、須佐之男命だけは与えられた海原を治めようとせず、泣きわめき続けました。
その泣き声は激しく、
青々とした山は枯れ山のようになり、
河や海は泣き乾してしまうほどでした。
そのため、悪しき神々の声は五月の蠅のように満ちあふれ、
あらゆる災いが世に起こりました。
伊耶那岐命の問いと須佐之男命の答え
伊耶那岐命は怒りを含んで問いただします。
「なぜお前は、委ねられた国を治めずに泣きわめいているのか。」
須佐之男命は涙ながらに答えました。
「私は亡き母の国――根之堅州国(ねのかたすくに) に参りたいと思って泣いているのです。」
父の怒りと追放
これを聞いた伊耶那岐命は大いに怒り、
「それならば、お前はこの国に住んではならない。」
と告げ、ただちに須佐之男命を**神やらい(追放)**によって追い払いました。
伊耶那岐大神の鎮座
こうして伊耶那岐大神は、
近江の多賀(おうみのたが) に鎮まり、
その地に祀られるようになりました。
多賀大社に伝わる「古事記」の伝承は、この場面に由来します。
天への参上と天地の震動
速須佐之男命(すさのおのみこと)は言いました。
「それならば、天照大御神にお願いして、根之堅州国へ退出しよう。」
そう言って天へ昇ったとき、
山も川も鳴動し、国土は大きく震えました。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)はこれを聞き、驚きと警戒を込めて言います。
「わが弟が上ってくる理由は、きっと善い心ではあるまい。
わが国を奪おうとしているのだろう。」
天照大御神の武装と覚悟
天照大御神は、須佐之男命の来訪に備えて武装します。
御髪を解き、御みずらに結い直す
左右の御みずらと御かずら、左右の御手に
八尺の勾玉を長い緒で貫いた玉飾りを巻きつける
背には千本入りの矢入れ
脇腹には五百本入りの矢入れ
威力ある竹製の鞆(とも)を装着
弓を内側に向けて振り立てる
堅い土の庭に両脚を踏み込み、
沫雪のように地面を蹴散らし、雄叫びをあげる
その姿はまさに稜威(いつ)の男神のような威容で、
須佐之男命を迎え撃つ覚悟が満ちていました。
天照大御神の問いと須佐之男命の弁明
天照大御神は荒々しく足を踏み鳴らし、須佐之男命に問います。
「何のために上ってきたのか。」
須佐之男命は深く頭を下げ、こう答えました。
「私には邪心はありません。
伊耶那岐大御神が、私が泣きわめく理由をお尋ねになったので、
『亡き母の国へ行きたいと思って泣いているのです』と申し上げました。
すると伊耶那岐大御神は
『お前はこの国にいてはならない』
と仰り、神やらいにより追放されました。
そこで、妣(はは)の国へ行くことをお許しいただきたく、
天に参上しただけです。
他の意図はありません。」
心の清明を確かめるための「誓約(うけい)」
天照大御神は言います。
「それならば、お前の心が清らかであることを、何によって知ろうか。」
須佐之男命は答えました。
「お互いに誓約(うけい)をして、子を生みましょう。」
誓約とは、互いの持ち物を用いて神を生み、
その生まれた神の性質によって心の清浄を確かめる儀式です。
ここから、天照大御神と須佐之男命の運命を分ける
重大な儀式「誓約」が始まります。
天の安河をはさんだ〈うけい〉の開始
天照大御神と速須佐之男命は、天の安河(あまのやすのかわ)を間に置いて向かい合い、互いの心の清明を確かめるために〈うけい〉を行うことになりました。
天照大御神が須佐之男命の剣から生んだ三柱の女神
まず天照大御神は、須佐之男命の腰に帯びた十拳剣(とつかのつるぎ)を求め、受け取ると三つに折り、
その剣を天の真名井(あまのまない)で清め、噛み砕いて息を吐きました。
その息の霧から生まれたのは三柱の女神です。
多紀理毗売命(たぎりひめのみこと)
別名:奥津島比売命(おきつしまひめ)
市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)
別名:狭依毗売命(さよりひめ)
多岐都比売命(たぎつひめのみこと)
この三柱はのちに宗像三女神として知られます。
須佐之男命が天照大御神の玉飾りから生んだ五柱の男神
続いて須佐之男命は、天照大御神の左の御みずらに巻かれた八尺の勾玉の玉飾りを求め、受け取って清め、噛み砕いて息を吐きました。
そこから生まれた神は次の通りです。
正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみ)
さらに、
右の御みずらの玉 → 天之菩卑能命(あめのほひのみこと)
右の御手の玉 → 天津日子根命(あまつひこねのみこと)
左の御手の玉 → 活津日子根命(いくつひこねのみこと)
右の御手の玉 → 熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)
合わせて五柱の男神が誕生しました。
子の所属を決める天照大御神の言葉
天照大御神は須佐之男命に告げます。
「あとから生まれた五柱の男子は、私の持ち物から生まれたのだから、私の子である。
先に生まれた三柱の女子は、お前の持ち物から生まれたのだから、お前の子である。」
こうして、八柱の神々の所属が定められました。
宗像三女神の鎮座
天照大御神が生んだ三柱の女神は、現在の宗像大社の三宮に祀られています。
多紀理毗売命 → 宗像大社・沖津宮
市寸島比売命 → 宗像大社・中津宮
多岐都比売命 → 宗像大社・辺津宮
この三柱は胸形君(むなかたのきみ)が祭祀する「三前の大神」です。
五柱の男神の子孫と氏族
・天之菩卑命(あめのほひのみこと)の子
建比良鳥命(たけひらとりのみこと)
出雲国造・無耶志国造・上菟上国造・下菟上国造・伊自牟国造・津島県直・遠江国造らの祖
・天津日子根命(あまつひこねのみこと)
凡川内国造
額田部湯坐連
茨木国造
倭田中直
山代国造
馬来田国造
道尻岐閇国造
周芳国造
倭淹知造
高市県主
蒲生稲寸
三枝部造
などの祖
これらの記述は、古代氏族の正統性を示す重要な系譜として語られています。
勝利の主張と最初の乱行
〈うけい〉が終わると、速須佐之男命(すさのおのみこと)は天照大御神に向かって言いました。
「私の心は清らかである。
私が生んだ子は手弱女(たおやめ)であった。
この結果によれば、当然私の勝ちだ。」
勝者の振る舞いとして、須佐之男命は次のような乱行に及びます。
天照大御神が作った田の畔を壊す
その溝を埋める
天照大御神が大嘗(おおにえ)を召し上がる御殿に糞をまき散らす
しかし天照大御神は、儀式を続けるためにあえて咎めず、こう解釈しました。
「糞のようなものは、酔って吐き散らそうとして、弟がしたのでしょう。
田の畔を壊し、溝を埋めたのは、土地がもったいないと思ってしたのでしょう。」
こうして清めの詔を出し、儀式を続行しました。
暴走の激化と服織女の死
しかし須佐之男命の乱行は止まらず、ますますひどくなっていきます。
天照大御神が忌服屋(いみはたや)におられ、神御衣(かんみそ)を織らせていたときのことです。
須佐之男命は、
服屋の天井に穴をあけ
斑模様の馬を逆剥ぎにして
そのまま屋内へ落とし入れました
これを見た天の服織女(はとりめ)は驚き、
梭(ひ)で自らの女陰を突いて死んでしまいました。
天照大御神の恐れと天岩戸への隠れ
この出来事を見た天照大御神は恐れを抱き、
天の石屋戸(いわやど)を開いて中にお籠りになりました。
すると、
