龍神の記憶と目覚め  日本神話ー⑮15代応神天皇―誉田の帝 八幡の源流― | 龍神の記憶と目覚め 

日本神話ー⑮15代応神天皇―誉田の帝 八幡の源流―

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創作物語版  ―誉田の帝 八幡の源流―

記紀に記載されている15代応身(おうじん)天皇の時代を物語としてまとめています。
記紀の現代語訳を読みたい方は後半をご覧ください。

第一章 軽島の明宮に満ちる光

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軽島の明宮(かるしまのみや)は、湖と森に抱かれた静かな地です。
夜明け前、湖面には薄い霧が漂い、白い布をそっと広げたように大地を包みます。森の奥では鳥たちが小さく鳴き始め、霧はその声に応えるようにゆっくり揺れます。朝日が差し込むと、霧の粒が金色にきらめき、まるで天と地がひとつに溶け合うような光景が広がります。

宮殿の屋根には朝露が光り、柱には夜の冷気がまだ残っています。
その静けさの中、品陀和気命(ほむだわけのみこと/応神天皇)はひとり庭に立ち、湖の向こうに連なる山々を見つめていました。

天皇は、澄んだ空気を胸に吸い込み、低くつぶやきます。

「今日も、国は安らかであってほしい……」

その声は誰に聞かせるでもなく、しかし大和の国全体を包む祈りのようでした。

やがて、侍女が静かに歩み寄り、深く頭を下げます。

「天皇さま、朝餉(あさげ)の支度が整いました」

天皇は軽くうなずき、宮殿の奥へと歩を進めました。
その歩みは穏やかでありながら、どこか大地の鼓動と響き合うような力強さがあります。

三柱の女王の朝

宮殿の奥では、三柱の女王――
高木之入日売命(たかぎのいりひめのみこと)、
中日売命(なかひめのみこと)、
弟日売命(おとひめのみこと)
――が、それぞれの部屋で朝の支度を整えていました。

高木之入日売命

高木之入日売命の部屋には、香木の甘い香りが満ちています。
侍女が髪を梳くたびに、黒髪が月の光のように艶めきました。

「天皇さまは、今朝もお早くお目覚めでしたね」

侍女の言葉に、高木之入日売命は静かに微笑みます。

「ええ……あの方は、国のことを思わぬ日はありません。
そのお心の深さに、私たちはただ寄り添うばかりです」

その声には、深い敬愛と、わずかな憂いが混じっていました。

中日売命

中日売命は、庭に面した部屋で朝の光を浴びながら、若い侍女に語りかけます。

「大雀(おおさざき)は、今朝も早く起きていましたか?」

「はい、后さま。池で鯉に餌を与えていました。
あの皇子さまは、どの生き物にも優しいですね」

中日売命は胸に手を当て、そっと目を細めました。

「……あの子の優しさが、いつか国を照らす光になりますように」

弟日売命

弟日売命の部屋では、舞の稽古が始まっています。
薄衣をまとった彼女は、朝の光を受けてまるで神の化身のようでした。

「后さま、今日の舞は一段と冴えておられます」

侍女の言葉に、弟日売命は軽やかに回りながら答えます。

「天皇さまが治めるこの国が、いつまでも美しくあるように……
その願いを舞に込めているのです」

天皇と三后の対面

朝餉の席に三柱の后が揃うと、天皇は穏やかに微笑みました。

「皆、よく来てくれた。
そなたたちの顔を見ると、心が安らぐ」

高木之入日売命が静かに問いかけます。

「天皇さま……今朝は、何かお心にかかることがありましたか?」

天皇は少しだけ目を伏せました。

「国は広く、民は多い。
そのすべてを守るためには、次の世を担う者たちを、正しく導かねばならぬ」

中日売命がそっと言葉を添えます。

「皇子さまたちは、それぞれに才をお持ちです。
きっと天皇さまのお心に応えることでしょう」

天皇はうなずきましたが、その瞳には深い思案の色が宿っていました。

弟日売命は、静かに天皇を見つめながら言います。

「天皇さまのお心が迷わぬよう、私たち后も力を尽くします」

天皇はその言葉にわずかに微笑み、三后の姿を見渡しました。

軽島の明宮に満ちる息吹

朝餉が終わるころ、宮殿の外では子どもたちの笑い声が響き始めました。
皇子女たちが庭を駆け回り、侍女たちが慌てて追いかけます。

その光景を眺めながら、天皇は静かに呟きました。

「……この命の輝きが、いつまでも絶えぬように」

その言葉には、父としての優しさと、天皇としての覚悟が宿っていました。

軽島の明宮には、今日も光が満ちています。
それは、天皇と后妃たち、そして皇子女たちが紡ぐ未来の光でした。

第二章 高木之入日売命と五柱の皇子女

高木之入日売命(たかぎのいりひめのみこと)は、静かな気品をまとった后でした。
その部屋にはいつも柔らかな光が差し込み、香木の香りがほのかに漂っています。侍女たちは「后さまの周りだけ、空気が澄んでいるようです」と囁き合い、彼女の存在そのものが宮中を落ち着かせているようでした。

そんな后のもとには、五柱の皇子女が育っていました。
額田大中日子命(ぬかたのおおなかひこのみこと)、大山守命(おおやまもりのみこと)、伊奢之真若命(いざのまわかのみこと)、大原郎女(おおはらのいらつめ)、高目郎女(たかめのいらつめ)。
それぞれが異なる光を宿し、宮中の人々は彼らの成長を楽しみに見守っていました。

額田大中日子命 ― 学問所に響く静かな才

ある朝、学問所では額田大中日子命が古い巻物を広げていました。
彼は幼いながらも集中力が高く、周囲のざわめきに気を取られることはありません。

師がそっと声をかけます。

「大中日子さま、その巻物は難しい言葉が多いのですが……読めていますか?」

皇子は顔を上げ、静かに答えました。

「はい。意味はすべてではありませんが、言葉の流れは分かります。
この部分は、神々が国を整えた時のことを書いているのでしょうか」

師は驚き、思わず息をのみました。

「……その通りです。よく気づかれましたね」

皇子は照れたように微笑み、巻物に視線を戻しました。
その姿を見て、師は胸の奥に温かいものを感じました。

「この皇子は、言葉の奥にある心を読む力を持っている……」

そう思わずにはいられませんでした。

大山守命 ― 山野に育つ風の皇子

一方、大山守命は宮中の外に出ることを好みました。
その日も、森の入口で弓を手にしています。
風が吹くたびに木々がざわめき、鳥の影が枝から枝へと飛び移ります。

従者が心配そうに声をかけました。

「大山守さま、あまり奥へ入られますと危険です。
今日は天皇さまもお呼びかもしれませんし……」

しかし皇子は笑って答えました。

「心配はいりません。風の向きが変われば、獣の動きも分かります。
それに、森は私を拒みません」

そう言うと、皇子は風の匂いを嗅ぎ、耳を澄ませました。

「……鹿が近くにいます。三つの足音。母鹿と子でしょう」

従者が驚いていると、木々の間から本当に鹿が姿を現しました。
皇子は弓を下ろし、静かに見送りました。

「守るべきものを、むやみに傷つける必要はありません」

その言葉には、幼いながらも自然と共に生きる者の誇りが宿っていました。

伊奢之真若命、大原郎女、高目郎女 ― 宮中に咲く若い花

伊奢之真若命は、兄の大中日子命と大山守命の中間のような性格でした。
学問にも興味を持ち、武にも励み、どちらも器用にこなします。
侍女たちは「真若さまは、どんな道にも進める方ですね」と噂していました。

大原郎女と高目郎女は、宮中の花のような存在でした。
二人が歩けば、侍女たちの顔が自然とほころびます。

ある日、二人は庭で花を摘んでいました。

「姉さま、この花は后さまにお届けしましょうか?」

「ええ。母上はきっと喜んでくださるわ。
……でも、どの花が一番お似合いかしら」

二人は花を手に取りながら、母の顔を思い浮かべて微笑み合いました。

母と子のひととき

その日の夕暮れ、高木之入日売命は五人の子を部屋に集めました。
窓の外では夕日が湖に映り、金色の光が揺れています。

「皆、今日もよく励みましたね」

后の言葉に、皇子女たちはそれぞれの一日を語り始めました。

大中日子命は巻物の話をし、
大山守命は森で見た鹿の親子の話をし、
真若命は弓の稽古の成果を語り、
大原郎女と高目郎女は摘んだ花を母に差し出しました。

后はその花を胸に抱き、静かに言いました。

「あなたたちが健やかに育つことが、私の何よりの喜びです。
どうか、互いを大切にし、支え合ってくださいね」

その言葉に、五人はうなずき、母のそばに寄り添いました。
夕暮れの光が彼らを包み、まるで未来を照らす灯火のように輝いていました。

第三章 中日売命と三柱の皇子女

中日売命(なかひめのみこと)は、柔らかな光をまとった后でした。
その部屋はいつも静かで、庭に面した障子越しに朝の光が差し込み、風が運ぶ花の香りがほのかに漂っています。侍女たちは「后さまの周りは、春のように温かい」と囁き合い、彼女の存在が宮中に穏やかな空気をもたらしていました。

そんな后のもとには、三柱の皇子女が育っていました。
木之荒田郎女(きのあらたのいらつめ)、大雀命(おおさざきのみこと)、根鳥命(ねとりのみこと)。
三人はそれぞれに異なる気質を持ちながら、母の優しさに包まれて成長していました。

大雀命 ― 人の心に寄り添う皇子

ある朝、大雀命は庭の池のほとりに座り、鯉に餌を与えていました。
水面には朝日が反射し、金色の光が揺れています。皇子は小さな手で餌をつまみ、そっと水に落としました。

