目次
10代崇神(すじん)天皇の時代を物語としてまとめています。
記紀の現代語訳を読みたい方は後半をご覧ください。

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磯城の水垣宮には、朝の光が静かに差し込み、柱の木目が淡く輝いていました。
その光は、まるで国の未来をそっと照らすように柔らかく、宮殿全体に静かな息づかいを与えていました。
御真木入日子印恵命は、その光の中に立ち、遠くの山々を見つめていました。
風が吹くたびに柱がかすかに鳴り、まるで大和そのものが天皇に語りかけているようでした。
「この国を、必ず良い方向へ導かねばならない。」
その言葉は声に出さずとも、胸の奥で澄んだ響きを持っていました。
朝の光のように揺らぎなく、静かに強い決意でした。
皇后・遠津年魚目目微比売は、清らかな水のように穏やかな女性でした。
彼女がそばにいると、天皇の心に生まれるさざ波はすっと消え、
まるで澄んだ泉に戻るように静けさが満ちていきました。
二柱の御子が生まれたとき、天皇はその小さな手を包み込みながら、胸の奥でそっと誓いました。
「この子らの未来を守るためにも、私は強くあらねばならない。」
その誓いは、父としての温かさと、王としての責任がひとつになった瞬間でした。
意富阿麻比売 ― 大地のような力と光
意富阿麻比売は、大地のように力強く、明るい笑顔を持つ女性でした。
彼女の笑い声が宮中に響くと、天皇の心にも自然と光が差し込み、
重責の影がふっと薄れていくようでした。
四柱の御子が生まれたとき、天皇はその活気に満ちた子らを見つめ、
未来への希望が胸の奥から湧き上がるのを感じました。
「この国は、もっと広く、もっと豊かに育つはずだ。」
その思いは、子どもたちの笑顔によってさらに確かなものとなりました。
御真津比売 ― 風のようなしなやかさと洞察
御真津比売は、風のようにしなやかで、時に鋭い洞察を見せる女性でした。
彼女の言葉は静かでありながら、天皇の心に深く届く力を持っていました。
六柱の御子が生まれたとき、天皇はその小さな命を見つめながら、
胸の奥に温かな感情が広がっていくのを感じました。
「この国の行く末を託す者たちが、こうして育っていく……。」
その思いは、父としての喜びと、王としての覚悟を静かに結びつけていきました。
十二柱の御子が満たす宮中の光
十二柱の御子。
その一人ひとりの笑顔や泣き声が、天皇の心を強くし、国を導く力となっていきました。
宮中には子どもたちの声が絶えず響き、
まるで春の野のように生命力に満ちていました。
その賑わいは、ただの家族の温かさではなく、
未来の大和を支える十二の光が、今まさに芽吹いている証でした。

天皇は息子倭日子命(やまとひこ)の亡骸の前に立ち、胸の奥が締めつけられるような痛みに耐えていました。
倭日子命の顔は、まるで眠っているかのように穏やかで、その穏やかさがかえって天皇の心を刺しました。
「なぜ、この子を守れなかったのか……」
その言葉は声にならず、胸の奥で静かに、しかし鋭く響きました。
王としての責務と、父としての痛みが、同じ場所でぶつかり合っていました。
陵墓と「人垣」が生まれた日
倭日子命の陵墓が築かれた日、空は重く垂れこめ、風は冷たく吹いていました。
人々は静かに集まり、死者を弔うために祈りを捧げました。
その中で、初めて「人垣」が立てられました。
死者を守るために、生者がその周囲を囲み、命を捧げるという古い風習です。
天皇はその光景を見つめながら、胸の奥に重い影を感じていました。
「死者を守るために、生者を犠牲にする……これは本当に正しいのだろうか。」
その疑問は、深く、静かに天皇の心に刻まれました。
この痛みと疑念が、のちに埴輪という新しい形を生む種となっていきます。
風が運ぶ孤独と決意
倭日子命の陵に吹く風は冷たく、天皇の頬を刺すようでした。
その冷たさは、息子を失った悲しみだけでなく、国を導く者としての孤独を象徴しているようでした。