高天原はすっかり暗闇に包まれ
葦原中国(あしはらのなかつくに)も全く光を失い
世界は昼を失い、永い夜が続くことになりました
これが「天岩戸隠れ」の始まりです。
高天原に満ちる災いと神々の集結
天照大御神が隠れたことで、
高天原には神々の騒ぐ声が五月の蠅のように満ちあふれ、
葦原中国にはあらゆる災いが起こりました。
この異常事態を受けて、
八百万の神々は天の安の河原(あまのやすのかわら)に自ずから集まり、
高御産巣日神(たかみむすひのかみ)の子である思金神(おもいかねのかみ)に知恵を求めました
天岩戸を開くための準備 ― 神々の総力戦
思金神の知恵により、神々は次々と準備を進めます。
儀式のための神々と道具の調達
常世の長鳴鳥(ながなきどり)を集めて鳴かせる
天の安河の川上から堅い石を取り、
天の金山から鉄を採り、
鍛冶の神 天津麻羅(あまつまら) を呼び出す
伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)に鏡を作らせる
玉祖命(たまのおやのみこと)に八尺の勾玉の玉飾りを作らせる
祝詞と占いの準備
天児屋命(あめのこやねのみこと)と
布刀玉命(ふとだまのみこと)を呼び、儀式を司らせる
天の香山の雄鹿の肩骨を抜き取り、
その皮を焼いて占いを行う
天の香山の榊を根こそぎ掘り取り、
上の枝に八尺の勾玉
中の枝に八咫鏡
下の枝に白と青の幣
を飾りつける
これらの神宝は、布刀玉命が御幣(みてぐら)として捧げ持ち、
天児屋命が祝詞(のりと)を奏上しました。
天宇受売命の舞 ― 世界を揺るがす神がかり
天手力男神(あめのたぢからおのかみ)は、
天岩戸の脇に隠れて待機します。
そして、天宇受売命(あめのうずめのみこと)は次のように準備しました。
天の香山の日影蔓(ひかげかずら)を襷にかけ
真析蔓(まさきかずら)を髪飾りにし
天の香山の笹の葉を束ねて手に持ち
天の石屋戸の前に伏せた桶の上に立ち、踏み鳴らし
神がかりして胸を露わにし、裳の紐を女陰まで垂らして舞い始めました。
この大胆な舞に、
高天原が鳴り響くほど八百万の神々がどっと笑い出しました。
この「笑い」が、天照大御神を誘い出すための決定的な仕掛けとなります。
天照大御神の疑念と、戸を細めに開く瞬間
天宇受売命(あめのうずめのみこと)の神がかりの舞と、八百万の神々のどっと笑う声を聞いた天照大御神は、不思議に思い、
天の石屋戸をほんの少しだけ細めに開けて、内側から問いかけました。
「私がここに籠もっているのだから、天の原も葦原中国も暗いはずなのに、
どうして天宇受売は楽しげに舞い、八百万の神々は笑っているのか。」
「あなたより貴い神がいます」— 天宇受売命の言葉
天宇受売命は答えました。
「あなた様よりも貴い神がいらっしゃるので、皆が喜び笑っているのです。」
この言葉は、天照大御神の心を揺さぶるための巧みな誘導でした。
その間に、天児屋命(あめのこやねのみこと)と布刀玉命(ふとだまのみこと)は
八咫鏡(やたのかがみ)をそっと差し出し、戸の隙間から天照大御神にお見せしました。
鏡に映る「もう一人の自分」— 天照大御神の驚き
天照大御神はますます不思議に思い、
少しずつ戸の外へ身を乗り出し、鏡に映る自分の姿をのぞき見ました。
その瞬間、戸の脇に隠れていた
天手力男神(あめのたぢからおのかみ)が
天照大御神の御手をつかみ、力強く外へ引き出しました。
注連縄が示す「もう戻れない」境界
天照大御神が外へ出たその時、
布刀玉命はすかさず注連縄(しめなわ)を天照大御神の背後に張り渡し、こう申し上げました。
「これから内へお戻りになることはできません。」
この注連縄は、
「死と闇の世界」と「光の世界」を隔てる境界としての意味を持ち、
以後の神道における聖域の象徴となります。
光の復活 — 世界が再び照り輝く
天照大御神がお出ましになった瞬間、
高天原も葦原中国も自然と明るく照り輝きました。
闇は退き
災いは消え
世界に再び秩序と光が戻った
これが「天岩戸開き」の成就です。
須佐之男命への処罰と追放
天照大御神が天岩戸から出られ、世界に光が戻ったあと、
八百万の神々は集まって相談し、速須佐之男命に対して厳しい処罰を決めました。
・多くの贖いの品(あがないのもの)を負わせる
・髭を切り落とし
・手足の爪を切り落とし
・その罪を償わせたうえで
・神やらい(追放)として高天原から追放した
これにより、須佐之男命は天上界を離れることになります。
大気都比売神の食物と須佐之男命の誤解
追放された須佐之男命は、地上へ向かう途中で
大気都比売神(おおげつひめのかみ)に食物を求めました。
大気都比売神は、神々に食物を供する女神であり、
その身体から次々と食物を生み出す力を持っていました。
鼻から
口から
尻から
さまざまな美味しい食物を取り出し、調理して須佐之男命に差し上げようとしました。
しかし須佐之男命は、その様子を覗き見てしまい、
「汚いものを差し出そうとしている」
と誤解し、怒りのあまり
大気都比売神を殺してしまいました。
大気都比売神の身体から生まれた穀物
大気都比売神が殺されたあと、その身体からは次々と穀物が生まれました。
頭 … 蚕(かいこ)
両目 … 稲の種
両耳 … 粟(あわ)
鼻 … 小豆(あずき)
陰部 … 麦
尻 … 大豆
これらは、のちに日本の農耕文化を支える重要な作物となります。
神産巣日御祖命が穀物を取り出す
この出来事を受けて、
神産巣日御祖命(かみむすひのみおやのかみ)は、
大気都比売神の身体に生じたこれらの種を丁寧に取り出し、
人々のための穀物として定めました。
こうして、
稲・粟・麦・豆・蚕などの起源が神話的に語られています。
出雲国・鳥髪の地への降臨
追放された速須佐之男命(すさのおのみこと)は、
出雲国の肥河(ひのかわ)の上流、鳥髪(とりかみ)という地に降り立ちました。
そのとき、川上から箸(はし)が流れてきました。
須佐之男命は、
「この川の上に人が住んでいるに違いない」
と思い、川をさかのぼっていきます。
足名椎・手名椎と櫛名田比売との出会い
川を上っていくと、
老父と老女が、ひとりの若い娘を間に置いて泣いている姿がありました。
須佐之男命は尋ねます。
「お前たちは誰か。」
老父は答えました。
「私は国つ神 大山津見神(おおやまつみのかみ) の子で、
名を 足名椎(あしなづち) と申します。
妻は 手名椎(てなづち) と申します。
娘の名は 櫛名田比売(くしなだひめ) と申します。」
須佐之男命はさらに問います。
「なぜ泣いているのか。」
足名椎は涙ながらに答えました。
「私どもの娘は、もともと八人おりました。
しかし、高志(こし)の八俣の大蛇(やまたのおろち)が毎年やって来て、
娘を一人ずつ呑み込んでいったのです。
今年もその時が来たので、こうして泣いております。」
八岐大蛇の恐ろしい姿
須佐之男命はさらに尋ねます。
「その大蛇とは、どのような姿をしているのか。」
足名椎は震えながら答えました。
目は赤加賀知(あかかがち)=酸漿(ほおずき)のように真っ赤
身体は一つで、八つの頭と八つの尾を持つ
その身には日影蔓(ひかげかずら)、檜(ひのき)、椙(すぎ)が生えている
長さは谷八つ、峡八つにわたるほど巨大
腹は常に血がただれ、爛れている
この描写は、自然の猛威・洪水・山林の荒ぶる力を象徴する存在としての八岐大蛇の恐ろしさを鮮烈に伝えています。
櫛名田比売を救うための求婚と名乗り