「お前たちも、お腹がすいていたのだろうね」

その声は、まるで友に語りかけるように優しいものでした。

そこへ、年若い侍女が慌てた様子で駆け寄ってきました。

「皇子さま、大変です。庭の端で小鳥が傷ついて……」

大雀命はすぐに立ち上がり、侍女の後を追いました。
草の上には、小さな鳥が羽を震わせて倒れていました。

皇子はそっと膝をつき、鳥を手のひらに乗せました。

「痛かっただろうね……大丈夫、すぐに楽になるよ」

その声は驚くほど落ち着いていて、侍女は思わず息をのみました。

「皇子さま……どうしてそんなに優しくできるのですか?」

大雀命は鳥を胸に抱きながら、少し考えるように答えました。

「痛みを知っている者は、誰かの痛みに気づけると聞きました。
だから、できるだけ気づけるようにしていたいのです」

侍女はその言葉に胸を打たれ、深く頭を下げました。

中日売命のまなざし

その日の昼、中日売命は大雀命を呼び寄せました。
部屋には柔らかな光が差し込み、后は織物の手を止めて皇子を迎えました。

「大雀、庭で小鳥を助けたと聞きましたよ」

皇子は少し照れたようにうつむきました。

「はい……でも、助けられたかどうかは分かりません」

后は微笑み、皇子の手をそっと包みました。

「あなたの心は、誰よりも温かいのですね。
その優しさは、いつか多くの人を救う力になります」

皇子は母の言葉を静かに受け止め、胸に手を当てました。

「母上……私は、強くなりたいです。
誰かの痛みに気づくだけでなく、守れるようになりたい」

中日売命はその言葉に目を細め、皇子の肩に手を置きました。

「その願いを忘れないでくださいね。
あなたの歩む道は、きっと光に満ちています」

木之荒田郎女と根鳥命 ― 兄を見つめる瞳

木之荒田郎女は、兄の大雀命を尊敬していました。
ある日、彼女は兄の袖を引きながら言いました。

「兄上は、どうしてそんなに優しいのですか?
私は、すぐに怒ってしまいます……」

大雀命は笑い、妹の頭を軽く撫でました。

「怒ることは悪いことではないよ。
大切なのは、怒ったあとにどうするかだと思う」

「どうするか……?」

「うん。誰かを傷つけたなら謝る。
自分が間違えたと思ったら、次は気をつける。
それだけで、心は少しずつ強くなるんだ」

木之荒田郎女はその言葉を胸に刻むようにうなずきました。

根鳥命は、兄の言葉を少し離れた場所で聞いていました。
彼は控えめな性格でしたが、兄の背中を見つめる目には憧れが宿っていました。

「兄上のようになれたら……」

その小さな呟きは、風に溶けて消えていきました。

母と子の夕暮れ

夕暮れ、三人の子どもたちは中日売命の部屋に集まりました。
窓の外では夕日が湖に映り、金色の光が揺れています。

后は三人を見渡し、静かに語りかけました。

「あなたたちは、それぞれに違う光を持っています。
その光を大切に育ててくださいね」

大雀命は母の言葉を胸に刻み、妹と弟の手をそっと握りました。
三人の影が夕日の中で重なり合い、まるで未来へ伸びる一本の道のように見えました。

第四章 弟日売命と五柱の皇子女

弟日売命(おとひめのみこと)は、宮中でもひときわ華やかな后でした。
その部屋には、朝の光が薄衣を透かして揺れ、風が吹くたびに香草の香りがふわりと漂います。侍女たちは「后さまは、舞うために生まれたような方です」と囁き、彼女の姿に憧れを抱いていました。

そんな后のもとには、五柱の皇子女が育っていました。
阿部郎女(あべのいらつめ)、阿貝知能三腹郎女(あがちのさんばらのいらつめ)、木之菟野郎女(きのうのいらつめ)、三野郎女(みののいらつめ)、そして名を伝えられなかったもう一柱の皇子女。
彼らは皆、母の美しさと才を受け継ぎ、宮中に彩りを添えていました。

舞の稽古 ― 朝の光の中で

ある朝、弟日売命は薄衣をまとい、舞の稽古をしていました。
朝日が障子越しに差し込み、彼女の姿を金色に染めます。
その動きは風のようにしなやかで、足音ひとつ立てずに舞台を滑るようでした。

侍女が息を呑みながら言いました。

「后さま……まるで天の巫女のようです」

弟日売命は舞を止め、軽く息を整えながら微笑みました。

「舞は、神々に心を届けるものです。
私の願いが届くように、今日も心を澄ませているのですよ」

「願い……ですか?」

侍女が問い返すと、后は少しだけ目を伏せました。

「ええ。天皇さまが治めるこの国が、いつまでも穏やかであるように。
そして、私の子どもたちが、迷わずに歩めるように……」

その声には、母としての静かな祈りが宿っていました。

阿部郎女と阿貝知能三腹郎女 ― 宮中を照らす姉妹

阿部郎女と阿貝知能三腹郎女は、宮中でも評判の美しさでした。
二人が歩けば、侍女たちが思わず振り返り、兵たちでさえ目を奪われるほどです。

ある日、二人は鏡の前で髪を整えていました。

「姉さま、今日はどの髪飾りをつけますか?」

阿貝知能三腹郎女が問うと、阿部郎女は少し考えながら答えました。

「母上が舞われる日だから、あまり華やかすぎないものがいいわ。
母上の光を邪魔してはいけないもの」

「姉さまは、いつも母上のことを考えているのですね」

「ええ。母上は、私たちの誇りですから」

二人は微笑み合い、静かに髪飾りを選びました。

木之菟野郎女と三野郎女 ― 風のように自由な姉妹

木之菟野郎女と三野郎女は、対照的な性格でした。
木之菟野郎女は活発で、庭を駆け回ることを好み、
三野郎女は静かで、花を愛し、よく池のほとりで物思いにふけっていました。

ある日、木之菟野郎女が庭を走り回っていると、三野郎女が声をかけました。

「そんなに走ると、転んでしまいますよ」

「大丈夫よ! 風が気持ちいいんだもの!」

「……あなたは本当に風の子ですね」

三野郎女は微笑み、摘んだ花をそっと姉に差し出しました。

「これ、母上に届けましょう。
きっと喜んでくださいます」

木之菟野郎女は花を受け取り、嬉しそうに頷きました。

母と子の語らい ― 夕暮れのひととき

夕暮れ、弟日売命は五人の子どもたちを部屋に集めました。
窓の外では夕日が湖に映り、金色の光が揺れています。

后は子どもたちを見渡し、静かに語りかけました。

「あなたたちは、それぞれに美しい光を持っています。
その光を、どうか大切に育ててくださいね」

阿部郎女がそっと手を挙げました。

「母上……私たちは、母上のように舞えるでしょうか?」

弟日売命は優しく微笑み、娘の手を取ります。

「舞は、心が踊れば自然と形になります。
あなたたちの心が澄んでいれば、きっと美しい舞になりますよ」

木之菟野郎女が元気よく言いました。

「じゃあ、明日から私も稽古します!」

「ええ、一緒に頑張りましょうね」

后は娘たちを抱き寄せ、静かに目を閉じました。
その姿は、まるで光に包まれた母鳥のようでした。

弟日売命の胸にあるもの

子どもたちが部屋を出たあと、弟日売命はひとり窓辺に立ちました。
夕暮れの光が薄衣を透かし、彼女の横顔を照らします。

「……この子たちが、迷わずに歩める未来でありますように」

その祈りは、風に乗って静かに宮中へと広がっていきました。

第五章 后妃たちの広がる縁と皇子たちの誕生

軽島の明宮には、季節ごとに異なる風が吹き込みます。
春には花の香りが、夏には湖の涼しさが、秋には金色の光が、冬には静かな雪の気配が漂い、宮中の空気を豊かに彩っていました。

その中心に立つのは、品陀和気命(応神天皇)でした。
天皇のもとには多くの后妃が集い、それぞれの家系が持つ歴史と祈りが宮中に流れ込んでいました。

宮主矢河枝比売 ― 静かな強さを持つ后

丸邇氏の娘・宮主矢河枝比売(みやぬしやがわえひめ)は、落ち着いた気品を持つ后でした。
彼女の部屋はいつも整えられ、余計な飾りはなく、静かな香りが漂っています。

ある日、彼女は生まれたばかりの皇子・宇遅能和紀郎子(うぢのわきいらつこ)を抱きながら、侍女に語りかけました。

「この子は、よく泣きますね」

侍女は微笑みながら答えました。

「はい。でも、泣き声が力強いのは、健やかな証です」

矢河枝比売は皇子の頬にそっと触れました。

「……この子は、きっと強く育ちます。
天皇さまのお心に応える者になってほしいですね」

その横顔には、母としての静かな決意が宿っていました。

彼女はさらに二人の皇子女――八田若郎女(やたのわかいらつめ)、女鳥王(めとりのおおきみ)――を産み、三人の子を慈しみながら育てていきました。

袁那弁郎女 ― 姉を支える優しい妹

矢河枝比売の妹・袁那弁郎女(おなべのいらつめ)は、姉とは対照的に明るく柔らかな雰囲気を持つ后でした。
彼女はよく姉の部屋を訪れ、子どもたちの世話を手伝っていました。

ある日、袁那弁郎女は姉に言いました。

「姉さま、今日は私が宇遅之若郎女(うぢのわかいらつめ)を見ております。
姉さまは少しお休みになってください」

矢河枝比売は驚いたように妹を見つめました。

「あなたはいつも気を遣ってくれますね……ありがとう」

袁那弁郎女は笑って答えました。

「姉さまが幸せでいてくださるのが、私の喜びなのです」

二人の姉妹の絆は深く、その温かさは宮中の者たちの心を和ませていました。

息長真若中比売 ― 清らかな祈りを捧げる后

咋俣長日子王の娘・息長真若中比売(おきながのまわかなかひめ)は、祈りを大切にする后でした。
彼女の部屋にはいつも清らかな水が置かれ、朝夕には静かに祝詞を唱える声が響いていました。