しかし、その孤独の中で、天皇はひとつの決意を固めていきます。
「この国の死者も、生きる者も、どちらも守らねばならない。
そのための道を、私が見つけなければならない。」
その決意は、倭日子命の死という深い悲しみの中から生まれた、静かで強い光でした。

ある年、空はどこか沈み、風は湿り、鳥の声さえ弱々しく聞こえました。
やがて疫病が国中に広がり、人々は次々と倒れていきました。
村々のかまどには火が入らず、
子どもの泣き声も途絶え、
夜になっても犬の遠吠えすら聞こえない。
大和の地は、まるで息を潜めて死の影に覆われているようでした。
天皇は報告を聞くたびに胸が痛み、夜になると眠れぬまま祈りの床に入りました。
「どうすれば、この国を救えるのか……」
その問いは、倭日子命を失った痛みと重なり、天皇の心を深くえぐっていきました。
三輪山の神が現れた夜
その夜、天皇は深い眠りの中でひとつの光を見ました。
三輪山の闇を裂くように現れたのは、大物主大神。
その姿は恐ろしくもあり、同時に救いの光のようでもありました。
山そのものが神となって立ち上がったかのような、圧倒的な存在感でした。
神は静かに、しかし山の響きのような声で告げました。
「意富多々泥古に我を祭らせよ。
そうすれば祟りは止む。」
その言葉は夢の中でありながら、雷のように胸に刻まれました。
天皇は目覚めた瞬間、胸の奥に確かな光を感じました。
「救いの道がある……」
疲れ切っていた心に、久しく忘れていた温かさが戻ってきました。
意富多々泥古という「鍵」
意富多々泥古が神の子孫であると知ったとき、天皇の胸は熱くなりました。
「この者こそ、国を救う鍵なのだ。」
その確信は迷いを消し、天皇の行動をまっすぐに導きました。
意富多々泥古は驚きながらも、神の言葉を受け入れ、
三輪山の麓で大物主大神を丁重に祀りました。
祭祀の最中、風がふっと変わり、
山の木々がざわめき、空気が澄んでいくのが誰の目にもわかりました。
疫病が止み、天皇の胸に刻まれたもの
祭祀が終わると、疫病は嘘のように止まりました。
村々に再び火が灯り、
子どもの声が戻り、
川の水は澄み、
風は柔らかく吹き抜けた。
天皇は空を見上げ、静かに息を吐きました。
「神々は、まだこの国を見捨ててはいない……」
その思いは、深い安堵とともに胸に刻まれ、
のちの大和王権の信仰と祭祀の形を大きく形づくっていくことになります。

活玉依毘売は、月の光を受けた水面のように美しい娘でした。
その美しさは静かで、触れれば揺れてしまいそうな儚さを帯びていました。
しかし彼女の胸の奥には、誰にも言えない小さな不安がありました。
自分の身に起きた不思議な出来事——
それは夢か現かも分からず、ただ心をそっと揺らし続けていました。
見知らぬ男の声に宿る懐かしさ
ある夜、見知らぬ男が訪れました。
その声は深く、どこか懐かしさを帯びていて、活玉依毘売は思わず胸に手を当てました。
「この人は誰なのだろう……」
恐れと同時に、言葉にできない温かさが胸に広がりました。
その感覚は、彼女自身も理解できないまま、静かに心に残りました。
麻糸が導く三輪山の神
翌朝、彼女は驚きました。
自分の衣に絡んだ麻糸が、まっすぐ三輪山へと伸びていたのです。
震える指で糸をたどりながら、彼女は胸の奥でつぶやきました。
「私は……神に選ばれたのだろうか……」
恐れと誇りが入り混じり、心は揺れながらも、どこか静かに澄んでいきました。
その糸は、彼女の運命がすでに神の手の中にあることを示していました。
神の血を継ぐ者、意富多々泥古
やがて生まれた意富多々泥古が天皇の前に立ったとき、
天皇はその瞳の奥に、確かに神の光を見ました。
その光は、ただの血筋ではなく、
三輪山の神がこの国を救うために遣わした「しるし」のようでした。
天皇は静かに息を吸い、胸の奥で確信しました。
「この者が、国を救う道を開く……」
その思いは揺らぐことなく、
のちに疫病を鎮める祭祀へとつながっていきます。

幣羅坂に響いた少女の歌は、ただの遊び歌ではありませんでした。