須佐之男命は、泣き崩れる老夫婦に向かって言いました。
「この娘を、私にくれまいか。」
足名椎は恐れながら答えます。
「恐れ多いことですが……まだあなた様のお名前を存じません。」
須佐之男命は堂々と名乗りました。
「私は天照大御神の弟である。
今、天から降ってきてここにいるのだ。」
これを聞いた足名椎・手名椎は深く畏れ、
「それほどの御方でいらっしゃるなら、娘を差し上げましょう。」
と申し上げました。
須佐之男命は櫛名田比売を神聖な爪櫛(つまぐし)に変え、
自らの髪に挿して守りました。
八俣大蛇を迎え撃つための準備
須佐之男命は老夫婦に指示します。
何度も醸した強い酒(八塩折の酒)を造る
家の周りに垣(かき)をめぐらす
垣に八つの門を作る
それぞれの門に八つの棚を設ける
棚ごとに船形の大きな器を置き、
そこに強い酒を満たしておく
老夫婦は教えられた通りに準備を整えました。
八俣大蛇の出現と酩酊
やがて、足名椎が語った通りに、
八俣大蛇(やまたのおろち)が現れました。
八つの頭
八つの尾
身には檜や椙が生え
谷八つ、峡八つにわたる巨大な体
腹は血でただれ続けている
大蛇は八つの器に頭を突っ込み、
強い酒を飲み干して酔い伏し、深い眠りに落ちました。
十拳剣による討伐と肥河の血
須佐之男命は腰の十拳剣(とつかのつるぎ)を抜き、
酔い伏した大蛇を一気に切り裂きました。
その血は肥河(ひのかわ)を真っ赤に染めて流れました。
大蛇の尾から現れた神剣
大蛇の内側の尾を切ったとき、
須佐之男命の剣の刃が欠けました。
不思議に思って尾を裂いてみると、
その中から一本の大刀が現れました。
須佐之男命はその大刀を取り出し、
「これはただならぬ神剣である」
と思い、天照大御神に献上しました。
この剣こそが、
草那芸之大刀(くさなぎのたち)(のちの「草薙剣」)
です。
須賀の地を求めて ― 心が「すがすがしい」場所
八俣大蛇を退治した速須佐之男命(すさのおのみこと)は、
自らの宮を建てるにふさわしい土地を出雲国の中に探し求めました。
そして、須賀(すが)の地に到着したとき、こう仰いました。
「この地に来て、私の心はすがすがしい。」
この言葉が地名の由来となり、
その地は今も 須賀(須我) と呼ばれています。
須佐之男命はここに宮を造り始めました。
雲が立ちのぼる吉兆と「八雲立つ」の歌
須賀の宮を造り始めたとき、
その地から雲が立ち上ったと伝えられています。
須佐之男命はその光景に心を動かされ、
日本最古の和歌とされる御歌を詠みました。
八雲立つ歌(古事記)
八雲立つ
出雲八重垣
妻籠みに
八重垣作る
その八重垣を
意味としては、
出雲の地に幾重にも雲が立ちのぼる
そのように幾重にも垣をめぐらし
妻を迎える宮を築く
ああ、この幾重にもめぐらした垣よ
という、櫛名田比売を迎える喜びと、
新たな生活の始まりを祝う歌です。
足名椎神を宮の長に任じる
須佐之男命は、櫛名田比売の父である足名椎神(あしなづちのかみ)を呼び寄せ、こう仰いました。
「お前を、私の宮の長に任じよう。」
そして新たな名を授けました。
稲田の宮主須賀の八耳神(いなだのみやぬし すがのやつみみのかみ)
これは、須賀の宮を守る神としての称号であり、
足名椎神が須佐之男命の国造りに深く関わることを示しています。
八嶋士奴美神 ― 須佐之男命と櫛名田比売の御子
須佐之男命は、櫛名田比売を神聖な寝所で目覚めさせ、
その間に生まれた御子が 八嶋士奴美神(やしまじぬみのかみ) です。
この神が、のちの出雲系譜の最初の柱となります。
神大市比売との間に生まれた二柱
須佐之男命はさらに、大山津見神の娘 神大市比売(かむおおいちひめ) を娶り、二柱の神を生みました。
・大年神(おおとしのかみ)
→ 年穀・収穫を司る神。のちの農耕神の中心。
・宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
→ 穀霊の神。のちの稲荷神として広く信仰される。
須佐之男命の系譜は、農耕・豊穣の神々を多く生むのが特徴です。
・八嶋士奴美神の系譜 ― 大国主神へ向かう流れ
兄である八嶋士奴美神は、大山津見神の娘 木花知流比売(このはなちるひめ) を娶り、次の神を生みました。
布波能母遅久奴須奴神(ふはのもじくぬすぬのかみ)
この神がさらに次のように続きます。
・布波能母遅久奴須奴神 → 日河比売
妻:淤迦美神の娘 日河比売(ひかわひめ)
子:深渕之水夜礼花神(ふかぶちのみなれはなのかみ)
・深渕之水夜礼花神 → 天都度閇知泥神
妻:天都度閇知泥神(あまのつどへちねのかみ)
子:淤美豆奴神(おみづぬのかみ)
・淤美豆奴神 → 布帝耳神
妻:布怒豆怒神の娘 布帝耳神(ふてみみのかみ)
子:天之冬衣神(あめのふゆきぬのかみ)
・天之冬衣神 → 刺国若比売
妻:刺国大神の娘 刺国若比売(さしくにわかひめ)
子:大国主神(おおくにぬしのかみ)
・大国主神 ― 五つの御名を持つ大いなる神
こうして生まれたのが、出雲の主宰神 大国主神(おおくにぬしのかみ) です。
大国主神は、五つの御名を持つほど多面的な神格を持っています。
大国主神(おおくにぬしのかみ)
→ 国造りの主宰神
大穴牟遅神(おおなむぢのかみ)
→ 若き日の名。試練を乗り越える英雄神としての側面。
葦原色許男神(あしはらしこをのかみ)
→ 葦原中国の「しこを(強い男)」を意味する名。
八千矛神(やちほこのかみ)
→ 武勇と求婚の神としての側面。
宇都志国玉神(うつしくにたまのかみ)
→ 国土の霊魂を体現する神。
これら五つの名は、大国主神が「国造り」「恋愛」「武勇」「霊魂」「英雄譚」など多様な物語を持
つことを示しています。
月夜見尊と保食神
別の言い伝え(第十一)によりますと、
伊奘諾尊(いざなぎのみこと)は、三柱の御子に命じて次のようにおっしゃいました。
「天照大神(あまてらすおおみかみ)は高天原(たかまがはら)を治めなさい。
月夜見尊(つくよみのみこと)は、日と並んで天のことを治めなさい。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)は、青海原(あおうなばら)を治めなさい。」
天照大神は天上にお出でになり、次のようにおっしゃいました。
「葦原中国(あしはらのなかつくに)には、
保食神(うけもちのかみ)という神がおられるそうです。
月夜見尊よ、お前が行って様子を見てきなさい。」
そこで月夜見尊はその命令を受け、葦原中国へ降りて、保食神のもとを訪ねました。
保食神が首を回して陸の方を向くと、口から米の飯が出てきました。
海の方を向くと、口から大小さまざまな魚が出てきました。
山の方を向くと、口から毛皮を持つ獣たちが出てきました。
保食神は、それらの食べ物をすべて集め、たくさんの机に並べて、月夜見尊を丁寧にもてなしました。
しかしこのとき、月夜見尊は大いに怒りました。
「なんとけがらわしいことだ。
なんと卑しいことだ。
口から吐き出したものを、わざわざ私に食べさせようとするのか。」
そう言って剣を抜き、保食神を斬り殺してしまいました。
月夜見尊は天に帰り、この出来事の一部始終を天照大神に報告しました。
これを聞いた天照大神は非常にお怒りになり、こうおっしゃいました。
「お前はなんと悪い神なのです。
私はもう、お前に会いたくありません。」
こうして天照大神と月夜見尊は昼と夜に分かれて住むことになり、決して同じ時に現れることはなくなったとされています。
その後、天照大神は