ある日、彼女は生まれたばかりの若沼毛二俣王(わかぬまけふたまたのおおきみ)を抱きながら、天皇に語りかけました。

「この子が、どうか清らかな心を持ち続けますように……」

天皇はその祈りを聞き、静かにうなずきました。

「そなたの心が清らかだからこそ、この子もまた清らかに育つだろう」

真若中比売はその言葉に微笑み、胸に手を当てました。

糸井比売 ― 湖のように穏やかな后

桜井の田部連の祖・島垂根の娘・糸井比売(いといひめ)は、湖のように穏やかな后でした。
彼女は言葉少なでしたが、その沈黙には優しさが満ちていました。

彼女が産んだ速総別命(はやふさわけのみこと)は、よく笑う子でした。
ある日、侍女が言いました。

「后さま、この子は本当に笑顔が絶えませんね」

糸井比売は静かに頷きました。

「ええ……この子の笑顔を見ると、私の心も軽くなります」

その言葉は短くても、深い愛情が込められていました。

泉長比売 ― 南の風を運ぶ后

日向の泉長比売(いずみながひめ)は、南国の風を思わせる后でした。
明るく、よく笑い、宮中に新しい空気を運んでいました。

彼女は三人の子――大羽江王(おおはえのおおきみ)、小羽江王(こはえのおおきみ)、幡日之若郎女(はたひのわかいらつめ)――を産みました。

ある日、泉長比売は子どもたちを抱きしめながら言いました。

「あなたたちは、私の宝です。
どうか、強く、優しく育ってくださいね」

その声は、南の陽光のように温かく、子どもたちは安心したように母の胸に顔を埋めました。

迦具漏日売 ― 芸の才を持つ后

迦具漏日売(かぐろひめ)は、歌や舞に秀でた后でした。
彼女の部屋からは、よく琴の音が聞こえ、侍女たちはその音色に耳を傾けていました。

彼女は五柱の皇子女――川原田郎女、玉郎女、忍坂大中比売、登富志郎女、迦多遅王――を産みました。

ある日、迦具漏日売は琴を弾きながら子どもたちに言いました。

「音は心を映します。
あなたたちも、自分の心を大切にしてくださいね」

子どもたちは母の周りに集まり、静かにその音色を聴いていました。

野伊呂売 ― 山の気をまとう后

葛城の野伊呂売(のいろひめ)は、山の気をまとうような后でした。
凛とした雰囲気を持ち、言葉は少なくても、その存在には強さがありました。

彼女が産んだ伊奢能麻和迦王(いざのまわかのおおきみ)は、母に似て静かな子でした。

ある日、野伊呂売は息子の手を取り、山の方角を指さしました。

「あなたが歩む道は、きっと険しい時もあります。
でも、山は逃げません。
あなたも、逃げない心を持ちなさい」

その言葉は短くても、深い教えが込められていました。

宮中に満ちる若い命の息吹

こうして応神天皇のもとには二十六柱の皇子女が生まれ、宮中は常に若い命の息吹に満ちていました。
庭では子どもたちの笑い声が響き、廊下では小さな足音が駆け抜け、后妃たちはそれぞれの子を抱きしめながら、未来への祈りを胸に抱いていました。

天皇はその光景を見つめながら、静かに思いました。

「この命の輝きが、いつか大和を照らす光となるように……」

その祈りは、軽島の明宮にそっと溶けていきました。

第六章 皇子たちの資質と天皇の思惑

軽島の明宮には、季節の移ろいとともに、皇子たちの成長が静かに刻まれていました。
庭では若い声が響き、学問所では巻物の音がし、武場では弓の弦が鳴ります。
そのすべてを、応神天皇は深いまなざしで見つめていました。

「この子らの中から、次の世を託す者が現れる……」

その思いは、日ごとに重みを増していきました。

大山守命 ― 武の才を持つ皇子

ある日、天皇は大山守命(おおやまもりのみこと)の稽古場を訪れました。
皇子は弓を引き、的の中心を射抜いていました。
風が吹いても、彼の腕は揺れません。

天皇が近づくと、皇子はすぐに気づき、弓を置いて膝をつきました。

「父上、お越しとは存じませんでした」

天皇は的を見つめながら言いました。

「見事な腕だ。風を読む力も備わっているな」

大山守命は少し照れたように笑いました。

「山で育ったようなものですから、風の声には慣れています」

天皇はその言葉にうなずきながらも、胸の奥に小さな影を感じていました。

(この子は強い。しかし、強さゆえに見えなくなるものもある……)

その思いは、言葉にはせず胸にしまわれました。

大雀命 ― 民の心を映す皇子

別の日、天皇は大雀命(おおさざきのみこと)のもとを訪れました。
皇子は庭で年老いた侍女の手を取り、ゆっくり歩いていました。

「足元に気をつけてくださいね。
急がなくても、夕餉には間に合いますから」

侍女は笑いながら答えました。

「皇子さまに手を引いていただけるとは、私は幸せ者ですね」

その光景を見て、天皇は胸の奥が温かくなるのを感じました。

「大雀よ、そなたはなぜその侍女を助けているのだ?」

皇子は振り返り、少し考えてから答えました。

「歩くのがつらそうでしたから。
誰かが困っていると、放っておけないのです」

天皇は静かにうなずきました。

(この子の心は、民の痛みを映す鏡のようだ……)

その思いは、深い安堵とともに胸に刻まれました。

宇遅能和紀郎子 ― 聡明さを備えた皇子

さらに別の日、天皇は宇遅能和紀郎子(うぢのわきいらつこ)の部屋を訪れました。
皇子は巻物を広げ、政の仕組みについて学んでいました。

天皇が声をかけると、皇子はすぐに立ち上がり、深く頭を下げました。

「父上、今日は租税について学んでおりました。
民の負担を軽くしつつ、国を保つ方法を考えております」

天皇は驚き、巻物を手に取りました。

「まだ幼いというのに、よくここまで考えたな」

皇子は真剣な目で答えました。

「父上の治める国を、少しでも理解したいのです。
いつかお役に立てるように」

その言葉に、天皇の胸には静かな感動が広がりました。

(この子は、政を担う器を持っている……)

天皇の胸に去来する思い

その夜、天皇はひとり庭に立ち、月を見上げました。
湖面には月の光が揺れ、風が木々を揺らしています。

「三人とも、異なる光を持っている……
誰を次の世に立てるべきか……」

天皇の胸には、父としての愛と、天皇としての責務が交錯していました。

そこへ、侍女がそっと近づきました。

「天皇さま……お部屋の支度が整っております」

天皇はうなずき、静かに歩き出しました。

(この国の未来を託す者を、私は見極めねばならぬ……)

その決意は、月の光に照らされながら、ゆっくりと深まっていきました。

第七章 御前の問い ― 愛おしきは誰か

軽島の明宮に、秋の風が吹き始めていました。
湖の水面には金色の光が揺れ、森の木々は少しずつ色を変えています。
その静かな季節の中で、応神天皇の胸には、ひとつの思いが深く沈んでいました。

(そろそろ、次の世を託す者を見極めねばならない……)

皇子たちは皆、よく育っていました。
しかし、皇位を継ぐ者はただ才があるだけでは務まりません。
心の奥にある「何を大切にするか」が、国の未来を左右します。

その思いを胸に、天皇は二人の皇子――大山守命(おおやまもりのみこと)と大雀命(おおさざきのみこと)――を御前に呼び寄せました。

静まり返る御前の間

御前の間には、深い静けさが満ちていました。
柱の影が長く伸び、外からは風に揺れる木々の音だけが聞こえます。

大山守命は、武人らしく背筋を伸ばして座っていました。
その目には迷いがなく、父の問いを正面から受け止める覚悟が見えます。

大雀命は、静かに膝をつき、落ち着いた表情で父を見つめていました。
その瞳には、どこか深い湖のような静けさが宿っています。

天皇は二人を見渡し、ゆっくりと口を開きました。

「お前たちに、ひとつ問いたいことがある」

二人の皇子は、息を呑むように父の言葉を待ちました。

天皇の問い ― 心を映す鏡

「年上の子と年下の子と、どちらがより愛おしいと思うか」

その問いは、まるで湖に石を投げ入れたように、静けさの中に波紋を広げました。

大山守命は、迷いなく答えました。

「年上の子のほうが、より愛おしいと思います。
共に育ち、共に学び、互いに支え合うことができるからです」

その声は力強く、武人としての率直さがにじんでいました。

天皇は静かにうなずきましたが、その目にはわずかな影が落ちました。

次に、大雀命が口を開きました。

「私は……年下の子のほうが愛おしいと思います」

天皇は目を細め、続きを促しました。

「その理由を聞かせてくれ」

大雀命は少しだけ息を吸い、静かに言いました。

「年上の子は、すでに自分の足で歩くことができます。
しかし年下の子は、まだ幼く、守り導くべき存在です。
弱い者を守るのは、強い者の務めだと思います」

その言葉は、御前の間に柔らかく、しかし確かな響きをもたらしました。

大山守命は横目で弟を見つめ、わずかに眉を寄せました。
その胸には、言葉にできない感情が揺れていました。

天皇の胸に響くもの

天皇はしばらく黙り、二人の皇子の顔を見つめました。
その沈黙は重く、しかしどこか温かいものでした。

やがて、天皇は深くうなずきました。

「大雀よ……お前の言葉は、私の心にかなう」

その瞬間、大雀命の胸に静かな熱が灯りました。
しかし彼は誇ることなく、ただ深く頭を下げました。

大山守命は拳を握りしめました。
悔しさか、戸惑いか、自分でも分からない感情が胸に渦巻いていました。

天皇は二人に向かって、穏やかに言いました。

「お前たちは、それぞれに良い心を持っている。
だが、国を治める者には、弱き者を思う心が欠かせないのだ」

その言葉は、父としての愛と、天皇としての覚悟が混じり合ったものでした。

静かに揺れる未来の影

御前の間を出たあと、大山守命はしばらく廊下に立ち尽くしていました。
夕日が差し込み、彼の影を長く伸ばしています。

「……弟に、負けたのか」

その呟きは、誰にも聞こえないほど小さなものでした。

一方、大雀命は庭に出て、湖を見つめていました。
風が頬を撫で、湖面が静かに揺れています。

「父上は……私に何を望んでおられるのだろう」

その問いは、湖に吸い込まれるように消えていきました。

しかし、二人の胸に芽生えた思いは、これからの運命を大きく揺り動かしていくことになります。

第八章 三皇子に与えられた役目

秋が深まり、軽島の明宮には冷たい風が吹き始めていました。
湖の水面は静かに揺れ、森の木々は赤や黄に染まり、季節の移ろいを告げています。
その中で、応神天皇の胸には、ひとつの決断が重く沈んでいました。