大毘古命はその旋律に、背筋を刺すような冷たさを感じました。
言葉の端に潜む不吉な響き
歌声の奥にある、誰かの意志
そして、血の匂いを予感させる静かな影
「これはただの歌ではない……」
その直感が、大毘古命を急ぎ都へ向かわせました。
彼の胸には、まだ形にならない不安が重く沈んでいました。
天皇の胸に落ちた影
報告を聞いた天皇は、胸の奥に重い影が落ちるのを感じました。
「兄が……なぜ」
血を分けた者が刃を向けるという現実は、
王としての責務よりも、ひとりの人間としての痛みを先に呼び起こしました。
兄弟としての情
王としての責任
国を守るための決断
それらが胸の奥で絡まり、天皇の心を深く傷つけていきました。
和訶羅河の戦いを待つ夜
和訶羅河で戦いが始まったとき、天皇は遠く離れた宮で報せを待っていました。
その夜、風は弱く、灯火は揺れ、宮中は不安に満ちていました。
天皇は祈りの床に座り、胸の奥で静かに願いました。
「どうか、これ以上の血が流れませんように……
どうか、この国が壊れてしまいませんように……」
その祈りは、王としての願いであると同時に、
家族を失いたくないという切実な叫びでもありました。
反乱が鎮まった後に残ったもの
反乱が鎮まったと聞いたとき、天皇は深く息を吐きました。
しかし、その安堵の奥には、消えない痛みが残っていました。
「国を守るためとはいえ、なぜこのような道を歩まねばならないのか……」
その問いは、怒りでも悲しみでもなく、
ただ静かに、深く、天皇の心に沈んでいきました。
国を治めるということ
血のつながりを断ち切らねばならない瞬間
王としての孤独
それらが、天皇の胸に重く積もっていきました。

大毘古命と建沼河別命——
それぞれが別の地で苦難を越え、ついに同じ場所で手を取り合ったという知らせは、
天皇にとってただの軍事的成功ではありませんでした。
「国はひとつに向かっている……」
その実感は、長い道のりを照らす灯火のように胸の奥で広がりました。
兄弟の争い、反乱、疫病……
そのすべてを越えて、ようやく国が同じ方向へ歩き始めたのだと感じられたのです。
調が献上され、国が満ちていく
やがて各地から調が献上されるようになり、
村々には再び笑い声が戻り、
田畑には豊かな実りが広がっていきました。
天皇は人々の笑顔を見るたびに胸が熱くなりました。
「この国は、必ず未来へ続いていく。」
その確信は、戦や疫病の影を越えてなお揺らぐことはありませんでした。
人々の暮らしが整い、子どもたちの声が響き、
大和の地はゆっくりと、しかし確実に豊かさを増していきました。
晩年に訪れた静かな安らぎ
晩年、天皇は静かに目を閉じ、これまでの道のりを思い返しました。
兄弟の争い
和訶羅河の戦い
疫病と祈り
村々の灯が戻っていく様子
子どもたちの笑顔
国がひとつにまとまっていく手応え
それらは別々の出来事ではなく、
胸の奥でひとつの流れとなって結ばれていきました。
「……この国は、きっと大丈夫だ。」
その思いが静かに広がり、
長い苦難の果てに、ようやく訪れた深い安らぎが天皇を包みました。
■ 皇后と御子たち
御真木入日子印恵命(みまきいりひこいにえのみこと)は、
磯城の 水垣宮(みずかきのみや) にて天下をお治めになりました。
天皇は、木国造・荒河刀弁の娘 遠津年魚目目微比売(とおつあゆめまくはしひめ) を皇后とされ、
お生まれになった御子は二柱。
豊木入日子命(とよきいりひこ)
豊鉏入日売命(とよすきいりひめ)
また、尾張連の祖・意富阿麻比売(おほあまひめ)を妃として、
四柱の御子をもうけられました。
大入杵命(おおいりき)
八坂之入日子命(やさかのいりひこ)
沼名木之入日売命(ぬなきのいりひめ)
十市之入日売命(とおちのいりひめ)
さらに、大毘古命の娘 御真津比売(みまつひめ) を妃として、
六柱の御子をもうけられます。
伊玖米入日子伊沙知命(いくめいりひこいさち)
伊耶能真若命(いざのまわか)
国片比売命(くにかたひめ)
千千都久和比売命(ちちつくわひめ)