天熊人(あまのくまひと)という神に命じて、事実を確かめさせました。
天熊人が行ってみると、保食神は本当に死んでいました。
しかし、その亡骸からさまざまなものが生まれていました。
保食神の頭からは、牛と馬が生まれていました。
額からは、粟(あわ)が生まれていました。
眉からは、蚕(かいこ)が生まれていました。
目の中からは、稗(ひえ)が生じていました。
腹の中からは、稲(いね)が生じていました。
そして陰部からは、麦・大豆・小豆が生じていました。
天熊人は、それらをすべて持ち帰り、天照大神に奉りました。
すると天照大神は大変喜び、こうおっしゃいました。
「これらのものは、人民が生きていくために必要な食物です。」
そして、
粟・稗・麦・豆を畑の種とし、
稲を水田の種と定めました。
さらに、天の邑君(むらきみ)という村の長を定めて、農耕を司らせました。
そして稲の種を**天狭田(あまのさなだ)や長田(ながた)**に植えました。
その年の秋には、稲穂は八握りもあるほど大きく垂れ下がり、たいへん見事な実りとなりました。
また天照大神は、口の中に**蚕の繭(まゆ)**を含み、それを引いて糸を作る方法を示しました。
こうして人々は**養蚕(ようさん)**を行うことができるようになったと伝えられています。
素戔嗚尊の誓約
素戔嗚尊(すさのおのみこと)は申し上げました。
「私は父のご命令に従って、根の国へ参ることにいたします。
しかしその前に、高天原(たかまがはら)へ参って、姉上にお目にかかり、お別れを申し上げたいと思います。」
すると
伊奘諾尊(いざなぎのみこと)は、
「よかろう。」
とおっしゃいました。
そこで素戔嗚尊は天へ昇って行かれました。
その後、伊奘諾尊は神としての務めをすべて終えられ、やがてこの世を去ろうとされました。
そこで**幽宮(かくれみや)**を淡路の地に造り、静かに永く隠れておられたといわれています。
また別の言い伝えでは、伊奘諾尊はその功徳が非常に大きかったため、天へ帰ってご報告をされ、**日の少宮(ひのわかみや)**に留まってお住みになったとも伝えられています。
さて、素戔嗚尊が天へ昇るとき、
大海は轟き渡り、山々も鳴り響きました。
それは、素戔嗚尊の性質が非常に猛々しかったからであるとされています。
一方、
天照大神(あまてらすおおみかみ)は、もともと素戔嗚尊が荒々しく、良くない行いをする神であることをご存じでした。
そこで素戔嗚尊がやって来る様子をご覧になると、顔色を変えて驚かれ、次のように言われました。
「私の弟がやって来るのは、きっと良い心からではないでしょう。
おそらく国を奪おうという志があるのではありませんか。
父母はそれぞれの子供に国を与え、境界を定められました。
それなのに、なぜ自分の行くべき国を捨てて、わざわざここへ来るのですか。」
そう言うと天照大神は戦いの姿になりました。
髪を結い上げて**角髪(みずら)とし、裾をからげて袴としました。
さらに大きな玉をたくさん緒に通したものを髪や腕に巻きつけました。
背には矢入れを負い、腕には立派な高鞆(たかとも)**をつけました。
そして弓の弭(ふはず)を振り立て、剣の柄を握りしめました。
さらに足で大地を踏み抜くほどに力強く踏みしめ、土を雪のように踏み散らしながら、勇ましい態度と厳しい言葉で素戔嗚尊を激しく問い詰めました。
すると素戔嗚尊は答えました。
「私は最初から汚い心など持っておりません。
父母の厳しい命令があったので、まっすぐ根の国へ行くつもりでした。
ただ姉上にお目にかかりたいと思っただけなのです。
それで雲霧を踏み分けて遠くから参りました。
姉上のこのような厳しいお顔を見ることになるとは、思いもよりませんでした。」
すると天照大神はさらに問いかけました。
「それならば、お前の心が清いという証拠を何で示すのですか。」
素戔嗚尊は答えました。
「では姉上と誓約(うけい)をいたしましょう。
誓約によって子を生むことにいたします。
もし私が生んだ子が女神ならば、私の心は汚れていると思ってください。
もし男神ならば、私の心は清いとしてください。」
そこで天照大神は、素戔嗚尊の**十握の剣(とつかのつるぎ)**を借りました。
それを三つに折り、**天の真名井(あまのまない)**で洗い清めました。
そしてそれをカリカリとかみ砕き、吹き出されました。
するとその細かな霧の中から神々が生まれました。
最初に生まれた神を
**田心姫(たごりひめ)**といいます。
次に
湍津姫(たぎつひめ)。
次に
市杵嶋姫(いつきしまひめ)。
合わせて三柱の女神です。
次に素戔嗚尊は、天照大神が髪や腕に巻いていた
八坂瓊(やさかに)の五百箇(いおつ)の御統(みすまる)を借りました。
それを天の真名井で洗い清め、同じように噛んで吹き出しました。
するとその霧から神々が生まれました。
最初の神は
正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひあまのおしほみみのみこと)です。
次に
天穂日命(あめのほひのみこと)。
この神は出雲土師連(いずものはじのむらじ)の祖先とされています。
次に
天津彦根命(あまつひこねのみこと)。
この神は凡川内直(おおしこうちのあたい)や山代直(やましろのあたい)の祖先とされています。
次に
活津彦根命(いくつひこねのみこと)。
最後に
熊野櫲樟日命(くまのくすびのみこと)。
合わせて五柱の男神です。
このとき天照大神は言われました。
「もとをたどれば、八坂瓊の五百箇の御統は私のものです。
したがって、この五柱の男神はすべて私の子です。」
そう言って引き取って養われました。
また天照大神は言われました。
「そして、その十握の剣は素戔嗚尊のものです。
したがって、この三柱の女神はすべてあなたの子です。」
そしてこの三柱の女神を素戔嗚尊に授けられました。
この三柱の女神こそ、
筑紫の胸肩君(むなかたのきみ)たちが祀る神であるとされています。
素戔嗚尊の誓約(別の言い伝え 第一)
別の言い伝え(第一)によりますと、
天照大神(日の神)は、もともと
素戔嗚尊(すさのおのみこと)が非常に猛々しく、負けず嫌いで気性の激しい神であることをご存じでした。
そのため、素戔嗚尊が天へ登って来る様子を見て、次のように思われました。
「弟がここへ来るのは、善い心からではないでしょう。
きっと私の高天原を奪おうとしているのでしょう。」
そう思われて、天照大神は堅固な武装を整えられました。
身には
十握の剣(とつかのつるぎ)、
九握の剣(ここのつかのつるぎ)、
八握の剣(やつかのつるぎ)
を帯びました。
さらに背中には矢入れを負い、腕には高柄をつけ、手には弓矢を持って、自ら素戔嗚尊を迎え撃つ構えを取られました。
そのとき素戔嗚尊は言われました。
「私はもともと悪い心を持っておりません。
ただ姉上にお目にかかりたいと思って参上しただけです。」
そこで天照大神は素戔嗚尊と向かい合って立ち、誓約(うけい)を行ってこう言われました。
「もしお前の心が清く、私の国を奪おうという気持ちがないならば、
お前の生む子はきっと男神となるでしょう。」
そう言い終えると、天照大神は身に着けていた十握剣を食べられました。
そして生まれた子を
瀛津嶋姫(おきつしまひめ)
と名付けました。
次に九握剣を食べて生まれた子を
湍津姫(たぎつひめ)
と名付けました。
さらに八握剣を食べて生まれた子を
田心姫(たごりひめ)