(そろそろ、この国の未来を託す者を定めねばならない……)

皇子たちは皆、よく育ち、それぞれに異なる光を放っていました。
しかし、皇位を継ぐ者はただ才があるだけでは務まりません。
心の奥にある「何を守り、何を大切にするか」が、国の行く末を決めるのです。

天皇は、三人の皇子――大山守命(おおやまもりのみこと)、大雀命(おおさざきのみこと)、宇遅能和紀郎子(うぢのわきいらつこ)――を御前に呼び寄せました。

御前に集う三皇子

御前の間には、深い静けさが満ちていました。
外では風が木々を揺らし、時折、落ち葉が舞い込んできます。

大山守命は、武人らしく背筋を伸ばし、強い眼差しで父を見つめていました。
大雀命は、静かに膝をつき、落ち着いた表情で父の言葉を待っています。
宇遅能和紀郎子は、真剣な目で巻物を抱え、心を整えていました。

天皇は三人を見渡し、ゆっくりと口を開きました。

「お前たちに、それぞれの役目を与える時が来た」

その言葉に、三人の皇子は息を呑みました。

大山守命への役目 ― 山と海を統べる者

天皇はまず、大山守命に目を向けました。

「大山守よ。
お前には、山と海の部民を統べる役目を与える」

大山守命は驚き、そして誇らしげに胸を張りました。

「父上……それは、私にとって望外の役目です。
山も海も、私の心が安らぐ場所です。
必ずや、部民を守り、導いてみせます」

天皇は静かにうなずきました。

「お前の強さと勇気は、多くの者を支える力となるだろう」

しかし、その言葉の奥には、父としてのわずかな不安が潜んでいました。

(強さだけでは、守れぬものもある……)

大雀命への役目 ― 国政を執り行う者

次に、天皇は大雀命に目を向けました。

「大雀よ。
お前には、国政を執り行い、私に奏上する役目を与える」

大雀命は驚きに目を見開きました。

「父上……私に、そのような大役が務まるでしょうか」

天皇は穏やかに微笑みました。

「お前は、人の心をよく見る。
弱き者を思い、痛みに寄り添う心を持っている。
その心こそ、国を治めるうえで最も大切なものだ」

大雀命は深く頭を下げました。

「父上のお言葉を胸に刻み、努めてまいります」

その声には、静かな決意が宿っていました。

宇遅能和紀郎子への役目 ― 皇位を継ぐ者

そして天皇は、宇遅能和紀郎子に向き直りました。

「宇遅能和紀郎子よ。
お前には、皇位を継ぐ役目を与える」

その言葉は、御前の間に重く響きました。

宇遅能和紀郎子は息を呑み、しばらく言葉を失いました。
やがて、震える声で答えました。

「父上……私はまだ未熟です。
しかし、この身を尽くして国を守り、民を導く覚悟はあります」

天皇は深くうなずきました。

「そなたの聡明さと誠実さは、国を支える柱となるだろう。
迷うことなく進め」

宇遅能和紀郎子は深く頭を下げ、涙をこらえながら言いました。

「父上の御心に応えられるよう、努めてまいります」

三皇子の胸に宿る思い

三人の皇子は、それぞれの役目を胸に刻み、御前の間を後にしました。

大山守命は、拳を握りしめながら歩いていました。

「私は……山と海の民を守る者か。
だが、弟たちに遅れを取るつもりはない」

その瞳には、強い炎が宿っていました。

大雀命は、庭に出て湖を見つめました。
風が頬を撫で、湖面が静かに揺れています。

「国政……私は、誰かの痛みに気づけるだろうか。
父上のように、強くなれるだろうか」

その胸には、不安と決意が入り混じっていました。

宇遅能和紀郎子は、廊下の影でそっと胸に手を当てました。

「皇位を継ぐ……
私は、この重さに耐えられるだろうか」

しかし、その目には確かな光が宿っていました。

天皇の静かな祈り

三皇子が去ったあと、応神天皇はひとり御前に残り、静かに目を閉じました。

「……どうか、この子たちが迷わずに歩めるように。
そして、この国が安らかであるように」

その祈りは、秋の風に乗って宮中へと広がっていきました。

第九章 気比大神の顕現

秋の終わり、軽島の明宮には冷たい風が吹き始めていました。
その風は、北の海から運ばれてきたような鋭さを帯び、宮中の者たちは肩をすくめながらも、どこか胸騒ぎを覚えていました。

その頃、応神天皇は皇子・大鞆和気命(おおともわけのみこと)を連れ、北の地へ向かう旅に出ていました。
皇子はまだ幼く、天皇はその身を案じながらも、国の祈りを捧げるために旅を続けていたのです。

荒れる海と、不吉な影

旅の一行が敦賀の地に近づいたころ、空は急に暗くなり、海は荒れ始めました。
波は高くうねり、風は唸り声を上げ、まるで海そのものが怒りをあらわにしているようでした。

従者のひとりが天皇に駆け寄りました。

「天皇さま、このままでは船を出すのは危険です。
海が……まるで何かを拒んでいるようです」

天皇は荒れる海を見つめ、静かに答えました。

「この地には、古くから海の神が宿ると聞く。
その神が、何かを伝えようとしているのかもしれない……」

幼い大鞆和気命は、天皇の袖を握りしめ、不安そうに海を見つめていました。

「父上……海が、怒っているのですか?」

天皇は皇子の頭に手を置き、優しく言いました。

「恐れることはない。
神は、我らを試しているだけだ」

しかし、その言葉とは裏腹に、天皇の胸には重い不安が広がっていました。

夜の祈り ― 神を呼ぶ声

その夜、一行は海辺に陣を張りました。
風は冷たく、波の音は途切れることなく響き続けています。

天皇は焚き火の前に座り、深く目を閉じました。
その姿は、まるで神に語りかける巫(かんなぎ)のようでした。

「……この子を、どうかお守りください。
この旅が、国のためのものであるならば……」

その祈りは、風に乗って海へと流れていきました。

従者たちは火を囲みながら、ひそひそと話し合っていました。

「海の神が怒っているのか……」
「いや、何かを知らせようとしているのかもしれない」
「皇子さまに、何か起こらなければよいが……」

その不安は、夜の闇とともに深まっていきました。

神の気配 ― 海から立ちのぼる光

深夜、突然、海が静まり返りました。
風も止み、波の音さえ消え、まるで世界が息を潜めたようでした。

その瞬間、海の彼方から淡い光が立ちのぼりました。
光はゆっくりと近づき、やがて人の形を成していきます。

従者たちは息を呑み、誰もがその場に釘付けになりました。

「……神だ」

誰かが震える声でつぶやきました。

光の中から現れたのは、白い衣をまとった神の姿でした。
その目は深い海のように静かで、声は風のように柔らかく響きました。

「恐れるな。
我は、この地を守る御食津大神(みけつおおかみ)……
後に気比大神(けひのおおかみ)と呼ばれる者なり」

天皇は深く頭を下げました。

「大神よ……我らの旅をお導きください。
この幼い皇子を、どうかお守りください」

神の言葉 ― 皇子を守る誓い

気比大神は、大鞆和気命の前に歩み寄りました。
皇子は恐れながらも、神の目をまっすぐに見つめていました。

「幼き皇子よ……
お前の身には、未来の光が宿っている。
その光を、我は守ろう」

神は皇子の額に手をかざし、静かに言葉を続けました。

「この旅は、試練であると同時に、祝福でもある。
恐れるな。
お前の道は、必ず開かれる」

皇子は小さく震えながらも、はっきりと答えました。

「……はい。
私は、父上と共に歩みます」

その言葉に、天皇の胸は熱くなりました。

海の静まりと、夜明けの光

神の姿は、ゆっくりと光に溶けていきました。
その瞬間、荒れていた海は嘘のように静まり、風も穏やかになりました。

従者たちは驚きと畏れを胸に、海を見つめました。

「……神が、本当に皇子さまを守ってくださったのだ」

天皇は皇子の肩に手を置き、静かに言いました。

「大鞆和気よ……
お前は、神に選ばれたのだ。
そのことを忘れずに歩むのだ」

皇子は父の手を握り、力強くうなずきました。

夜が明けるころ、海は金色に輝き、まるで神の祝福が残っているかのようでした。

第十章 大和に吹く新しい風と兄弟の運命

軽島の明宮に春の霞が立ちこめるころ、大和の国は柔らかな光に包まれていました。
しかしその穏やかさの奥には、海の彼方から届く新しい風が確かに吹き始めていました。

百済・新羅・呉・韓――
異国の船が港に姿を見せるたび、宮中にはざわめきが広がりました。
見たこともない器物、鮮やかな染織、精巧な金属器、そして異国の言葉。

ある日、応神天皇は渡来した工人の手にある金属器を手に取り、光にかざしました。
器の表面には細かな文様が刻まれ、光を受けてまるで生き物のように揺らめいていました。

「この細工……まるで生きているようだな」

工人は深く頭を下げ、拙い倭語で答えました。

「天皇さま……これは、我が国で百年伝わる技でございます。
どうか、大和の国でも役立てていただければ……」

天皇は静かに微笑みました。

「国を豊かにするものは、遠き国より来る風であっても拒まぬ。
お前たちの技は、大和の未来を照らす光となるだろう」

その言葉に、群臣たちは深くうなずきました。

「天皇さまのお心は、まことに広うございます」
「この御代は、きっと新しい時代の始まりとなりましょう」

こうして大和は、外の世界と結び合い始め、文化の息吹が満ちていったのです。

天之日矛の宝 ― 遠き国の縁が大和に根づく

そのころ宮中では、天之日矛(あめのひぼこ)の伝承が語り継がれていました。
新羅から渡来した彼が携えて来た八種の宝は、ただの宝物ではなく、
風・波・光・影を操る神秘の力を宿す神器とされていました。