伊賀比売命(いがひめ)
倭日子命(やまとひこ)
合わせて十二柱。
皇子七柱、皇女五柱という、豊かな御子の代でございました。
このうち 伊玖米入日子伊沙知命 が、次の天皇となられます。
倭日子命と陵墓の始まり
御子の一人、倭日子命(やまとひこ) の御代に、
初めて陵墓の周りに「人垣(ひとがき)」――生贄を立てる風習が始まったと伝えられます。
のちにこの風習は廃され、埴輪へと姿を変えていきますが、
その最初の影は、この時代に生まれたのでした。
三輪山の大物主神 ― 国を救う神の声
崇神天皇の御代、
国中に疫病が広がり、人々は次々と倒れ、
国が滅びるかと思われるほどの大災厄が訪れました。
天皇は深く心を痛め、
「いかにすれば、この国を救えるのか」
と神意を問うため、祈りの床にお入りになります。
その夜――
三輪山の大物主大神(おおものぬしのおおかみ) が夢に現れ、こう告げました。
「この疫病は、我が意志によるものだ。
意富多々泥古(おほたねこ)に我を祭らせよ。
そうすれば祟りは止み、国は安らかになる。」
天皇は急ぎ使者を四方に遣わし、
河内国・美努村にて 意富多々泥古(おほたねこ) を見いだします。
天皇が「そなたは誰の子か」と問うと、
おほたねこは静かに答えました。
「私は大物主大神が、活玉依毘売(いくたまよりびめ)を妻として生まれた
櫛御方命(くしみかたのみこと)の子孫でございます。」
天皇は大いに喜び、
「これで国は救われる」とおおせになりました。
そしておほたねこを神主として、
三輪山に 意富美和之大神(おおみわのおおかみ) を丁重にお祀りになりました。
さらに、宇陀の墨坂の神には赤い楯と矛、
大坂の神には黒い楯と矛を奉り、
坂の上の神、河の瀬の神に至るまで、
すべての神々に幣帛を捧げて祈りを尽くされました。
その結果、
疫病はぴたりと止み、
国は再び平穏を取り戻したのです。
活玉依毘売と大物主神 ― 神の子の誕生
意富多々泥古が神の子孫であることは、
次のような不思議な出来事によって明らかになりました。
活玉依毘売は、光り輝くほど美しい娘でした。
ある夜、見知らぬ気高い男が訪れ、
やがて娘は身籠ります。
両親が不審に思い、
「赤土を床に撒き、麻糸を針に通して男の衣に刺しなさい」
と教えます。
翌朝、糸は戸の鍵穴を通って外へ伸び、
三輪山の神社で止まっていました。
こうして、
娘の夫が 三輪山の大物主神 であったことが明らかになったのです。
残った麻糸が「三勾(みわ)」であったことから、
その地は 美和(みわ) と呼ばれるようになりました。
意富多々泥古は、
三輪君・鴨君の祖となります。
武波邇安王(たけはにやす)の反逆
この御代には、
天皇の異母兄 武波邇安王(たけはにやす) が反逆を企てました。
越国へ向かう大毘古命が山城の幣羅坂を通ったとき、
腰裳をつけた少女が不思議な歌を詠みます。
「御真木入日子はまあ、御真木入日子はまあ……
命を狙う者が、前の戸、後ろの戸から忍び寄る……」
少女はすぐに姿を消し、
大毘古命は都へ戻って天皇に報告します。
天皇は
「これは武波邇安王の反逆の兆しであろう」
とおおせになり、
大毘古命と日子国夫玖命を討伐に遣わしました。
和訶羅河で両軍は対峙し、
日子国夫玖の放った矢が武波邇安王を射抜き、
反乱は鎮圧されました。
その地は 伊抒美(いどみ) → 伊豆美(いずみ) と呼ばれるようになります。
逃げる兵が恐怖のあまり失禁した地は 屎襌(くそばかま) → 久須婆(くすば)、
川に死体が浮かんだ地は 鵜河(うかわ) と名づけられました。
初国知らしし天皇
大毘古命は越国を、
建沼河別命は東方十二国を平定し、
会津で父子が合流したことから、
その地は 会津(あいづ) と呼ばれるようになりました。
こうして天下は平らぎ、
国は豊かになりました。
この御代に初めて、
弓矢の獲物や織物などの 調(みつぎ) が献上され、
天皇は「初めて国を知らしめした天皇」
すなわち 初国知らしし御真木天皇 と称えられます。
また、