と名付けました。
この三柱が生まれました。
一方、素戔嗚尊は首にかけていた五百箇の御統(いおつのみすまる)の玉を取り、
天淳名井(あまのなない)、またの名を去来の真名井(いざのまない)で洗い清めてから食べました。
すると神々が生まれました。
最初の神を
正哉吾勝勝速日天忍骨尊(まさかあかつかちはやひのあまのおしほねのみこと)
と名付けました。
次に
天津彦根命
次に
活津彦根命
次に
天穂日命
次に
熊野忍踏命
合わせて五柱の男神です。
この結果によって、素戔嗚尊は誓約に勝った証拠を得ることができました。
そこで天照大神は、素戔嗚尊に悪い心がないことを理解されました。
そして天照大神が生んだ三柱の女神を筑紫の国へ降らせました。
そのとき三柱の神にこう命じられました。
「お前たち三柱の神よ。
海路の途中に降りて、天孫を助けなさい。
そして天孫のために祭祀を受けなさい。」
別の言い伝え(第二)
別の言い伝えによりますと、素戔嗚尊が天へ昇ろうとされたとき、一柱の神が現れました。
その神の名は
羽明玉(はかるたま)
といいます。
この神が素戔嗚尊を迎え、
瑞八坂瓊(みつのやさかに)の曲玉(まがたま)を献上しました。
素戔嗚尊はその玉を持って天へ昇られました。
このとき天照大神は、弟に悪い心があるのではないかと疑い、兵を集めて問い詰めました。
すると素戔嗚尊は答えました。
「私が参上したのは、本当に姉上にお目にかかりたかったからです。
また宝である瑞八坂瓊の曲玉を献上したいと思っただけです。
それ以外の心はありません。」
そこで天照大神は言われました。
「それがお前の真実の言葉かどうか、どうやって証明するのですか。」
素戔嗚尊は答えました。
「では姉上と共に誓約を立てましょう。
その誓約で、もし女神を生めば私に黒い心があると思ってください。
もし男神を生めば、私の心は清いと考えてください。」
そこで天の真名井(あまのまない)に三つの井戸を掘り、二神は向かい合って立ちました。
そのとき天照大神は言いました。
「私が今帯びている剣をあなたにあげましょう。
代わりにあなたの持っている八坂瓊曲玉を私にください。」
こうして互いに交換しました。
天照大神は八坂瓊曲玉を天の真名井に浮かべ、玉の端を噛み切って口から吹き出されました。
その息の中から生まれた神を
市杵島姫命
と名付けました。
この神は宗像の遠瀛宮(おきつみや)に鎮座する神です。
次に玉の中程を噛み切り、息の中から生まれた神を
田心姫命
と名付けました。
この神は宗像の中瀛宮(なかつみや)に鎮座する神です。
次に玉の尾を噛み切り、息から生まれた神を
湍津姫命
と名付けました。
この神は海辺の辺津宮(へつみや)に鎮座する神です。
この三柱を合わせて三女神といいます。
一方、素戔嗚尊は自分の剣を天の真名井に浮かべ、剣の先を噛み切って吹き出しました。
するとその息の中から神々が生まれました。
最初の神を
天穂日命
次に
正哉吾勝勝速日天忍骨尊
次に
天津彦根命
次に
活津彦根命
最後に
熊野櫲樟日命
以上、合わせて五柱の男神が生まれました。
別の言い伝え(第三)
日神ひのかみは素戔嗚尊すさのおのみことに向かって、
「お前にもし悪い心がないのであれば、お前の生む子はきっと男性でありましょう。もし男の子を生んだならば、その子は私の子として高天原たかまがはらを治めさせましょう」
とお告げになりました。
そして日神ひのかみは、まず十握剣とつかのつるぎをお食べになり、その御口からお生まれになった御子は、瀛津島姫命おきつしまひめのみこと、またの名を市杵嶋姫命いつきしまひめのみことと申します。
次に九握剣ここのつかのつるぎをお食べになり、その御子として湍津姫命たぎつひめのみことがお生まれになりました。
さらに八握剣やつかのつるぎをお食べになり、その御子として田霧姫命たぎりひめのみことがお生まれになりました。
一方、素戔嗚尊すさのおのみことは、左の髻もとどりに巻かれていた五百箇いおつの御統みすまるの瓊たまを口に含み、左の掌の上に置いて、男神をお生みになりました。
素戔嗚尊は、
「今こそ私が勝ちました」
とおっしゃいました。
この言葉により、その御子は勝速日天忍穂耳尊かちはやひあまのおしほみみのみことと名づけられました。
さらに、右の髻もとどりの瓊たまを口に含み、右の掌の上に置いて、天穂日命あめのほひのみことをお生みになりました。
また、首にかけておられた瓊たまを口に含み、左の腕の中に置いて、天津彦根命あまつひこねのみことをお生みになりました。
右の腕の中からは活津彦根命いくつひこねのみことをお生みになりました。
左の足の中からは烽之速日命ひのはやひのみことをお生みになりました。
右の足の中からは熊野忍踏命くまのおしほみのみこと、またの名を熊野忍隅命くまののおしくまのみことをお生みになりました。
このように、素戔嗚尊すさのおのみことがお生みになった御子は、すべて男神でございました。
そこで日神ひのかみは、素戔嗚尊がはじめから赤き心、すなわち清らかな誠の心を持っておられたことを悟られ、その六柱の男神を日神の御子として高天原を治めさせることになさいました。
一方、日神がお生みになった三柱の女神は、葦原中国あしはらのなかつくにの宇佐嶋うさしまへと降らされました。
そして今は北の海路、すなわち朝鮮半島へ向かう海の道の途中においでになり、その御名を道主貴ちぬしのむちと申し上げます。
この神こそが、筑紫の水沼君ちくしのみぬまのきみらの祭神でございます。
天の岩屋
天照大神(あまてらすおおみかみ)との誓約のあと、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の仕業は、言いようのない程ひどいものでございました。天照大神(あまてらすおおみかみ)は天狭田(あまのさなだ)・長田(おさだ)を神田としておられましたが、素戔嗚尊(すさのおのみこと)は春には種を重ね播いたり、田の畔を壊したりなさいました。秋にはまだら毛の馬を放って田を荒らしました。また天照大神(あまてらすおおみかみ)が新嘗祭を行っておられるとき、こっそりとその部屋に糞をいたしました。さらに、天照大神(あまてらすおおみかみ)が神衣を織るために神聖な機殿においでになるのを見て、まだら毛の馬の皮を剝いで御殿の屋根に穴をあけて投げ入れました。
天照大神(あまてらすおおみかみ)は大変驚かれ、機織の梭でお身体を傷つけられました。これによってお怒りになり、天の岩屋(あまのいわや)に入られて磐戸を閉じ、こもってしまわれました。
それで国中は常闇となって、夜昼の区別も分からなくなりました。そのとき八十万の神たちは、天の安河(あまのやすかわ)のほとりに集まって、どんなお祈りをすべきか相談しました。思兼神(おもいかねのかみ)が深謀遠慮をめぐらし、常世の長鳴鳥を集めて互いに長鳴きをさせました。また手力雄神(たちからおのかみ)を岩戸の脇に立たせ、中臣連(なかとみのむらじ)の遠い祖先の天児屋命(あまのこやねのみこと)、忌部(いんべ)の遠い祖先の太玉命(ふとだまのみこと)は、天香山(あまのかぐやま)の沢山の榊を掘り、上の枝には八坂瓊の五百箇の御統をかけ、中の枝には八咫鏡をかけ、下の枝には青や白の麻の幣をかけて、皆でご析禱をしました。
また猿女君(さるめのきみ)の遠い先祖の天鈿女命(あめのうずめのみこと)は、手に茅纏の矛をもって、天の岩戸(あまのいわと)の前に立って巧みに踊りをしました。また香具山の榊を頭飾にし、ひかげの葛を襷にし、篝火を焚き、桶を伏せてその上に乗り、神憑りになったように喋り踊りました。