ある夜、応神天皇は側近を呼び寄せました。
灯火が揺れ、影が壁に踊る中、天皇は静かに問いかけました。

「天之日矛の宝を守る家は、今も但馬に続いているのか」

側近は深く頭を下げました。

「はい、天皇さま。
山と海の狭間に根を張り、代々神宝を守護していると伝わっております。
彼らは山の恵みと海の恵みを知り尽くし、大和に欠かせぬ民となっております」

天皇はしばらく沈黙し、遠くを見つめました。

「遠き国の縁が大和に根づく……
それもまた、神々の導きなのだろう」

側近はそっと言いました。

「天皇さま……大和は、ますます豊かになりましょう。
外の国々との縁が、国を広くしていくのです」

天皇は静かにうなずきました。

「そのためにも、争いを避けねばならぬ。
国の内が乱れては、外の風を受けることもできぬからな」

応神天皇、皇子たちの未来を思う

応神天皇には多くの皇子・皇女がいましたが、
その中でも特に心を寄せていたのが宇遅能和紀郎子(うじのわきいらつこ)でした。

ある夕暮れ、天皇は皇子を呼び寄せました。
庭には夕日が差し込み、湖面が金色に輝いていました。

「宇遅能和紀郎子よ……
お前には、国を豊かにする器がある。
だが、兄弟が争えば国は乱れる。
互いに支え合い、共に歩むのだ」

皇子は深く頭を下げました。

「父上のお心、必ず胸に刻みます。
私は……兄上たちと争いたくありません」

天皇はその言葉に微笑みましたが、
その瞳の奥には、言葉にできない不安が揺れていました。

(この子の優しさが、争いを呼ばぬように……)

大山守命の胸に宿る影

一方、大山守命(おおやまもりのみこと)は、
天皇の言葉を聞いてもなお、胸の奥に影を抱いていました。

「なぜ……なぜ弟が選ばれるのだ。
私こそ、山と海の民を束ねる力を持っているのに……」

側近が心配そうに声をかけました。

「大山守さま……どうか、御心を乱されませぬよう」

「乱されてなどいない。
ただ……私は、私の道を歩むだけだ」

しかしその瞳には、決意と焦りが入り混じった光が宿っていました。

別の側近が恐る恐る言いました。

「もし……もし皇子さまが皇位を継がれたとしても、
大山守さまのお力は決して失われませぬ。
どうか、焦られませぬよう」

大山守命は苦笑しました。

「焦っているように見えるか?」

「……はい。
あなたさまは、あまりに真っ直ぐなお方です。
その真っ直ぐさが、時にご自身を追い詰めてしまわれるのです」

大山守命はしばらく黙り、夜空を見上げました。

「私は……父上に認められたかっただけなのだ」

その声は、誰にも届かぬほど小さなものでした。

反逆の兆し ― 宇治川の策

やがて大山守命は密かに兵を集め、
宇遅能和紀郎子を討とうと企てました。

宇治川のほとりに張られた絹幕、
山上に設けられた仮屋、
そして船底に塗られた葛の粘液――。

すべては争いを避けるための策でありながら、
同時に兄弟の悲劇を決定づける舞台でもありました。

宇遅能和紀郎子は、兄の企てを知り、深く息をつきました。

「兄上……どうしてこのような道を選ばれたのですか」

側近が言いました。

「皇子さま……どうかご油断なきよう」

「私は兄を討つために生まれたのではない。
ただ……兄上の心が戻ることを願うだけだ」

その言葉には、深い悲しみが滲んでいました。

宇治川の悲劇 ― 兄の最期

ついに大山守命は宇治川に追い詰められ、
船が転覆し、激しい流れに飲まれていきました。

そのとき、彼は川面に浮かびながら歌いました。

「我が身は流れゆくとも……
心はなお、山に残る……」

その声は山々にこだまし、
兵たちの胸を締めつけました。

宇遅能和紀郎子は兄の亡骸を前に涙をこらえ、静かに歌を詠みました。

「兄よ……
争いの果てに残るのは、悲しみだけなのです」

側近がそっと言いました。

「皇子さま……どうか、お心を強くお持ちください」

「私は……兄上を救えなかった。
それが、胸に刺さって離れないのです」

その声は震えていました。

宇遅能和紀郎子の早すぎる死

兄弟の争いが終わったあと、
大雀命(おおさざきのみこと)と宇遅能和紀郎子は互いに皇位を譲り合いました。

「兄上こそ天皇にふさわしいお方です」
「いや、弟よ。お前の器こそ国を導くものだ」

その譲り合いは長く続き、
海人が泣きながら魚を運んだという逸話が残るほどでした。

しかし――
宇遅能和紀郎子は志半ばで病に倒れ、静かにこの世を去りました。

大雀命は弟の亡骸の前で深く頭を垂れました。

「弟よ……
お前の志は、私が継ごう。
必ずや大和を豊かにしてみせる」

その声には、深い悲しみと決意が宿っていました。

応神天皇、御世を閉じる

応神天皇は百三十歳という長き寿命を全うし、
恵賀の裳伏岡に葬られました。

その御代は、
外の国々との交流が盛んになり、
文化が花開き、
大和の繁栄の礎が築かれた時代でした。

天皇が残したものは、宝物でも建物でもありません。

それは――
「遠き国の風を拒まず、広く開かれた国であれ」
という精神でした。

その精神は、後の世の大和を支える大きな柱となっていきます。

古事記現代語訳

— 第一部:后妃と御子、大山守命と大雀命 —

軽島の明宮にて

品陀和気命(応神天皇)は、軽島の明宮において天下を治めておられました。
その宮は、湖と森に抱かれた静謐な地にあり、朝には白い霧が立ちのぼり、夕には朱の光が水面に揺れる、神々しい場所でございました。
天皇は、品陀真若王の娘である三柱の女王を后として迎えられました。
高木之入日売命、中日売命、弟日売命――いずれも気品と美しさを備え、宮中の人々から深く敬われておりました。
品陀真若王は、五百木之入日子命と、尾張連の祖・建伊那陀宿禰の娘・志理都紀斗売との間に生まれた方であり、血筋は清らかで、神々の加護を受けた家系でございました。

高木之入日売命の御子たち

高木之入日売命は、五柱の御子をお生みになりました。
額田大中日子命
大山守命
伊奢之真若命
大原郎女
高目郎女
額田大中日子命は聡明で、幼いころから宮中の学問所に通い、古き言葉や祭祀の作法をよく学ばれました。
大山守命は、幼いころから山野を駆け、獣の気配を読むことに長け、武勇に優れた皇子として知られました。

中日売命の御子たち

中日売命は三柱の御子をお生みになりました。
木之荒田郎女
大雀命(後の仁徳天皇)
根鳥命

大雀命は、幼いころから人々の心をよく察し、穏やかで慈しみに満ちた皇子でございました。
宮中の者たちは、「この皇子こそ、民の声を聞く天子となるであろう」と噂したほどです。

弟日売命の御子たち

弟日売命は五柱の御子をお生みになりました。
阿部郎女
阿貝知能三腹郎女
木之菟野郎女
三野郎女
ほか一柱
いずれも容姿端麗で、宮中の祭祀や舞に秀で、天皇の御前を彩る存在でございました。

そのほかの后妃たち

天皇は、丸邇氏の比布礼能意富美の娘・宮主矢河枝比売を后として迎えられ、
宇遅能和紀郎子
八田若郎女
女鳥王
をお生みになりました。
また、矢河枝比売の妹・袁那弁郎女との間には、
宇遅之若郎女
が生まれました。
さらに、咋俣長日子王の娘・息長真若中比売との間には、
若沼毛二俣王
が生まれました。
桜井の田部連の祖・島垂根の娘・糸井比売との間には、
速総別命
が生まれました。

日向の泉長比売との間には、
大羽江王
小羽江王
幡日之若郎女

迦具漏日売との間には、
川原田郎女
玉郎女
忍坂大中比売
登富志郎女
迦多遅王

葛城の野伊呂売との間には、
伊奢能麻和迦王
が生まれました。
こうして応神天皇の御子は二十六柱に及び、宮中は常に若い命の息吹に満ちておりました。

大山守命と大雀命

ある日のこと、応神天皇は二人の皇子――大山守命と大雀命――を御前に呼び寄せられました。
天皇は静かに問いかけられました。
「お前たちは、年上の子と年下の子と、どちらがより愛おしいと思うか」
この問いは、ただの戯れではありませんでした。
天皇はすでに、宇遅能和紀郎子に皇位を継がせるお考えをお持ちであり、そのために兄弟の心を確かめようとしておられたのです。
大山守命は、迷いなく答えました。
「年上の子のほうが、より愛おしく思われます」
その声には、武人らしい率直さがありましたが、天皇の胸にはわずかな影が落ちました。
次に大雀命が静かに口を開きました。
「年上の子は、すでに成人しており、心配も少のうございます。
しかし年下の子は、まだ幼く、守り導くべき存在でございます。
ゆえに、私は年下の子のほうが愛おしく思われます」
その言葉を聞いたとき、天皇は深くうなずかれました。
「大雀よ、お前の言葉は、まさに私の心にかなう」
そして天皇は三人の皇子に、それぞれの役割をお与えになりました。
大山守命には、山と海の部民を統べる役目
大雀命には、国政を執り行い奏上する役目
宇遅能和紀郎子には、皇位を継ぐ役目
大雀命は、天皇の命に背くことなく、静かにその務めを受け入れました。
その姿に、宮中の者たちは「この皇子こそ、天皇の御心を継ぐ方」と確信したのでございます。

— 第二部:応神天皇の御代の広がり—

応神天皇が軽島の明宮において天下を治められていたころ、
大和の国は、まるで春の霞が山々を包むように、
穏やかでありながらも、遠く海の彼方からは新しい風が吹き寄せていました。
百済・新羅・呉・韓の諸国からは、
技術者、学者、工人、そして珍しい宝物が次々と渡来し、
大和の国はかつてないほどの文化の息吹に満ちていきました。
天皇はそのすべてを受け入れ、
「国を豊かにするものは、遠き国より来る風であっても拒まず」
と仰せになり、
海を越えて来た者たちを丁重に遇し、
彼らの技を国造りに活かしていかれました。
その御代は、まさに 大和が外の世界と結び合い始めた時代 であり、
後の世に続く文化の礎が築かれていったのでございます。