依網池(よさみのいけ)や酒折池(さかおりのいけ)など、
灌漑のための池が築かれ、
農業が大きく発展しました。
天皇は 168歳 で崩御され、
御陵は 山辺道の勾の岡 にあります。
天皇即位
御間城入彦五十瓊殖天皇(みまきいりびこいにえのすめらみこと)は、開化天皇(かいかてんのう)の第二子でございます。
母は 伊香色謎命(いかがしこめのみこと) といい、物部氏(もののべのうじ)の先祖である 大綜麻杵(おおへそき) の娘です。
天皇は十九歳で皇太子となられました。
善悪を識別する力に優れ、早くから大きな策謀を好まれました。
壮年には心広く慎み深く、天神地祇(てんじんちぎ)をあがめられ、常に帝王としての大業を治めようとする志をお持ちでした。
六十年夏四月、開化天皇(かいかてんのう)が崩御されました。
元年春一月十三日、皇太子が皇位につかれました。
皇后を尊んで皇太后と呼ばれました。
二月十六日、御間城姫(みまきひめ) を立てて皇后とされました。
この皇后は、のちに
活目入彦五十狭茅天皇(いくめいりびこいさちのすめらみこと:垂仁天皇)
彦五十狭茅命(ひこいさちのみこと)
国方姫命(くにかたひめのみこと)
千千衝倭姫命(ちちつくやまとひめのみこと)
倭彦命(やまとひこのみこと)
五十日鶴彦命(いかつるひこのみこと)
をお生みになりました。
次の妃である紀伊国(きいのくに)の 荒河戸畔(あらかわとべ) の娘 遠津年魚眼眼妙媛(とおつあゆめまくわしひめ) は、
豊城入彦命(とよきいりびこのみこと)
豊鍬入姫命(とよすきいりびめのみこと)
を生みました。
さらに妃である 尾張大海媛(おわりおおしあまひめ) は、
八坂入彦命(やさかいりびこのみこと)
渟名城入姫命(ぬなきいりびめのみこと)
十市瓊入姫命(とおちにいりびめのみこと)
を生みました。
この年、太歳は 甲申(きのえさる) でした。
瑞籬宮(みずかきのみや)への遷都
三年秋九月、都を 磯城(しき) に移し、これを 瑞籬宮(みずかきのみや) と呼びました。
四年冬十月二十三日、天皇は詔して言われました。
「我が皇祖の諸天皇がその位に臨まれたのは、一身のためではない。
神と人を整え、天下を治めるためである。
代々、良い政治を広め、徳を布かれた。
今、私は大業を承り、国民を恵み養うこととなった。
どのようにして皇祖の跡を継ぎ、無窮の位を保とうか。
群卿百僚(まちきみたち)よ、汝らの忠貞の心を尽くして共に天下を安ずることは、また良いことではないか。」
大物主大神(おおものぬしのおおかみ)を祀る
五年、国内に疫病が多く、民の死亡者は半数以上に及びました。
六年、百姓の流離する者、反逆する者があり、徳をもって治めようとしても難しい状況でした。
天皇は一日中、天神地祇に祈られました。
その後、天照大神(あまてらすおおみかみ) と 倭大国魂(やまとのおおくにたま) の二神を御殿の内に祀りました。
しかし神威を畏れ、共に住むことに不安がありました。
そこで天照大神(あまてらすおおみかみ)を 豊鍬入姫命(とよすきいりびめのみこと) に託し、
大和(やまと)の 笠縫邑(かさぬいのむら) に祀りました。
また日本大国魂神(やまとおおくにたまのかみ)は 淳名城入姫命(ぬなきいりびめのみこと) に預けて祀らせましたが、
姫は髪が落ち、体が痩せて祀ることができませんでした。
大物主神(おおものぬしのかみ)の神託
七年春二月十五日、天皇は詔して言われました。
「昔、皇祖が大業を開き、歴代の御徳は高く王風は盛んであった。
ところが今の世になって災害が続く。
朝廷に善政がなく、神が咎を与えているのではないかと恐れる。
占いによって災いの理由を究めよう。」
天皇は 神浅茅原(かむあさじがはら) に出向き、八十万の神々を招いて占いをされました。
このとき、神は 倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと) に憑りつき、
「天皇よ、国が治まらないのを憂えるな。