このとき、天照大神(あまてらすおおみかみ)がこれをお聞きになり、「私はこの頃岩屋にこもっているから、豊葦原中国(とよあしはらなかつくに)はきっと長い夜だろう。どうして天鈿女(あめのうずめ)はこんなに喜び笑い、騒ぐのだろう」と思われて、御手で少し磐戸を開けて外をご覧になりました。
そのとき手力雄神(たちからおのかみ)が、天照大神(あまてらすおおみかみ)の御手をとって引き出し奉りました。そこで中臣神(なかとみのかみ)や忌部神(いんべのかみ)が注連縄を引き渡しました。そして、「もう内へ戻らないで下さい」とお願いしました。
そののち、神々たちは、この罪を素戔嗚尊(すさのおのみこと)にきせ、沢山の捧げ物をお供えする罰を負わせました。髪を抜いてその罪をあがなわせることもしました。また、手足の爪を抜いて罪のあがないもさせたともいいます。そしてついに高天原(たかまがはら)から追放しました。
別の言い伝え(第一)
別の言い伝え(第一)によると、このあとに稚日女尊(わかひるめのみこと)が機殿で神衣を織っておいでになりました。素戔嗚尊(すさのおのみこと)はそれを見て、斑馬の皮を剝いで部屋の中に投げ入れました。稚日女尊(わかひるめのみこと)は驚かれて機から落ちて、持っていた梭で身体を傷つけられて死なれました。
それで天照大神(あまてらすおおみかみ)が素戔嗚尊(すさのおのみこと)に、「お前には、やはり悪い心がある。もう、お前と会いたくない」とおっしゃり、天の岩屋(あまのいわや)に入って磐戸を閉じられました。
そこで天下は真暗になって夜昼の別もなくなりました。そこで八十万の神たちが、天の高市(あまのたけち)に集って相談しました。
高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)の子に思兼神(おもいかねのかみ)があり、この神は思慮にすぐれていました。思兼神(おもいかねのかみ)が考え出したのは、「大神のかたちを映すものを造って、招き出しましょう」というものでした。
そこで石凝姥(いしこりどめ)を工として、天香山(あまのかぐやま)の金を採って日矛を造らせました。また鹿の皮を丸剝ぎにして鞴を造りました。これを用いて造られた神は紀伊国(きいのくに)にお出でになる日前神(ひのくまのかみ)であります。
別の言い伝え(第二)
別の言い伝え(第二)によると、日神尊(ひのかみのみこと)は天垣田(あまのかきた)を神田としておられました。素戔嗚尊(すさのおのみこと)は春は田の溝を埋めたり畔を壊したりしました。また秋は穀物が実っているときに縄を引き渡して田を犯しました。日神(ひのかみ)が機殿にお出でになるときに、斑馬を生剝ぎにして部屋の中に投げ入れました。
こうした仕業は、すべて言いようのない程でありました。けれども日神(ひのかみ)は親身な気持で、とがめられず恨まれず、おだやかな心でお許しになりました。
日神(ひのかみ)が新穀のお祭りをしておられるときに、素戔嗚尊(すさのおのみこと)は新宮のお席の下にこっそりと糞をされました。日神(ひのかみ)は知らないで座に坐られました。それで日神(ひのかみ)は体中臭くなられました。日神(ひのかみ)はお怒りになって、天の岩屋(あまのいわや)へお出でになり、その岩戸を閉じられました。
諸々の神たちはこれを憂えて、鏡作部の遠い先祖の天糖戸神(あまのあらとのかみ)に鏡を作らせ、忌部の遠い先祖の太玉神(ふとだまのかみ)に幣を作らせ、玉造部の遠い先祖の豊玉神(とよたまのかみ)に玉を作らせました。また山神には沢山の玉を飾った榊を用意させ、野神には沢山の玉を飾った小竹を用意させました。
これらの物を持ち寄り、中臣連(なかとみのむらじ)の先祖の天児屋命(あまのこやねのみこと)が神祝を述べました。それにより日神(ひのかみ)が岩戸を開けられました。このとき鏡をその岩屋にさし入れたので、戸に触れて小さな傷がつきました。この傷は今も残っています。これが伊勢にお祀りしてある大神であります。
これらの罪を素戔嗚尊(すさのおのみこと)にきせると、その贖罪の物をとりたてました。手の先の爪、足の先の爪を出させ、唾を白幣とし、よだれを青幣とし、これらで祓い終って追放の刑にされました。
別の言い伝え(第三)
別の言い伝え(第三)によると、日神(ひのかみ)の田は三箇所あり、名づけて天安田(あまのやすだ)・天平田(あまのひらた)・天邑幷田(あまのむらあわせだ)といいます。これらは皆良田でありました。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)の田も三力所あり、名づけて天幾田(あまのいくた)・天川依田(あまのかわよりだ)・天口銳田(あまのくちとだ)といいます。これらは皆痩地でありました。それで素戔嗚尊(すさのおのみこと)は妬んで姉の田に害を与えました。
春は用水路を壊したり溝を埋めたり畔を壊したり靱を重ね蒔きしたりしました。秋は田に串をさして領有権を主張したり馬を放って荒らしたりしました。素戔嗚尊(すさのおのみこと)はこれらの悪事をやめることがありませんでした。けれども日神(ひのかみ)は咎められず、常に穏やかな心でお許しになりました。
日神(ひのかみ)が天の岩屋(あまのいわや)に籠もるに至って、諸々の神たちは、中臣連(なかとみのむらじ)の遠い先祖の興台産霊(こごとむすび)の子、天児屋命(あまのこやねのみこと)を遣わしてお祈りさせました。
天児屋命(あまのこやねのみこと)は、天香山(あまのかぐやま)の榊を掘りとって、上の枝には鏡作りの遠い先祖の天抜戸(あまのぬかと)の子、石凝戸辺命(いしこりとべのみこと)が作った八咫鏡をかけ、中の枝には玉作りの遠い先祖の天明玉命(あまのあかるたまのみこと)が作った八坂瓊曲玉をかけ、下の枝には阿波の国の忌部の遠い先祖の天日鷲(あまのひわし)が作った木綿をかけて、忌部首の遠い先祖の太玉命(ふとだまのみこと)に持たせて祈りました。
すると日神(ひのかみ)がお聞きになり、「この頃、人がいろいろなことをいったが、こんなに嬉しいことを言ったのはなかった」とおっしゃいました。そして岩戸をわずかに開けて外を窺われました。
このとき、天手力男神(あまのたちからおのかみ)が岩戸の脇に隠れておられて、戸を引き開けられたので、日神(ひのかみ)の光が国中に充ちました。
諸々の神たちは大いに喜んで、素戔嗚尊(すさのおのみこと)には沢山の捧げ物をお供えする罰を負わせました。手足の爪を抜いて罪のあがないもさせました。天児屋命(あまのこやねのみこと)はその祓いの祝詞をよまれました。人々が切った自分の爪を大切に始末する行ないの由来はこれであります。
諸々の神たちは素戔嗚尊(すさのおのみこと)を責め、「お前がした事は大変無頼である。だから天上に住むことは許されない。また葦原中国(あしはらのなかつくに)にも居てはならぬ。速かに底の根の国に行きなさい」と言って皆で追いやりました。
その時に長雨が降りました。素戔嗚尊(すさのおのみこと)は青草を編んで蓑笠として身につけ、神々に宿を借りたいと乞いました。しかし神々は、「お前は自分の行いが悪くて追われ責められているのだ。どうして宿を我々に乞うことが許されようか」と言い、皆で断りました。