天之日矛の宝物と、但馬に根づく血脈

天之日矛が新羅から渡来した物語は、
応神天皇の御代に語り継がれる「遠き国の縁」の象徴でもありました。
天之日矛が携えて来た八種の宝は、
ただの宝物ではなく、
風・波・光・影を操る神秘の力を宿した神器 とされ、
伊豆志の神々の御前に奉られました。
その宝を守る家系は、
但馬の山々と海の狭間に根を張り、
代々、神宝を守護する役目を担っていきました。
天之日矛の子孫たちは、
山の恵みと海の恵みを知り尽くした民として、
また、神宝を守る家として、
大和の国にとって欠かせぬ存在となっていったのです。

応神天皇、国の未来を思う

応神天皇は、数多くの皇子・皇女をもうけられましたが、
その中でも特に心を寄せられたのが、
宇遅能和紀郎子(うじのわきいらつこ)でございました。
天皇は、
「この子こそ、我が治めた国をさらに豊かにする器を持つ」
と深く感じておられ、
そのために大山守命と大雀命を試すような問いを投げかけられたのです。
しかし、天皇の御心は、
ただ皇位継承のためだけではありませんでした。
兄弟が争わず、互いに支え合って国を治めてほしい。
その願いが、
天皇の胸の奥に静かに宿っていたのでございます。

大山守命の反逆 ― 兄弟の悲劇

しかし、天皇の願いとは裏腹に、
大山守命は野心を抱き、
弟の宇遅能和紀郎子を討とうと密かに兵を集めました。
宇治川のほとりに張られた絹幕、
山上に設けられた仮屋、
そして船底に塗られた葛の粘液――。
すべては、
「争いを避けるための策」でありながら、
同時に「兄弟の悲しき運命」を決定づける舞台でもありました。
大山守命が川に落ち、
流れに身を任せながら歌った声は、
山々にこだまし、
兵たちの胸を締めつけました。
宇遅能和紀郎子がその亡骸を前に詠んだ歌は、
兄への情と、
争いの果てに残された痛みを静かに語り継ぐものとなりました。

宇遅能和紀郎子の早すぎる死

兄弟の争いが終わり、
大雀命と宇遅能和紀郎子は互いに皇位を譲り合いました。
しかし、
宇遅能和紀郎子は志半ばで世を去り、
天皇の願った「兄弟の協力」は叶わぬものとなりました。
海人が泣きながら魚を運んだという逸話は、
その譲り合いの長さと、
兄弟の心の優しさを象徴するものとして語り継がれています。
そしてついに、
大雀命が皇位を継ぎ、
後の 仁徳天皇 となられるのでございます。

応神天皇、御世を閉じる

応神天皇は、
百三十歳という長き御寿命を全うされ、
恵賀の裳伏岡に葬られました。
その御代は、
外の国々との交流が盛んになり、
文化が花開き、
後の大和の繁栄の礎となりました。
天皇が残されたものは、
宝物でも、建物でもなく、
人々の心に宿る「開かれた国」の精神 であったのです。

日本書紀現代語訳

天皇の誕生と即位

誉田天皇(ほむたのすめらみこと)は仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の第四子です。
母は気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)といいます。

天皇は神功皇后(じんぐうこうごう)が新羅(しらぎ)を討たれた仲哀九年十二月に、筑紫(ちくし)の蚊田(かだ)でお生まれになりました。
幼いころから聡明で、物事を深く遠くまで見通されました。
立ち居振る舞いには、不思議なほど聖帝の兆しがありました。
皇太后(こうたいごう)の摂政三年に、皇太子となられました。

そのとき、年は三歳でした。
天皇が母君のお腹におられたとき、天神地祇(てんじんちぎ)は三韓を授けられました。
お生まれになったとき、腕の上に盛り上がった肉がありました。
その形がちょうど鞆(ほむた)(弓を射るときに弦が腕に当たるのを防ぐ革の防具)のようでした。
これは皇太后(こうたいごう)(神功皇后(じんぐうこうごう))が男装して鞆(ほむた)を装着したことに似ていたのでしょう。
そのため、その名を称えて誉田天皇(ほむたのすめらみこと)といいます。

古の人は、弓の鞆(ほむた)のことを「ほむた」と呼びました。
ある説によると、天皇が初めて皇太子となられたとき、越国(こしのくに)(北陸地域)にお出でになり、敦賀(つるが)の笥飯大神(ひけのおおかみ)にお参りになりました。
そのとき、大神と太子が名を入れ替えられたといいます。
それで大神を去来紗別神(いざさわけのかみ)、太子を誉田別尊(ほむたわけのみこと)と名づけたと伝えられています。
そうであれば、大神のもとの名は誉田別神(ほむたわけのかみ)、太子のもとの名は去来紗別尊(いざさわけのかみ)ということになります。
しかし、そのような記録はなく、詳しいことは明らかではありません。

皇太后崩御〜皇子たちの系譜

皇后の摂政六十九年夏四月、皇太后(こうたいごう)が崩御されました。
そのとき、年は百歳でした。

元年の春一月一日、皇太子は皇位につかれました。
この年は太歳庚寅(たいさいかのえとら)です。

二年春三月三日、仲姫(なかつひめ)を立てて皇后とされました。
皇后は荒田皇女(あらたのひめみこ)、大鷦鷯天皇(おおさざきのすめらみこと)(仁徳天皇)、根鳥皇子(ねとりのみこ)をお生みになりました。

そのあと天皇は、皇后の姉である高城入姫(たかきのいりびめ)を妃とされ、
額田大中彦皇子(ぬかたのおおなかつひこのみこ)、大山守皇子(おおやまもりのみこ)、去来真稚皇子(いざのまわかのみこ)、大原皇女(おおはらのひめみこ)、澇来田皇女(こむくたのひめみこ)をお生みになりました。

また、皇后の妹の弟姫(おとひめ)は、
阿倍皇女(あべのひめみこ)、淡路御原皇女(あわじのみはらひめみこ)、紀之蒐野皇女(きのうののひめみこ)をお生みになりました。

次の妃である和珥臣(わにのおみ)の祖、日触使主(ひふれのおみ)の娘である宮主宅媛(みやぬしやかひめ)は、
蒐道稚郎子皇子(うじのわきいらつこのみこ)、矢田皇女(やだのひめみこ)、雌鳥皇女(めとりのひめみこ)をお生みになりました。

さらに、宅姫(やかひめ)の妹の小甌媛(おなべひめ)は、
蒐道稚郎姫皇女(うじのわきいらつめのひめみこ)をお生みになりました。

その次の妃である河派仲彦(かわまたなかつひこ)の娘の弟姫(おとひめ)は、
稚野毛二派皇子(わかのけふたまたのみこ)を生みました。

次の妃である桜井田部連男組(さくらいたべのむらじおさい)の妹の糸媛(いとひめ)は、
隼総別皇子(はやぶさわけのみこ)をお生みになりました。

次の妃である日向泉長媛(ひむかいのいずみのながひめ)は、
大葉枝皇子(おおばえのみこ)、小葉枝皇子(おばえのみこ)をお生みになりました。

この天皇の男女は、合わせて二十人おられます。

根鳥皇子(ねとりのみこ)は大田君(おおたのきみ)の先祖です。
大山守皇子(おおやまもりのみこ)は土形君(ひじかたのきみ)、榛原君(はりはらのきみ)の二族の先祖です。
去来真稚皇子(いざのまわかのみこ)は深河別(ふかかわわけ)の先祖です。

三年冬十月三日〜国樔人の歌

三年冬十月三日、東(あずま)の蝦夷(えみし)が皆、朝貢してきました。
その蝦夷を使って、厩坂道(うまやさかのみち)を造らせました。

十一月には、各地の漁民が騒ぎ、命に従いませんでした。
阿曇連(あずみのむらじ)の先祖である大浜宿禰(おおはまのすくね)を遣わして、その騒ぎを平定させました。
それによって大浜宿禰は漁民の統率者とされました。
当時の人々の諺に「佐麼阿摩(さばあま)」というのは、この出来事に由来します。

この年、百済(くだら)の辰斯王(しんしおう)が位につき、日本の天皇に対して礼を失する行いをしました。
そこで、紀角宿禰(きのつののすくね)、羽田矢代宿禰(はたのやしろのすくね)、石川宿禰(いしかわのすくね)、木蒐宿禰(つくのすくね)を遣わして、その無礼を責めさせました。
百済国(くだらこく)は辰斯王(しんしおう)を殺して陳謝しました。
紀角宿禰らは、阿花(あくえ)を王として立てて帰ってきました。

五年秋八月十三日、諸国に命じて、海人部(あまべ)と山守部(やまもりべ)を定めました。

冬十月、伊豆国(いずのくに)に命じて船を造らせました。
長さ十丈(約30m)の船ができました。
ためしに海に浮かべると、軽く浮かび、走るように早く進みました。
その船を枯野(からの)と名づけました。

船が軽く早く走るのに「枯野」と名づけるのは道理に合わないため、もしかすると「軽野(かるの)」と言ったのを、後の人が訛ったのかもしれません。

六年春二月、天皇は近江国(おうみのくに)にお出ましになり、途中、蒐進野(うじの)のほとりに至ったとき、歌をお詠みになりました。

チハノ、カゾヌヲミレバ、モモチタル、ヤニハモミユ、クニノホモミユ。
(葛野(かずの)を見渡すと、豊かな家々が見え、国の優れたところも見える、という意味です。)

七年秋九月、高麗人(こまびと)、百済人(くだらびと)、任那人(みまなびと)、新羅人(しらぎびと)などが来朝しました。
武内宿禰(たけのうちのすくね)に命じて、諸々の韓人(からひと)を率いて池を造らせました。
その池を韓人池(からひとのいけ)といいます。

八年春三月、百済人が来朝しました。

百済記(くだらき)に述べられているところでは、阿花王(あくえおう)が立って日本に無礼を働いたため、
日本は枕弥多礼(とむたれ)、峴南(けむなむ)、支侵(ししむ)、谷那(こくな)、東韓(とうかん)の地を奪いました。
このため、王子の直支(せしむとき)を天朝に遣わして、先王の好を修めたとあります。