よく私を敬い祀れば、自然に安定する。」
と告げました。
天皇が神名を問うと、
「私は倭国の域の内にいる神、大物主神(おおものぬしのかみ)である。」
と答えました。
大田田根子(おおたたねこ)の登場
天皇は夢で神から、
「我が子 大田田根子(おおたたねこ) に私を祀らせれば、国は安定する」
と告げられました。
さらに 倭迹速神浅茅原目妙姫(やまととはやかむあさじはらまくわしひめ) ら三人も同じ夢を見て報告しました。
天皇は大田田根子(おおたたねこ)を探し、
茅淳県(ちぬのあがた)の 陶邑(すえむら) に彼を見つけ、宮中に連れてきました。
天皇が尋ねられました。
「お前は誰の子か。」
大田田根子は答えました。
「父は大物主大神(おおものぬしのおおかみ)、母は活玉依姫(いくたまよりひめ)です。」
天皇は喜ばれ、
「ああ、私はきっと発展するだろう。」
と言われました。
大物主神の祭祀と平定
十一月十三日、天皇は 伊香色雄(いかがしこお) に命じて平瓮(ひらか)を供えさせ、
大田田根子(おおたたねこ)を大物主大神(おおものぬしのおおかみ)の祭主としました。
これにより疫病は収まり、国内は鎮まり、五穀は実り、民は豊かになりました。
四道将軍(しどうしょうぐん)の派遣
十年秋七月二十四日、天皇は言われました。
「民を導く根本は教化にある。
遠国の人々はまだ王化に預かっていない。
四方に将軍を遣わして教化を広めよう。」
九月九日、
大彦命(おおひこのみこと) を北陸道へ
武淳川別(たけぬなかわわけ) を東海道へ
吉備津彦(きびつひこ) を西海道へ
丹波道主命(たにわのみちぬしのみこと) を丹波へ遣わしました。
武埴安彦(たけはにやすひこ)の反乱
大彦命(おおひこのみこと)が和珥の坂で少女の不吉な歌を聞き、
倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)がこれを占って反乱を察知しました。
武埴安彦(たけはにやすひこ)と妻 吾田媛(あたひめ) が挙兵し、
天皇は 五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと:吉備津彦) を遣わして討たせました。
吾田媛は大坂で討たれ、
武埴安彦は 彦国葺(ひこくにぶく) に射られて討たれました。
箸墓(はしはか)の由来
倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)は大物主神(おおものぬしのかみ)の妻となりましたが、
神の正体を見てしまい、恥じた神が去り、姫は悲しみのあまり箸で陰部を突いて亡くなりました。
その墓が 箸墓(はしはか) であり、
昼は人が、夜は神が造ったと伝えられます。
御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)
十二年、天皇は戸口を調べ、課役を定め、
天下は平穏となりました。
この功績により、天皇を 御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと) と称えました。
後継者の決定
四十八年、天皇は二人の皇子に夢占いをさせ、
弟の 活目尊(いくめのみこと:のちの垂仁天皇) を皇太子とし、
兄の 豊城命(とよきのみこと) を東国に遣わしました。
出雲神宝の事件
六十年、天皇は出雲大神(いずものおおかみ)の神宝を見たいと望まれ、
これをめぐって 出雲振根(いずものふるね) と 飯入根(いいいりね) の兄弟が争い、
飯入根が殺されました。
朝廷は吉備津彦(きびつひこ)らを遣わして出雲振根を討ちました。
治水と池の建設
六十二年、天皇は農業のために池を造るよう命じ、
依網池(よさみのいけ)
荊坂池(かりさかのいけ)
反折池(さかおりのいけ)
を造らせました。
天皇の崩御
天皇は即位から六十八年、
冬十二月五日に崩御されました。
御年 百二十歳 でした。
翌年八月十一日、山辺道上陵(やまのへのみちのえのみささぎ) に葬られました。