風雨が甚だしかったが、留り休むことができず、苦労して降っていかれました。これ以後、蓑笠を着たままで他人の家の中に入ることを忌むようになりました。また束ねた草を背負って他人の家の中に入ることも忌むのであります。もしこれを犯す者があると、必ず罪のつぐないを負わされます。これは大昔からの遺法であります。
こののちに素戔嗚尊(すさのおのみこと)は、「諸々の神たちが私を追い払った。私は永い別れをしようと思うが、我が姉にお目にかからないで勝手に立ち去るわけにはいかない」と言い、天地を震動させて天に上られました。
その様子を天鈿女命(あめのうずめのみこと)が見られて、日神(ひのかみ)に告げられました。
日神(ひのかみ)は、「我が弟のやってくるわけは、また良い心からでなかろう。きっと我が国を奪おうというのだろう。私は女であっても逃げかくれはせぬから」と言い、そして身に武備を装われました。
そこで素戔嗚尊(すさのおのみこと)は誓約し、「私がもし良くない心で上ってくるのだったら、私が玉を嚙んで生む子はきっと女でしょう。そうだったら、女を葦原中国(あしはらのなかつくに)に降して下さい。もし清い心だったら、きっと男の子でしょう。そうだったら、男に天上を治めさせて下さい。姉が生まれた子も、同じ誓約に従いましょう」と言いました。
そこで日神(ひのかみ)がまず十握剣を嚙まれて、そのあとは云々となります。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)は、左の髻に纏いていた五百箇の御統の瓊たまの緒を解いて、玉の音をジャラジャラとさせて天の淳名井で濯ぎ洗い、その玉の端を嚙んで左の掌において子を生みました。生まれた子が、正哉吾勝勝速日天忍穂根尊(まさかあかつかちはやひあまのおしほねのみこと)であります。
また右の玉を嚙んで右の掌において、生まれた子が天穂日命(あまのほひのみこと)であります。これが出雲臣(いずものおみ)・武蔵国造(むさしのくにのみやつこ)・土師連(はじのむらじ)の遠い先祖であります。
次に天津彦根命(あまつひこねのみこと)が生まれました。これは、茨城国造(うばらきのくにのみやつこ)・額田部連(ぬかたべのむらじ)らの遠い先祖であります。
次に活目津彦根命(いくつひこねのみこと)が生まれました。
次に熯速日命(ひのはやひのみこと)が生まれました。
次に熊野大角命(くまのおおくまのみこと)が生まれました。
みなで六柱の男神であります。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)は、日神(ひのかみ)に申し上げました。
「私がやって来たのは、神々が私の根の国行きを決めたので、今から行こうとするのです。もし姉にお目にかからなかったら、堪えて別れることもできないでしょう。本当に清い心を持って、また参上したのです。もうお目にかかるのは最後です。神々の御心のままに、今から永く根の国に参ります。どうか姉君、天上界を治められて、平安であられますよう。また私が清い心で生んだ子どもを、姉君に奉ります。」
そして素戔嗚尊(すさのおのみこと)は帰って行かれました。
八岐大蛇
素戔嗚尊(すさのおのみこと)は、天から出雲(いずも)の国の簸の川(ひのかわ)のほとりにお降りになりました。すると、川のほとりで悲しみ泣いている声がしました。その声の方を尋ねて行くと、翁(おきな)と媼(おうな)が間に一人の少女をおいて、かき撫でながら泣いていました。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)は尋ねました。
「お前たちは誰か。どうしてこんなに泣いているのか。」
翁は答えました。
「私はこの国の住人です。名は脚摩乳(あしなづち)といい、妻は手摩乳(てなづち)といいます。この童女は私どもの子で、名は奇稲田姫(くしいなだひめ)といいます。泣いているわけは、以前、私どもには八人の娘がありましたが、毎年、八岐大蛇(やまたのおろち)に呑まれました。次はこの娘が呑まれようとしています。しかし、逃れる方法もありません。それで悲しんでいるのです。」
素戔嗚尊(すさのおのみこと)は、
「もしそうなら、私に娘をくれないか」
と言いました。
彼らは、
「仰せのとおり差し上げます」
と答えました。
そこで素戔嗚尊(すさのおのみこと)は、奇稲田姫(くしなだひめ)を神聖な爪櫛に変えて、自分の髪にお差しになりました。そして脚摩乳(あしなづち)・手摩乳(てなづち)に、よく醸した酒を用意させ、仮作りの棚を八面設け、それぞれに一箇の酒を入れた桶を置いて待たれました。
そのうち八岐大蛇(やまたのおろち)がやってきました。頭と尾がそれぞれ八つあり、眼は赤酸漿のようで、松や柏が背中に生え、八つの山・八つの谷の間にいっぱいに広がっていました。
八岐大蛇(やまたのおろち)は酒を見つけると、頭をそれぞれの桶に入れて飲みました。やがて酔って眠ったので、素戔嗚尊(すさのおのみこと)は腰に差していた十握剣を抜き、ズタズタにその蛇を斬りました。
尾を斬るとき、剣の刃が少し欠けました。そこでその尾を割いてご覧になると、中に一つの剣がありました。これがいわゆる草薙剣(くさなぎのつるぎ)であります。別の言い伝えによれば、本来の名は天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)といいます。大蛇(おろち)の上には常に雲があったのでこのように名づけましたが、日本武尊(やまとたけるのみこと)が持つに至って、名を草薙剣(くさなぎのつるぎ)と改めたとされます。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)は、
「これは不思議な剣である。どうして私物にできましょうか」
と言われ、この剣を天つ神(あまつかみ)に献上されました。
それから先は、結婚によい所を探されました。ついには、出雲(いずも)の須賀(すが)に着かれました。そこで、
「ああ、私の心は清々しい」
と言われました。それでこの地を今、スガと呼びます。
そしてそこに宮を建てられました。そのとき、素戔嗚尊(すさのおのみこと)は、
「盛んに雲がわき立つ
出雲(いずも)の八重垣(やえがき)よ。
妻を隠らせるために、
八重垣(やえがき)を作る。
その八重垣(やえがき)を。」
と歌われました。
そこで素戔嗚尊(すさのおのみこと)と奇稲田姫(くしなだひめ)は夫婦の交わりをされて、子の大己貴神(おおあなむちのかみ)を生みました。そして詔して、
「我が子の宮の首長は、脚摩乳(あしなづち)・手摩乳(てなづち)である」
と言われました。
だからこの二柱の神に名を賜わって、稲田宮主神(いなだのみやのぬしのかみ)といいます。そして素戔嗚尊(すさのおのみこと)は根の国へ行かれました。
別の言い伝え(第一)
別の言い伝え(第一)によると、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が、天から出雲(いずも)の簸の川(ひのかわ)のほとりにお降りになりました。
そして稲田宮主簧狭之八箇耳(いなだのみやのぬしすさのやつみみ)の娘である稲田姫(いなだひめ)をご覧になり、妻屋を建てて生んだ子を、清の湯山主、名は狭漏彦八嶋篠(さるひこやしましの)と名づけました。
もしくは、清の繫名坂軽彦八嶋手命(ゆいなさかかるひこやしまでのみこと)ともいいます。
または、清の湯山主、名は狭漏彦八嶋野(さるひこやしまの)ともいいます。
この神の五代の孫が、大国主神(おおくにぬしのかみ)であります。