武内宿禰(たけのうちのすくね)に対する弟の讒言

九年夏四月、武内宿禰を筑紫(ちくし)に遣わして人民を監察させました。
そのとき、宿禰の弟である甘美内宿禰(うましうちのすくね)は兄を排除しようとして天皇に讒言し、
「武内宿禰は常に天下を狙う野心があります。今、筑紫にいて密かに語り、
『筑紫を割いて取り、三韓を自分に従わせれば天下を取ることができる』
と言っているそうです」
と申し上げました。

天皇は使者を遣わして、武内宿禰を殺すよう命じました。
武内宿禰はこれを聞いて、
「私は二心なく忠心をもってお仕えしています。今、何の罪もなく死なねばならないのでしょうか」
と言いました。

壱岐直(いきのあたい)の先祖である真根子(まねこ)という人が、武内宿禰によく似ていました。
真根子は、武内宿禰が罪なく死ぬのを惜しみ、
「大臣は忠心をもってお仕えし、腹黒い心がないことは天下の人が皆知っています。
密かに朝廷に参り、罪のないことを弁明してから死んでも遅くありません。
私は大臣に代わって死に、大臣の赤心を明らかにしましょう」
と言い、その場で自ら剣を当てて死にました。

武内宿禰は深く悲しみ、密かに筑紫を逃れて舟で南海を回り、紀伊(きい)の港に泊まりました。
ようやく朝廷にたどり着き、罪のないことを弁明しました。

天皇は武内宿禰と甘美内宿禰を対決させて問いただしましたが、二人は互いに譲らず、是非を決めることができませんでした。

天皇は神祇に祈り、探湯(くがたち)(熱湯に手を入れ、ただれた者を邪とする占い)を行わせました。
武内宿禰と甘美内宿禰は磯城川(しきがわ)のほとりで探湯を行い、武内宿禰が勝ちました。

武内宿禰は大刀を取って甘美内宿禰を殺そうとしましたが、天皇のお言葉によって許され、紀直(きのあたらい)の先祖を賜りました。

髪長媛と大鷦鷯尊

十一年冬十月、剣池(つるぎのいけ)、軽池(かるのいけ)、鹿垣池(ししかきのいけ)、厩坂池(うまやさかのいけ)を造りました。

この年、ある人が申し上げました。
「日向国(ひむかのくに)に髪長媛(かみながひめ)という娘がおり、諸県君牛諸井(もろかたのきみうしもろい)の娘です。国中でも評判の美人です。」
天皇はこれを聞いて心中喜ばれ、召そうと思われました。

十三年春三月、天皇は専使(たくめつかい)を遣わして髪長媛(かみながひめ)を召されました。

秋九月中旬、髪長媛は日向(ひむか)からやってきて、摂津国(せっつのくに)の桑津邑(くわつのむら)に置かれました。
皇子の大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)は髪長媛をご覧になり、その美しさに強く心を引かれました。

天皇は大鷦鷯尊が髪長媛を気に入っているのを見て、娶わせようと思われました。
後宮で宴会を催されたとき、初めて髪長媛を呼んで宴席に侍らせ、大鷦鷯尊を招き、髪長媛を指さして歌を詠まれました。

天皇の歌

イザアギ、ヌニヒルツミニ、ヒルツミニ、
ワガユクミチニ、カグハシ、ハナタチバナ、
シツエラハ、ヒトミナトリ、ホツエハ、トリヰカラシ、
ミツクリノ、ナカツエノ、フホコモリ、
アガレルヲトメ、イザサカバエナ。


(さあ我が君よ、野に蒜(ひる)摘みに行きましょう。
蒜を摘みに行く私の道には、よい香りの花橘(はなたちばな)が咲いています。
下枝の花は人が皆摘み、上枝の花は鳥が散らしましたが
中枝にはこれから咲く美しい赤みを帯びた花のような乙女がいます。
さあ、花咲くとよいですね。)

大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)の返歌
大鷦鷯尊は御歌を賜り、髪長媛を賜ることを悟り、大いに喜んで返歌を詠まれました。

ミゾタマル、ヨサミノイケニ、ヌナハクリ、
ハヘケクシラニ、ヰクヒツク、カハマタエノ、
ヒシガラノ、サシケクシラニ、
アガココロシ、イヤウコニシテ。


(依網池(よさみのいけ)で蓴菜(じゅんさい)を手繰って、
遠くまで気を配っていたのを知らず、
また川俣の江の菱茎(ひしがら)が遠くまで伸びているのを知らず
(天皇が髪長媛を賜るように配慮してくださっていたのを知らず)
私はなんと愚かであったことか。)

大鷦鷯尊と髪長媛

大鷦鷯尊はすでに髪長媛と同衾され、仲睦まじく過ごしていました。
髪長媛に向かって、さらに歌を詠まれました。

ミチノシリ、コハタヲトメヲ、カミノゴト、
キコエシカド、アヒマクラマク。


(遠い国のこはた乙女は、恐ろしいほど美しいと噂が高かったが、
今は私と枕を交わす仲となった。)

さらに歌を詠まれました。

ミチノシリ、コハタヲトメ、アラソハズ、
ネシクヲシゾ、ウルハシミモフ。

(こはた乙女が逆らわずに共に寝てくれたことを、
私は本当に素晴らしいと思う。)

髪長媛を奉った諸県君牛(もろかたのきみうし)

ある説によると、日向(ひむか)の諸県君牛(もろかたのきみうし)は、朝廷に長く仕えて老齢となり、仕えをやめて本国に帰りました。
そして娘の髪長媛を奉りました。

播磨国(はりまのくに)にやってきた天皇は、淡路島で狩りをされました。
西の方をご覧になると、数十の大鹿が海に浮かんでやってきて、播磨の加古の港(かこのみなと)に入りました。

天皇は側の者に、
「あれはどういう鹿だろう。大海に浮かんで多くやってくるが。」
と言われました。

使いをやって見させると、皆、人でした。
ただ角のついた鹿の皮を着物としていたのです。

「何者か」と問うと、
「諸県君牛(もろかたのきみうし)です。年老いて宮仕えができなくなりましたが、朝廷を忘れることができず、娘の髪長媛を奉ります。」
と答えました。

天皇は喜んで娘を宮仕えさせました。
そのため、当時の人はその岸を鹿子水門(かこのみなと)と呼びました。
水手(かこ)(船員のこと)を「鹿子(かこ)」と呼ぶのは、この時から始まったといいます。

弓月君・阿直岐・王仁〜吉野宮

十四年春二月、百済王(くだらおう)が縫衣工女(きぬぬいおみな)(裁縫をする女性)を奉りました。
名を真毛津(まけつ)といいます。
これが現在の来目衣縫(くめのきぬぬい)の先祖です。

この年、弓月君(ゆみづきのきみ)が百済(くだら)からやってきました。
奏上して、
「私は自国の百二十県の人民を率いて参りました。しかし、新羅人(しらぎびと)が妨げているため、皆、加羅国(からこく)に留まっています。」
と言いました。

そこで、葛城襲津彦(かずらきのそつひこ)を遣わして、弓月(ゆみづき)の民を加羅国に呼び寄せさせました。
しかし、三年経っても襲津彦(そつひこ)は帰ってきませんでした。

十五年秋八月六日、百済王は阿直岐(あちき)を遣わして良馬二匹を奉りました。
それを大和(やまと)の軽(かる)の坂上の厩(うまや)で飼わせました。
阿直岐に司らせて養わせました。

その馬を飼った場所を厩坂(うまやさか)といいます。
阿直岐はまた、よく経書を読みました。
そのため太子の菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)の学問の師とされました。

天皇は阿直岐に、
「お前より優れた学者がいるか」
と尋ねました。
阿直岐は、
「王仁(わに)という優れた人物がいます。」
と答えました。

そこで、上毛野君(かみつけのきみ)の先祖である荒田別(あらたわけ)、巫別(かむなぎわけ)を百済に遣わして、王仁(わに)を召しました。
阿直岐は阿直岐史(あちきのふびと)の先祖です。

十六年春二月、王仁(わに)が来ました。
太子の菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)はこれを師とし、諸々の典籍を学ばれました。
すべてに通達していました。
王仁は書首(ふみのおびと)の先祖です。

この年、百済の阿花王(あかおう)が薨じました。
天皇は直支王(ときおう)(阿花王の長子)を呼んで、
「あなたは国に帰って位につきなさい。」
と言われました。
そこで東韓(とうかん)の地を賜って帰国させました。
東韓とは、甘羅城(かむらのさし)、高難城(こうなんのさし)、爾林城(にりんのさし)のことです。

八月、平群木菟宿禰(へぐりのつくのすくね)、的戸田宿禰(いくはのとだのすくね)を加羅(から)に遣わしました。
精兵を授けて、
「襲津彦(そつひこ)が長く帰らないのは、新羅が妨げているからだろう。
お前たちは急いで行って新羅を討ち、その道を開け。」
と命じました。

木菟宿禰(つくのすくね)らは兵を進めて新羅の国境に臨みました。
新羅の王は恐れて罪に服しました。
そこで弓月の民を率いて、襲津彦(そつひこ)と共に帰ってきました。

十九年冬十月一日、天皇は吉野宮(よしののみや)にお出でになりました。
国樔人(くずひと)が醴酒(れいしゅ)を奉り、歌を詠みました。

国樔人(くずひと)の歌

カシノフニ、ヨクスヲツクリ、ヨクスニ、
カメルオホミキ、ウマラニ、キコシモチヲセ、マロガチ。

(橿(かし)の林で横臼(よこす)を造り、その横臼で醸した大御酒(おおみき)を、
どうかおいしく召し上がってください、我が父よ。)

歌が終わると、国樔人は半ば開いた口を掌で叩き、仰いで笑いました。

現在でも国樔(くず)の人が土地の産物を奉る日に、歌が終わって口を打ち笑うのは、この古い風習の名残です。
国樔の人々は純朴で、普段は山の木の実を採って食べています。
また、カエルを煮て上等の食物とし、これを毛瀰(もみ)と呼びます。

その地は京より東南で、山を隔てて吉野川(よしのがわ)のほとりにあります。
峰は高く谷は深く、道は険しいため、京から遠くはありませんが、訪れる者は少なかったのです。
しかし、この出来事以後はしばしばやってきて、土地の産物を奉りました。
その産物は栗、茸、鮎などです。

二十年秋九月〜阿知使主の来朝

二十年秋九月、倭漢直(やまとのあやのあたい)の先祖である阿知使主(あちのおみ)が、その子の都加使主(つかのおみ)、並びに十七県の自分の輩(ともがら)を率いてやってきました。

兄媛の嘆き〜天皇崩御まで

二十二年春三月五日、天皇は難波(なにわ)にお出でになり、大隅宮(おおすみのみや)にお住まいになりました。
十四日、高台に登って遠くを眺められました。
そのとき、妃である兄媛(えひめ)が西の方を望んで大いに嘆かれました。
兄媛(えひめ)は吉備臣(きびのおみ)の先祖である御友別(みともわけ)の妹です。

天皇が兄媛(えひめ)に、
「なぜそのように嘆き悲しむのか」
と尋ねられました。
兄媛は答えて、
「この頃、父母が恋しく、西の方を遠く眺めましたので、自然と悲しくなりました。どうかしばらく帰らせて、親の顔を見させてください。」
と言いました。

天皇は兄媛の親を思う心の深さに感じ入り、
「お前は両親を見ないで、もう何年も経っている。帰って親を見舞いたいと思うのは当然である。」
とお語りになり、すぐにお許しになりました。

淡路(あわじ)の三原の海人部(あまべ)八十人を呼び、水手(かこ)として吉備(きび)に送らせました。

夏四月、兄媛(えひめ)は難波(なにわ)の大津(おおつ)から船出しました。
天皇は高殿(たかどの)にいて、兄媛の船を見送りながら歌われました。

天皇の歌

アハヂシマ、イヤフタナラビ、アヅキシマ、イヤフタナラビ、
ヨロシキシマシマ、夕カタサレアラチシ、
キビナルイモヲ、アヒミツルモノ。


(淡路島は小豆島と二つ並んでいる。
私が立ち寄りたい島々は皆二つ並んでいるのに、私はひとりにされてしまった。
誰が遠くへ行かせてしまったのか。
吉備の兄媛を、せっかく親しんでいたのに。)

秋九月六日、天皇は淡路島に狩りをされました。
この島は難波(なにわ)の西にあり、巌や岸が入りまじり、陵や谷が続いています。
芳草が盛んに茂り、水は勢いよく流れています。
大鹿、鳧(かも)、雁(がん)などが多くいます。
そのため天皇は度々遊びにお出でになりました。

天皇は淡路から回って吉備(きび)にお出でになり、小豆島(しょうどしま)で遊ばれました。
十日、葉田(はた)の葦守宮(あしもりのみや)に移ってお住みになりました。
そのとき、御友別(みともわけ)が来て、その兄弟子孫を料理番として奉仕させました。

天皇は御友別(みともわけ)が畏まり仕える様子をご覧になり、喜ばれました。
そこで吉備国(きびのくに)を割いて、その子たちに治めさせました。

川島県(かわしまのあがた)を分けて長子の稲速別(いなはやわけ)に与えました。
これが下道臣(しものみちのおみ)の先祖です。

次に、上道県(かみつみちのあがた)を中子の仲彦(なかひこ)に与えました。
これが上道臣(かみつみちのおみ)、香屋臣(かやのおみ)の先祖です。

次に、三野県(みののあがた)を弟彦(おとひこ)に与えました。
これが三野臣(みののおみ)の先祖です。

また、波区芸県(はくぎのあがた)を御友別(みともわけ)の弟である鴨別(かもわけ)に与えました。
これが笠臣(かさのおみ)の先祖です。

苑県(そののあがた)は兄の浦凝別(うらこりわけ)に与えました。
これが苑臣(そののおみ)の先祖です。

そして、織部(はとりべ)を兄媛(えひめ)に賜りました。
こうして、その子孫は現在、吉備国(きび)の臣にいます。
これがその発祥です。

百済の政変と木満致(もくまんち)

二十五年、百済(くだら)の直支王(ときおう)が薨じ、その子の久爾辛(くにしん)が王となりました。
王は若かったため、木満致(もくまんち)が国政を執りました。
しかし木満致は王の母と通じ、無礼が多くありました。
天皇はこれを聞いて木満致をお呼びになりました。

百済記(くだらき)によると、木満致(もくまんち)は木羅斤資(もくらこんし)が新羅(しらぎ)を討ったとき、その国の女性を娶って生んだ者です。
父の功によって任那(みまな)を拠点とし、日本と往来しました。
職制を賜り、百済の政を執りました。
権勢は盛んでしたが、天皇はその悪事を聞いて召されたのです。

高麗の無礼な表文

二十八年秋九月、高麗(こま)の王が使者を送り朝貢しました。
その上表文には、
「高麗の王、日本国に教え知らせる」
とありました。
太子の菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)はその文を読んで怒り、
表文の無礼を責め、これを破り捨てました。

武庫(むこ)の船火災

三十一年秋八月、天皇は群卿(まちきみ)に詔して言われました。
「官船の枯野(からの)は伊豆(いず)の国から奉られたものであるが、今は朽ちて使えない。
しかし長く官用に尽くした功績は忘れられない。
この船の名を絶やさず後に伝えるにはどうしたらよいか。」

群卿は有司(ゆうし)に命じて船の材を取り、薪として塩を焼かせました。
五百籠の塩が得られ、それを諸国に施しました。
そして新たに船を造ることになり、諸国から五百の船が献上されました。
それらは武庫(むこ)の港に集まりました。

そのとき、新羅(しらぎ)の調の使者が武庫に宿っており、そこから失火しました。
延焼で多数の船が焼けたため、新羅の人を責めました。
新羅王はこれを聞いて驚き、優れた工匠を奉りました。
これが猪名部(いなべ)の先祖です。

以前、枯野船を塩焼きの薪にした日に、焼け残りがありました。
それが燃えないことを不思議に思って献上しました。
天皇は怪しんで琴を造らせました。
その音はさやかで遠くまで響きました。

天皇は歌われました。

カラヌヲ、シホニヤキ、シガアマリ、コトニツクリ、
カキヒクヤ、ユラノトノ、トナカノイクリニ、
フレタツ、ナヅノキノ、サヤサヤ。


(枯野を塩焼きの薪にして焼き、その余りで琴を造り鳴らすと、
由良(ゆら)の瀬戸の海石に触れ、
生えているナヅの木が潮に打たれて鳴るような、
澄んだ音が響く。)

呉(くれ)への使節と工女の来朝

三十七年春二月一日、阿知使主(あちのおみ)、都加使主(つかのおみ)を呉(くれ)に遣わして縫工女を求めさせました。
二人は高麗国(こまこく)に渡り、呉へ行こうとしましたが道が分からず、高麗に道案内を求めました。
高麗王は久礼波(くれは)と久礼志(くれし)の二人をつけて案内させました。
これによって呉に行くことができました。

呉の王は縫女(ぬいめ)の兄媛(えひめ)、弟媛(おとひめ)、呉織(くれはとり)、穴織(あなはとり)の四人を与えました。

三十九年春二月、百済(くだら)の直支王(ときおう)は妹の新斉都媛(しせつひめ)を遣わして仕えさせました。
このとき新斉都媛は七人の女を連れてきました。

後継問題と天皇の崩御

四十年春一月八日、天皇は大山守命(おおやまもりのみこと)と大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)を呼んで尋ねられました。

「お前たちは自分の子供は可愛いか。」
「大変可愛いです。」

さらに尋ねられました。
「大きくなったのと、小さいときではどちらが可愛いか。」

大山守命は、
「大きくなった方が良いです。」
と答えました。
天皇は喜ばれませんでした。

大鷦鷯尊は天皇のお心を察し、
「大きくなった方は一人前で不安がありません。
ただ若い方は、これから一人前になれるかどうかも分からず、可哀想です。」
と言われました。

天皇は大いに喜び、
「お前の言葉は、まことに朕の心にかなっている。」
と言われました。

天皇は常に菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)を太子に立てたいと思っており、
二人の心を知るためにこの問いをされたのでした。

二十四日、菟道稚郎子を後嗣に立てました。
その日、大山守命を山川林野を司る役目とし、
大鷦鷯尊には太子の補佐として国事を任せました。

四十一年春二月十五日、天皇は明宮(あきらのみや)で崩御されました。
御年百十歳でした。
一説には大隅宮(おおすみのみや)で亡くなられたともいいます。

この月、阿知使主(あちのおみ)らが呉から筑紫(ちくし)に着きました。
そのとき宗像大神(むなかたのおおかみ)が工女を欲しいと言われ、兄媛(えひめ)を奉りました。
これが現在の筑紫の御使君(みつかいのきみ)の先祖です。

残りの三人の女を連れて津国(つのくに)に至り、武庫(むこ)に着いたとき、天皇が崩御されていました。
間に合わなかったため、大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)に奉りました。
この女たちの子孫が、現在の呉衣縫(くれのきぬぬい)、蚊屋衣縫(かやのきぬぬい)です。

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愛媛県松山市出身。 国立理系大学院卒の元大手半導体材料研究開発エンジニア。(CPU基盤材料、太陽電池材料の研究開発に関わる) 関西在住時にうつ病療養のため何度か尋ねた蛇神大物主神を祀る奈良大神神社で不思議な体験を経験。それをきっかけに記紀を読むこと十年後、祖先は宇佐八幡初代神官大神比義、さらには大神神社(地祇系三輪・大神氏)といった蛇神族の血流(神官系)につながることをつきとめます。 また、20年間あらゆる療法を試しても治らなかった難治性うつ病も瞑想と催眠の研究を続けていくことで奇跡的に解消し、人間に備わる自然治癒力発動法を発見します。独自のヒーリング法を確立し5年間精神疾患者への対面施術指導を行った後コロナ禍以降は引退。現在はサイトを立ち上げオンラインでHSP向けセルフヒーリングを提供しています。 自身の経験をもとに、「この世界には、時に説明のつかない出来事が起こり奇跡が起こる」ということを伝えていきたいと考えています。 「引き寄せの法則」などのスピリチュアル、宗教団体とは関係ありません。
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