別の言い伝え(第二)
別の言い伝え(第二)によると、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が、天から安芸(あき)の江の川(えのかわ)のほとりにお降りになりました。
そこに神がおられ、名を脚摩手摩(あしなづてなず)といいました。
その妻の名を、稲田宮主賛狭之八箇耳(いなだのみやぬしすさのやつみみ)といいます。
この神が身ごもっていました。
悲しんでいる夫婦は言いました。
「私が生んだ子は沢山ありましたが、生むたびに八岐大蛇(やまたのおろち)がやってきて呑んでしまいます。一人も生き残っていません。これから私が生む子も、恐らく呑まれてしまうでしょう。それで悲しんでいます。」
素戔嗚尊(すさのおのみこと)はこれに対し、
「あなたは沢山の果実で八つの甕に酒を造りなさい。私はあなたのために大蛇(おろち)を殺してあげましょう。」
と言われました。
二柱の神は教えに従って酒を用意しました。
やがて子が生まれたとき、やはりその大蛇が入口にやってきて、その子を呑もうとしました。
そこで素戔嗚尊(すさのおのみこと)は大蛇に向かって、
「あなたは恐れ多い神様です。おもてなし申し上げます。」
と言われました。
そして八つの甕の酒を、八つの口に入れました。
そのうち蛇は酒を飲んで眠りました。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)は剣を抜いて斬りつけました。
すると尾を斬るときに剣の刃が少し欠けました。
割いてご覧になると、剣が尾の中にありました。
これを草薙剣(くさなぎのつるぎ)と名づけました。
これは今、尾張国(おわりのくに)の吾湯市村(あゆちのむら)にあります。
すなわち熱田(あつた)の祝部(はふり)が祀っている神がこれであります。
その大蛇を斬った剣を、名づけて蛇の麁正(あらまさ)といいます。
これは今、石上(いそのかみ)(石上神宮)にあります。
この後に、稲田宮主簧狭之八箇耳(いなだのみやぬしすさのやつみみ)が生んだ子、真髪触奇稲田媛(まかみふるくしいなだひめ)を、出雲国(いずものくに)の簸の川(ひのかわ)のほとりに移して育てました。
のちに、素戔嗚尊(すさのおのみこと)がこれを妃とされ、この六代の孫を大己貴命(おおあなむちのみこと)といいます。
別の言い伝え(第三)
別の言い伝え(第三)によると、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が、奇稲田媛(くしなだひめ)を妃に欲しいと言われました。
脚摩乳(あしなづち)・手摩乳(てなづち)が答えて言いました。
「どうかあの大蛇(おろち)を殺して、それから召されたらよいでしょう。あの大蛇は頭ごとに石松が生えており、両脇に山があり、大変強いのです。どのようにして殺すのですか?」
素戔嗚尊(すさのおのみこと)は計略を立て、毒の入った酒を用意して飲ませました。
これにより大蛇は酒を飲んで眠りました。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)はそこで韓鋤の剣をもって、頭を斬り、そして腹を斬りました。
その尾を斬るときに剣の刃が少し欠けました。
そこで尾を割いてみると、一つの剣がありました。
これを草薙剣(くさなぎのつるぎ)と名づけました。
この剣は素戔嗚尊(すさのおのみこと)のものでありましたが、今は尾張国(おわりのくに)にあります。
また、その素戔嗚尊(すさのおのみこと)が蛇を斬られた剣は、今、吉備(きび)の神部(かむとものお)の所にあります。
尊が大蛇を斬られた地は、出雲(いずも)の簸の川(ひのかわ)の上流の山であります。
別の言い伝え(第四)
別の言い伝え(第四)によると、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の素行が酷かったため、神々が千座の置戸の罪を科して追放しました。
このとき素戔嗚尊(すさのおのみこと)は、その子である五十猛神(いそたけるのかみ)を率いて、新羅(しんら)の国に降り、曽尸茂梨(そしもり)(ソウル)にお出でになりました。
そこで素戔嗚尊(すさのおのみこと)は、
「この地には私は居たくない」
と不服の言葉を言われました。
ついには土で舟を造り、それに乗って東の方に渡り、出雲(いずも)の国の簸の川(ひのかわ)の上流にある鳥上の山に着きました。
するとそこには人を呑む大蛇がいました。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)は天蠅斫剣(あまのははきりのつるぎ)をもって、その大蛇を斬られました。
このとき蛇の尾を斬って刃が欠けました。
そこで割いてご覧になると、尾の中に一つの不思議な剣がありました。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)は、
「これは私の物とすることはできない」
と言われました。
そこで五代の孫である天之葺根神(あまのふきねのかみ)を遣わして、天に奉られました。
これが今、草薙剣(くさなぎのつるぎ)といわれるものであります。
はじめ五十猛神(いそたけるのかみ)が天降られるとき、たくさんの樹の種を持って下られました。
しかし韓地(からくに)には植えず、すべて持ち帰って筑紫(ちくし)からはじめて、大八洲(おおやしま)の国の中に播き広め、すべてを青山にしてしまわれました。
このため五十猛命(いそたけるのみこと)を有功の神(いさおしのかみ)と称します。
紀伊国(きいのくに)にお出でになる大神はこの神であります。
別の言い伝え(第五)
別の言い伝え(第五)によれば、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が、
「韓郷(からくに)の島には金銀がある。もし我が子の治める国に舟がなかったらよくないだろう」
と言われました。
そこで髯を抜いて放つと杉の木になり、胸の毛を抜いて放つと桧になり、尻の毛は槇の木になり、眉の毛は樟(くすのき)になりました。
そしてその用途を定め、
「杉と樟は舟を造るのによい。桧は宮を造る木によい。槇は現世の国民の寝棺を造るのによい。そのための沢山の木の種子を皆播こう」
と言われました。
この素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子を五十猛命(いそたけるのみこと)といいます。
妹に大屋津姫命(おおやつひめのみこと)、次に抓津姫命(つまつひめのみこと)。
この三柱の神がよく種子を播き、紀伊国(きいのくに)にお祀りしています。
その後、素戔嗚尊(すさのおのみこと)は熊成峯(くまなりのたけ)にお出でになり、ついに根の国にお入りになりました。
別の言い伝え(第六)
別の言い伝え(第六)によれば、大国主神(おおくにぬしのかみ)は、大物主神(おおものぬしのかみ)とも、国作大己貴命(くにつくりおおあなむちのみこと)ともいいます。
また葦原醜男(あしわらのしこお)ともいいます。
また八千戈神(やちほこのかみ)ともいいます。
また大国玉神(おおくにたまのかみ)ともいいます。
また顕国玉神(うつしくにたまのかみ)ともいいます。
その子は皆で百八十一柱お出でになります。
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